#29
「ひいぃあああっ!」
「大丈夫大丈夫、まだまだ走れるよー。転びそうになったら俺か千癒さんが助けるから安心していいよー」
「そういう、問題じゃ!」
ゼエ、ヒイ、と。なかなかな呼吸になりながらに笹良さんが走る。
その隣では津々見さんも同じく走っているが、こちらは多少肩で呼吸をしているところはありはするものの、まだ余裕がありそうである。
そんなふたりの格好は、いわゆる体操着。俺の方から指定した、運動に適した格好、である。
「どうして、こんなことにぃ」
「まあ、ダンジョンに挑むから、ですわね」
あまねくを後悔したかのような様相の笹良さんに答えてみせたのは、平然とした様子で走り込みを続ける鈴音。俺から指定されていた持ち物で、トレーニングがあることはだいたい察していたのだろう。
「ダンジョンという場所は、なにが起こるかわかりません。それこそ、以前小夜さんが仰っていたように死と隣り合わせの場所でもあります」
「わかってるよぅ。だからこそ、鈴音ちゃんたちと一緒に入るっていうお話で」
「はい。私たちも可能な限りではおふたりのことをお守りしますが。絶対、はあり得ませんの」
だからこそ、有事の際に生き残れるだけの最低限は身につけておく必要がある。
そのために俺が指定した二日。土曜日に最低限の基礎体力を確保して、日曜日に、ダンジョンに向かう。
冒険者になるということ自体が目的でないため、本当に最低限ではあるが。まあ、本格的にやろうものならばもっと期間が必要になるのでこれが妥協点だろう。
「まあ、とりあえず月村さんの意図は納得した。……で、それはそうとして、鈴音がかなり余裕そうではあるね。私でもそろそろ結構キツくなってきたんだけど」
津々見さんが、肩で呼吸をしながらに鈴音に尋ねる。
彼女の知る鈴音は、その大部分が夏休み前の姿なのだろう。それこそ、今の笹良さんよりも体力のなかったときの鈴音。
しかし、そんな彼女がいまや。
「ええ、まあ。日課の一部ですし」
最初の頃はなんだかんだと言っていた鈴音だが、今となっては俺の側からは強制せずとも、毎日自主的にトレーニングをしている。
そういう意味では、彼女にとってはこの走り込みくらいならばいつものトレーニングと大きく変わりがない、というのもひとつの理由だろう。
「それから、私は魔力を既に取り込んでいますから」
「魔力って、冒険者が使うアレよね? まあ、鈴音も冒険者になったのなら持ってるんだろうけど」
それがどう変わるの? と、津々見さんが首を傾げる。まあ、今の鈴音の説明だけだと魔力を取り込んだから、という説明しかしていない。
「魔力を体内に取り込むと、身体機能が向上するんだよ」
補足するようにして、俺がそう解説を挟み込む。概略ではあるが、大雑把には以前に鈴音に教えたことと同一。
魔力というものについてと、それによる身体能力の上昇、スキルの存在により、冒険者がダンジョンでの活動や魔物との戦闘に適応できている、という話。
「つまり、鈴音がこうして走っても余裕そうなのは、魔力を吸収したからってこと?」
「まあ、それも一因ではある。……が、鈴音自身が頑張ったから、というのも大きい」
そう言いながら、俺はブレスレットを懐から取り出すと、鈴音に手渡す。
彼女は首を傾げながらもそれを受け取ると、そのままの動きで左手首に装着する。
同時、驚いた様子で鈴音が目を丸める。
「ねえ、月村さん。今鈴音がつけたのはなに?」
「魔力制限用のブレスレットだ」
「……なんでそんなものがあるの?」
疑問を呈する津々見さんだが、これが存外に需要がある。
冒険者として成長すればするほど、どうしても保有している魔力が多くなる都合、魔力に頼った身体行動を行うことが多くなる。
それ自体はダンジョン内での活動で自然と魔力を利用できる、ということにも繋がるので悪いことというわけでもないのだが。その一方で、魔力切れを起こしたときなどの有事の際に、頼ることになる素の身体能力が成長しにくいという側面も持っている。
そのため、特に上位の冒険者になればなるほど、意図的に魔力制限をするアイテムの需要が高くなっていたりする。
現在の鈴音は、わざわざこういったアイテムが必要になるほど保有魔力量が多いわけではないものの。繰り返しの魔力吸収のおかげもあって十分に自覚できる程度には魔力を保有しているため、ブレスレットの着用と同時に違和感を覚えたのだろう。
「もちろん、完全に魔力が制限できるわけじゃないが。とはいえ、元々が上位の冒険者の着用を想定している装備だからな」
現在の鈴音が着用すれば、相当に制限される。それこそ、魔力がなかった頃とそう大きくは変わらない程度には。
「せっかく、他のふたりが魔力なしでトレーニングしてるんだ。鈴音も可能な限り条件が近いほうがフェアだろう?」
「……なんというか。月村さんのこの感じに慣れてきてしまっている私がいることにびっくりいたします」
小さく息をつきながらに、鈴音がそう言った。
その表情は笑顔ではあるものの、どこか諦めを含んでいた。
* * *
「ふぅ。こうやってやってみると、最近はいかに魔力に頼っていたのか、ということを自覚させられますわね」
魔力制限のブレスレットを着用しながらの基礎トレーニングをひとしきり終え。軽く息を整えながらに振り返ります。
感覚としては、身体が重い、というものに近いのでしょうか。どちらかというと、魔力の補助が入っている普段の動作が軽い、という方が正しいのでしょうが。
「……いや、待って鈴音。今のあなた、本当に魔力が制限されてるのよね?」
「はい。間違いないと思います」
ゼェ、ハァ、と。大きく呼吸をしながらにメニューをこなしていた津々見さん。彼女の質問に私は首肯いたします。
完全には抑え込めてはいない、とのことですが。それこそ、魔力吸収前にかなり近い身体状況になっているとは思います。
「それで、今のメニューをやれてるの……?」
まるで信じられない、とでも言いたげな表情で津々見さんがそうおっしゃられます。
津々見さんの思いは、理解できます。ええ、昔の私ではできなかったでしょう。間違いなく。
ちなみに、笹良さんはというとまだトレーニング中。津々見さんは私と同じペースでこなしていたのですが、笹良さんは途中から離脱し気味になり、現在は千癒からの体力回復を受けながら、引き続きトレーニングを行っています。
……アレ、結構キツイのですよね。気持ち的にはかなり苦しいところまで来てるのですが、体力が回復している都合、動けはする。
私も経験があるので、笹良さんの現状には少しばかり同情いたします。
「まあ、鈴音は夏頃からこのトレーニングをやり続けてたからな。それこそ、限界まで」
月村さんがそうおっしゃいます。
私の冒険者デビューとダンジョンへの挑戦をなんとか夏休みに間に合わせるため、という事情はありましたが。それはもう、地獄のようなトレーニングを。
それこそ、先程から笹良さんが千癒からの受けている体力回復。私もあれを繰り返しながらに、本当に限界まで追い込んでいました。
そんなことを話していると、遅れてトレーニングを完了した笹良さんがヘロヘロになりながら、千癒と一緒にやってきます。
「むきゅう、鈴音ちゃんは、私と一緒で運動苦手仲間だと思ってたのに……」
「まあまあ、こればっかりは仕方ないよ、笹良。でも、ひとつ疑問があるとするなら、さっきの話を聞く限りではこのトレーニングの代わりに魔力を取り込むって話でもいいんじゃないの? 正直、運動部の私でも相当にキツイトレーニングすることを考えたら、手っ取り早い、とまでは言わないけど」
津々見さんが、そんなことを尋ねられ。その隣では、倒れ込みながらも全力で頷いている笹良さん。
実際、現在彼女たちがトレーニングをしている理由はダンジョンに入るための、最低限度の基礎体力を確保するため。
もちろん、かなりの安全マージンを見た指標のもとで動いているけれど。その目的を果たすだけならば津々見さんのおっしゃるとおり、魔力の吸収でも可能ではあります。
なんせ、魔力を体内に取り込むと身体機能が引き上がります。それこそ、ダンジョンに挑めるようになるまで。そういう意味では、こちらのほうが安全とまで言えるでしょう。
「実際、冒険者でなければ魔力を取り込んではいけない、なんて法律はないから。そういう意味では津々見さんや笹良さんが思っている感情もあながち間違いじゃない。でも、その一方で、冒険者になることを目的としていないのならば、魔力を取り込むか否かは、少しだけ慎重に考えたほうがいい。津々見さん、だったかな。君の場合は特にね」
「私?」
首を傾げる津々見さんに、月村さんはコクリと頷きます。
「さっきも言ったように、魔力を取り込むと身体機能が底上げされる。それも、取り込んでいる魔力量に比例してね」
「それは、さっきも聞きましたけど」
「たしか、津々見さんはバスケットボールをしてるんだったね。それじゃあ、相手のチームが冒険者の集団で、めちゃくちゃな位置からパス回しとかシュートをしてきたら、どう思う?」
「え、なにそれズル。……って、そうか。身体機能が底上げされるってことは、そういうことも起こるのか」
「わかりやすいところでいうと、格闘技の階級制みたいなものだね。それが、全てのスポーツで、顕著に発生する」
月村さんはそう言いながら、彼が千癒に話しかけると。千癒がどこからともなくバスケットボールを持ってきます。
「全力でいいですよ」
「月村様自身が大丈夫かの心配は……必要ありませんね」
千癒はそう言うと、月村さんから離れて。そして、バスケットボールをおおきく振りかぶったかと思うと。
空気を割る音を鳴らしながら。バスケットボールはまるで弾丸のような速度で月村さんへと飛んでいき。それを、彼が受け止めます。
バスケットボールは、そのあまりの勢いに、パアンッと音を立てながらに割れてしまいました。
「まあ、こういうこともできるし。逆に言うと、起こりうる」
目の前で起こった事態に、笹良さんも津々見さんも、目を白黒させます。
笹良さんが口をパクパクさせながらに「鈴音ちゃんも、あんなことできるの……?」と。
無理ですの。これに関しては頑として、このふたりがおかしいだけだと主張いたします。
「……まあ、今の月村さんと千癒の例示はかなり極端ではありますが。そういった都合で、魔力を有しているか否かでスポーツは区分されていますの。それだけではなく、体育の授業なんかもですわね」
「そういえば、体育は冒険者の人たちは別クラスだったね。じゃあ、これからは鈴音ちゃんと一緒に体育できないの!?」
私の説明に、悲壮な表情で笹良さんがそうおっしゃられます。残念ながら、そうなってしまいます。
「でも、今日言われてなんで分かれてるのか理解したよ。鈴音と別になっちゃうのは悲しいけど、レクリエーションであんなボールが飛んできても、私でも受けられないし」
「あう、それは、たしかに。あんなの受けたら死んじゃう……」
どうやら納得してくださったらしい津々見さんと笹良さん。
ですが。繰り返しにはなりますが、ひとつだけ主張をしておきたいことがあります。
さっきのデモンストレーションは千癒と月村さんがおかしいだけで、私はあんなことできませんから!




