もみじ 千年の想い 下2
太陽が西に傾き空を美しく染めようとする頃、野々宮の黒木の鳥居を潜る三名の姿があった。入善寺住職・清氏忠則、甥?の信之、お庫裏役・峰子である、忠則は出家前に天皇の侍読(じどく=学者)として何度か宮廷に上がった経験はあるものの自信が無かった、なので宮廷女官の経験が長い峰子に供を命じたのだった。
「信之どのはわしの甥としてあるので、信之と呼び捨てる、峰子は信之さまと呼ぶがよいぞ」
「信之さまの出生を聞かれましたらどうお答えに?」
「ふむ、甥じゃからの~、そうじゃ、腹違いの妹で大宰府に下った者がいる、その者の子とするか、そうじゃその三男くらいにしておこう」
何とも頼りないお主様(おすさま=ご住職)であるが僧侶の五条袈裟姿は堂々としたモノだった、信之は忠則のお古の狩衣を纏った、衣装が大きくぎこちなかったがその分初々しさがあり悪くは無かった。
野々宮の奥から何時かのように美しい琴の調べが聞こえた、その音色に誘われるように進んで行くと、外宮で一般の者に開放されている社の前から二人の待女が案内人として三人を誘った、まだ明るいが提灯の様なモノを中腰で持ち半身で誘う姿は正に宮中流であり、なにも知らない信之でもその雅な雰囲気に背筋が伸びて、意識して歩かないと手と足が揃いそうになりそうだった。
警備の者もいないわけではないのだがこの雅な雰囲気の中からは姿を消していた、三人が案内されたのは意外に慎ましい庵である、琴の音はいつしか消え、それに変わるように、庵の中から漏れ出る”空焚き物”の良い香りが漂ってきた。
庵に入るのかと思えばそうではなく、反対側の庭の一角に畳の様なモノで座が設けられていたのである、座に着くと丁度西の空が真っ赤な夕陽に映え、正面の庵までもが赤く染められている、誰がこの様な場所を野々宮としたのかは分からないが、まさに神に仕える斎宮が身を浄化する場所に相応しく思えるのであった。
庵の中は二つの御簾が掛けられ、片方は半分ほど巻き上げられていた、その両側に二名の待女、庭の座には案内してくれた二名がそのまま控えた。
三名が深々と頭を下げ忠則が大きな声で口上を言った。
「こたびのお招きにさいしまして、この上なき喜びにございます、わたくしをはじめ三名とも上流とは縁なき者ゆえ、無作法をお許し願い申し上げまする」
庭に控えの待女があわてて座敷に走り寄り、座敷上の待女に何事か囁いた、それを受けて待女が御簾に向かい伝えたのである、すると御簾からなにやら指示があり、それを庭の待女に伝えた。(ややこしいのう……)
待女は忠則に直接話しても良いと告げ、少し後ろに引き下がった。
「ああこれは無礼を行いまして申し訳ござりませぬ」
御簾の中から小さく笑ったような声が聞こえた、御簾が巻き上がり六条御息所が顔を見せたのである。
「無礼はこちらじゃ、ここは都でなく宮中でもない、この様な形式ばった対面では嫌われてしまいまするの?」
「め、滅相もございません! どうぞ御簾をお降ろし下さいませ」
忠則はあわててひれ伏した。
「いえ構いませぬ、わたくしたちは来月には伊勢へ経つ身、そこでは身分は意味のないモノなのです、美しい心だけが必要なところ、それを心得るためここにいるのです」
「……」
「昨日はそのお方の振る舞いにいたく感じ入りました」
忠則が頭を下げたまま、信之になにか言えと横向きに目配りをした、信之がすっと体を起こし御息所を見て言う。
「大輔を助けたことでございますか、あれは誰でもするコトでしょう」
また忠則があわてて信之の頭を抑え込んだ。
「よいのです頭を上げなさい、お顔が見えぬではありませんか?」
こう言う具合で、始終かた苦しい面会ではなく、笑いながらのお膳も交えたのである、ただ斎宮だけは御簾を下げたままなので庭からでは姿も見えず、居るのか居ないのかも分からなかった。
御息所が峰子に宮中では誰に仕えたかと聞いた。
「藤壺の女御さまでございました」
これを聞いて御息所は少し憮然となったが、すぐにそれを隠し和やかな時が過ぎた……と言うのは余談である。
「今宵訪ねていただき感謝を致します、おかげで楽しく時を過ごせました、伊勢の神宮で奉納する和琴を聞き、退座されるが宜しいでしょう」
と言って御簾を下ろさせた。
斎宮によるものか、雅で美しい和琴の調べには都を離れる淋しさのようなモノも感じられ、奥の深い音色に心を惹かれるのであった。庵を出て外宮の社まで待女が送ってくれた、別れ際に奥から別の待女が駆け寄って来て御息所のしたためた和歌を一首、まだ青い紅葉の小枝に添えて忠則へ手渡した、その短冊の様な厚紙からもこれまた香を焚き染めた良い匂いが漂ったのである。
三人は入善寺に帰って早速その和歌の意味を紐解いた、これには忠則の妻雪乃が日頃の和歌好きの力を見せた。
「やはり信之どのの行いを美しい心と称賛されております、宮中ので醜い権力争いばかりを見ると、人を見る本質が失われてくるけれど、お釈迦様の前でそうではないと教えて頂けた、と言うことではないでしょうか」
「ふむ、そうじゃの、わしもそう読んだが返歌はどう詠めばよいものぞ」
「ふふふ、恋文でもなければ競い合いでも無いのです、返歌は無用かと?」
「ああそれで良いのか、そうしたものかの」
「あ、あの~峰子さんの作った餅でもお持ちしたらいかがでしょう?」
「ははは、おもちをおもちしました、とお主が届けるか、それも良いのぉ」
「嫌でございますよ!わたくしの餅など喜んでもらえるハズがありません」
などと対応に困ったが、結局は檀家で採れた野菜や西の大川で獲れた鮎などを返礼として届けた。
二日ほどして野々宮の六条御息所から忠則の元へ使者が送られた、用件は来月の伊勢神宮への供として信之を頂けないかとの事である。
この時代の決め事は本人の意思は関係なく、親権者が決めればそれに従うのが常道であった、しかし忠則は信之の希望も聞いてお答えすると使者を帰したのである。その夜忠則の居間に信之を呼び、昼間のコトを伝えた。
「どうじゃ、斎宮様に仕えればお主の将来は明るいモノとなる」
「はは、私としてはここに居りたいのでございますが、いつかは自立を考えねばならないことも分かっております、今がその時でございましょうか?」
雪乃も峰子も黙って聞いていた。
「そうじゃな、ひょんな事でお主が現れ、どうなるモノか流れに任せておったが、伊勢行きは悪くはない、いずれ斎宮様も都に戻る日があるじゃろう、その時はお主も然るべきお屋敷に奉公出来るはずじゃ、わしも鼻が高い」
「そうでございますか、ならば参りましょう人生の流れに沿って……」
峰子がシクシク泣き出した、その肩を雪乃がそっと抱く。
「そうだ、これは峰子さんが持っていてください」
差し出したのは六条御息所から送られた和歌である、忠則からこれは信之が持てと渡されていたのである。
「いけません、この様な大切なものをわたくしなどが持てるものですか」
「いや、今の私があるのは峰子さんがいてくれてこそ、残る日の中で貴女に恩返し出来ることをきっと探して見せます」
「おおう、それは何であるかわしも楽しみじゃなぁ~」
涙を拭う峰子の顔を入道・忠則があやす様に覗き込んだ。




