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#5

「おはようございます、月村さん!」


「ああ、おはよう。星宮。それから千癒さんも」


 朝。ペカッとした太陽よりも明るい笑顔で挨拶をしてくれるのは、制服姿の星宮。その三歩ほど後ろでは千癒さんが控えていた。


 しかしながら、なにかが不満だったのか。俺の挨拶を聞いた彼女は、ぷくっとその頬を膨らませている。

 なるほど、たしかにこれは家族から溺愛されるわけである。いちいちがかわいい。挨拶も、怒った姿も。


 ちなみに、なぜ朝から一緒なのかというと。諸々の話を弓弦さんとした結果、現在の宿もないということも知られてしまい、ひとまず泊まっていくといいということで部屋を借りさせてもらった。


「お父様と千癒のことは名前で呼ぶのに、どうして私は名字で呼ぶのですか?」


「ほら、弓弦さんを星宮さんって呼ぶと星宮と被るだろうし、千癒さんはそもそも名字を知らないしな」


「昨日は一度私の名前を呼んでくださったのに」


「……呼んだか?」


「はい。お父様とお話をしてるときに」


 たしかに言った気もする……が、それこそ弓弦さんと話してるときに星宮と呼んではややこしいから、という理由である。

 とはいえ、不機嫌の理由がはっきりしているというのはやりやすい。


「じゃあ、鈴音?」


「はい、月村さん!」


 呼び方を変えると、星宮、もとい鈴音が一転して顔を明るく輝かせる。喜んでくれた様子である。

 しかし、名字か名前かがそんなに重要なものなのだろうか。鈴音の感性がわからない。


「とりあえず、高校から帰ってきたら訓練をするから」


「はい! 訓練のためにも、しっかりと学校では温存いたします!」


「いや、ちゃんと勉強はしてきてくれ」


 それはそれ、これはこれである。

 ちなみに、昨日に改めて確認をしたところ、鈴音は高校二年生らしい。見た目から考えていた限りではもう少し下だと思っていたが。まあ、これは胸のうちに留めておこう。


 現在は七月。もうしばらくすれば夏休みに入る。

 そうなれば、一旦学業から離れることができるから、別な場所に拠点を移すことができるし、これについては弓弦さんとも既に話をしている。


 マルハチは渋谷にあるというだけはあり、アクセスがとてもいい。

 アクセスは、とてもいいのだが。その反面、人はかなり多い。

 マルハチの特徴として、浅い層の敵が弱いというのは事実ではある一方で、少し潜った段階での強くなり方が比較的速い。

 そのため、人の多さも相まって、浅い層ではモンスターの取り合いになることがしばしばある。

 まあ、おかげさまで生息密度が低い状態で維持されているので、アクセスの良さもあり、散歩する分にはかなり便利なのだが。


 というわけで、夏休みに入り次第、どこかの地方ダンジョン付近に拠点を移して、そこで訓練をしよう、ということになった。

 ……まあ、俺自身が首都圏のダンジョンで活動を続けていると海未たちとカチ合わせる可能性が高いために気まずい、というのもあるのだけれども。


 鈴音と並びながらにダイニングに向かうと、既に朝食の準備ができていた。どうやら千癒さんがあらかじめ準備をしていてくれたようで、ご飯と味噌汁、鯖の塩焼きに小鉢がふたつ。めちゃくちゃちゃんとした朝食だ。こんなの久しく食べてない気がする。

 なお、鈴音の両親は既に仕事に向かったとのこと。忙しい身だろうに、昨日は俺への諸々の配慮と準備をしてくれた。ありがたい限りである。


「あっ、月村さん。見てくださいませ! 《海月の宿》ですわ!」


「ああ、ほんとだ」


 ちょうど、朝食を食べ終わった頃合い。テレビのニュースでダンジョンに関する報道が行われていた。

 その画面に映っているのは《海月の宿》。俺の所属していたパーティである。


「ふわあ! やっぱり今日も海未様はカッコいいですわあ!」


「始祖ダンジョンの階層突破か。……すごいな」


 うっとりとした表情を浮かべている隣で、俺は報道の内容を確認する。

 あそこは長い間攻略が停滞していたはず。

 それをいきなり、とは。さすがである。


 俺が、いなくなってすぐに。


「……やっぱり、足を引っ張っていたんだろうな」


 足手まといを連れて危険地帯に向かうことは、なによりも自身の身を危険に晒す。

 やはり、歴が長いだけの俺の存在は歪であったのだろう。

 そのことを、この結果こそがまざまざと示している。


 とはいえ、こうして彼女たちの活躍を知ることができるのは、嬉しく思う。

 もちろん、寂しい気持ちもなくはないが。


「見ましたか、月村さん! 今のシーン!」


「……うん? ああ、悪い。少し考え事をしてた」


 ふんすふんすと息巻きながらに興奮している鈴音に声をかけられて、現実に引き戻される。


「それで、なにかあったのか?」


「いえ、それほどのことではあるのですが」


「あるのかよ」


「海未様の横顔がとても凛々しかったので!」


「やっぱりそれほどのことではなかった」


 俺がそうツッコむも、彼女は「あのお顔を見られなかっただなんて、もったいないですわ」と、そう言ってくる。

 録画があるので見返すかと聞かれたが、丁重にお断りしておく。


「好きなのか? 海未のこと」


「ええ。一番最初に、私が冒険者に憧れたきっかけですの!」


 鈴音はそう言うと、胸の前で両手を合わせて、いっぱいの笑顔をたくわえる。


「やはり戦っておられるときのカッコいいお姿。そして、戦場での冷静で的確な判断。加えて整ったお顔立ちもあり、メディア露出も多く、冒険者という存在の地位を高めてくださった存在ですの! そしてその強さがありながらに休日の甘いものをなによりの楽しみにしているという女性らしい一面もあり、なにより――」


 まくしたてるような解説。相当に好きなのだろうということが察せる。

 実際、海未の知名度は高い。やはり、最強と謳われているのは大きい。

 それでいて女性であるというのも大きいだろう。男性人気はもちろん、メディア露出における海未は、鈴音が語ったようにカッコよさも兼ね備えているために女性人気も高い。

 まあ、スイッチが切れたときの海未はソファで溶けてるような人間だったりもするが。まあ、わざわざここで言うことでもないか。


「私も、海未様のようになれるでしょうか」


「……アレと同じくらい、は難しいだろうな」


 海未は、いろいろな意味で規格外である。

 それを聞いた彼女は、少しばかりしょんぼりと肩を落とす。


「ただ、一人前の冒険者になれるようには、支えてやるつもりだ」


 それが、俺の今の仕事であり、役割である。

 俺がそのことを伝えると、彼女は顔を上げて「そう、でしたわね」と、小さく微笑む。


「よろしく、お願いいたしますわ、月村さん!」


「ああ。そのためにもちゃんと授業を受けてこような」


「……サボってはいけませんでしょうか」


 ダメ、と。そう伝えると、彼女は少し渋々ながらに朝の準備をして、千癒さんと一緒に高校へと向かっていった。






    * * *






 夕方。高校から帰ってくると、初めての月村さんからの指導。

 冒険者になるための訓練があるとわかっていましたから、それはもうウキウキで帰ってきました。


 テレビや雑誌で見るような。あるいは、同級生で既に冒険者になられている方々が扱われているような、夢のような力が私にも使えるようになる、と。そんな期待に胸を膨らませながらに帰ってきたら私を待っていたのは。


 否、待ち構えていたのは。


「はーい、まだまだ走るぞー」


「ひいっ、ふうっ、ひゃあっ!」


「しっかり走るー、ちゃんと姿勢を意識してー!」


 ひたすらな、走り込みでした。


 嫌に都合がいいことに、お家の庭は走り回るには十分な広さがあり。

 現在、月村さんから追いかけられる形で走り込みを行っています。


「私、運動は、苦手、でして!」


「うん、知ってる。言ってたしね」


 息も絶え絶えの訴えは、いとも容易く流されました。


「あ、大丈夫大丈夫。体力が尽きそうになったら回復してあげるし。転びそうになったらその前に助けるから」


「全く大丈夫ではありませんわーっ!」


 庭の端っこで私たちの様子を伺っている千癒に視線で助けを求めてみますが「頑張ってください、鈴音お嬢様」と、求めていない回答が返ってきます。

 ……あの表情は、たぶん私の意図を察していて敢えて言っていますわね。酷い。


「はへっ、ふぬっ。……ダンジョンから逃げ出すときは、あんなに速く走れましたのに」


「ああ、アレは俺が《風走り》をかけていたからな。簡単に言うと速く走れるようになるっていうスキルだ」


「ちなみに、それをかけてくれたりは」


「しない」


 ですわよね。……いえ、わかってはいます。

 それをかけて走ったところで、訓練の趣旨に沿わない、ということは。


「まあ、その代わりに俺もかけてないから」


「基礎の体力が違いますわああ!」


「それをつけるための訓練だからなー」


 宣言どおり、体力が尽きそうになったときには月村さんが回復をしてくださるので、走ることは、できるのです、けれど。


「辛いですわああっ、苦しいですわあああっ!」


「お、泣き言を言ってられる余裕があるってことは、もう少し早くしても大丈夫そうかな」


「ひいいっ!」


 後ろから恐ろしい言葉が聞こえてきます。

 これが聞きに及ぶあれですのね、ドSというもの。お友達から聞いたことがあります。


 そのまま走り続けること、十分、二十分。一時間? 体感では二時間くらい走っていたかもしれません。


「そろそろ三十分だな。一度休憩をするか」


「さん、じゅっ、ぷん……」


 一時間すら、経過していなかった。

 その事実に。ばたんきゅー、と。思わずその場に倒れ込んでしまいます。


「予想はしていたけど、どうしても基礎体力の方に難があるな」


「鈴音お嬢様の体力は小学生並みですからね。致し方ありません」


 なんだか酷いことを言われてる気がしますが、それどころではありません。

 足が、こう、とても。なんというか、とてもすごいことになっている気がします。


「それじゃあ、しばらく休憩できたら、今度は筋トレをするからな」


「みゃああああああっ!」






 バタリ、と。床とこんにちは。

 腕も、足も、動きそうにありません。ふふ、文字どおり力尽きましたわ……。


「しかし、千癒さんの言うとおり。本当に諸々が小学生並みだな……」


「ふふふ、甘やかされて育っておりますからね。ぷにっぷにですのよ?」


「うん。誇ることじゃないからなそれ」


 冗談を言ってられる気力があるならもう少し追加でやるか? と聞かれましたが、全力でお断りします。

 腕も、脚も、疲れでちょっぴりぷるぷる震えていますの。


「お友達から聞いたお話では、冒険者になると身体能力が全般的に伸びる、と聞いていたのですが。もしかして、皆様こうやっていらっしゃるのですわね……」


 クラスメイトの方々にも既に冒険者になってらっしゃる方や「冒険者になろうかなー」というように気軽に話されている方もいらっしゃいますが、こんな苦労をされて――、


「いや、違うぞ。冒険者になって身体機能が向上するのは、通称魔力と呼ばれているものを体内に取り込むからだ」


「はへ? なら、今私がやっているのは」


「冒険者云々を抜きにした、ただの基礎訓練だ」


 衝撃の事実に、思わず絶句をしてしまいます。


「ち、ちなみに。今の私がその魔力を取り込んだら、どうなりますの?」


「取り込む量にもよるだろうが、今やっていたことくらいなら容易くこなせるようになるだろうな。そもそも、冒険者がそれなりに戦える理由がそれだし」


 実際、今取り込んでダンジョンに向かっても、最低限は戦えるだろう、と。そう補足されます。


「なら――」


「魔力を取り込んだほうが早い、か?」


 思っていたことをそのままに言い当てられて「うぐ」と、思わず唸ってしまいます。


「まあ、その意見もわからなくもないが。あくまで個人的な体感ではあるんだが、魔力を取り込む前と取り込んだ後では、基礎体力の伸びに差があるように感じるんだ」


 わかりやすい例が、先程私がダメを承知で聞いてみた《風走り》をかけての訓練。

 もちろん、楽じゃない訓練だから効果が高い、とまでは言わないまでも。魔力を取り込んだ後の訓練では、魔力ありきで身体を動かしてしまう。


「そういうわけだから、魔力を取り込むよりも前にある程度は鍛えておくほうが効率がいい。と、俺は思っている。……まあ、あくまで俺の経験則でしかないんだがな。ただ、実際上位の冒険者なんかは、あえて魔力を制限した状態で訓練をしていることも多い」


「もしかして、海未様も?」


「そうだな。彼女なんかは、その際たる例だ。わざわざそのためだけに、魔力を制限する装備を特注してるくらいには」


 それでも、上位の冒険者になると所有している魔力が多いだけに、制限してもそれなりの魔力が残ってしまうのだとか。

 だからこそ、ある意味では魔力を取り込む前のほうが、効率よくトレーニングができる。


「まあ、実際のところは、魔力を取り込む前の身体機能と取り込んだあとの身体機能が単純な比例じゃないから、ある程度まで鍛えたら取り込んだほうがいいんだが」


 つまり、これはそこに至るための訓練、というわけなのでしょう。


「……もう少しだけ、やりますわ」


「そうか。まあ、今日は初日だし、オーバーワークにだけ気をつけて、あと少しだけな」


 そう言うと、月村さんは私の体力を少しばかり回復させてくださいます。

 筋肉の疲労こそあれど、体力の不足については回復をしてもらえる都合で、かなり無茶なトレーニングができる、というのも。ある意味恵まれた環境なのでしょう。


 なら、少しでも頑張らないと。


 ……まあ、正直、そこからいったい何回の腕立て伏せをやれたのか、といわれると、アレなのですけれども。

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