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子牛は想像とちょっと違った。

紗良がSNSで見かけて可愛いと思っていたのは、ほとんど生まれた直後だったらしい。

きゅるんとした目と、ピンクのお鼻だった記憶がある。


目の前にいるのは、茶色かったし、少し大きい。

よく考えたら、生まれたての子牛など、母牛の乳を飲んでいるに決まっている。

そんな子を、農耕牛しかいない農家が買ったとて、育てられないだろう。

現に、子牛君は、牧草ロールから豪快に草を引き抜いてはもりもり食べている。


「生後半年なんだ」

「そうさ」

「名前は?」

「名前? ないぞ」


そういうものか。

想像していた姿とは違ったが、子牛君もとても可愛い。

それは間違いない。

紗良は密かに、カステラ君、と名前を付けて心の中で呼ぶことにした。

背中が茶色く、お腹の辺りがちょっと黄色っぽかったので、ぴったりだ。

カステラ君は、まだ働き手ではない。

なので、その辺を駆け回って遊んでいる。

とりあえず写真を撮っておく。


「ごはんよぉ」


昼過ぎに来たのだけれど、当たり前のように食事に呼ばれた。

食卓に着くと、固いパンと、干した魚の入ったスープだった。

オーツ麦っぽい穀物と、芽キャベツっぽい野菜も入っている。

味付けは塩だけのようだが、パンに浸して食べるととても美味しい。

あとは、マチュー特製のソーセージを、焦げ目がつくほど焼いてあるもの。


「紗良ちゃん、暇ならアンナのところに遊びに行ったりしない?」

「暇です。何かお届け物でも?」

「ううん、それはないんだけど。ほら、あの子、友達いないから」


思わずスプーンが止まる。

親戚に、友達がいないってばれてるの、キビシイって。


「アンナは賢いからな」

「うふふ、そうそう」


紗良は再びスープを口に運ぶ。

良かった、ただの姪っ子自慢だった。


「賢いとちょっとばかり早く大人になるからな」

「そうそ、子どもでいられないなんてもったいないことだわ。でもほら、紗良ちゃんといると、あの子とっても楽しそうだから!」

「楽しそうだったなぁ」


確かに彼女は、いつも楽しそうだ。

内面は繊細で、そしてそのことを自覚している。

その上で本質が明るい。

すごいことだと思う。

だからこそこうして、周囲も彼女の奔放さが失われてゆくだろう未来を憂うのだろう。

大人になるということは、きっとそういうことだ。


「私も楽しいです。近いうちに遊びに行きますね」










森の河原へ帰り、ウッドデッキのキルトの上に寝ころぶ。

マチューとマリアは、姪っ子であるアンナについて時折ああして考えるのだろう。

二人には実は、息子がいると聞いた。

家を出て行ったらしいが、詳しい話は聞いていない。

なんにせよ、遠くにいても気にかけるのが血のつながりというものかもしれない。


久しぶりに、家族のことを思い出す。

あまり考えないようにはしているが、もはやこうなると、元気で楽しくやっている自分より、家族の方が気にかかる。

安否が分からない、いなくなった理由も分からない。

悲しい結果が届くより、喪失にけりをつけられないことのほうがつらいのではないか。

どうだろう。

分からない。


紗良はよっこらしょと起き上がり、よっこらしょってどういう意味だろう、と考えた。

それから、今日の夕食についても考える。

気持ちを切り替えるのはなかなか難しいが、別のことで頭をいっぱいにすることはたやすい。

マリアの作ってくれた、干した魚を戻したスープは美味しかった。


「干した魚かぁ。干し肉ほどはもたなそうだけど、いろんなところでつくられてそうではあるよね」


アンナに聞いてみよう。

彼女の家は、とても大きな商家だからね。













「こんにちは、アンナさんいますか?」


萌絵とは違って、アンナとはそう簡単に連絡がとれない。

いなかったら帰ればいいや、の精神で、マチュー達に言われた翌日、直接来てしまった。

案の定、門番さんは非常に困惑している。

しかし、反対側にいた別の門番さんが、紗良の顔を見おぼえていたようだった。


「ああ、これは魔法使い様。お嬢さんはおりますですよ。

 お時間がとれるか確認して参ります」

「ありがとうございます」


言われたとおりに門の外で待っていると、家の中からアンナが飛び出すようにこちらへ来るのが見えた。

後から、門番さんが追いかけてくる。

ちょっと笑っている。


「紗良さん! わあ、お久しぶりね、お変わりなさそうで良かった!」

「こんにちはアンナさん。いま大丈夫?」

「ええ、今日はこの後、何も予定はないの」

「良かった。実は、ちょっとまた遊びに来ようかと思って。それで、いつなら時間あるかなって」


アンナは、目を丸くした。


「予定を聞くためだけに来たっていうの? 規格外ね、あなたったら」

「そう?」

「三日後に中期の試験があるのよ、その後ならいつでも大歓迎。

 紗良さんがいつでもいいのなら、四日後にきてはどうかしら。

 両親には何かしら予定があるかもしれなけれど、関係ないわね、私のお客様だもの!」


彼女はちょっと真剣な顔になった。


「もしかして、両親に用事がある?」

「ふふっ、いいえ、ないよ。アンナさんに会いに来るので」

「そう! だったらいいわ、そうしましょう!」

「うん。じゃあ四日後に」

「あら待って待って、何かしたいことはある? 準備しておくわ」

「うーん、町を見て、買い物をしたいかな。主に……美味しいもの」


二人で顔を見合わせ、にやっとする。

それはいいわね、と彼女は言い、紗良は手を振って河原へと帰ってきた。





さてそれでは、お土産を用意しなくてはね。

今回の紗良には、とてもよい手持ちのカードがある。

自分で育てた野菜だ。

もちろん――苗まで育てたのはマチューだし、肥料もマチューのお手製だし、水やりの頻度や間引きの時期や、追肥の時期まで、マチューの助言があったわけだけれど。

それはそれ、実際に手をかけたのは紗良なので、紗良が育てたといって悪いことはないはずだ。

きっと。

多分。


「トマトとキュウリはそのまま持って行ってもいいかな。

 ショウガととうがらしは……どうしよう」


どちらも臭み消しに使うし、そのまま持って行っても喜ばれそうだ。


「あ、ジンジャーシロップにしよう」


まだ暑いし、炭酸で割って飲める。

寒い日が来れば、紅茶に入れてもいいだろう。


「そうしよう」


早速、鍋に水を張り、砂糖と蜂蜜を入れて火にかけておく。

それから、収穫したショウガをアルミホイルでごしごし洗い、残った皮ごと薄くスライスした。

少し煮詰まった鍋に、それを投入する。

ちょっと多めに作るつもりだ。

お土産用と、もちろん、自宅用。


隣に、別の大きな鍋で湯を沸かし、保存瓶を煮沸消毒しておく。

ショウガのほうは、5分をちょっと過ぎたくらいで火からおろすことにする。

もういい匂いがする。

アンナのところなら、ショウガごと美味しく使ってくれそうなので、濾さずにそのまま全部、保存瓶に入れた。

これで良し。


「……え、待って。これ、森の恵みに入る? 入らない?」


唐突に気づいたが、森の食べ物を持ち出すのは止められているのだった。


「砂糖と蜂蜜は日本のだし……苗はマチューのだよ?

 森の恵み、には入らないんじゃないかな……」


せっかく作ったので、持って行ってはいけないと言われたらちょっとつらい。

紗良は、願いを込めて、マニュアルノートを開いてみた。



******************************

 うーん、まあ……いいでしょう

******************************


不承不承、みたいな短い返事が書いてあった。

グレーゾーンというところだろうが、いいと言われたからもういいんだもんね。

紗良はノートを閉じると、お出かけに備えて準備を続けることにした。


パジャマは持って行かなくちゃ。

それとバス用品と洗面用具、基礎化粧品と、パンツと……。


うきうきしている自分に気づく。

以前は、ずっと森で暮らしていくと思っていた。

けれど今、友達に会いに行き、新しい何かに出会うことに心が浮き立っている。

家族のことを思い出しても泣かなくなったように、少しずつ、紗良にも変化が訪れているのだろう。

悪いことではない。

アンナも言っていた。


「私は変わることを恐れない、か」


紗良とて、その背景に、彼女の恵まれた環境があることくらい、今は分かる。

家族は仲が良く、自身には能力があり、お金にも師にも困らない。

でも、環境が全てではない。

誰もが彼女のように、強い心と清い決心を保てるわけではない。

そのこともまた、分かっている。

だからこそ、紗良はやはり、アンナを尊敬する。

そんな友達が出来たことで、ようやく、異世界に来たなんらかの意味が生まれた気がした。






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― 新着の感想 ―
≫予定を聞くためだけに来たっていうの? 電話やメール、メッセージツールあふれるこっちの世界からしたら 考えられないですよね。 もっとも電話だって1家1台普及したのって50年前位ですけど。 マチューと…
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