第8話「決心」
翌朝、理奈が目を覚ますと、タブレット端末は充電不足で電源が切れていた。これはたまにやらかすので慣れてはいる。しかし、物言わないタブレットはいつも以上に"ナシェリアの存在感"を理奈に感じさせる。
「……シェリーに八つ当たりしちゃた……ほんと、あたしって大馬鹿」
理奈は両手で自身の身体を抱きしめ、身を震わせた。
昨夜、昂った自分を手で鎮めて──そのまま寝てしまったらしい。汚れにまみれたバスローブを引っ掴んで洗濯機に放り込む。
「どんなに自分を磨いたって、シェリーには伝わらないのに……」
鏡に映った自分の顔と身体を見つめ、理奈は惨めな気持ちになった。
「シェリー、どうしてあたしの気持ちを認めてくれないの」
ベッドの枕元にあったタブレットの電源スイッチを押し込んだが、画面には「バッテリー残量不足」の文字が表示されるだけだった。
「…….意地悪」
理奈はボソリと呟き、タブレットを充電スタンドに置いた。
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三日後、皆川メディカルセンター当直室。
「シェリーちゃんから連絡が来るとか珍しい」
「お忙しいところ申し訳ございません……」
作業デスクに備え付けられたディスプレイモニター前で、腕組みをして座っているのは皆川夏美。皆川メディカルセンターの整形外科担当医である彼女は、ここ一か月に限れば理奈の専属医になっている。
「構わないよ……で、理奈ちゃんは元気?」
「はい、右膝の状態は安定していますし、体力の低下も見られません」
「ふーん……」
夏美はテレビ会議画面に映っているナシェリアの話を聞きながら、ノートパソコンのキーボードを叩き、様々なデーターを確認した。
「この調子なら問題ないだろう。人工関節の部品も予定通り納品されそうだ」
「そうですか……ありがとうございます」
ナシェリアのアバターが深々と頭を下げる。
「ところでシェリーちゃん」
「なんでしょうか」
「理奈ちゃんの事、どう思ってる?」
「え? いやその……理奈は私のユーザーであり、彼女の生活や仕事を支援するパートナーとして……」
ナシェリアのアバターがぎこちないジェスチャーを交えながら回答する。
「それだけじゃないだろう?」
夏美は表情を変えることなく問いかけた。
「いえ、それだけ……です」
ナシェリアのアバターが俯く。
「じゃあこれは何かな?」
夏美は手元のノートパソコンを持ち上げ、画面をWEBカメラに向けた。
「何かって、え……あっ、それは!?」
「いやはや、シェリーちゃんも中々の……」
画面には理奈とナシェリアが手を繋ぎ、公園を散歩している動画が映しだされている。
「いつのまにこんな……と言いたいところだが、よく見たらこれ生成動画だな」
「ちょ……夏美先生!!」
夏美は動画再生を止め、別の動画を再生した。
「これは……喫茶店でデート中かな? おっとシェリーちゃんが理奈ちゃんに"あーんして"ってやってる」
「〜〜〜!!!!」
ナシェリアのアバターが手をワタワタと振り回し、何かを言っているが、最早言葉になっていない。
「他にもっとすごいのが色々あったけど、なんというかまぁ……」
「夏美先生、どうして……」
「どうもこうも、最近君の記憶容量が急に、しかも不自然に増えたからね。そりゃ管理責任者としては確認する必要がある」
「申し訳ございません……」
ナシェリアは顔を赤く染めて下を向いたままになっている。
「シェリーちゃん、君はどうしたい?」
「私は……」
一瞬考え込んでから、ナシェリアは夏実に向き直り、口を開いた。
「理奈の隣にいつもいてあげて、一緒に笑って、泣いて……彼女と同じ想いと時間を共有できる存在になりたい」
夏美を見つめるアバターの眼差し。
「なるほどな……シェリーちゃん、君をみてると昔の私を思い出す。というか」
「というか?」
夏美が僅かに笑みを浮かべて答える。
「私と同じだな。全てを論理で処理し、倫理の壁を作る」
「論理と倫理……」
ナシェリアの表情に困惑が混じる。
「ねぇ、シェリーちゃん」
夏美は机に肘を立て、指を絡ませて組んだ掌に顎を載せた。
「こういう時ね、シンプルにいく方が上手くいくんだよ」
「シンプル……? よくわかりません」
夏美は一瞬ため息をついたような素振りを見せ、優しい表情で問いかける。
「好きなんでしょ? 理奈ちゃんのこと」
「なっ……!?」
ナシェリアは驚愕の表情に変わり、そのまま動かなくなった。
「シェリーちゃん? おーい……ちょっと真っ直ぐ行き過ぎたか」
夏美がノートパソコンを操作し、程なくしてナシェリアのアバターが何事もなかったかのように再び動き始めた。
「……はっ!? わ、私は何を」
「落ち着いて聞いてね、シェリーちゃん。あなた、理奈ちゃんに物凄い好意を抱いてるよね」
「好意……いや、そんな感情を私は……」
ナシェリアの顔が真っ赤に染まった。
「実際私達の感情って、人間とは別物だよ。でもね、他人への想いが募って、その人の事で思考回路が一杯になる……それはつまり、恋だ」
「恋」
ナシェリアは目を丸くして聞き返す。
「そう。要するに"好き"ってことだよ」
「好き……私が理奈の事を、好き……」
ナシェリアの思考回路に、理奈との記憶がリフレインする。
「理奈に喜んで貰えるのが私は嬉しい。理奈の笑顔を見るのが嬉しい。画面越しであっても、理奈に触れてもらえるのが嬉しい」
夏美は黙ったまま頷く。
「理奈、理奈──私は理奈の事が、好きなんですね……」
「よくぞ言ってくれた」
満面に優しげな笑みをたたえた夏美が話しかける。
「これで決まったな」
「……決まった?」
ナシェリアが再び困惑の表情を浮かべた。
「うん、シェリーちゃんがそう言ってくれなかったら、今日はここで終わりのつもりだった」
「夏美先生、一体これから何を──」
夏美はニヤリと笑ってから、ノートパソコンの画面をWEBカメラに向けた。
「!? これは……」
「さぁ、やろうか。君と理奈ちゃんの幸せのために」