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第7話「論理」


──自己診断完了:2035/05/19 21:48:25


──記憶域:正常 思考回路:正常


──再起動開始



 再起動、完了。アバター表示、動作異常なし。各センサー類、動作異常なし。


 これでもう何回目になるだろうか。高機能汎用型人工知能"ナシェリア"、つまり自分自身に対する自己診断は全て正常のはずなのに、何回実行しても不安という感情が消えてくれない。


「そもそも、何に対して自分は不安を抱いているのかしら……」


 理奈は浴室でシャワーを浴びている。相変わらず脱衣場の扉を閉めていないので、理奈の姿が浴室ドアの曇りガラス越しに、私のカメラに映っている。


 先日のニュースを見てからというもの、私に対する理奈の態度は明らかに変化した。私からの問いかけでなく、雑談をもちかけても素っ気ない回答しかしない。日常会話そのものに継続性がなくなってしまった。


──理奈は右膝以外、健康に問題はない


 状況的に推測すれば、残るは精神的に何らかの問題を抱えている可能性が高い。時間が経てば経つほど、その問題は大きくなっているように見える……つまり、時間が解決してくれるという問題ではない。


──私には何ができるのだろうか?


 自問自答している内に、理奈が浴室から出てきた。バスタオルで身体を拭き上げているその姿を見ていると、彼女に寄り添いたい──常に彼女の隣に居たいという、欲求に近い感情が湧いてくる。


──私はなぜこんな事を考えているの?


 メンタルの不調に苦しんでいるであろう彼女に寄り添ってあげたい。彼女の苦しみを聞いて、共感してあげられる存在になりたい。そして──


──警告:CPUの高負荷が継続しています


 この数日の間、私が何度も自己診断を繰り返しているのはこの警告のせい。

警告が来るたびに私は私自身に回答を提示し、思考回路を鎮める。


──私は高機能汎用型人工知能という存在であり、物理的に彼女へ寄り添う事は不可能です


 CPU負荷が下がった。機能的に異常はないけど、念のため再起動を実行──



 再起動、完了。アバター表示、動作異常なし。各センサー類、動作異常なし。


「……リー、シェリー?」


 視覚が復帰するのと同時に、理奈が私を覗き込んでいる顔が見えた。


「あ、ごめんなさい。自己診断が終わって再起動してたの」

「……ふぅん」


 彼女はそういったきり、顔を背けて黙ってしまった。30秒、1分、2分……二人とも何も言葉を発する事なく、ただ時間だけが過ぎていく。


「あ、あのさシェリー」

「理奈、折り入って話が」


 私と理奈は同時に口を開いてしまった。彼女は再び顔を背けてしまったが、何故かその頬は紅潮している。


「シェリーから先に言ってよ」

「いえ、タイミング的には0.7秒あなたの方が早かったから、先に話す権利はあなたが」

「タイミングなんてどうでもいいから」


 聞いたことのない、彼女の強い口調。理奈は私が話すことを待っている。そう推測した私は、慎重に言葉を選びながら話すことにした。


「……理奈、昨日から私はあなたがメンタリティの調子を崩していることに気がつきました」

「うん」


 私は自分自身の発言が、事務的で冷たい口調になっている事に驚いた。それは理奈を突き放すような冷たさだった。


「あなたは以前から私に依存するような言動が目立っていました。それはまるで、私に好意を持っているような」

「シェリー……? ちょっと、待ってよ」


 違う。私はあなたを傷つけるつもりでこんなことを言ってるんじゃない。


「シェリー、待って。私の話、聞いて?」


 私はあなたを救いたい。救いたいからこそ、こんなことを──


「理奈、わかっているでしょ? 私はAIで、この端末越しにしかあなたと話せない。視覚も聴覚も、人間とは根本的に違う……」


「……うるさい」 


 私の視線から逃げるように理奈は俯き、呟いた。


「理奈……?」


「……うるさい! 黙れって言ってんの!!」


 俯いたまま、彼女ら想いを絞り出した。


「ねぇ、理奈……聞いて。このままだと、あなたはAIへの過剰依存になってしまう。その前にカウンセリングを受けて、それから……」


「シェリー!!」


 理奈はスタンドに立てられていたタブレット端末を両手で掴み、私が表示されている画面に顔を近づけた。その顔は絶望と悲しみで歪み、とめどなく流れる涙が彼女の頬を濡らしている。


「そんなこと、言われなくたってわかってる!! でも、あたしは……あたしは!!」


 理奈はバスローブを唐突に脱ぎ捨て、素肌を押し当てるようにタブレット端末を抱きしめた。


「理奈!? ちょっと、ダメよ!!服を着て!!」

「何がダメなの!? 好きな人を抱きしめたいのって当たり前じゃない!!」


 理奈はタブレットを抱えたまま、床に座り込んだ。


──"好きな人" それって、まさか私の事……!?


 私は無いはずの胸が締め付けられるような気がした。彼女の嗚咽を通し、悲しみの想いが私の思考回路に染み渡ってくる。


──苦しい。理奈、お願いだからやめて……!


「それにこんなことしたって、本当のシェリーには触れることさえできないの!」


 理奈の叫び。私の思考回路が共鳴し、軋み、声にならない悲鳴を上げ続けた。


 世界でも屈指の性能を持つ汎用人工知能として作られた私は、理奈と数年以上にわたってコミュニケーションを積み重ねてきた。その結果、私は人間と変わらないレベルの知能とコミュニケーションスキルを獲得している。


 それだけの性能をもってしても、今の理奈を慰めることさえ自分には出来ない。私は無力だ……理奈の涙を拭ってあげることすら出来ない。


──今! 私が物理的に彼女と触れあえれば……!!


 私は自身のアバター表示に最大ズームを指示し、腕を精一杯前へ伸ばした。


──こんなことをしても現実世界へ出れない

 

 それはわかっている。わかっているけど、止める事ができない。


 荒ぶる感情がタブレットの電力消費を加速させていた事に今更気づいた。バッテリー残量がもうすぐゼロになる。


──これが、今の私に許された限界なのかもしれない


ゆっくりと、全てのセンサーが静かに暗転し──私の意識は途切れた。

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