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#17

 困惑していた協会職員たちが。鈴音お嬢様のひとことで、走り出した。

 埒があかなさそうであれば私が口を挟もうかと思っていたところを。しかし、お嬢様ひとりで成し遂げた。

 そのことに、思わず、目を丸めてしまう。


「やりましたわ、千癒」


 ふう、と。息をつく鈴音お嬢様。ひとつの大きな、とてつもなく重要な仕事をこなしたのだから、そうなってしまうことも理解できる。


「ですが、ここからが本番です」


「そう、ですわね」


 あくまで、事件の始まりを告げられただけ。

 とはいえ、近隣の高ランク冒険者に対して召集がかかり、事態の収束に向けて動き出す、というのがほとんど。

 Fランクである鈴音お嬢様としては、役割はここまで、となるのが通常。


 案の定、私のところには召集がかかる。Cランクにまで要請が来るのは珍しいが、あらかじめ冒険者協会が察知できていなかったということで、対処が後手に回っている可能性を加味しているのだろう。

 実際、事前の予兆が掴めていれば、それに備えて高ランク冒険者を招致したりすることもあるくらいなのだから、突発的に大侵攻スタンピードが発生しているという現在は、本当に急を要する事態であり、人手が足りていない。


「お嬢様。私は大侵攻スタンピードの対処に向かいます」


 ここで向かわなければ、応召義務違反になる。それほど重い責を問われるわけではないが、とはいえ目の前で起こっている事態を放置していられるほど、私の正義感は腐っていない。

 なにより、なんだかんだと生活をともにしてきている月村様が中心で対処しているというのに見過ごすというのは憚られる。

 ですが、


「わ、私も向かいます……!」


 気がかりは、やはり鈴音お嬢様である。

 私が向かうといえば、お嬢様も必ず向かうというとわかっていた。

 なにせ、月村様からは「行っていい」とは言われてないにせよ「行くな」とも言われなかった。

 なんなら、どちらかと言うならば遠回しに「行っていい」なら言われている。

 彼の立場から、鈴音お嬢様の気持ちを汲み取った最大限の言葉がそれだったのだろう。


 人手が足りていない、というのは事実。

 鈴音お嬢様が強くなった、というのも事実。


 ですが、どうしても心配が勝ってしまう。

 弓弦様からは鈴音お嬢様をお守りするように言われている。そういう意味であれば、ここで鈴音お嬢様のことを止めるのが正しいのかもしれない。

 とはいえ、ここで止めたとしても、私が対処に入ったあとから鈴音お嬢様がひとりで来てしまうという可能性は否定できない。なんなら、お嬢様の性格を鑑みるならそうするだろう。

 そうなってしまった場合は、私の方からどうすることもできなくなってしまう。これが、一番まずい形。


 たしかに、目の前の事態を放置できるほど私の正義は腐っていない。

 しかし、対面の天秤に鈴音お嬢様を乗せられたときに、そちらを優先できるほど重くもない。


 そうなると、自ずと取ることができる選択肢が限られる。

 応召義務に反して、鈴音お嬢様のことを止めるか。

 鈴音お嬢様を帯同して、事態の対処に当たるか。


(全く、とんでもない判断をこちらに押し付けてくれたものです)


 ここまで考えていたとしたならば、相当なものです。してやられた、とでも考えておきましょう。


「私、個人の想いとしては。お嬢様には、ここで待っていてほしい、という気持ちもあります」


 ――侍従としての正しい判断ならば、前者なのでしょう。


 しかし、どうにも。私はまだまだ、未熟なようです。

 弓弦様からのお叱りならば、後でしっかりと受けましょう。……もちろん、鈴音お嬢様と、それから月村様も一緒に。


「ですが。お嬢様は、止まりたくないのですよね」


「……ええ。家の名前を使ってあれだけのことを言っておきながら。ここで立ち止まるのは星宮の名折れです」


 外から見た功績だけで言えば、十分であろうに。それを理解できていないのか。はたまた、まだそれでは渇いているとでも言わんばかりに。

 貪欲に。しかし、真摯に。


 以前、月村様に、鈴音お嬢様が冒険者としてどうかということを尋ねたことがある。

 その時に彼は。存外に弱くはない、と。そう言っていた。だから、見守ってあげよう、とも。


 そして、その結果は。今、目の前で見せられた。

 肉体的にも。そして、精神的にも。


 ……ならば、私も。覚悟を決めよう。


「私も。月村様ほどではないにせよ、大侵攻スタンピードの対処中にお嬢様のことをお守りできるほど余裕があるわけではありません」


 しかし、私の最優先事項はお嬢様を守ること。それは、依然として変わらない。だから、


「万が一、お嬢様に有事のことがあれば、私は他の全てを擲ってでも、お嬢様の安全を優先します。それが、条件です」


「ええ、構いません」


 私からの最大限の譲歩に、お嬢様はコクリと首肯なされる。


 鈴音お嬢様と並んで、ゲートに向かう。


 空間の奥側からは、だんだんと魔物の圧が強まってきているのがわかる。最初は、月村様から言われるまで気づかなかったが、ここまでハッキリと確認できるようになってくると、本格的な大侵攻スタンピードが始まったと見ていいだろう。


(しかし、最適性のスキルではないとはいえ、察知系スキルの練度はかなり高めていたはずなのですが)


 当の月村様についても、最適性は支援バフスキルであり、察知系ではないはず。

 それなのに、私が微塵も気づけなかったような大侵攻スタンピード発生の察知をしていたところを見るに。やはり、只者ではないのだろう。

 弓弦様から、迂遠にではあるものの、調べないように言付けられているので。ひとまず気にせずに置いておくつもりだが――、


「わあ、身体が軽いです」


 ゲートに入るや否や、隣で鈴音お嬢様がそう仰られます。

 いえ、私も。その身体の軽さは感じていますが。


 先程、月村様よりかけていただいた《風走り》については、ゲートの外に出た時点で切れていた。

 だから、この身体の軽さは、全く別の事由によるもの。


 しかし、おかしい。


 大侵攻スタンピード発生時には、出現した魔物たちの影響で弱体化させられることはあれども、冒険者側に支援がかかることはない。

 だから、ゲート内で身体が軽くなる――身体能力に補助がかかる、ということはまずない。


 まさかと思い、軽く力を込めてみる。自身の魔力の状態を確かめてみる。

 それらも全て、向上している。まるで、支援バフスキルを受けたかのように。


 だがしかし、当然ながらに近くにそんなものを使ってくれたような冒険者の姿はない。というか、そんな人がいるならば、すでに戦線に向かい、大侵攻スタンピード対処にあたってくれている人たちにそのスキルを使用しているはず。


 なら、これは。


「どうしかしましたか、千癒?」


「なにも。……いえ、強いて言うならば」


 スキルというものには、癖というべきか、色というべきか。同じものを使っているようでも、その人それぞれで、少しずつ違いがある。

 大抵の場合、スキルは魔物に向けて使うためにそのことについて気づくことはあまりないが。回復や、あるいは支援バフスキルを受けると、なんとなくわかったりすることもある。


 そして、今、この身体に受けている支援バフを。私は知っている。


「少し、ですね。月村様に、お聞きしなければならないことができた、くらいです」


 月村様の《風走り》を受けるよりも、前に。

 ……なぜ、今まで思い出さなかったのか、という話ではありますが。まあ、今はひとまずおいておきましょう。

 鈴音お嬢様も私の発言に首を傾げられますが、すぐさま切り替えて前を向かれます。


 なによりも、まずは事態の対処。


 ゲートから先に足を踏み入れた以上、なにが起こるかはわからない。

 特に、大侵攻スタンピードの渦中である今については。


「いつもより身体が軽いからといって、無理をしないようにお願いします」


「もちろんですわ。私がピンチになってしまったら、それ以上なにも出来なくなりますから」






     * * *






「くっそ。なんでまた、こんなタイミングで大侵攻スタンピードなんかが起こるんだよ。今朝の協会からのお知らせには、予兆も警告もなにもなかったじゃねえか」


 Eランクの冒険者、隆之たかゆきはそんなことを愚痴る。

 隆之も含め四人のパーティで活動しており、順調に実績も伸ばせてきており、そろそろ揃ってDランクへの昇格試験を受けようか、なんて話をしていたところだった。


 しかし、ちょうど第三層で活動していたそのタイミングで、本来ならば第四層以降にしか出現しないはずのグラウンドベアが出現。

 なんらかのはぐれ個体かと思い、パーティメンバーとしっかり陣形を組んで、対処に当たろうとした。普段相手取る魔物ではないものの、はぐれのグラウンドベア一体程度ならば、落ち着いて対処すれば、隆之たちであれば問題ない。

 そう。問題は、なかった。はずだった。


 次々に出現してくるグラウンドベア。それも、どれもこれもが通常のグラウンドベアよりも圧倒的に強い。

 強化されているということを込みで考えても、一体であればなんとかなったかもしれない。

 しかし、それが十体も二十体も現れてこようものならば、ただのEランク冒険者たちのパーティでは、どうにもならなくなる。

 結果、十分と経たないうちに戦線は崩壊。前衛である隆之はなんとか立てているものの、後ろには深い手傷を追ってしまった仲間たち。

 なんならば隆之もなんとか立って武器を構えているだけであり、これ以上なにができるか、という状態であった。

 後方に岩壁があるために後方の憂いがないのはまだいいが。そのせいで退路もない。


 先程にダンジョン警報が鳴っていたのは確認できた。だから、待っていれば援軍は来る。

 けれど、それまで保つかと言われると、もうあと何度のグラウンドベアからの攻撃をいなせるか、というレベルである。


 もはや、万事休す。

 そう、思いかけたとき。


「目を、瞑ってくださいませ!」


 そんな女性の、いや、少女の声が飛び込んてきて。なにがなんだかわからなかったが、とにかく、目を瞑った。

 冷静に考えれば、グラウンドベアからの攻撃を目の前にしながらにその判断は愚であったのかもしれないが。しかし、少女の声はそれをさせるだけの力があったように思える。


 そして、隆之と仲間たちが目を瞑ったとほぼ同時。


「《閃光フラッシュ》ッ!」


 瞼を超えてまで網膜を焼かんとするような、強烈な閃光が撒き散らされる。

 チカチカする視界のままに、目を開くと。ひとりの少女が隆之たちとグラウンドベアの群れの間に入り込んできていた。

 なんならば、最も隆之たちに近づいてきていたグラウンドベアについては、閃光で怯んだその隙に、その身体を大きく斬りつけられ、体勢を崩している。


 剣を軽く振り、付着した血を払う少女。その姿に、隆之は思わず息を漏らす。

 援軍が、間に合った。


「よかった。お前ら、高ランクの冒険者の人が助けに来てくれたぞ!」


 怪我でうずくまっている状態の仲間もいるため、隆之は言葉でそう伝えてやる。


 ダンジョン警報が鳴ってからそれほど時間は経っていないが、偶然、近くに強い冒険者がいたのだろう。

 ひとりでこの数のグラウンドベアを対処するのかと思うととてつもないことだが。


 そんなことを思いながらに隆之が少女を見ると。しかし、少女はどこかやりにくそうな表情を浮かべながらに。


「変な期待をさせてしまったようで、申し訳ありません」


 と。

 はて、なんのことだろうか。


「高ランクの冒険者だなんて。私、冒険者になって一ヶ月くらいの、Fランク(一番ドベ)の冒険者ですの!」


「……は?」


 いや、でも、じゃあなんで?

 困惑している隆之に。しかし、少女は言葉を続ける。


「でも、ひとつだけ間違っていないのは。あなたたちを助けに来た。ということですわ!」


 そう、言い放つ少女のその背中は。

 なぜだろうか。Fランクだというのに。自分たちよりも下のランクだというのに。

 不思議と、頼もしく見えた。

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