#23
阿蘇ダンジョン、第三層。
大侵攻も終息して、高ランク冒険者たちによる、残党狩りも含めたダンジョン内の確認作業が行われている中。
「いない、いない、いない。支樹がどこにも、いないっ!」
大侵攻の根源となった、クリムゾンドラゴンの死体の近く。
蒼汰の視界の先には。比喩でもなんでもなく、まさしく草葉の陰から石の裏まで。
そんなところにはいないだろとツッコみたくなるところまで、徹底的に探している女性――海未がいた。
「こっちもいなかった。琴風ちゃん、探知の方は?」
「……探知範囲内に、反応は無い。力不足」
蒼汰の質問に、琴風は申し訳なさそうに首を横に振る。いちおう他のメンバーからも捜索の結果は聞くが、探知系統の強い琴風で見つからなかったのであればそもそももう居ないと見るのが正しいだろう。
間違いなく、支樹はいた。
海未たちが支樹の支援を間違うわけもないし。海未の戦う舞台をお膳立てしているところも、支樹らしいところだといえる。
そしてなにより、海未の攻撃のインパクトの瞬間にピッタリと合わせて、重複支援をかけるなんていう芸当ができる冒険者など、支樹以外にいない。
支樹がいたとは間違いない。そして、海未を呼び出し、重複支援のタイミングを合わせていたということは、間近にいたはず。
「うう、たしかにここに支樹の残り香があるのに」
「海未。支樹が居なくて寂しいのはわかるけど、さすがにそれはちょっとキツい」
たぶんこの辺にいた、と。クンクンと地面にすがりつくようにしてのたまう海未を、琴風がバッサリと切り捨てる。
とはいえ、琴風自身も海未の気持ちがわからないというほどでもない。
探していた人の痕跡がたしかにそこにあった。せっかく見つけた、すぐそこまで来た。と、そう思った一方で、結果なにも得られなかったというのはなかなか精神に来るものがある。
「とはいえ、あの様子は少なくとも身内以外に見せられるものじゃないね」
蒼汰も苦笑いをしながらにそうつぶやく。
……まあ、こんなになっていても、行動や発言はともかくとして、ちゃんと働きはしている。意識はかなり支樹の方へと散漫にはなっているが、キチンと現場検証自体も進めるという器用なことをしている。
そういうところは、ちゃんと最強と呼ばれるだけはあるのだろう。言動はともかくとして。
「でも、不思議な大侵攻だった」
琴風がそんなことをつぶやく。
クリムゾンドラゴンのような、阿蘇ダンジョンの環境に適していない魔物が出現したこともそうだし。なによりも、特に今回は大侵攻の兆候を冒険者協会が掴めていなかった。
もちろん、元より全ての大侵攻の兆候が掴めるとは言わない。それができるのであれば、氾濫による崩壊都市はもっと少ないだろう。
だが、大抵の場合において、大侵攻の兆候が掴めていないときはダンジョンの奥地で大侵攻が発生して、検知ができていなかった、ということが多い。
しかし、今回の大侵攻は第三層という浅い層で起こっている。だからこそ、対処が早くに済んだという側面もありはするが。
「冒険者協会が兆候を見落とした?」
「無くはないだろうけど。協会だって大侵攻のリスクは理解しているだろうし、可能性としては低いだろうね」
琴風の疑問に、蒼汰がそう返す。
今回はたまたま事態への対処がはやかったり、支樹も含めた《海月の宿》が偶然にすぐそばにいたからこそ、大侵攻の早期解決に繋がった。負傷者はかなりいたらしいが、死者はゼロ人と、突発的に発生した大侵攻であることを考えると、奇跡的な状況に抑え込めていた。
しかし。事態への対処速度や《海月の宿》の存在。そのどちらかが無ければ大侵攻がもっと長引いていただろうし、氾濫まで行かなくとも負傷者は増え、死者だって出ていたことだろう。
なんならば、どちらも無かったならば氾濫にまで行き着いていたかもしれない。あくまで可能性の話ではあるが、浅い層での大侵攻はそのくらいに危険である。
今回、阿蘇ダンジョンの大侵攻が軽症で済んだのは奇跡でしかない。
「……じゃあ、冒険者協会が気づくよりも早くに魔力濃度が異常上昇した?」
「まあ、それが一番妥当なところだろうね。もちろん、さっき琴風ちゃんが言ってたように、協会が見落としたって可能性が排せるわけじゃあないけど」
ともあれ。なぜ今回、冒険者協会が大侵攻発生を予知できなかったのか、という原因については十分に確認しておく必要がある。
そして、そのためには。大侵攻の発生原因であり。かつ、今回の異常の一端でもある、クリムゾンドラゴンについてを調べておく必要があるだろう。
海未が斃したクリムゾンドラゴンに近づくと、琴風は解体用のナイフを取り出す。
「僕も手伝おうか?」
「大丈夫。これくらいできる」
蒼汰のその申し出を断ると、そのまま琴風は解体を始める。
小柄な体躯の彼女だが、慣れた手付きで自身よりも何倍も大きいクリムゾンドラゴンをばらしていく。
丁寧に腑分けをしながら解体を進めていくと、彼女が首を傾げる。
どうしたのだろうと、海未や蒼汰たちが近づくと。琴風の手にはクリムゾンドラゴンの魔石が握られていた。
ぱっと見では、なんてことはない魔石に見えるのだが。しかし、曲がりなりにもこのにいる全員は経験の多い冒険者のみ。琴風の思っていることは、全員が察する。
「……この魔石。たぶん阿蘇ダンジョンの魔石じゃない」
ポツリと、琴風がつぶやく。
魔石は、含有している魔力性質というか色というか。そういったものによって、差異が出る。そんなところを気にする冒険者は少ないものの。どの魔物が持っていた魔石かによって変わってくるし、ダンジョンごとでも多少の差異が出る。
具体的にどこの魔石か、と言われるとその判別は難しいが。少なくとも阿蘇ダンジョンから生成された魔石ではないことがほぼ確実。そういう意味では、ダンジョンの環境に適さないクリムゾンドラゴンなんてものが出てきていたことにも合点がいきはするが。
しかし、今大切なのは阿蘇ダンジョン以外の魔石が出てきたということ。そして、それが今回の大侵攻の元凶ともいえるクリムゾンドラゴンから出てきたということ。
それが、意味することは――、
「とりあえず、協会に報告しようか。阿蘇ダンジョンの担当の人と、それから穂香ちゃんにも」
さっきまでとは一転して、真面目な声音で言う海未。《海月の宿》専属の穂香は突然舞い込んできた仕事に「ひぃん」と泣き顔を晒しそうなものではあるが、抜けているところはあれどもアレで優秀な人間ではあるので、事態についてはしっかりと理解、対応してくれるだろう。
「杞憂で済めば、いいけど」
「ん。海未。そういうこと言うと杞憂じゃ済まなくなるのがお約束」
「できれば、そのお約束にはお休みしていてほしいところなんだけど」
でも、状況証拠的には難しそうだよね、と。海未は小さく息をついた。
* * *
別荘に戻って。意識がふにゃふにゃふんわりしていた鈴音を彼女のベッドに押し込んで。
「……ふぅ」
借り受けている私室、椅子に身体を預けながら大きく息を漏らす。
本当に、いろいろあった。少し整理する時間が欲しいくらいだ。
大侵攻のことも、クリムゾンドラゴンのことも。そして、海未や《海月の宿》のことも。
ただ、どうやらそういうわけにもいかないらしい。
「起きてますよ」
「……まだ、ノックをしていないのですが」
数分前くらいから部屋の前で入るかどうか決めあぐねている千癒さんに向けて、俺はそう言った。
ガチャリと扉が開くと、お茶の用意とともに千癒さんが入ってくる。
「お察しだとは思いますが、申し訳ありませんが、少し冷めてしまっています。気になるようであれば淹れ直してきますが」
「大丈夫ですよ」
そもそもお茶の味云々がそれほどよくわかっていないような人間である。多少冷めたところでどうということはない。
千癒さんから紅茶を受け取ったところで、反対の手でどうぞと椅子を指し示す。
遠慮をしようとする千癒さんだが、なにやら話があってきているだろうに、これから話というのに相手に立たれているとこちらがやりにくいと伝えて座ってもらう。
「それで、なんの用です? まあ、たぶん鈴音の件でしょうけど」
「いえ、今回はお嬢様のことではありません」
「うんうん。で、鈴音のなにを――えっ?」
思わず、耳を疑った。
タイミングとしても、鈴音のランクアップについての意見を聞きたいとか、そういう話だろうと、そう見積もっていたのだが。
しかし、意外なことに千癒さんはその首を横に振っていた。
「月村様が私のことをどう認識されているのかについてもお聞きしたいところではありますが。本旨ではないので今は控えておきましょう」
いやまあ、どう思ってるかって。鈴音お嬢様第一の、やや過激なところはあれども侍女の鑑みたいな人だと思ってますが。
「今回は、月村様。貴方のことをお聞きしたくて、ここに来ました」
「俺?」
いったいなんで今になってまた、と。そんなことを考えていると。だいたい俺の言いたいことを察したのか、千癒さんがひとしきり説明してくれる。
てっきり俺のことなんて、鈴音に冒険者としての指導をするようになってすぐに調べているものだと思っていたのだが。曰く、弓弦さんが俺の信頼性を保証する代わりにあんまり詳しく身辺調査をしないように暗に伝えてくれていたとのこと。
弓弦さんが俺自身の事情を汲んで配慮してくれたのだろう。
「……ですので、これについては完全に私の私情としての質問でしかありませんし。雇用主の意向に反するという、不誠実な行いでもあります」
「いや、弓弦さんも明確に禁止したわけではないだろうに、そこまで気にすることでもないんじゃないか? あと、結局それなら鈴音に関係することな気がするんだけど」
今回の一件があって、鈴音に指導をしている月村とかいうやつがいったいどこの誰なんだ、ということを改めて調べようとしているというのであれば、そうなるだろう。
しかし、千癒さんは首を横に振る。
「今回のことは、本当にお嬢様は関係ありません。もちろん、月村様の指摘されていることが気になっているといえば嘘にはなりますが」
だが、それはそれで、鈴音も千癒さんも既に納得をしている、と。そう彼女はいう。まあ、よくよく考えればそうか。
鈴音はともかくとして。あれほどまでに彼女に対して過保護な千癒さんが、鈴音をどこの馬の骨ともしれないやつと一緒に行動させている時点で、素性不明ながらに信頼と納得があったのだろう。これに関しては弓弦さん様々であるが。
そうして、そんな納得を振り切って、雇用主の言いつけを破ってまで聞きに来た、というのは。たしかに、彼女の私的な感情によるものであろう。
「ですので。言いたくないのであれば、答えていただかなくて大丈夫です。ここで知ったことをお嬢様にお伝えすることもいたしませんし。質問の内容を聞いた上で、調べるな、と仰るのであれば意向胸のうちに留めておきます。……ですが」
「ううん。大丈夫。聞かれたことについては答えるよ。わからないことについてはわからないって言うけど」
そういえば、千癒さんが正しい意味で、自身のための意見を発露しているのは初めて見た気がする。
曲がりなりにも一ヶ月以上、生活を一緒にしてきた――とはいっても、どちらかというと鈴音のついでで世話をしてもらっていたという形だが――千癒さん相手なのだ。これからのこともあるし、できるならば仲良くしておきたい。
どんな質問でも受け止めるつもりで、彼女の言葉を待つ。
「では、担当直入にお伺いします」
ジッ、と。彼女の双眸がこちらを捉える。
――月村様は。《海月の宿》と、どのような関係性なのですか。




