表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【2巻発売中】冒険しない私の異世界マニュアル  作者: 有沢ゆう


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

97/102

97

そろそろいいだろうか。

紗良は、目の前のダッチオーブンを、上からも下からも、中も蓋の裏も、全てをじっくり眺めまわした後に首をひねる。

モノリスの領民たちに教えられたとおり、火を入れて焼き、油を塗って焼き、また油を塗って焼いて、それを何度か繰り返した。

少し粉っぽかった表面が、すっかり艶を増している。

もういいだろう。

じっくり観察した結果、そう決めた。


手にしているのは、二次発酵まで済ませたパン生地だ。

部屋の、不明な仕組みで動いている家電のオーブンで焼くか、レンガで組んだパン窯で焼くか、迷っていたものだ。

そして思いついた。

ダッチオーブンでもいけるのでは?



紗良は急いで、焼き肉をする箱形のアレ、に炭を起こした。

せっかく足つきの鍋にしたので、直接埋める形にしよう。

鍋の中にオーブンシートを敷き、生地を入れようとしてまた迷う。

うーん、ちょっと不安だ。

焼き加減が分からないな。

まるっとひとつで焼いて、生焼けになったら嫌だ。

少し考えて、部屋に戻る。

パンカードで生地を四つに切ってそれぞれ丸めると、鍋に戻って底に並べた。

ちぎりパンなら、火も通りやすいだろう。

ナイスアイディア、私。


いい具合に焼けた炭の中に、鍋を入れ――入れようとしたが入らない。

やっぱり径が26㎝は大きかったか。


「どうしよう」


ファイヤーピットのほうも、口は広いが底はすぼまっていて狭い。

炭はかんかんに焼け始めているが、このままでは使えない。

こうしている間にも、パン生地の発酵が進んでしまう。


「どどどどうしよう」


あ、そうか、魔法だ。

こういう時にとっさに思いつくようになったら、異世界人として一人前になれるだろう。

保存(ノヴァ)をかけて、発酵を止める。

何も解決はしていないが、とりあえず、落ち着いて考えられるようになった。

いくつか手はある。

焼き肉をする箱形のアレ、のサイズアップバージョンを作る。

……二台になるのか、ちょっと要らないな。

ファイヤーピットに炭を詰めに詰め、底上げして面積を確保する。

……炭をぎゅうぎゅうに詰めるのは、おそらく危険。

パン窯にダッチオーブンごと入れて焼く。

……鍋いらなくない?


よし。

地面にかまどを作ろう。

向こうの世界では禁止らしいけれど、ここは異世界だ。

この言い訳、前も使った気がする。


紗良は、以前、鉱石を採取した場所に行き、一抱えほどの石を集め、運搬(アンゲスト)すると、そのまま円形に並べる。

場所は、ウッドデッキから川の方向に少しいったところ。

一応、山から遠い方がいいかな、という配慮だ。

底には小石が元々敷いてある。

そこに、焼けた炭を入れた。


「いい感じ」


足つきダッチオーブンを、円の中心を見極めつつ置く。

そして、火ばさみで拾った炭を、蓋の上にも置く。

保存(ノヴァ)を解いて、息をついた。

ちょっといろいろと予想外だったけれど、どうにかなった気がする。







「美味しい」


外がぱりぱり、中がもっちり、というのはあまりに使い古された表現だけれど、他に言いようがない。

このパンを焼くまでの苦労が味付けになった可能性は、ある。

それでも、大変に食感が良く、大変に香ばしい仕上がりだと言える。

満足度が高い。


「そうだ。お礼におすそ分けしよう」


紗良は鳥を飛ばした。

フィルが大聖堂にいることは、わずかに共有した魔力で分かる。

すぐに、金色の鳥が了解を伝えに飛んでくる。


「一緒に行きましょ」


紗良は、急いでパンを布巾で包み、紙袋に入れた。

そして鳥を指先にとまらせると、そのまま大聖堂へと跳んだ。






「こんにちは」

「まあ、いらっしゃい紗良様」


アニエスに迎えられ、さらに奥からフィルも出てくる。

金の鳥は、フィルの指先に移り、そのまま吸い込まれるように消えた。

二人に奥の居住スペースにお呼ばれし、小さな応接室に落ち着いた。

緑色の壁に、茶色い革張りのソファで、とても居心地が良い場所だ。


「これ、さっき焼いたんです。美味しかったから、おすそ分けです。

 ほら、フィルさんには、最近色々とお時間をとってもらってたから」

「気になさらずとも良いのです、それが私の仕事ですからね。

 しかし、お気持ちはありがたくいただきましょう」


ちぎりパンなので、四つに割って、口をつけたひとつは置いてきた。

なので、残りの三つが包まれた布を、テーブルの上で開く。


「まあ、いい匂い」

「そうでしょう! フィルさんに連れて行ってもらって、佐々木さんに買ってもらった鍋で焼いたんです」

「ああ、あの鉄鍋でですか。……うん、これは美味しい」

「ほんと、美味しい! 挽きたてなのかしら、いい小麦ですわね、どちらの?」


紗良は、嬉しくなった。


「はい、私の故郷の小麦です。国内シェア一位なんです、特産で」


そう言うと、なぜかアニエスが、うぐ、とパンをのどに詰まらせた。


「な、げほ、こきょ、げほ、これ、げほ」

「落ち着いて、アニエスさん、お茶を」


フィルに渡された紅茶を飲んで、ようやく落ち着いたようだ。


「こ、故郷というのは、いわゆる、異世界の?」

「え? ああ……そうですね」


紗良からみれば、異世界はこちらだ。

けれど、アニエスにとっては、向こうこそが異世界なのか。

ちょっと面白い。


「まあ……その、変な意味ではなく、大丈夫でしょうか神官長」

「ええ、大丈夫でしょう」

「即答ですわね。さては初めてではないのですね?」


フィルは、にっこり笑った。


「それは、体調的な意味でですか? それとも、倫理的な?」


紗良が聞いてみると、二人そろって肩をすくめる。

リアクションは貴族的なんだな。


「どんな意味でも、問題ありませんよ。この大聖堂に限っては」

「その勝ち誇り様からすると……すでに教皇様に話を通してらっしゃるとみましたわ」

「万事抜かりなく」


アニエスは、また、ぱくりとパンを食べた。

まるかじりではなく、手で小さくちぎって食べている。

実に上品だ。


「つまり……神官長様は、このような美味しいものを、しょっちゅう召し上がられていると、そういうことですか?」

「え」

「そういうことですよね」

「あ」

「なるほど」

「いえ、しかし」

「違うのですか?」

「違いませんが、しかしですね」

「ええ、私は聖なる森へは立ち入れませんからね、分かっておりますとも」


二人のやり取りの間、紗良はじっと息をひそめていた。

なんとなく、その方が良さそうだと本能が言っていた。

サンドイッチにしたわけでも、バターやジャムがついているわけでもないパンを、二人は黙々と食べた。

満足そうだ。

三つのうち二つが消え、そして最後の一つが、テーブルの真ん中に残された。

今しかない。

紗良は、さっとその一つを布巾で包むと、アニエスの前にぐいっと押し出す。


「私の分は部屋にあるので、よかったらどうぞ」

「あら、よろしいの?」

「はい。美味しそうに食べてくれたので」


アニエスは、可愛らしい仕草で小首をかしげると、ちょっと失礼、と出て行った。

そして、すぐに何かを手に戻ってくる。


「先週、父から届いたワインです。紗良様はお酒をたしなまれましたよね?」

「はい! たしなみます!」

「パンのお礼にお持ちくださいな」

「対価にしては高すぎませんか」

「いいえ、むしろ不足で申し訳ないほどです」


笑顔で差し出され、反射的に受け取ってしまった。

アンナのところで買ったよりも、さらに高級感がある。

ラベルが糊付けされていて、コルクもしっかり詰まった良いものだ。

この世界は本当に、狭い地域での格差が大きい。


「そういえば、マチュー氏のところで、子牛を飼い始めたようですよ」

「農作業用の牛を増やしたいって言ってましたけど……子牛?」

「大人の牛を運ぶのは骨が折れますからね。子牛のうちに買い求めて育てる方が安いのです」


紗良は急に、尻の辺りがそわそわしてきた。

子牛。

子牛かぁ。

あれは可愛い。

収穫時期で忙しいだろうからとしばらく遠慮していたけれど、ちょっと顔を見に行くくらいなら許されるだろうか。


「来週あたりは、フェルメンタル(とうもろこし)が終わって、ドルシス(さつまいも)の収穫前でしょう」

「じゃあ来週にします!」


紗良は、子牛は何が好きなのか、調べておくことにした。







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ