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もみじ 千年の想い 上2

 信之は口元に苦い液体を感じ正気を取り戻した、板場に薄い布を敷きその上に寝かされている、側に当時の医者であるのか?かっぽう着の様な作務衣姿で、髪は後ろで一つに括った初老の男が茶色い液体を口に運ぼうとしていた。 脇に女中頭?の峰子もいた、声を掛けたのは彼女である。

「あっ、泰庵どの(医者?の名前)気が付いたようで!」

「ははは、峰子どの、この身体じゃ滅多なことではくたばらぬわ」

 信之は一度目を開けたが、状況が全く分からないので再び目を閉じて二人の会話を聞いていた。

「しかしこの男不思議な者じゃ、身なり持ち物が見たこともないモノばかり」

「はい、言葉はある程度通じますゆえ異国の者でも無いかと思われまするが、聞き取れぬ言葉も使いますゆえそうとも言えぬかも知れませぬ」

「忠則どのがどうされるかじゃの、わしも色々尋ねたいことがあるのじゃが」

「気が戻れば話はしてもかまいませぬか?」

「話くらいは構わんじゃろう、ただ興奮状態はよろしくない、優しい話をの」

 泰庵が腰を上げ、部屋(と言っても簾で仕切られた一間である)を出て行った、峰子が泰庵の湯飲みを片付けようとしたとき信之が目を閉じたまま尋ねた。

「峰子さん、峰子さんでよろしいか?」

「はい、ミネコと呼んで下され、気が付きなされたか?」

「はい、気は先程から……。 お尋ねしたい、ここはどこでしょう」

「どこ? 平安京の西、嵯峨野は入善寺の庫裏でございますよ」

「はあ、宝筐院ではございませんか……、今は何年ですか?」

「……ナンネン? はて、ナンネンの意味が分かりませぬが……」

「ああ、すみません、私はいまここでは全く無知な人間の様です」

「清氏信之、と名乗られたが本当に清原氏でございますか? ここ入善寺は清原氏が歴代住職を務める寺、今は三代忠則様がお務めになられておられるのです」

「私の清原と言う姓は本当ですが、住職とは関係はありません、日本中どこにもある姓なのですよ」

「信之どの、姓を賜る事がどういうコトかお分かりか、帝の家臣であることはお分かりであろうの?」

「いやいや、家臣などと、どうしてこんなコトになってしまったのかなぁ…」

 急にまた頭痛と寒気がおそってきた。傍らにリュックが置かれていたので峰子に引き寄せてもらった、その中から常備していた頭痛薬を飲む。そしてまた目を閉じたのである。

 夜になって主の清氏忠則が五日後に行われる秋彼岸会の打ち合わせを終えて帰宅した。秋彼岸会は春と同様に寺合同で法要が行われるが、その後嵯峨野の各寺の檀家代表による野駆け(マラソン)大会が行われるのである。秋の収穫を前にした地域行事で運動会のようなモノか? 秋の一大イベントなのである。

 法要は庶民にとって退屈なものである、有り難いお経とは分かっていても、時間が長すぎてその間神妙な面持ちでいるのは耐えられないモノであった。それに比べ野掛け競争は応援も楽しいし、なにより勝った寺の檀家へは褒美が出るのである。春彼岸会は馬による早駆け=貴族、秋彼岸会は野駆け=庶民の大会である。

 夕餉ゆうげの給仕をしながら妻の雪乃が言った。

「野駆けに出る者はお決まりになりましたので?」

「ああ、今年も俊三の息子俊正に頼んでおいた、うちの檀家が毎年いかんのは分かっておるで、期待はしておらんよ」

「まあ淋しいことを、誰か有望な者をお鍛えになってはいかかでしょう?」

「そうではあるが、龍天寺(現天龍寺)の韋駄天・大輔がいる限りは勝てぬぞ!」

「そうでございますか、では諦めますか。そうでした峰子が伝えてくれと」

「峰子が? 何と」

「はい、今日屋敷に怪しい者が現れ捉えていると」

「怪しい者? どうしたのじゃ」

「何やら具合が悪いようで庫裏の北側の間に寝かせているとのこと、どう扱えばよいモノか貴方の判断を仰ぎたいとのことでございますよ」

「具合が悪い? ふむ、これが済めば行ってみよう」


 暗い板場の一間に高灯台が一本、近付いてもまともに顔が分からない。信之は薄い布一枚を被り起き上がることが出来なかった。 薬のおかげで頭痛は治まり寒気も無い、調子が悪い訳ではないが起き上がることが恐かったのである。

 起き上がればこの訳の分からない状態が続いてしまう、このまま眠ることが出来れば目が覚めた時いつもの日常に戻れると思ったのである。

 主の忠則が雪乃と峰子と共にやって来た、信之が危険性のある者で無いことは事前に峰子から聞いていたのである。

「これ、そこもと……、信之とやら……」

 信之は聞こえていたが返事はしなかった、一晩寝れば戻れる、一晩で悪い夢は終わると信じたかった、悪夢を継続させないため耳を塞いだ……。

「調子が悪いのか? ま、今宵はゆっくり休むがよい」

峰子を残して忠則と雪乃は下がった。

 信之は眠ろうとしたが眠れるはずがなかった、やがて尿意を模様した、我慢が出来なくなり起き上がると簾の向こうに峰子がいた。

「峰子さんですか?」

「はい、いかがなさいました?」

「トイレに行きたくなりました、トイレはどこでしょう?」

「と? と、とは……?」

「と、ああ何と言えば……オシッコですが」

 たまらず身振りで示した。峰子は少し笑って理解した。

「そこの桶で、明日わたくしが世話しますのでそのままに」

 部屋の隅に小さな木桶が置かれていたが、そんなもので出来る訳がない。慌てて部屋を飛び出し、庭の塀に向かって用を足した……。

「すみません、水をかけておきます、水は?」

「……信之さまはどちらのお方でしょう、どうもこの辺の方ではないような?」

「実は私も戸惑っています、ここは私の世界ではないのです」

「せかい? 難しい言葉を使われますね? 私も分からないことばかりです」

「峰子さん教えてください、聖徳太子は分かりますか? ええーっと、うまやど、うまやと…推古天皇、飛鳥、平城、平安…桓武天皇、宇多天皇、白河天皇……」

 知っている名前を並べ立てた。

「桓武帝は平安京の祖、今上の帝は一条帝が今年即位されたところです」

「一条帝? 平清盛は分かりますか?」

「たいら?きよもろ? わかりません」

「よし、だいたい分かったぞ、平安末期か? まだ貴族の世か?」

「信之さまはどちらの方でございましょう?」

「峰子さんよく聞いてください、人は一生を終え次の世代に時代を引き継ぎますね、ああ親から子供へずーっと繋いで行くものですよね?」

「……」

「私はその繋がったずーっと先から来てしまった様なのです」

「ずーっと先から?」

「そうとしか思えません、でも夜が明ければまた元の所に戻れると思います」

「……」

「だから明日いなくなっていても驚かないでくださいね」

 信之は話しているうちに気分が明るくなった、明日になれば戻れるとの思いを根拠もないのに信じたからである。

 気持ちが楽になると急に空腹に襲われた、朝菓子パンを食べただけで昼食を取っていなかったのである、リュックから菓子を取り出し食べようとする。

「お腹が空いているのですか?」

「はい、朝から何も食べていないので……」

「ほほほ、何か食せるモノをお持ちしましょう」

 と言って、昼間女中達が作っていた餅を三個持って来てくれた。

「ああ、これはありがとうございます。美味しそうなモチですね」

「秋の彼岸会にふるまうモノです、昼間作っていたでしょ?」

「ああそうでしたか、皆さんを驚かせてしまいすみませんでした」

「本当に驚いた、と言うか大変なコトですよ……」

 信之も大変なことになったと思い直した、根拠もなく明日になれば元に戻ると思っているが、もしそうでなかったら……。

 餅を食べて腹が落ち着くと、何か不安が消えた様で、目を閉じると同時に深い眠りに落ちた。

 


「あなた、起きてください!」

 聞きなれた妻の声がした……。


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