#6
月村さんの特訓が始まって、数日。
「ふふ、ふふふ……。今日も今日とて、筋肉痛ですわ……!」
もはや一周回って変なテンションになりつつありながらも、私は日々の訓練をこなしていました。
一日目のアレについては初日だからと下限をしてくださっていた様子で。翌日以降はもっとたくさんのトレーニングが待ち受けており。
そのトレーニングにある程度なれてきたかな、と思ったそばから、なんということでしょう。トレーニングの量が増やされていくのです。……まあ、それが合理的なのは、理解できますが。
そして、最近になって増えたやることも存在していて。
「よし。それじゃあ休憩がてら、座学をするぞ」
「それは、休憩に、なっていないと思うのですが」
月村さんに対していちおうの文句を付してはみますが、大丈夫大丈夫と適当に流されてしまいます。やっぱり月村さんはドSなのかもしれません。
そう。座学。
身体の疲労を抜いている間の時間まで有効活用しよう、という算段である。
たとえば通称冒険者法と呼ばれる、ダンジョンや冒険者に関係する法律関係がたくさんある。
だが、現実としてそういった法律をちゃんと把握せずに冒険者活動を行っているものも少なくないのだとか。
「義務教育でも現代史としてダンジョン発生後のことも扱うから、多少のことは知ってると思うが。しかし、それだけじゃ不足することが多い」
正直なところ、現在の私も彼ら彼女らとほぼ同じような知識レベルである。
だが、もしなにかがあったとき。もしくは、なにかをしてしまったとき。法律というものは「知らなかった」が通用しない。
「そして、知っているからこそ逆用してくるやつもいる。ちょうど、鈴音が騙されたような手合だな」
「うっ……」
冒険者法は十分な法整備を伴っていないがために、抜け穴がかなり多い。
そうした法律としての弱点を悪用しているような人たちもまた、存在している。
そういった人たちへの対策としても、法律をきちんと把握しておくことは大切になる。
……ちなみに。月村さん曰く、私が騙された相手は法律云々についてはおそらくあまりキチンと把握していないらしいかなりお粗末な集団だったとのことなのですが。
改めて認識すると自分自身が情けなく思えてくるので、深く考えないようにしておきましょう。
「ちなみに、冒険者は魔力による身体能力の底上げがある都合、公平性を期すためにスポーツなんかのレギュレーションが区分されることになってる」
「へえ、そうなのですね。……あれ? でも、冒険者のアスリートって、あんまり聞いたことがないような?」
「余程の事情がなければアスリートしながらわざわざ怪我をするおそれのある冒険者をする理由もないだろうし。中には、魔力による身体能力の向上を嫌っている手合もいるからな。選手にも、観客にも」
そのため、冒険者兼アスリート、という存在はかなり稀有なのだとか。
「ちなみに、学校なんかでも体育の測定基準が冒険者かどうかで区別されてるはずだ」
そういえば、そんなこともあったような気がします。
……体育は、あまりに悲惨な自身の結果を見つめるのが嫌で半ば方針気味に受けていたので、すっかり頭の中から抜け落ちていましたが。
と。そういった法律面の話であるとかの説明を受けたり。
あるいは、全く別な座学としては。
「それじゃあ、魔力についての話をしようか」
「ついに、ついに魔力を取り込めるのですね!」
「いや、まだだぞ」
私の喜びは、見るも無残に跳ね除けられ、現実を突きつけられました。
……まあ、なんとなくそうだろうなという気持ちがなかったわけではないですが。自己の評価としても、まだまだ躰は出来上がっていませんし。
「でも、でしたら魔力の話、というのはどういうことでしょう?」
「単純に。実際に魔力を身体に取り込む前に、魔力というものがどういったものなのか、どういう使い方のできるものなのか、ということを把握しておくべきだ、という話だ」
要は、魔力についての基礎的な知識を身につけるための座学、ということのなのでしょう。
「まあ、これに関しては実際に魔力を取り込んたあとに、感覚で大体を理解できる、ってやつもいたりはするが」
「ふふっ、そんなことができる自信、微塵もありませんわ!」
「……毎度思うが、その自信がないことに対する圧倒的な自信はなんなんだ」
呆れた様子で月村さんはそうおっしゃいます。
でも事実として、物事を最初からすぐにできたというような覚えはほとんどありません。
自転車ひとつに乗れるようになるだけでも、千癒にめちゃくちゃに手伝ってもらいながら、二週間という期間をかけて乗れるようになったくらいですし。
あと、物凄く個人的な感情を含めで話すならば、他の座学よりも内容的に興味がそそられる、というのもありはしたと思いますが。
「ともかく、魔力についての話をしていくが。そもそも、魔力とはなんなのか、ということについては正直あまりわかってない。……まあ、このあたりについては学校の授業なんかでも習ったことはあるかもしれないが」
わかっている範囲で言うならば、ダンジョンの発現とともに発生し、ダンジョンから齎された不思議エネルギー。
旧来のエネルギーがいったいなんなのかということが解明されていないように、魔力がなんたるか、についてもわかっていないことが多い。
ちなみに、魔力、というように呼ばれるようになったのは、あくまで便宜上の呼び方が慣例化した結果、とのこと。
「まあ、マンガやゲームなんかの魔力と性質が酷似している、ということもあったんだろうがな。なんなら、ダンジョンという呼ばれ方が定着したのも同じような経緯らしい」
魔力自体はダンジョン産の物質が有していることが多いが、たいていのものについては余程そればかりに触れ合ってでもいなければ身体に定着するほどに吸収することはないらしい。
そこで、一般的には魔石と呼ばれる魔力を高濃度で有している物質から意図的に魔力を吸収することで魔力を取り込むことになるらしい。
「ちなみに、魔石は売れる。質にもよるが、そこそこの値段でな」
そもそも、よくわかってこそいないものの、魔力自体が不思議エネルギー。……つまるところが、エネルギーである、ということには変わりはない。
だからこそ、魔石は新規のエネルギー資源として利活用されている。魔石発電なんかは有名だろう。
中には、魔石の売却を主な収入源にしている冒険者もいるのだとか。
「まあ、このあたりは実際にダンジョンで魔石を手に入れたときに詳しく話すとしよう」
もしかして見に行けるのかも、と。ちょっとばかりの糠喜びをしたりしますが、まあ、案の定の後日の話ではありました。
まあ、自分自身でも現状については自覚しているので、なんとなく、まだまだ身体が十分でないということは察してはいましたが。
「さて、そろそろ休憩もいい頃合いかな」
「……あの、やっぱり、最初の話に戻るんですけれど」
運動の休憩時間に、座学をする。
直接的な疲労の根源が別のところにあるので、たしかに理屈上は休憩、にはなっているのかもしれませんけれど。
「やっぱり、休憩になっていない気がするのですが?」
いちおう、そんなことを尋ねてみますが。彼はニッコリと笑みを浮かべながらに、大丈夫、と。
やっぱり、ドSなのかもしれませんわ。
* * *
深夜。星宮邸の貸してもらっている客間のひとつにて。
コンコンコン、と。ドアがノックされるので、俺はそれに応えを返す。
すると、きれいな立ち居振る舞いをしながら、千癒さんが入室をしてくる。
「お疲れ様です、月村様。よろしければ、コーヒーはいかがでしょうか」
「ありがとうございます。いただきますね」
まだまだ作業は残っていたので、カフェインをいただけるのはありがたい。
文机から顔を上げながらに、持っていたペンを置くと、千癒さんが準備してくれたコーヒーを受け取る。
コーヒーの良し悪しなどはよくは知らないが、とても良い香りがするのはたしかだった。
「差し支えが、今されていたのはなにか伺ってもいいでしょうか」
「ああ。まあ、なんていうことはないですけど、鈴音のトレーニングの管理と計画ですよ」
そう言いながら、俺は先程まで書いていた紙類を彼女にも見せる。
そこには今言ったとおり、鈴音のトレーニングの現状とこれからの予定についてが書かれている。
「……お嬢様は、どうでしょうか」
「どう、と言うとかなり漠然としてますけど。そうですね、見込みの有無でいうと、ある方だとは思います」
俺がそう言うと、彼女は随分と驚いたような表情を見せる。
まあ、それもそうだろう。千癒さんのその意見についても、十分に理解は出来る。
事実、鈴音の運動能力なんかについては、かなり壊滅的だった。最初の頃に、小学生並みと評されるのも納得の仕上がりであったほどに。
数日間のトレーニングの甲斐もあって、なんとか見た目相応、中学生程度から高校生としてのギリギリ最低限、くらいの運動能力には改善されているものの。まだまだ冒険者としては不足している。
あくまで俺個人の見立て上でしかないものの、千癒さんもかなりの経験者である。
それを見るに、彼女自身、今の鈴音が冒険者足り得ない、というのは理解しているのだろう。
あるいは、
「まあ、実際。鈴音はトレーニングのいちいちで弱音を吐いていたり泣き言を言っていたりはしてますけど」
当然、大抵の場合は俺とともにトレーニングを見守っているため、千癒さんもその場面には立ち会っている。
だからこそ、そんな鈴音の情けない様相は彼女も認識しているわけで。
「でも。アレでなかなかな根性はありますよ、鈴音。そこに至るまでの自己肯定は低いですけどね」
トレーニング内容に対する弱音を吐くことはあれども。しかし、なんだかんだでそれをしっありとこなす。
疲れてるだのなんだの泣き言こそ言うものの、次の課題だとか座学をするぞといえば、きちんとそれに向き合う。
真面目という彼女の性根もあるのだろうが。それだけで到底やれるようなことではない。
「それに。彼女の冒険者へと思いはたしかなものですよ」
夏休みという高校生にとっての貴重な期間を最大限に活用するためにも、まずは夏休み突入前に可能な限り鈴音の身体を仕上げておく必要があった。
そのために、オーバーワークギリギリまで詰め込んでいる彼女のトレーニングだったのだが。実は最近、多少のメニューの変更……予定していたトレーニング量よりも、縮小を行っている。
その理由は単純。鈴音のトレーニング量がオーバーになったから。
ただ、彼女の限界値を見誤っていた、というわけではない。
もちろん、俺のスキルによる回復などの補助もあり、単純なトレーニング量を鑑みるだけならば、信じられないようなトレーニングをやってはいるものの。しかし、彼女の限界値を超えるようなメニューは組んでいなかったはずであった。
だが、それでも高校へと向かう彼女の様子がやけに眠そうだったり疲れが残っているように見えたことを不思議に思い、訓練外での彼女の様子を伺ってみたところ。なんと、自主的にトレーニングを行っていたのだ。
あれほど文句を言っていた、苛烈なトレーニングをやっておきながら、である。
まあ、おかげさまでこうして諸々の予定に修正が入ったりはしてるのだが。とはいえ、彼女のこの意気に水を差すのも無粋だろう。
「たしかに運動能力についてはまだ壊滅的だし、知識云々も足りてないところが多い。本人も自覚があるとは言っていたけど、不器用な側面もあるんだろうとは思います」
でも、その一方で。
「鈴音には、意志の力と。そして、そのための根性はある。これは、彼女にとって大きな力になるとは思いますよ」
継続は力なり、とはよく言ったものである。そして、鈴音は、それをなし得るに足る根性を持っている。
「……まあ、千癒さんの本音としては、冒険者になってほしくない、というのもあるんでしょうが」
俺のその言葉に。ぴくり、と。彼女はその身体を反応させる。
どうやら、正解だったようだ。
まあ、立ち位置的に昔からよく鈴音のことをお世話をしてきた千癒さんだ。半ば敬愛でありながら親愛であり、それ以上に近い感情を抱いているのだろう。
そんな彼女からしてみれば、鈴音が冒険者などという危ないことは、できればしないでほしい、という感情もあるのだろう。
でも。
「なればこそ、見守ってあげましょう。……存外に、思っている以上に弱くはないですよ、彼女は」
「……そう、ですね」
まあ、現状は、ともかくとして、と。
俺は小さく苦笑いをしながらにそう言った。




