#1
「支樹と距離を置くべきだと思う」
盗み聞きなんて、しなければよかった。なんて。そんな後悔をしたところで、もう遅い。
俺――月村 支樹を抜きにして夜中にひっそりと開かれていた会議。薄く開かれた扉からリーダーの女性の声が聞こえてくる。
わかってはいた。日本で一番とまで評される最強パーティ《海月の宿》。その中に、知名度も実績も無い、所属経歴だけがあるメンバーがいるのは歪であるということは。
恨みは、ない。むしろ感謝しかない。
彼女たちのおかげで、いい思いをさせてもらった。
ならば、俺ができる精一杯は。せめて、彼女たちに俺を追い出すという負担を押し付けることもなく、俺自身が消えることだろう。
「やっぱ、俺は足手まといだったよな」
戦力にならないのだから、当然である。
ありがとう、今まで。
わずかに開かれていたその扉を閉じて。真っ暗中、俺は静かにギルドハウスから外へと出た。
* * *
今から二十年程前。群馬と長野の県境に位置する高天原山に突如として地下へと続いていると思われる構造物が出現した。そしてこれを皮切りに、世界各地に同様のものが現れるようになっていく。
のちにダンジョンと呼ばれることとなったそれらは未知の物質を有しており。この世界を揺るがすほどの革命を引き起こす可能性が示唆された。
だが、齎されたのはなにも良いものだけではない。
理外の力を有す魔物という存在もまた、ダンジョンによって与えられることとなった。
しかし、ダンジョンが発生した影響か。人々の身体にも変化が起き始めた。
御伽話で語られる魔法のような力を発現させるようになっていったのである。
これにより魔物に対抗しうる力を持った人々はダンジョンに挑戦するようになった。
富や名声。新たな物質への探究心。あるいは、純粋に戦いたい者など。その目的は様々。
そうした人々のことを、いつしか冒険者と呼ぶようになっていった。
* * *
「とはいえ、どうしたものかなあ」
七月。うだるような夏の暑さの中、日陰を伝いながらに街中を歩いていく。
半ば勢いで出てきたため、なにも考えていない。おかげさまで、荷物の大部分は置いてきてしまっている。
かろうじて財布は持っていたが、はたしてこれでどれくらい繋げるか。
そもそも、今までずっとダンジョンに潜ることばかり考えてきた俺にとっては、それ以外の生活というものがあまり実感としてなかった。
そろそろ二十代も後半だというのにこれはいかがなものかと思わなくもないが。
「しかし、こんな状況になってしまってもなお、ここに来ているあたり。未だに囚われてるんだろうな」
いつの間にか足を向けてしまっていたのは渋谷マルハチダンジョン。その名のとおり、日本で八番目に発生した渋谷にあるダンジョンで。そして、俺たちが初めて挑んだダンジョンでもある。
「……まあ、特にやることもないし。潜るか」
浅い層ならば比較的危険は少なく、冒険者証などがなくとも入ることができる。……冒険者証も、置いてきちまったしな。
ちなみに、幸いというべきか武器は携帯していた。まあ、最悪レンタルもあるが。
入り口で警備をしている人に会釈をしながらにゲートと呼ばれる門をくぐる。
ゲートの先には空間の容積が合わない草原が広がっている。まさしく異空間に飛ばされたかのような状況。これが、ダンジョンの特徴である。
ちなみにダンジョンの環境はそれぞれによってバラバラではあるが。マルハチは草原が広がっているためにピクニック感覚で来る人も少なくない。
今日が日曜日だということもあり、ちらほらと複数人連れでやってきている姿を見ることができる。……ひとりなのは、どうやら俺だけらしい。少し虚しく思えてきて。慌てて思考から外す。
「あっちにいるのは、初心者かな。周りには経験者がいるみたいだし」
マルハチの浅い層の魔物は強くないため、指導のために訪れる人もいる。ちょうど見かけたのは初心者らしき中高生くらいの黒髪の少女ひとりと、数人の経験者であろう男たち。
そんな一団を見つめながら、自分たちにもそんな時期があったなあ、なんて。郷愁に感情を任せようかと、そう思ったその矢先。
「……それにしてはなんか、変な感じはするよな」
初心者ひとりに対して経験者が複数人、というのは無い話ではない。少女の方も身なりがよい印象を受けるし、万全を期したとも考えられる。
しかし、向かう場所に違和感がある。
まるで人目を避けるかのように森の方へと向かっていく。
森の中には比較的強い魔物もいるため、経験を積むという意味では効率はいいのかもしれない。しかし、見るからに初心者というような少女を連れて行くような場所でもない。
あまり、穏やかな想像はできない。
「……面倒ごとの気配しかしない。けど」
どうせ。やることもなくほっつき歩いていたのである。
暇潰し、というわけではないが。多少様子を伺うくらいなら。
相手から察知されない距離を保ちながら、俺は聴力にバフをかける。
バフによる能力の強化。それが、俺の持つスキルである。
都合、ひとりでは成せることは少なく。いつまで経っても戦力にはなれず周りに頼りきりだったけど。こうして聞き耳を立てる程度であれば十分。
「ええっと、本当にこっちでいいんですの?」
黒髪の少女が首を傾げながらにそう尋ねる。
少女のその純朴な問いかけに、男たちは下卑た笑みを浮かべながらに「ああ、こっちに特別な場所があるからよお」と。
……ただひたすらにもりが広がっているだけのはずだが。
俺が息を殺しながらに様子を伺っていると。しばらくして、彼らは足を止める。
そしてニタニタとした笑みのまま、男たちは少女を取り囲む。逃げ道を塞ぐようにして。
突然にどうしたのだろうと。少女は「あの、あら?」と、困惑する。
そんな彼女を置いてけぼりにして。周りの男たちは「これだけ見目が良けりゃあ高く売れるだろう」「いや、いいところのお嬢さんみたいだし、強請ればもっと金を落としてくれるだろう」「世間知らずなお嬢サマもいたもんだなあ」なんて、下品な悪巧みをしている。
こうなれば、危機感が圧倒的に足りていない彼女であっても。どうやら気づいたらしい。
「もしかして、私。騙されましたの!?」
* * *
こんにちは。私、星宮 鈴音。
今日冒険者になったばっかりの、正真正銘、駆け出しの初心者ですの!
お優しい先達の方々に教えを請いつつ、立派な冒険者となるために頑張っていく……予定だったのですけれど。
周りには怖いお顔でジリジリとにじりよってくる冒険者の方々。
売れるだの、お金だの、強請りだの。物騒なお話をしていて。
「もしかして、私。騙されましたの!?」
やっと今の自分の状況を理解して、思わずあんぐりと口を開けてしまう。
そんな私の叫びに、冒険者の方々は一瞬固まってから、ギャハハハハッと大きく笑ってきます。
「なんだ、お前やっと気づいたのか。相当な箱入りの世間知らずだな。それとも危機感がユルユルなだけか?」
「まあ、それならアッチのほうはユルユルにはなってなさそうだし、むしろ好都合かもしれないけどな!」
話されている内容はよくわかりませんが、とにかく、ここにいるのが良くないということだけはわかります!
早く逃げないと、と思ってみても。周りは既に取り囲まれている状態。
森の深くまで来てしまっているので、大きな声を出したところで誰にも気づかれないでしょう。
加えて、冒険者として活動している彼らとなりたての私。身体能力の差も歴然でしょう。
「さあて、俺たちも痛めつける趣味が……ないとは言わないが、お前さんだって痛い思いはしたくないだろ?」
間近まで迫ってきた冒険者たち。その圧に、恐怖から思わず目をつむってしまう。
誰ですの!
生半可な気持ちだけで冒険者になろうだなんて考え、
お父様とお母様に相談も一切せず、千癒の目もかいくぐってダンジョンまでやってきて、
声をかけてくださった方になんの警戒もせずホイホイついていき、
結果、誰にも助けを求めることもできない状態になっている、
中途半端で浅慮で考えなしの阿呆は。
私ですわあああああ!
あまりの情けなさに、涙が込み上げてくる。
流したところで意味などないということは理解していても。溢れてくるそれを留めることなどできない。
伸びてくる手に、目を伏せ、頭を抱え、うずくまるしかできない状況。
「なんだおまっ、ぐへっ」
「急に出てきててなにを、ごはっ」
ああ、お父様、お母様。先立つ不幸をお許しくださいませ。千癒も、こんな愚かな私を今までそばで支えてくれてありがとう。
先程から聞こえてくる殴打の音とひしゃげたような声。きっと、私もこうなって――あれ? なにかおかしい気がいたします?
不思議に思って、未だ涙が止まらない顔を上げてみると。
そこにいたはずの冒険者たちはなぜか地に伏せていて。その代わりに、初めて見る殿方が困り顔で立っていて。
「えっと、その。なんだ、……大丈夫か?」
「は、はい。その、大丈夫で、す?」
どうして疑問系の答えなのだと自分でも思ってしまうが。しかし、未だ状況が飲み込めていないのだから仕方がないでしょう。
「あの、助けて、くださったのですか?」
「あー……まあ、そうだな。たまたま近くにいて、なんか起こってるなって思ったから」
しれっと仰っていますが、たったおひとりで複数人の冒険者の方を倒している時点で只者ではない気がいたします。
腰に武器は佩いていますが、現在は無手ですし。
「見た感じ、正規の依頼を通して教えてもらってるってわけじゃなさそうだな」
現状について、ピタリと言い当てられてしまったこと。そして、それが悪い判断であったことを思い知ってしまったがために、思わずバツが悪いようにして視線を俯けてしまいます。
「面倒ではあるだろうが、キチンとしたところを介したほうがいいぞ。こういうのも少なからずいるしな」
それについては痛いほど思い知りました。まあ、依頼を介さなかったのは両親や千癒に知られたくなかったからなのですが。……それを伝えると、余計に呆れられました。
「ともかく、冒険者になりたいのなら、そのあたりはしっかりとしておいたほうがいい。このあたりはダンジョン黎明期に急造で作られた制度が未だ残っていることも多く、雑多なだけに自衛は必須だ」
「はい。ごめんなさい……」
なにも言い返す言葉がなく、しょんぼりと肩を落としながらにそう言います。
「それじゃ、出口までは送ってやるから。その後については冒険者協会に相談するなり――」
「あの、あの!」
たしかに、彼の言うとおり。冒険者協会を通すのが好い選択なのだろうとは思います。――でも。
「私を、冒険者にしてくれませんか」
私のその言葉に、彼が困惑する素振りを見せます。
そうして「まさか、俺にか?」とでも言いたげな表情でこちらを見つめ返してくるので。私は全力で頷きます。
「……お前、さっきの話聞いてたか?」
もちろん。聞いていました。そしてこれが、その忠告に反する行為だということも。
なにせ、先程それで痛い目を見たというのに。再び、名前すら知らない相手に師事しようとしているのだから。
でも、なぜでしょうか。さっきまでの人たちとは違って。この人であれば、信じていいような、そんな気がするのです。
なんて。まんまと騙されていた私が言っても、
なにも説得力がありませんけれど。
* * *
「うわああああああん! ついに見捨てられちゃったあああああ!」
《海月の宿》のギルドハウスの中で、ひとりの女性が絶望を泣き叫んでいた。
周りのメンバーたちもなにか声をかけてあげるべきとは思いつつも。事情を察しているだけに、どうすればいいかと困っている。
《海月の宿》。つい先刻、パーティの最重要人物にどこかへ行かれてしまった、哀れな最強パーティであり。
部屋のド真ん中で脱水を起こす勢いで泣いているのは、日本最強と名高い冒険者、夏色 海未二十六歳である。
「どこに行っちゃったの、支樹ぃ……」
ぺしょっ、と。今にも溶けて水になりそうな様子で海未が机に突っ伏す。
さて、ここでひとつ、訂正しておこう。
たしかに、事実として支樹の知名度が低いということはある。最強パーティと名高い《海月の宿》に最初期から所属しているにもかかわらず、唯一と言っていいほどに名前と顔が知れ渡っていない。
だが、それはイコールパーティにとって必要のない人物、というわけではない。
「私たち、頑張るからぁ。支樹にばっかり頼らないように頑張るからぁ……」
支樹の役割。バフによる支援は、目立ちこそしないものの、パーティメンバーにとってはとてつもなく重要な要素であり。
そして、最近の彼女らが支樹に頼り気味になりすぎている原因であった。
だから、過剰すぎる負担となる前に、彼に頼りすぎないように距離を置こうと、そう思っていたのに。
「戻ってきてよおおおおおお、支樹いいいいいいい……」
つまり。追放など、起こっていない。起こるわけもない。
ただ、あまりにも酷すぎるすれ違いが起こっているだけ、である。
というわけで、本作を連載していこうと思います。
他の連載の都合などもある他、現代ダンジョンものは初めてで知識等々が浅いこともあり、連載が安定するかはわかりませんが、できるだけ毎週更新の形は取れるようにしたいと思います。
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