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九時から五時まで悪役令嬢

作者: 西野和歌

「ロザリオいい加減にしろ、お前は動き回るとロクな事をしないな」


 大衆の面前で、婚約者である私にそう告げたのは、この国の第二王子であるリカルド様。

 互いに親が決めた婚約者であっても、高等学園に共に入学してからの私への態度は散々なものだった。


 他国において、転生ヒロインなるものが王子と結ばれるという出来事があった。

 この国においても、それは一大ブームとなり、自称本当のヒロインなる彼女たちが王子に言い寄るようになったのだ。

 本来なら身分差や、それ以上に婚約者のいる相手に馴れ馴れしくするのは有り得ない事なのだ。

 なのに鼻の下を伸ばして、いい顔をしたがる王子は、ここぞとばかりに彼女たちを拒否しないばかりか、私への当てつけに使うようになった。


 昔から、私に対して厳しい王子の要求に答えるために必死で努力し続けてきた。

 そうして得た私の能力を、なぜか王子は自分より偉そうにするなと僻むのだ。


 テストで点数を上回れば嫌味を言われ、ついでに取り巻きのヒロインもどき達にカンニングを疑われる。

 昼食を共にしようと誘いに行けば、見知らぬヒロイン候補と仲良く既に食べている。

 ダンスのレッスンパートナーも決して私とは踊らず、他の女性の手をとって踊る。

 あげくは、バレンタインデーとやらで手作りチョコが欲しいと言われ、私は必死に作ったのだ。

 そうしたら、中身を見た途端に


「これは市販品だろ、俺は手作りの心がこもった品が欲しかったのに」


 と、私の手作りをゴミ箱に捨てたのだ。そうして彼女たちに貰ったチョコを見せびらかして説教をされた。

 彼女たちも、常日頃から私が注意するのが気に入らなかったのだろう。

 ここぞとばかりに尻馬に乗った。


「流石は悪役令嬢ですわ、市販品を手作りだと偽るなんて」


 いつしか私はそういう役割の名をつけられていた。

 彼女たちは王子の威光を笠に着て、やりたい放題になっていく。

 礼節を重んじる貴族の令嬢たちが、私に助けを求めてくる。

 やれ婚約者に色目を使われた、やれ身分差も考えずマナーも守らない。

 この学園において、生徒会長である王子があのザマにて、秩序を守るのは副会長の私一人だったのだ。


 幼いころから、愛はなくとも貴族の娘として、王家への忠誠心も含めて耐えてきた自負はある。

 けれど、とうとう我慢の限界が訪れたのは、たった今。


「そんな態度じゃ卒業パーティーは、お前ではなく彼女たちからパートナーを選ぶ事にする」


 勝ち誇った王子の顔、ましてやその内容に、とうとう私の堪忍袋の緒がブチンと切れた。


「……自らの言葉の意味を、ご理解しておられますか?」


 感情を殺した声で私は王子に尋ねた。

 卒業パーティーにおけるパートナーは、特別な意味を持つ。

 特に婚約者と共に踊るのは、周囲に対して大々的に結婚を確約するという意味もあるのだが。

 いくら王家からの命令の婚約とはいえ、王子が別の女性と踊るという事は、世間に対して婚約破棄と同じ意味を持つ。


 王子はニヤニヤと笑ってあざ笑う。


「そんなに俺と結婚したいのか? だから彼女に身をわきまえろと虐めたのか?」

「……何を言っているかわかりませんが、婚約者のいる男性と腕を組む事や、愛の手紙を差し出す事は控えなさいとは忠告しました」

「どうして、彼女たちの自由を奪うんだ。お前は本当に必死だな。断罪されるのがそんなに怖いのか」


 ああ、王子もそれを言うのか。

 他の皆からの苦情を受けて、私が彼女たちに注意をする度に言われた言葉。


『悪役令嬢は、最後は断罪されるんだから』


「だから、お前は悪役令嬢なんだ。動き回って注意などせずに、大人しくしていればいい」

「わかりました」


 視線を逸らさずに、私は王子を見つめた。

 私の気迫に一瞬ビクついた王子に、私は宣言する。


「では、お言葉通りに今から卒業までの一か月間、この学園にいる間、この場所でこの椅子に座って大人しくしている事とします」

「う……あっ」

「登校して朝九時から夕方五時の帰宅まで、私は決して椅子から動くことは致しません」

「まてまて、ずっと座っているのか?」

「授業も食事もここで済ませます。ただし、昼休憩の一時間だけは自由にさせて頂きますが、極力この部屋から出ないようにします」

「できるはずないだろう」


 鼻で笑った王子に、私は真顔で答えた。


「いいえ、します」

「……っ、勝手にしろ!」


 こうして私はこの日より、卒業までは生徒会室にあるこの一室で、過ごす事が確定した。


 ******


 朝起きて、いつものように登校の準備をする。

 いつものように馬車が来て、私はそのまま一人で向かう。本来なら城に向かい、王子を乗せて共に登校するのだが、いつしか本人より


「特別扱いは、他の女生徒の為にならないからな」


 という、彼女たちへの優しさによりナシとなった。今になってみれば良い事だった。

 いつも登校して帰宅するまでは、王家より手配された護衛がつく事になっている。

 これは私専用の護衛であって、三年近く同じ彼が常に私を守ってくれている。


 いつもなら門にて王子の登校を待つのだが、例のごとくヒロイン達がわんさか待機しているので、私は不要だろうと判断した。


「あらっ、悪役令嬢様のお越しよ」

「怖いっ、朝から睨まれたわ! 王子に言いつけてやる」


 今日も朝から元気なものだ。

 いつもなら、格下から上に口を利く事の無礼さを注意するのだが、もうその気も失せた。

 私はあえてニッコリ笑って教えてあげた。


「リカルド殿下のご命令で、卒業まで私は殿下の傍はおろか、あなた達に注意や指導をする事は一切ございません」


 目を丸くする彼女たち。そして、それぞれの家の馬車にて登校してきた名のある令嬢たちが私に挨拶に来る。


「おはようございますロザリオ様、どうかなさいまして?」

「ロザリオ様、また彼女たちが何か?」

「あなた達もいい加減になさい。学園内だから大目に見れても、卒業したらこうはいきません事よ」


 やだコワーイや、悪役令嬢の取り巻きが云々と、私に親しくしてくれている彼女たちまで、悪しざまに言われてしまう。

 そうか、やはり私は引っ込んでいるべきなのだと確信する。


「おはよう皆さま、私は本日から殿下の言いつけもあり、卒業までは一人別室で待機する事になりましたの」


 私は説明した。生徒会室の一室にて過ごす事や、決して動き回らないように椅子に座る事。

 時間帯や、その間は何より私の意志を尊重してソッとして欲しいと告げると、貴族の彼女たちは嘆き悲しみ、平民出の特待生のヒロイン達は拍手喝采で大喜びだった。


 何はともあれ賽は投げられたのだ。昨日のうちに叔父である学園長にも協力を要請した。

 こうして私の特別な一か月の学園生活がスタートした。


 別室といっても、それなりの広さの応接室で事務机も完備され本棚まであったりする。

 心配して家族が手配した、我が伯爵家の執事と護衛の二人が常に付き添ってくれている。

 ほぼ卒業までの授業は、あってないようなもの。私は実技も筆記も全て単位は取りつくしていた。


 きちんと時計を計り、九時から座る私は何をするのか思案した。

 手の空いた教師が授業の代わりに何をしたいか尋ねてきたので、午前は適当な課題を出して貰い、午後は自習する事にした。


「では、今は三年生の女子の貴族クラスでは手芸か編み物をしております」

「どちらも道具を用意して頂けますか?」


 準備された道具を使って作品を作っていると、アッという間に昼になった。

 時間ピッタリに立ち上がり伸びをする。


「案外いけるものね」


 既に刺繍は完成して、編み物は午後にする事にした。

 一番近い化粧室に向かう途中で、いつもより多く女性を引き連れた王子の後ろ姿が見えた。

 楽しそうで何よりだ。私は改めて、本当に王子に愛などなかった事を知った。


 執事が用意した昼食を別室で頂く。

 一人で静かに食べる食事の、何と美味しいものか。

 嫌味を言われるでもなく、誰かに見られるのを意識しなくていい食事は最高だった。

 そこでハタと気づく。


「そうか……もう、ここにいる時間は私だけのものなのね」


 なんという解放感、ずっと固まっていた私の心が溶けていく。

 午後の部で、私は一気に編み物も済ませてしまった。

 やりたい事が出来たのだ。


 私はニコニコと笑顔で夕方の帰宅時間に立ち上がり、そして門に向かう。

 なぜか門で立っていた王子が私を見て言った。


「おい、謝罪するなら今だぞロザリオ」

「お疲れさまでしたリカルド殿下」


 晴れやかな笑顔を向けると、なぜかポカーンとした王子を素通りして、私は馬車に乗り帰宅した。


 *****


 次の日も、勝ち誇る王子とヒロイン達のイチャイチャを横目に、引き留めるクラスメイトの令嬢たちを、華麗に躱して別室で過ごす。

 昨日の課題の刺繍と編んだマフラーを教師に差し出すと、いつものごとく絶賛された。


「市販品でも、ここまでの完成度と美しさはございません」

「努力致しましたから」


 昔、王子に馬鹿にされ、何度も徹夜して指を傷だらけにして努力した事の一つ。

 今や王子の破れたシャツも綺麗に縫えるし、寒いと文句を言われても、セーターでもマフラーでも作れるようになった。

 もう、その機会もないだろうけど。


「先生、授業についてお願いがございます。歴史と地理と経済学を、もう少し深く学びたいのです」

「あなたは学園内において、教わる全ては完ぺきに学び終えておりますわ」

「ですから、学園レベルとは別に学びたいのです。手配と許可は終えています、どうか学びをお許しください」

「学園長が許可し、あなたが学びを深めたいという気持ちを尊重いたします」


 この学園の教師からの許しも得て、私は専門職を目指すもののみ入る高等大学の学者たちに、午前は教わる事になる。

 彼らの授業は本当に楽しかった。

 基本的に貴族の男性ならともかく、女性が学ぶべき内容ではないのだ。

 私も妃教育の一環として、学んだ時に楽しさに気がついた。けれど私が夢中になると、王子は嫌そうな顔をした。

 私に本ではなく、刺繍針を持てといい、私に知恵でなく、愚かな女のままでいろと希望した。

 だから、いま誰にも邪魔をされない学びの時間が、楽しくてたまらない。


「では国内における地理ではなく、他国においてで宜しいですかな?」

「はい、国内は妃教育であらかた学びましたので、知らない知識を教えて頂きたいのです」

「結構、では隣国における季節と、土地の土壌への関係性から……」


 新しく見た事もない世界が、私の目の前に浮かぶようだ。

 私は椅子に根が生えたように座りながら、夢中で話を聞いていた。


 昼の時間きっちりに私は立ち上がり、軽く手足をのばして運動をする。

 窓に近づくと、外では王子が女性たちと楽し気に敷物を広げてピクニック気分で食事を摂っているようだ。


「楽しそうで何よりだわ。でもどうして中庭ではなく、わざわざ校舎裏までくるのかしら?」


 ふと不思議に思ったが、どうでもいいかと洗面所に向かったあとに、部屋に戻って食事を摂る。

 外で何やら騒ぐ音がするが、まあ関係ないなと私は美味しく食事を頂いた。


 するとドアが突然ガチャガチャと音を立てる。

 念のために護衛の判断で、危険防止と不審者警戒に扉には鍵がかかっている。

 ドンドンと扉を叩かれ、王子の来訪を告げる。


「開けますか?」


 小声で護衛が確認してくれた。王家からの手配の護衛なのに、いつしか私寄りになってしまい申し訳ない。

 一応、開けろと騒いでいるのは、あなたや私の主である王家の人間だと、ため息をついて鍵を開けた。


「お前は一体何をしているんだ!」

「ここで過ごしておりますが?」


 普通に意味がわからなくて、首をかしげてしまった。

 まだ始まって一週間程度なのに、もう忘れてしまったのだろうか?


「外で食事をしているのは一目瞭然でわかっていたな?」

「えっ、ええ、あれだけ声が聞こえれば」

「なぜ来ないんだ」

「ええっ?」


 本当に意味不明だ? どうして私が?


「下で俺たちが食事しているのだから参加すればいいだろう」

「いえ、今まで一度たりとも、そのような事は言われた事もなく」

「お前は婚約者なのに、昼飯も共にしないのか」

「ですから、何度も誘っても他の女性たちと食事をしていたのは殿下であって、学園生活で一度たりとも共に食事をした事はございません」

「だから共に食べに来たらいいだろうが」

「なぜですか? 私が動くとロクな事にならないのに?」

「……おいっ」

「そう言ったからこそ、私は反省してこの部屋から極力出ないと申し上げたはずです」

「当てつけは、いい加減にしろ!」

「当てつけではなく、私は私の言葉に責任を持っているだけです。悪役令嬢ですもの、彼女たちと関わると断罪でしたよね?」

「誰が、悪役令嬢などと……」

「あなたです、リカルド殿下」


 本気で、記憶力が悪くなったのかと心配してしまう。

 ああ、心配もしなくていいんだ。だって彼女たちがついているんだから。


「小さい事で、いちいち根に持つとは……」

「根には持っていません」

「ともかく、聞いたぞ。俺のために刺繍とマフラーを編んだらしいな? 受け取ってやるから……」

「いいえ、あれは父と兄にあげました」

「はあっ? 普通は婚約者である俺にだろう?」

「何を差し上げても、ご迷惑だったみたいですし、彼女たちの心のこもった品が一番ですよ」


 そう言った言葉の責任はちゃんと取って頂かないと、でないと王家の者として無責任はいただけない。

 目を吊り上げて何か言おうとした王子を無視して、私は時間になったので椅子に座る。


「お前は口だけだったな。どうせ座っているのも嘘なんだろ?」

「失礼ながら殿下、この方は本当に昼の一時間以外は座っておいでです。他の学者たちや教師も見ております」

「黙れ、護衛ごときが口出しするな!」


 王子のその態度に私は我慢できなかった。


「リカルド殿下、もう授業は始まっております。どうぞお戻り下さい」

「お前もなんだ、その呼び方は! お前は婚約者なのだから以前のように『リカルド様』となぜ呼べない」

「それは、ヒロインとやらの彼女たちと同じ呼び名になるからですわ」

「ぐっ」


 執事が扉を開き退室を無言で促した。

 なぜか悔し気に顔をゆがませた王子は、私を睨みつけて去っていく。

 ああ、やはり私は隔離されて王子たちと関わらないほうが良いのだと、また確信したのだった。


 一瞬よぎった心の空虚感も、午後の部の自習の時間で癒えていく。

 今日は大図書館より借りてきた本を読みこんで、自分でレポートを作ってみようと思う。

 ただ思うがままに、もし好きな所に旅行に行けたらどこに行くか?

 その土地にどんな風土と文化があって、そこの経済問題を解決するにはどうすればいいのか?

 あくまで想像して楽しむために、他国の文化の辞典や経済の本を大量に借りてきた。

 午前の学者たちの教えもあり、細やかに書き込める知識が増えていく。


 ああ楽しい、本当に楽しい。

 思えば、自分のためだけに好きな事を頑張るという行為自体が久しぶりなのだ。

 いつも王子の為に、王子を中心に私は学び努力してきた。

 王子を支えるために、いつかは国の役に立つために、そうして自分が消えていた。

 なのに、今こうして自分と向き合って、新しい自分に驚き喜びに代わっていく。


 そのレポートが出来上がったのは、別室生活二週間目で、学者達の絶賛を浴びて学会に発表され大いに国中から賞賛された。

 それとは反対に、誰も学園内の王子の行動とヒロインもどき達の暴走を止める事はできず、学園内は二極化して荒れていた。

 やっと無関係だった者たちや、忠告された当事者たちも含めて、ロザリオ・リンドバーグ伯爵令嬢の影響力の凄さを知った。


 当の本人は、一人で過ごす快適さにすっかりハマってしまい、別室生活を満喫していたのだった。


 *****


 あれから三週間目を迎えたが、どうもチラチラと王子の姿が見えるようになった。

 むしろ、あちらはあちらで勝手にしてくれれば良いのだが、なぜかあちらから接触しようとしてくる。

 ともかく別室に入り、時間通りに椅子に座る。

 何があろうとテコでも動く気はない、むしろこの椅子は快適だ。

 王子が来て、以前より多く私に話しかけてくるのだが邪魔で仕方ない。


「おい聞いているのか、この俺から誘ってやってる。だから教室に戻れ」

「入学して、どこかに行こうと誘われたのは初めてでしたわね」

「お前が悪役令嬢ではなく、俺にふさわしい女ならば共に出かけてやっていたさ」

「ああ、ならいつも通り、ふさわしい彼女たちとお出かけください」

「違うっ、なぜおまえはそうも素直に俺の言葉を聞かないんだ」

「聞いております。全ては王子のお言葉のままに」


 言われたとおりに、邪魔もせず動き回らず求めもせずにしているのに。


「卒業パーティーの準備もあるし、事前のリハーサルもあるだろう。とっとと立って次のダンスの練習に行くぞ」

「……ところで殿下」

「何だ」

「今まで何度もダンスの授業がありましたが、私と踊った事はおありですか?」

「だから今から……」

「婚約者であると何度もおっしゃっていますが、三年間一度として踊った事がないのも私が悪いせいですか?」

「仕方ないだろう! 民に優しくするのも王族の務めなのだから」

「ならば、そのまま以前おっしゃったように、卒業パートナーは彼女たちからお選び下さい」


 なぜか額に汗をかき、それでも強気で私を責め立てようとする王子。


「私に練習は不要ですわ」

「なぜだ」

「既に、ダンスは師範としての資格も得ておりますので」

「だがお前は婚約者なのだから、共に出る義務があるだろう!」

「悪役令嬢として断罪されるために?」


 ヒュッと王子が息を吸い込み青ざめているが、もう私は何も感じない。

 昼の休憩が終わり、私はいつもの椅子に座る。


「座るな! 立て!」

「まもなく午後の部です。殿下もお戻りください」


 別室の扉が開いても王子は出ようとしない。

 それどころか、私の腕をつかみ無理やり立たせようとする。


「おやめ下さい! 痛いです!」

「この馬鹿者が!」

「馬鹿はお前だよ、やめなさいリカルド!」


 突然、鋭い声が響き私たちは停止した。


 部屋に現れたのは、この国の第一王子でありリカルド様の兄。

 次期国王のウィルズ・オズワード様は私の掴まれた腕を解放してくれた。


「お前はどこまで彼女に無礼を働く気だリカルド」

「兄上! どうしてここに!」

「いいから、お前は授業に戻りなさい」

「ですが……」

「これはお願いではなく命令だ」

「くっ……承知しました」


 ドスドスと音を立ててリカルド様が去り、私は小さくホッとする。

 けれど、いま目の前にいるのは、この国における後継者のウィルズ様。


「すまない、私の弟が……」

「いいえ、それよりこのように座りながらで申し訳ございません。不敬を承知で今は理由があり立つ事も叶わず……」

「ああ聞いている。そのままでいい、気にするな」

「ありがとうございます」


 椅子に腰かけながらも、私は頭を下げた。

 王族に対して何たる無礼か理解しても、動く事はできない。


「君の学会に提出された評判のレポートを見てね、そうして君の状況を今更に知って詫びに訪れた」


 ウィルズ殿下はその場で優雅に頭を下げた。

 慌てたのは私だ。


「すまなかった。昔から弟が君に甘えていたのは知っていた。だが、ここまで悪化していたとは」

「おやめください」

「あのレポートを見て改めて君の才能を知り、その君をないがしろにした愚弟には後で再度言い聞かせる。だから許して貰えまいか?」


 頭を下げたままのウィルズ殿下は、昔から私は良くして頂いた。

 けれど、許す許さないではないのだ。


「まずは顔を上げてください。謝罪など不要です」

「ならば、改めて弟にチャンスを与えてくれるのか?」

「ではなく、失礼ながら次期国王ともあろう方が、簡単に頭を下げてはなりません」


 幼い頃よりの気安さで、つい私は苦言を呈してしまい、シマッタと後悔する。

 だがウィルズ殿下は頭をかいて、ほほ笑んだ。


「申し訳ございません。生意気を申しました」

「いいや、昔から君だけは私や弟に対して正しい道を伝えてくれた。王も含めてそれは認めている」

「ありがたきお言葉」

「だから、弟と仲直りして貰えないか?」


 それこそが本題なのだろう。昔からリカルド様以外の王族の皆さまは、私の才能を大いに認めてくださっている。

 それゆえに私はリカルド様の婚約者に選ばれたのだから。

 ……けれど、もうそのような話ではないのだ。


「仲直りの意味がわかりかねます。既に卒業パーティーにて別の方を選ばれるとの事ですし」

「な……あいつは本当に馬鹿なのか!」


 弟と違い兄であるウィルズ殿下は聡明だ。その意味をすぐに理解したらしい。

 新たにパーティーで踊る女性こそ、リカルド様の婚約者ではなく妻として確定する。

 王家が認めなくても、パーティーに参加する名のある貴族たちの保護者全員がそう認識するのだ。


「……なら、私と共に踊ろうロザリオ」


 優しく私を気遣って下さるが、私は首を横に振る。


「その意味をご理解されていますか?」

「勿論、以前より弟ではなく私が君を妻にしたいと伝えていたはずだ」


 その言葉は私を愛しているからでなく、私の能力ゆえに。

 私は大きくため息をつく。


「そうして私はウィルズ殿下の婚約者から立場を奪い、ここでリカルド殿下に言い寄る女性たちと同じになれと?」

「私の婚約者はあくまで王妃の地位が欲しいだけだが、真の王妃として民の力になるのは君だロザリオ」

「失礼ながら、一つお答え下さい殿下」


 両手を組んで私は懇願する目で訴えた。


「今もし王の御前で擁護するなら、私とリカルド殿下のどちらになさいますか?」

「決まっている! 君だロザリオ!」

「だからこそお断り致します! 王家の不和を自ら選択するのは愚の骨頂!」


 目を丸くしたウィルズ殿下に私は畳みかける。


「そこで弟君を選ばれるなら、まだ私も考えました。けれど次期支配者としてではなく私情を優先し、国内を混乱させる選択肢は認められません」

「それだ、そう即座に判断できるからこそ君がいいんだ!」

「婚約者様のティナ様は社交性に優れてらっしゃいます。内政は臣下や王となる殿下が請け負えばいいのです。どうして罪もないティナ様から王妃の座を私が奪えるのですか」

「奪うのではない、より適正な者にするだけだ」

「そこに私の心は必要ないと?」

「……私が嫌いか?」


 嫌いとか好きではない、なぜ兄弟揃って私を尊重してくれないのか。

 ああ、やはり私はただの駒なのだろうか?


「お言葉を返しますが、私を少しでも大事と思うなら、私の意志と行動を尊重して頂きたいのです」

「勿論、君を尊重する」

「でしたら、あと一週間を切りました。私はここで静かに過ごします」

「そう意地を張らなくても……」

「意地もありますが、言葉に責任を負うのは当然です。私もリカルド殿下も、そして……ティナ様を妻にすると言った殿下、貴方もです」


 私は決めたのだ。ここから動かないと、あと少しで約束の期限となる。

 私の決意の揺るがなさを理解したのか、ウィルズ殿下は大きく息を吐く。


「わかった。私はティナを支えてこの国の為に尽くす。そしてロザリオ……君の意志も尊重する。改めてすまなかった」

「もう謝罪は結構です」

「ははっ、最初に会った時に父に泣きついてでも私の婚約者にすれば良かった」


 七歳の王家のお茶会、幼い私たちが集められ椅子で暴れるリカルド殿下と仲良くせよと告げられた。

 皆が緊張する中で、リカルド殿下は手元のお茶をぶちまけた。

 私は咄嗟に立ち上がり、近くの水をぶっかけたのだ。

 それは火傷防止のためだったのだが、ますます興奮したリカルド殿下は怒って走り去っていく。

 王家の庭園だし護衛が追いかけたのだからと、私は近くにいた侍女たちにケガはなかったか確認したのち


「すぐに戻られるかもだから、私たちの給仕は後回しで片付けを優先した方がいいと思うの」


 なんて、今思えば子供が勝手に仕切ってしまった。

 王妃様と兄であるウィルズ殿下もそこにいて、私の行動を止めもせず静観されていた。

 まもなく戻ったリカルド殿下に、それまで固まっていた他の女の子たちが群がって、ここぞとばかりに殿下の身を案じた。

 私はあえて近づかなかったが、あの時にリカルド殿下に言われたのだ。


「お前なんか嫌いだ! とっとと消えろ!」


 王妃様は気にするなと言ったけれど、このままでは場が悪くなると私は場を去ることを許して貰った。

 ああそうか、もう最初の時点で答えは出ていたなと思い出す。


「最初の時に私が君を妻にしたいと言ったら、君ほどに知恵のある女性はリカルドを支えるのがいいと断られたんだ」

「それはウィルズ殿下が優秀だからこそ、私は不要という事です」

「ありがとう。君の言う通り、私はティナと関係を修復して彼女を支えていきたいと思う」


 良かった。わかってくれたようだ。

 どうか、もう一人の私を作らないで欲しい。

 愛はなくとも傷つけられれば心は痛むものだけど、ティナ様は私と違って本当にウィルズ殿下が好きなのだから。


 部屋を出ていく殿下に、体を労わるようにと声をかけられ扉は閉まった。

 そうして、やっと私に再び静かな時間が訪れたが、その日は憂鬱な気持ちが晴れる事はなかった。


 *****


 この日々も残り少なくなり、卒業パーティーが近づいてきた。

 我が家になぜかドレスが三着用意されていた。


 一つは私の両親や兄が相談して用意してくれたもの。


 一つは私を気遣ったウィルズ殿下が用意して下さったもの。


 残り一つは、リカルド殿下が送りつけてきたもの。


「全て不要です。どうぞ王家に対しては、礼状と共にお返しください」

「そんなロザリオ!」

「もし不興を買うのであれば、お受け取りだけはしますが、何があろうと着る気はございません」


 私の断固とした態度に、父は納得したらしい。


「ドレスをお返しして、我が家が不興を買うなど心配しなくても良い。そもそも、以前から私は王に破棄を何度も申し立ててきた」

「そうなんですか?」

「当然だ。私の愛しい娘をないがしろにされて、誰が我慢などできようか。その程度は言える立場にあるから、心配しなくていい」


 何も言わずに見守ってくれていただけでなく、きちんと親として対応しようとしてくれた事に、心から感謝する。

 兄は眉を下げて、自分がパートナーになると提案したが却下された。


「ともかく、私たち貴族と王家の不和は宜しくありません」

「それでは、お前の名誉はどうなる」

「卒業式が終われば答えが出ます。その時に出た私の答えを、尊重してくださいますか?」

「わかった」


 父はドレスを王子たちに返品したようだ。何やら嫌味をこめて返していたと聞き、余計な波風を立てるなと父に警告した。

 周囲は間もなくの卒業パーティーの為に騒がしくなり、いつもの登校の時間ですら私を待ち構える人が現れる始末。


「ロザリオ様、どうか卒業パーティーに出て下さいませ。最近では彼女たちの増長は目に余り、ドレスを殿下にねだる始末です」

「ロザリオ様がいなくなった途端に、本当に大変な事になっております」

「殿下だけでなく、他の者の婚約者達まで、彼女たちに迷惑をかけられております。私どもが注意をしても聞きません」


 彼女たちは、何度も別室にいる私を気遣っては、差し入れをしてくれた。

 あえて部屋への入室を断っているからか、登下校の際には、こうして群がって色々と教えてくれる。

 けれど、彼女たちの訴えに私はこう答えるのだ。


「皆さま申し訳ございませんが、全ては殿下のご意向ですの」

「何言ってるのよ!」


 いきなりの金切り声に周囲が静まり返る中、一人の女性が私に詰め寄った。


「あんたね、ちゃんとシナリオ通りにしてくれないと困るじゃないの!」

「は? ああ、あなたいつもリカルド殿下の傍にいる方たちの一人でしたわね」

「あんな偽者たちと一緒にしないで! あんたがちゃんと悪役令嬢らしくしてくれないから、イベントが発生しないじゃない! どうしてくれるのよ!」

「何をおっしゃっているか、わかりませんわ」

「きちんと私をイビって妨害してくれないと、このまま王子と結婚できないじゃないの! ともかく、あんたが卒業パーティーに来ないと、仕上げにならないの!」

「断罪をされるために行けと?」

「そっ……そうよ! それがあんたの役割なんだからっ!」


 彼女の言い分は理解できないが、目的だけは伝わった。

 どこの世界に、自分がロクな目に遭わないと確定した場所に行くのかと、私はとっとと別室に向かう。

 後ろで何か叫ぶ声と、それを制止する声が聞こえたが振り返らずに部屋に入る。


 もう慣れた手つきで机の時計を見つめ、時間どおりに席に着く。

 朝から疲れを感じつつ、私は最後の仕上げに入った手元の書類に目を通した。


「あと少しでございますね、お嬢様」

「ええ」


 すでに学者たちからの学びも終えて、私は次のステップにさしかかっていた。

 執事が用意した紅茶を飲んで、準備していた書類をまとめていく。

 これが使えるかどうかは、結末次第。

 どうなろうといいのだ。

 この一か月間の有意義で自由な時間は、私にとって一生の宝物だ。


 改めて、一か月を過ごした部屋を見渡した。

 落ち着いた調度品に囲まれた応接室。棚に並べられた本や飾り。

 窓から見える青空と、注ぎ込む暖かな日差し。

 静かなこの空間は名残惜しいが、あと少しでお別れだ。


 帰りはあえて裏口より帰宅して、私は我が家で寛いでいた。

 リカルド殿下より、手紙や贈り物が届いていたらしいが、全て開封せずにお返しした。

 きっと渡し先を間違えたか、代わりに渡して欲しいかのどちらかだろう。


 皆それぞれが緊張しつつ、卒業の日が訪れた。

 正門ではドレスアップして、泣きじゃくる令嬢たちと、私に嫌味や文句を言おうと近づいては、阻止されるヒロイン達。

 一応は私も兄が用意したドレスを、仕方なしに着てはいる。

 ともかく面倒はごめんだと、急いで歩いていたのだが、その足は止められた。


「どこに行く! 俺はここだ!」


 そう聞き覚えのある声が叫んだのは遥か後ろ。

 けれど、きっと呼んだのは私ではあるまい。

 なぜなら、その声に向かってヒロイン達が我先にと走っていったのだから。

 彼女たちの中に、本当にふさわしい王弟妃がいるのだろう。

 動けば何かしでかす私より、心から認められた彼女たちがパーティーの主役だ。


 私は別室に入り、最後の時間をスタートさせた。

 時間を計り、既に私の一部と化したかのように椅子に座る。

 まもなく会場でも、卒業式が始まっているはず。

 生徒会長である王子は、無事に挨拶ができただろうか?

 まあ、それももう私が心配する事ではないのだが。


 こちらも時間となり、会場での挨拶を終えて抜け出した理事長である叔父が現れた。


「ロザリオ、今からでも会場に行く気はないのかね?」

「はい、時間ですから立つ事はできませんので、我がままを言って申し訳ございません」

「お前は父親である私の兄に似て、なんと頑固なんだろうね。まあいい、今から卒業証書を授与する」

「はい」


 座る私に証書が手渡される。これでやっと卒業だ。

 感無量な私は、改めて叔父に謝罪した。


「いいや、私もお前の境遇に何もしてやれなかった。それに新たな課題として、特待生制度の見直しも検討している」

「それは王より、庶民に対しても学びの門戸を開けるようにという……」

「別に、ここでなくてもかまわんだろう。最低限の礼儀と秩序の規則の罰則化は必要だ」


 怒り心頭な叔父の姿を、初めて見た私は口を閉ざす。

 叔父が去ったあと、証書は執事が預かり、私は午前の部を終えた。

 昼の休憩で化粧室に向かったが、いつもより豪華なドレスにて時間がかかり、部屋に戻るとグッタリとした護衛と執事が待っていた。


「何かあったの?」

「お嬢様に会わせろと、大勢の方々が訪れまして……」

「ご心配なく、全員追い返しました」

「ありがとう、二人ともお疲れ様」


 少し遅れて昼食を摂る。

 サンドイッチは、手で食べる食べ物で庶民の食事だ。

 私のような貴族であれば、このようなものですらフォークとナイフが必須だが、他国でも手で食べるのは当たり前らしい。

 ここは誰も見ていないのだ。自由に思うがままに、大きな口を開けてかぶりついた。


「美味しい!」


 中に挟む具材も見栄えではなく、私が好きな物を入れた。

 つまり使用人作ではなく、貴族令嬢としてあるまじき、自ら調理した手作り品が、この部屋での最後の食事なのだ。

 何度も、ヒロイン達は調理が出来て凄いと王子は言っていたな……と、もう遠いかすれた記憶が浮かんで消えた。

 あれから、私は毎朝早起きして弁当を作ったのだ。ただの一度として、食べられた事もなかったけれど。

 用意した弁当を、ヒロインの一人に踏みつぶされた時も、王子は笑っていた。

 また使用人に作らせればいいのだと、なぜ大きな心で許せないのかと。

 だから、お前は悪役令嬢なのだと吐き捨てた。


「もう、悪役令嬢もおしまいね」


 最後まで、彼女たちが望む役はできなかったが、面倒な私がいなくなり、王子との交流は育まれたはず。

 私は、手元の書類を執事に差し出した。


「これを、役所に提出しておいて頂戴」

「せめて、ご両親にご相談されてからでは……」

「期日の最終日なのよ、ともかくお願い」

「わかりました。私はお嬢様の味方ですよ」


 恭しく書類を手にして、執事は私の言いつけ通り退室し役所に向かった。

 護衛と二人、ただ静かに時間が過ぎ去るのを味わっていた。

 提出を終えた執事が帰ってきて、私は小さく安堵する。


 思ったより心は軽く、私は未来に向かって希望に満ちていた。

 卒業パーティーは夕方六時から、今頃はみんな卒業パーティに向けて、よりドレスアップ等の支度で大騒ぎなはず。

 机の引き出しを開けると、今朝届いた私宛の皆の手紙が山盛りになっていた。

 それを一つ一つ開封して目を通していく。


 会って話もできず引きこもる私へ、彼女たちは常に手紙を書いてくれた。

 助言を求めるものには、私なりに寄り添って返事をしたり、応援の手紙には感謝を添えた。

 今朝の手紙は、全てが私への感謝……そしてヒロイン達と何よりも王子への怒り。

 中には怒りのあまりか『私たちで同盟を組んで貴族一同で抗議できるよう両親にも働きかけます』という内容まで。


「これはいけないわ」


 私は急いで、そのような事はするなと、返事をしたため執事に届けさせた。

 なんとか、彼女たちを宥める事はできたみたいだが、あとは彼女たちの親が決める事だろう。

 こちら側は、火種を作る意志はないという証拠に、彼女たちの手紙をそれぞれの親に返送する事にした。

 万が一にでも、利用される事を防ぐためだ。

 そして、改めて娘である彼女たちに支えて貰った礼と、今後の幸福を祈ると書き記した。


 そうこうしていると、またドアがガンガンと激しく叩かれた。

 このような事をするのは、ただ一人。


「いかがなさいますか?」

「一応は、王族であられますから……」


 目くばせすると、護衛がカギを開けたと同時に、室内に王子が乱入した。


「なんで来ないんだ! そのせいで大変な目に遭った」

「そうですか」

「お前は、何を呑気に座っているんだ。とっとと支度をしてパーティーに行くぞ!」


 外はいつの間にか夕日が落ちて、まもなく終了の時間を迎えようとしている。

 けれど時間内だ。私は立ち上がることも、そもそもパーティーに行くつもりもない。

 あれだけ散々伝えても、やはり通じないものなのかと、心から落胆する。


「パーティーには参りません」

「お前はまだ婚約者だろ! 責任を果たせ」

「他を選ぶと言ったのは、リカルド殿下です。それに、断罪されるのは御免ですから」

「俺がいるんだから、そんな事はさせない!」


 埒が明かないと、私は何度も繰り返した説明を再び始めた。


「ですから、婚約者として責任を果たしていたら、悪役令嬢と言われました。あえて私がお傍にいる方が、王子の評判に関わります」


 顔を赤くした王子が、私を怒鳴りつけた。


「いい加減にしろ!」

「いい加減にするのはお前だ! 馬鹿者が!」


 扉から入ってきたのは、まさかの国王。

 私は椅子の上から、頭のみ深く垂れた。


「ロザリオよ久しいな。我が息子が、迷惑をかけている。しかし、王を前にその態度とは……」

「ご無礼ご容赦くださいませ。これはリカルド殿下とのお約束でございまして、本日でやっと終了となりますので」


 あと少しだ。あと少しで、全てが終わる。

 王はカツカツと私の前に立ち、私を見つめた。


「きけば、確かにそなたには酷な事をしたが、そこまで意地になる事ではないのでは?」

「いいえ、これは意地ではなく、本当は私自身への罰でございます」


 震える手を握りしめ、私は静かに王へ告げた。

 ここまできたのだ。今更の不敬は覚悟の上。


「殿下を増長させ、この学園の秩序すら収めることができなかった。何より、自分自身が王家に向いていないと気づいてしまったのです」

「……そなたの能力は買っているが……そうか、もう心はないのだな」


 涙を堪えて、私は生まれて初めて弱音を吐いた。


「申し訳ありません。すべては私一人の責任です」

「よい、わかった……今もって私の前で、椅子に座るそなたの覚悟が全てである。大儀であった」


 私は下げたままの頭をそのままに、ポトリと机に、一粒の涙を零す。

 時計が終わりの時間を告げた。


「時間が参りました。今更ながら、陛下や国家に心より繁栄をお祈りいたします」


 私は椅子からゆっくりと立ち上がり、心を込めて一番のカーテシーで王に礼をした。


「なんと優雅な……本当に惜しいが仕方ない」


 王は顎髭を撫でつけつつ、その全てを許してくれた。

 だが、納得しない者がただ一人。


「ともかく、贈ったドレスはもう着なくて良い! それ以外の、パーティーの支度をしてこいロザリオ!」

「まだわからんのか、お前は!」


 王が王子の顔を、力任せにガツン! と殴った音が室内に響いた。

 驚いた私はとっさに悲鳴を抑え、駆けつけようとしたが即座に停止した。

 それはもう、私の役目ではないのだ。


 王は、冷めた目で息子を諭した。


「お前は見放されたのだ、なぜわからぬ」

「そんな父上、でもまだ俺の婚約者です!」

「ならば、今をもって王の名において、二人の婚約は無効とする。これはロザリオ・リンドバーグ伯爵家に一切の非はなく、全て王家の責任である」


 その言葉に、ガクリと膝を崩す王子。私は膝を曲げ頭を下げたまま、王の言葉に耳を傾けた。


「長い間、ご苦労であった。せめて、そなたに詫びがしたい。何か希望はあるか? ロザリオ」

「では、この学校の身分による、特待生入学テストの厳格化をお願いします」

「認める。それとは別に、そなた個人の願いを言ってみよ」

「……では、私に出国許可証を頂きたいです」


 その言葉に、王子が反応した。


「どこに行く気だ、ロザリオ!」

「私の好きなものをご存じですか?」

「いっ、いや」

「私の興味あることは?」

「うっ……」

「以上です」


 頭を抱える王と、これでもかと顔を白くする王子。

 だけど、私の目はキラキラと希望に満ち溢れ輝いていた。


「他国で何をする? もしや、この国が嫌になって亡命でもするつもりか?」

「いいえ、私は隣国の大学に留学して、新しい知識を学びたいのです」

「そうだったな。お前は何より、地理や歴史が好きであった。ならば推薦状も書いてやろう」

「陛下、有難き幸せでございます」

「では行くぞリカルド」


 王と共に退室する王子の背中を、私は見送った。

 長い間、一番近くにいたのに一番遠かった人。

 王子は、扉を止める寸前に小声で呟いた。


「ごめん……ロザリオ」


 そしてパタンと扉は閉まり、私の長い婚約生活は終了した。

 席に戻り座ろうとして、私は椅子を丁寧に撫でた。


「一か月ありがとう」


 ほほ笑み、私は帰り支度をする。

 門までついてきた護衛に、声をかけた。


「今まで、ありがとうございました。あなたが守って下さったおかげで、安心できました」


 婚約者である私を守るのが、王家より下された彼の仕事だ。だから、これでお別れなのだ。

 彼は何も言わず、ただ深く頭を下げて見送ってくれた。

 門を抜けると、王子が立っていた。

 けれど私は目線も合わせず、そのまま前を通過して、自分の馬車に乗り込んだ。


 きらめく星空が眩しい夜となり、きっと卒業パーティーは華やかに開催されているだろう。

 どうか皆が幸せになってほしいと願い、私は帰路についた。


 帰宅すると、王家より遣いが来ていたらしく、婚約破棄を正式に受理した我が家は、ひそかにお祭り状態だった。

 表向きは、私の卒業を祝う家族パーティーだったのだが、そこで私は両親に告げた。


「隣国の大学に留学致します。すでに願書も届け出しておりますし、国王陛下より、許可も頂いております」


 家族は心配したが、それでも私の意志を尊重してくれた。


「今度こそ、自分の好きな事をしなさい。ただし、心配だから手紙は書くように」


 港の見送りでも、両親は何度も私にそう言いつけた。

 涙目のお兄様を見て、私たちは笑い、私は船に向かって歩いていく。


「おい待て! ロザリオ!」


 聞き覚えがある気がするが、気のせいだろう。


「無視するな!」

「これは殿下、お元気そうで何よりです。ところで、その荷物は?」


 私はきちんと、カーテシーで挨拶をして尋ねてみた。

 というか、もう婚約者でもないのに、どうして嫌いな私に話しかけてくるのだろう?

 私の問いに胸を張って、王子は答えた。


「俺も、お前と同じ大学に留学する事にした」

「さようでございますか。頑張って下さいませ」

「おい、もっと他に言う言葉があるだろう! なぜ喜ばないんだ!」

「どうしてですか? もう関係はございませんよね?」


 本気でわからなくて小首をかしげると、以前のように王子は私を怒鳴ろうとして……それを堪えた。


「俺はあきらめてない、ちゃんと認めてもらえるようにがんばる」

「きっと、陛下は頑張りをお認め下さいますわ」

「だからロザリオ、あのな……」

「あら時間ですわ。それでは失礼致します」

「まて!」

 王子に構わず、船に乗り込む。

 見送る人々に手を振って、私は新しい世界にワクワクしながら旅立ったのだった。




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