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「ということで、牛肉的なものを手に入れたいのですが」
お伺いをたててから、マニュアルノートを開く。
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〈狩りをする〉
近隣の地域で、牛肉またはそれに似た動物肉を常食する文化はありません。
ごくまれに、農耕牛の死亡時に入手することができます。
領地を越えれば、家畜として牛またはそれに似た動物を飼育し、出荷しているところがあります。
あなたは行ったことがないため、直接の転移はできません。
他に、狩猟という手段もあります。
推奨はしませんが、あなたの守護獣を同伴するならば悪くない手段でもあります。
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そして、牛肉のとれる動物と魔物がいくつか、絵で添えてある。
「守護獣?」
紗良は首をかしげる。
何のことだろう。
字面からすると、紗良を守ってくれているらしい。
あいにくと、心当たりがない。
もしかして、姿を見せず陰から見守ってくれているのだろうか?
「うーん……そんな気配、感じたことないけどな」
なんにしろ、近所ですぐに牛肉を手に入れることはできないらしい。
フィルに頼んで他の領地に買いに行くか、それとも狩りか。
「ここのところ、フィルさんに頼りっきりなんだよね」
ダッチオーブンの時もそうだし、先日の聖女お披露目会の時もそうだ。
もう少し、町や国に利益があることならともかく、『牛肉食べたい、買えるところに連れていけ』というのはなんとも図々しいではないか。
「狩り、かぁ」
よし、と紗良は頷き、たった今出来上がった分厚いホットケーキを持って、ウッドデッキに上がった。
「ヴィーちゃん、おやつだよ」
すでにうろうろしながら待っていたヴィーは、すぐさまフードボウルに顔を突っ込んで食べ始める。
紗良は、自分の皿をテーブルに置いて、猛然と口をもぐもぐしているヴィーの前に正座した。
「ねえねえヴィーちゃん、ちょっと森に入りたいんだけど、一緒に行かない?」
守護獣というのが何かは分からないが、紗良を守ってくれているといえば、まずまっさきにヴィーだ。
どこかで何かが見ているのだとしても、よそ者のいけすかない男の前に立ちはだかったのはヴィーだし、敵意のある獣を威嚇してくれたのもヴィー。
紗良にとっては、この魔物こそが守護獣だ。
「うまいこと牛が狩れたら、美味しいカレーが食べられるよ?」
ボウルをあっという間に空にしたヴィーは、ちらりと、テーブルに目を向ける。
ほかほかのホットケーキが二枚、皿に載っている。
「……一枚だよ!?」
仕方なく半分差し出すと、それも秒で消えた。
紗良は、慌てて、最後の一枚にフォークを入れる。
バター多め、シロップ少なめが好みだ。
この少しのしょっぱさが、じんわりと生地にしみて、甘さを引き立てている。
ヴィーは前脚で口元を綺麗にしたあと、しゅるんと黒猫の姿になった。
どうやら、付いてきてくれるらしい。
「ありがとねー、ヴィーちゃん。準備するから待ってね」
部屋でジーンズとスニーカー、長袖トレーナーに着替える。
ちょっと暑いけど、半袖は無防備すぎるだろう。
「よし、行こうか!」
いくつか上げてくれた候補から、生息地エリアが近い動物を選ぶ。
マニュアルノートに描かれている牛的なものの絵姿は、牛というよりもクマに近い。
四足歩行だが後ろ脚で立ち上がれそうな体つきをしている。
色は青。
いや群青色。
いや……なんかそんな色だ。
およそ動物の色とは思われないが、魔獣とは書かれていないので動物ではあるのだろう。
指定されているエリアへと、黙々と進む。
もちろん、紗良自身は風魔法で草木や虫を拒絶している。
ヴィーは何も気にしないようだ。
藪だろうが枝葉だろうがなんなら小さな木くらい、鼻歌混じりでなぎ倒していく。
もちろん歌ってはいないけれど。
「ひぃ……ちょっと、待って、は、はやい、ヴィー、ちょ……ひぃ」
紗良と比べれば、きっと歌っているだろう、というくらいの足取りということだ。
呼びかけるとちょっと振り返って止まるけれど、すぐにまたご機嫌でぐいぐい進んでしまう。
森が好きなのか。
好きなんだな、きっと。
「ちょ、待って、この辺だから! ヴィー、ストップ、ストーップ。
あー……見えなくなりました」
紗良の呼びかけをまるっきり無視して行ってしまった。
仕方ない。
到着した場所を、スマホで確認してみる。
大分、道なき道度が高かったこともあり、今まで足を踏み入れたことのないエリアのようだ。
「さて……どこにいるのかな」
ぐるりと見回してみる。
と、少し遠くの木の上に、大型の犬のような獣がいた。
牙が鋭く、あからさまに危険そうだ。
それは、紗良と目があった途端、木の幹を後ろ足で蹴って跳躍してきた。
やる気だ!
しかし、犬は紗良の数メートル手前で、何かに弾かれたように背後に飛ぶ。
紗良の安全地帯は常時発動だ。
そこまで歯をむき出した獣は、その壁の先に入れるはずもない。
犬は、まるで舌打ちでもしそうな表情で、再び素早く去って行った。
ふうと息をつく。
前方から、少し風が吹いた。
ちょっと開けたところがあるのかもしれない。
足を進めてみると、狭いが背の低い草地があった。
ヴィーの気配を感じるので、近くにいるらしい。
あてもないので、その気配を追ってみる。
「あ」
いた。
牛のようなもの。
いや、牛肉的なものがとれるクマのような何か。
あれを、あれすればいいわけか。
もちろん、魔法を使ってあれをするわけだが、確実なのは一番得意な風魔法だろうか。
薪を集めるために枝を切る要領だ。
よし。
あれなら詠唱もいらないし。
よし。
あれを、あれして、カレーパーティーだ。
「……」
よし。
やるぞ。
「……」
無理では?
紗良は、そろそろと後ずさって、距離を取った。
「いやー。あれをあれするのはちょっと無理かもしれない。
逆になんでいけると思ってここまで呑気に来たんだろう。
普通に狩って帰るつもりでいたの、なんだったの」
ぶつぶつ言いながら、さてどうしようかと考える。
やっぱり、フィルに頼るしかないか。
あるいは、ビーフカレーを諦めるか。
あれ、と気づく。
ヴィーの気配が一気に小さくなった。
もはや感じ取れるぎりぎりだ。
どうしたんだろう。
紗良は、ヴィーのいるらしい方へ進む。
その瞬間、大きな獣の咆哮がした。
心臓がぎゅっとなるような、日常ではありえない声に、立ちすくむ。
しかしそれも一瞬だった。
あっというまに静寂が訪れ、同時に、ヴィーの気配がぐっと濃くなる。
さっきより急いで、そちらに向かう。
なんと、ちょうどヴィーも、紗良の方に向かってきているところだった。
そして、こちらの姿を認めると、立ち止まって大きな鼻息を吐いた。
背後には、先ほどの群青色のクマ。
倒れて動く様子はない。
「わあ。ヴィーちゃんすごい」
本気で、心から感心した。
目の前に実際に見た獣は、どっしりといかにも重量があり、腕力も脚力も桁違いの迫力があった。
それを、ほぼ一瞬で?
しかも、気づかれないように気配を自分でコントロールしたようだ。
「すごいね、えらいねえ」
目を丸くして褒める紗良に、ヴィーはまた鼻から息をふすッと吐き、そしてしゅるんと猫になった。
「……え?」
そのまま、紗良の肩に駆け上ってくる。
この獣を運ぶ気はない。
そういうことか。
まあとどめをさしてもらった以上、運ぶくらいはしよう。
「半分こでいい? 半分くれる? 運ぶから。
カレーにするのよ。ヴィーも食べるでしょ?」
ぐらぐら揺れる紗良の肩にがっしりしがみついているヴィーは、なにやらうにゃうにゃと言った。
きっといいってことだろう。
紗良は、浮遊でクマを浮かせると、来た道をゆっくりと戻り始めた。
牛でもクマでもないのだが、もうクマでいいだろう。
ヴィーは器用に肩につかまったまま寝息を立てだす。
ここまで先導してきたのはヴィーなので、途中途中、スマホで方角を確認しつつ、河原までなんとか戻ってきた。
紗良は、寝ているヴィーを、ウッドデッキの人をダメにするソファにそっと乗せると、急いでクマを錬金窯でブロック肉にした。
ヴィーの思う半分こが、またも河原を血まみれにする方法だったら困るので。
「凄くいい肉だ……」
ローストビーフも作れそうだし、スープもいいものがとれそうだ。
牛タンもある。
肉質を確認した紗良は、感謝をこめて、黒猫の頭を人差し指で撫でた。
よし。
これでいつ萌絵が来ても良い。
大人しいクマ一匹も狩れないことを自覚した紗良は、魔獣に立ち向かっている萌絵を尊敬した。
怖くないはずがなく、喜んでやりたい仕事なわけもない。
けれどそれが、聖女の務めなんだろう。
「カレーはおかわり自由だからね」
好きなものを好きなだけ食べてもらうことが、紗良にできる唯一のことだと思った。




