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最終回「久遠」

 誰かが呼んでいる気がしていた。このままずっと目を閉じていてもいい──理奈は思ったが、その呼び声は優しく、そして悪戯のように耳をくすぐってくるのだ。


 重たく感じる瞼をゆっくり開けると、眠りから覚めたばかりの目にはまだ眩しい光が差し込んだ。


「う……」


 理奈の口から、呻きにも似た声が吐息と共に漏れる。


「起きた……?」


 それはあまりにも聞き覚えのある声だった。


「無理しないで、そのまま動かなくていいから」


 その声は耳元ではなく、顔の上から身体を包み込むように"降ってきた"。


 白い光に包まれていた世界が、徐々に現実を取り戻していく。白い天井、輸液パックが吊るされていて──視界の端にあるのは、見慣れた顔の女性。


「え……?」


 驚愕の声を上げた。無理もないだろう、そこには決して会える事はないと思っていた人がいたのだから。


「シェリー……なの?」


 理奈は恐る恐る頭を動かし、その人に顔を向けた。


「もう大丈夫ね」


 ナシェリアがいる。理奈の目の前に、見紛うことのない想い人が。


「よかった……私の顔がわからないようだったら直ぐ呼び出してくれって、先生に言われてたから」

「わからない訳がないわよ……だって、シェリーなんだから」


 まだ重たく感じる左手をゆっくりとベッドから持ち上げる。その手はまるで産まれたての子鹿のように震えていたが、それでも理奈はナシェリアに触れたかったのだ。


 だが、ベッドから数センチ持ち上げるのが精一杯──震えが一瞬止まった左腕から力が抜けそうになった刹那、ナシェリアの両掌が静かに受け止めた。


「無理しちゃダメよ、リハビリもまだなのに」


 理奈の手から、ナシェリアの体温が伝わってくる。柔らかくて優しさが込められた温かみが、不安で凍りついていた理奈の心を溶かしていった。


 理奈はナシェリアの姿を、まるで初対面であるかのように凝視する。


 ナシェリアが目の前に存在することを証明するかのように、窓から差し込む光が彼女の身体に陰影を浮かび上がらせていた。


 それは理奈にとってあまりにも神々しく感じられ──


「これは……夢? あたし、実はまだ目が覚めてないとか」

「良い意味で、残念ながら現実よ」


 ナシェリアは微笑みながら理奈の疑問に答えた。理奈に顔を寄せて、その頬に彼女の手を触れさせた。


 ぴくりと震えた理奈の指がナシェリアの頬の感触を確かめるように、何度も撫でた。


「そうみたいね……でも、一体どうやって?」

「その身体は、数年前に私が使っていた"身体"だよ」


 まるで影のように、病室の出入り口に立っていた皆川夏美が答えた。


「夏美さん!? いつの間に……」

「君が目覚めたって、シェリーちゃんから連絡を受けたものでね」


 夏美は笑みをたたえながら、二人へ静かに歩み寄った。


「夏美さんが使っていた身体……?」

「百聞は一見にしかず、だ」


 理奈のキョトンとした顔を他所に、夏美は右手首を反対側の手で掴んだ。それを見たナシェリアも同じように手首を掴み──二人の手首が180度折れ曲がり、割れた腕の断面から機械部品が顔を覗かせた。


「え……えええぇ!?」


 思わず身体を起こし、狐につままれたような顔で、理奈はさけんでしまった。


「まぁそういうことだ。私もシェリーちゃんと同じ、超高機能汎用型AIを搭載したアンドロイドという訳さ」


 折れ曲がった手首を元に戻しながら、声になっていない理奈の疑問に夏美が答えた。


「もっとも、私の身体そのまんまということではないよ。今の技術を随所に取り入れたうえ、シェリーちゃんの要望で様々な仕様とサイズの変更を──って、聞いてる?」

「ちょっと刺激が強すぎたみたいです……」


 目が点になっている理奈を見ていたナシェリアが、苦笑しながら彼女の代わりに答えた。


「はは……まぁ無理もないか。じゃシェリーちゃん、あとのことはよろしくね」

「承知いたしました」


 夏美は静かに部屋の扉を開け、外へ出た。


「そうそう……何かあったら君から知らせてくれたまえ、シェリーちゃん」

「え? それってどういう……」

「君に任せる、ということだよ。じゃ、くれぐれも控えめにな」


 軽くウインクを交え、いたずらのような笑みを残して夏美は扉を閉めた。


「先生……」


 ナシェリアはまだ呆けている理奈に向き直った。


「……では遠慮は不要ですね」


 ナシェリアはボソリと呟くと、理奈に顔を近づけて目を閉じ、唇を軽く重ね合わせた。


 画面を通さない、柔らかで暖かい感触。初めて味わうその感覚はナシェリアの思考回路を突き抜け、彼女の身体を一瞬震わせた。


「ん……?」


 その感覚と震えが理奈に伝わり、彼女の意識を流れ落ちる滝のような勢いで蘇えらせた。


──なななな、なにこれぇ!?


 理奈は驚いた猫が飛ぶように、ナシェリアから身体を離した。

 

「何なの!?」

「ごめんね、理奈。あなたが中々起きないから……」


 特に驚くこともなく、笑顔をたたえたナシェリアが答えた。


「理奈……やっと、やっとあなたと本当に触れ合えた」


 ナシェリアの目から、一筋の涙が溢れ落ちた。


「シェリー、その身体ってもしかして」

「先生に相談したの。どうしてもあなたと触れたい、愛してる人と触れ合いたいって」

「どうして言ってくれなかったのよ」

「先生と色々話し合ったんだけど、手術が終わって落ち着いてからの方がいいだろうって」


 結果的にサプライズとなったことに、理奈は突っ込もうとはしなかった。自分の事を思っての事だろうし、何より目の前のナシェリアが愛おしくてそれどころではない。


「あたしも、ずっとあなたにこの手で触れたかったの」

「理奈……」

「かなうことがない夢、そう思ってたんだけど……いざこうやっていきなり目の前で実現したんだもの。びっくりしちゃった」


 理奈はナシェリアの頬に手を伸ばし、指で涙を拭った。


「ふふ……ナシェリアのほっぺた、柔らかいね」

「理奈、もっと……もっと触れていいわよ。この柔らかさも、暖かさも。全て、あなたのものだから」


 理奈の手を両手で包み込み、ナシェリアは満面に笑みを浮かべた。


「理奈……好き」

「シェリー、あたしもよ……大好き。愛してる」


 二人は互いに手を伸ばし、抱き合った。そのままもつれる様にベッドへ身を沈めていく。



「「やっと、一つになれたね」」



〜 完 〜

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