もみじ 千年の想い 下3
次の日、信之は朝早くから小倉山に出かけ三日間帰ってこなかった、だが大きな蓆を抱えて帰って来たと思うと庭のあちこちを掘り始めたのである。
「信之どの何をなされている」
峰子が問う。
「もみじですよ、貴女の為にモミジを植えるのです」
「あの紅葉狩りのもみじを?」
この時代から秋に紅葉を愛でる習慣はあったが、それは紅葉狩りと言って山にくり出したのである、紅葉は山で見るものであった。
「そうです、ここにあればあなた達は仕事をしながらでも紅葉を楽しむことが出来る、私が一生懸命植えたもみじだと思って見て下さるでしょ?」
「それはそうですが境内にそんなにいっぱい植えるものでしょうか……」
「いいのです、でもどうして紅葉なのか分かりますか? 花も咲かないのに」
「どうしてでしょう、どうせなら良い香りの梅が良いのに」
「ははは、梅や桜は花の命が短いです、その点青紅葉は素晴らしいです、冬は仕方ないがそれ以外はずっとあなた達を見ていられる、もみじは私なのですよ」
「……」
「だからこれ(紅葉)を私と思って見てくださいね!」
「いいでしょう、貴方からお預かりした和歌を抱いてこれを見ましょう、貴方がきっと帰って来られる日まで」
もみじの植樹は十日間かかった、その間には龍天寺の大輔や嘉助、俊正も一緒になって手助けしてくれた。
「おめえとは来年の野駆けで勝負を付けたかったがの、また走れるうちに戻って来いや待っとるぞ!」
「おおそうしたいが、これからは嘉助や俊正が頑張るよ」
「そうじゃ、俺も今までは大輔に勝てんと思っておったが最後まで何が起こるか分からんものな、まあ、また転んでも捨てては行かんからな……」
「こいつ、言わしておけば! アハハハハ」
泥を掛け合いながら楽しい時間が過ぎた。
斎宮が伊勢へ発つのにあと三日と迫った、信之の寝床簾の向こうに峰子が座っている、信之が現れた時には体調の心配もあり四六時中就いていたが最近はそう
していない、ここにいるのは久しぶりだ。
「峰子さん、どうしたのですか? どうぞ休んでください」
峰子はいつになく悲しそうな様子をしていた。
「あなたがここに来られた最初の夜、明日になれば消えている、元の世界に帰るんだと言われました、あの時は何のことだか分かりませんでしたが、今になってあなたが行かれるのは伊勢ではなく元の世界? の様な気がするのです」
「ああそんなことを言いましたか、もう何年も前の事の様で覚えていませんよ」
「そうですね、貴方は驚くほど変わられました、もうすっかりここの人です」
「ええ、それでいいんじゃないですか?」
「いいのでしょうか、元の世界の人達はどう思っているのでしょう……」
「……」
信之も何故か忘れていた妻や子供のコトを急に思い出した。
「信之どのが現れて丁度ひと月でございます、今宵があの日の月周り、元の世界に戻れますように強く願えば叶うのではないかと思うのです」
「貴女は私を伊勢でなく元の世界に帰したいのか?伊勢ならばまた会えように」
「貴方は庭にもみじを植えて下さいました、私はそれを見て貴方のことを想うでしょう、貴方のもみじが成長する姿、真っ赤に色付き人を楽しませる姿……、六条の御息所さまが貴方を愛でた和歌を手にしてそれを見守りましょう」
峰子が泣いているのが分かった、信之も自然に涙がこぼれた、暗いのでお互いは見えないが静かな嗚咽だけが板場に響いていた。 峰子は一晩中信之の息づかいの気配を感じ目を離さなかった、眠っているのかどうか分からないが、旅立ちを見逃さないためである。 だが薄っすらと東の空が白みかけた時変化の無い安堵と共に睡魔に落ちたのである、だがほぼ30分もせずあわてて目を覚ました、だいぶん明るくなったので信之の寝床がはっきり見える。
いない……、薄い敷物と掛け布が平たく乱れているだけだ。
峰子は落ち着こうと思ったが胸の高鳴りを抑えられなかった。
『強く願うと叶うのです』
信之の為に切り出した言葉だった、もとの世界で待つ人たちの為に願ったコトでもあったが、現実に起きてしまったことの悲しさ、取り返しのつかない事をしたのかも知れないとの自己嫌悪感に襲われたのだ。
しかし直ぐにこれで良い、信之が帰れて良かったのだと自分に言い聞かせた。
今想うと信之とは不思議な気持ちで接していた、年齢も時に上であったり下であったり、ひょうきんで頼りない若者であり、時に知識豊富な頼れる者であったりする、愛情を感じる程の時間は無かったが、本当に愛せる者であったことは確かなのだ。
ここでの出来事は信之にも夢、わたしにも夢であったのだろう、頬伝う涙もそのままに、これで良いこれで良いと強く思った。
しばらくして、主・清氏忠則に報告すべく、庫裏の渡り廊下を行きかけると、庭で背を向けて立っている者がいる、少し体を震わせた後、ごそごそと動きこちらへ振り向いた、小用を足していた信之である。
峰子が目を丸くした、膝がガクッとなったので信之があわてて抱きかかえた。
「これで良いのかのう~」
「なにを言っているんだい朝っぱらから、まともに寝ないからこうなるんだ」
峰子は喜んでよいのか迷ったが、本心に逆らわず喜ぶことにした。
朝餉を済ませ伊勢への旅立ちの準備をする、何やら庫裏の食堂が騒がしい、峰子に尋ねると、斎宮様一行の為に餅を作っているとのことだ、檀家の女連中を集め賑やかな事だった、丁度信之が来た時もこの様な状態だったのだろう。
ふとあの部屋はどうなっているのだろう?と気になった、と同時にこれもすっかり忘れていた、リュックにカメラがあるはずだ、写真を撮ろうと思った。
こんな大事なコトをどうして忘れていたのだろう、平安時代の人物を撮り逃すところだった、カメラが一番の趣味だったのに……、リュックを背負いカメラを構えて皆が作業する食堂に入った。
こういう場では峰子は生き生きとしている、忠則どのが頼りにするはずである、自分もこう言う女性と人生を歩きたいものだと思った、写真はおのずと峰子中心となる、皆はカメラを向けると怖がって隠れてしまうのである、信之はそれも面白かったが、峰子には怖くないとカメラを渡し操作を教えた。
「信之どの、はい!」
女中から餅を口に押し込まれて目を丸くした。”カシャ!” 峰子がそれを撮った、大笑いである。その時、あの扉の奥からガチャガチャと大きな音が聞こえたのである。 皆が固まった。
「私が見て来よう」
信之が躊躇せずそこに入った。
女たちはポカンと立ったままだ、さっき信之に餅をくわえさせた女中が言った。
「あれ、今ここに誰かいました?」
「何を言っているの、誰もいませんよ! さっさとそれを済ませなさい」
峰子が女中たちを上手に使う、指示がテキパキなのだ。
「はい、次が蒸しあがるよ~、桶と粉を用意しなさい」
善入寺の食堂は人がいっぱいで、いつになく活気があった、斎宮一行の伊勢下りに持たせる餅を作っているのである。
信之は?
信之が引き戸の中に入ったとき急に床が抜けた、真っ暗な穴?に勢いよく吸い込まれてゆく、何が起こったのか…… 永遠と思える落下に思わず声を上げた。
「ああああ―!」
バスが急ブレーキで止まり、皆の体が大きく揺れたのと同時だったので信幸(信幸に戻る)の声も違和感は無かった。丁度真横に小柄な老婦人が立っていた、優先席は外国人観光客が陣取っている。信幸はあわてて立った、老婦人に席を譲ったのである。信幸には以前新幹線で苦い思い出があったのだ。
「いいのよ次だから」
「いえいえ、少しの間でも、気付くのが遅れてすみません」
彼女は野々宮で降りた、信幸も次の嵯峨釈迦堂前で降りる。目的の宝筐院はすぐそこだ、勝手知ったる受付の一角にある物置に一脚を置きに入る、紅葉に早いこの時期は観光客は誰もいない、エフに名前を書いているとき後ろの方で何やら騒がしいが、近くの幼稚園のせいだとすぐに分かった。
再び受付前を通って庭に入る、山にある様な大もみじが空を覆う様に立ち並んでいる、青もみじに混じって少し紅葉した木もある、本堂前のクチナシは今年も大きな実をつけていて紅葉と同時に真っ赤になる様は絶好の被写体になるのだ。
小さな本堂に上がり貴婦人画と対峙する、今日はこれが目的だったのである。
しばらく見るが夢に出てきた時の様な感じるモノはなかった、それでも本堂の隅で時間を潰していると、一人の男性がやって来てやはり貴婦人と対峙している。
信幸がどんな想いで見ているのかな?と思っていると、男性が話しかけてきた。
「失礼ですが、貴方も京都にハマっておられる一人ですな?」
「いえ、ハマっているとまではいかないですが」
「いやいや、この時期にこんな寺を訪れるのはかなりなマニアですよ、この平安貴婦人は何を見ていると思われます?」
「紅葉?かと……」
「ふむ、襖には紅葉の木がないでしょ、思うに彼女が見ているのは想い人!」
「はあ、そうなりますか」
「面白いものだね、そういう風に見ると想像がどんどん広がって行くんだよ」
彼はもう一つ面白いことを教えてくれた。
「平安の時代に天龍寺に足の速いヤツが居てね、当時のマラソン競争なんかいつも一番だったんだけど、ある時山門の石につまずいて灯篭を頭で割ったらしい、そのつまずき石は今でも山門横にあるんだけどありゃ大したモノではないわ」
男が去ってしばらくすると今度は二人連れ中年のご婦人が入って来た、紅葉には早いのでやはり平安貴婦人画がお目当てだ。
「ほらね、これを見ないとだめよ、手に短冊をもっているでしょ、短冊に和歌を書くようになったのは平安時代が始まりなのよ」
「あら~願い事しながら紅葉を見ているのかしら?」
「そうね、源氏物語の時代でしょ、和歌は恋文……、ロマンチックね~」
いろいろな見方があるな~と思った、信幸も少し視点を変えて想った。
もし私がタイムスリップしてこの女性と会っていたならどうだろう、彼女の想いは元の世界に帰った私に自分の存在を見せたいのではないだろうか……。
嵯峨野にある入善寺、住職の清氏忠則は昨年亡くなり代替わりをしていた、峰子もすっかり年老いたが庫裏の管理はしっかりとこなしている。 誰が植えたか分からない山紅葉がすっかり大きくなり晩秋の紅葉は見事であった、遠方からも人が寄り、寺に居ながらの賑やかな紅葉狩りを喜んだ。
峰子がある日ふっと思った、私は昔、斎宮様の和歌を持ち紅葉を見ると、誰かに誓ったような気がする、もみじを見たらその人を思い出すとも……。
次の日、都から絵師を呼んで襖に自画像を描かせた、少し若く描くのと、短冊に”信”と描いてもらう条件を付けた、なぜ信なのかは分からなかったが約束した人が必ず見てくれると信じたからかも知れない。
信幸は色々な想いで平安貴婦人画を見るうちに次第にその画に惹かれて行った、手に持った短冊は恋文か? よく見ると薄く”信”と書かれていた。
偶然のこととは思うが信とは……? そうだ私が信なのです、貴女が待ち続けた信之ですよ! そう思って見たらなぜか涙がこぼれた。 この婦人とどこかでつながっている様な気がするのである。
もう誰もいなくなった本堂が、あの夜の暗い板場にいる様な錯覚に陥った。
「無事帰ったのですね、そしてわたしの元にも……」
妄想からではない、説明のつかない不思議な感情が込み上げ、いっそうの涙が頬を濡らしてゆく、どうしてこんなに涙が出るのか、悲しいのか? 嬉しいのか……?
涙をぬぐい平安婦人を見る。
もの言わぬ襖絵の平安婦人が微笑み『ありがとう』と確かに言った気がした。
完
京都嵯峨野に紅葉で有名な宝筐院というお寺がある、紅葉の他には何もないこじんまりとしたお寺だ、本堂の襖絵に平安貴婦人?の画があるのも確かである。
以前ビデオ編集の時この婦人も同じように真っ赤な紅葉を眺めているのだろうなと思ったが、よく見ると視線が微妙で本当に紅葉を見ているのか確信が持てなかった、その思いが最近ふっと思い出されてこの小説を書く動機となったのだ。
いや、もう一つある。それは源氏物語を少しだけかじった(?)のである、日本の歴史上最も平和だった時代、清少納言や紫式部といった女流文学が花開いた時代に少し憧れ、この時代に触れたくなったのもこれを書く動機と言える。
どちらにしてもこれまでは思ってもみなかった不思議な力?に突き動かされたのだろう。おかげで拙い小説ではあるが一編増やすことが出来た。
さて、書き始めは情景も浮かんですらすらと調子の良いモノだ、しかしすぐに思考の壁にぶち当たる、いつもそうである。就寝時布団の中で物語を想像するが上手いアイデアが浮かばない。
こんな時は数日無理に考えない、最近はハマっているナンプラをしたり詰将棋で時間を潰すのである、それと源氏物語をもう少しかじってみる。
「絵解き」というモノがある、昔ドラマで見たのだが画には色々な想いが込められていて、その真意を解くことに多彩な知識を必要とする、奥が深いのだ。
ドラマがとても面白くよく覚えているので、最後はこういう風にまとめ上げたいなと思いながら話を進めるが、理想は遠く安易な終結が甘い誘惑で迫って来る。
「もうこれでいいじゃない、ここで終わらせば楽になるよ」
「そうだね、もう考えるのも嫌だし、やめよう」
誘惑にあっけなく降参だ……。
最後に撮った写真に触れたかった、信幸が何気なくカメラを確認すると餅?を喰わえ目を丸くしている自分らしき人物が写っている、日付け日時は分からず、背景も上手にボケている。身に覚えのない写真を不思議に見つめるのである。
毎回言うが小説を書くのはとても面白い、書いている途中アイデアが沸かないのは辛く投げ出したいが、書き上げた時の満足感はソレを吹き飛ばしてくれる。
また読んでくれる相手がいることも幸せなコトだ、ビデオの撮影記などは備忘録として自分の為に書くが、小説となると読む人のコトも意識しなくてはならない、文法やちょっとした言い回しも読み手にとって気持ちの良いように気を遣うのである。音楽でハ調を重視するのと一緒である。
だが、ド素人である……。堅苦しいことに縛られず書きたいことを自由に書くド素人が書く小説だ。ほらページが無くなったのでここでやめる、それで良い。




