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「なぜあのような嘘を?」
萌絵と教皇、そして王族だけが、神殿への直接転移が許されている。
魔力を補助する円陣が描かれた部屋を出て、自室へと向かった。
王子は真横をついてくる。
「嘘って?」
「とぼけるな。まるで私がとどめをさしたようだったではないか」
全く怒っているような口調ではないが、内容は萌絵を問い詰めるものだ。
確かに、萌絵は、国民をあざむいた。
本当は、王子の肩を乗り越えた萌絵が剣をもって魔獣にとどめを刺した。
「地上波ではカットが多めなものよ」
その場面を削って、前後をつないだだけだ。
「だって、聖女が魔獣を殺す場面なんて、とても見せられないでしょ?」
白いローブを無意識に撫でる。
無垢の象徴。
本当の聖女は、その手で獣の命を奪うのに、皮肉なものだ。
何か言いたそうだった王子は、三度ほど言葉を選びかけ、そして、結局やめたようだ。
「そうだな! しかし、私の人気が上がってしまうな!」
「いいじゃない」
「うむ、聖女殿も、私が人気者のほうがなにかと嬉しかろう!」
「はあ?」
王子の言葉を聞き流しながら、紗良にメッセージを打つ。
神殿へ、という誘いに、彼女は快い返事をくれた。
すぐに、入口の方からざわめきが伝わってくる。
紗良が到着すると、まっさきに報告が来るのだ。
「聖女様、半身様がおいでになりました」
「そう、私の部屋に通して」
しかし、王子が口を挟む。
「あ、私もお会いしてみたいのだ、私室は困る。入れてもらえないからな」
「会わせるなんて言ってませんけど?」
「はっは、忘れているようだが、私は王族だぞ!」
堂々と権力を主張する王子に渋い顔をしてみせた上で、仕方なく、応接室に場所を変える。
もちろん、萌絵たちも行き先を変更し、そちらへ向かった。
「あーっ、佐々木さん……すっごい素敵だった……!」
頬を赤くした紗良が、珍しく興奮した様子で入ってくる。
神官長も後ろについている。
「うんうん、花を降らせるのは恥ずかしいけど、あれならカッコいいといえる範囲だと我ながら思うわ」
「花を降らせるのも素敵だよ!」
「うん……そう、かな」
紗良からの賛辞を存分に浴びていたが、ついに、背中を指で突かれた。
「おい、紹介してくれないか」
まだ喋ってる途中でしょうが!と思ったが、一応王族なので、たてておくことにする。
「津和野さん、こちら、第一王子」
「あ、どうも……おう……おうじ?」
「お初にお目にかかる! ニルス・エル・リュイリエだ! ニルスと呼んでくれ!」
「あ、はい、では私のことは」
差し出された手を紗良が握ろうとした時、素早い一手がそれを叩き落した。
「呼べるわけがないでしょう! 殿下、おふざけも大概になさい!」
フィル・バイツェルは、どうやらぎりぎりで、紗良がファーストネームで呼ばれる事態を退けたらしい。
「あ、そうなんですね。王子様って呼ぶんですか?」
「殿下でよろしいです。王族が複数いらっしゃる場合は、第一王子殿下、と」
「そんな堅苦しい! せめてニルス様で!」
「……ではニルス王子で。殿下、こちらは津和野嬢です」
「はっは、知っている、紗良嬢と呼んでいいかな?」
「はい、どうぞどうぞ」
残念。
避けられず。
ソファに座り、お茶が出される。
王子がいるせいか、高級茶葉だ。
案の定、紗良はじっくり味わっている。
「ねえ佐々木さん」
「うん?」
「魔獣の討伐って、聖女の仕事なんだね」
大スペクタクルの興奮が収まると、やはり彼女はそこに気づいた。
「聖女の仕事は、国内の各領地を順番に巡って、お祈りをすることよ。
その途中で、魔獣で困ってまーす、っていうところがあれば、安全を確保する。
別に討伐が仕事じゃないわよ。
それに見たでしょ、私は最後にかっこよく祈るだけだもん」
「そっかー、そういえば、王子様が倒してましたね?」
「はっはっは、どうだった、素敵だったか!」
「はい、それはもう」
紗良は首をかしげる。
「王族って偉いのに、聖女のお仕事のお手伝いをするんですか?」
「もちろんだ! 聖女殿は異界から来た大事なお方。最大限お護りするのが王族の務めだ」
「はあ」
「だとすれば、国で最強の私がついてゆくのが一番だ! なあ聖女殿!」
「あー……はいはい」
もちろん、ニルスがついてくることに関しては、ひと悶着どころか、あらゆる部署を巻き込んでの大騒ぎだった。
最終的に許されたのは、やはり第二王子の存在が大きい。
賢く可愛らしいあの子は、十分なスペアだ、との判断だった。
そしてなにより。
ニルスが決して退かなかったこと。
「勇者みたいですね」
にこにこして、紗良が言う。
「お、そう思うか、紗良殿!」
「はい。本当に勇者なんですか?」
思わず口を出す。
「違うわよ。こっちには、勇者って存在はないみたい」
「へー、聖女はあるのにね」
「ね」
再び首をかしげる紗良。
「存在がないのに、知ってるの?」
「ああ、聖女殿が教えてくれたのだ! 勇者とは、パワーで敵をやっつける、人々の希望になる戦士だと!」
「ぱ、パワーだけじゃないと思いますけど。佐々木さんの中の勇者ってそんななの?」
萌絵は、紅茶を飲みほした。
「だってたいてい、剣士じゃない? 剣と魔法の世界っていうけど、勇者が魔法オンリーってことまずなくない?」
「あー。言われてみれば。やっぱりあれかな、腕力こそ男らしさ、みたいな?」
王子はそれを聞き、顔を輝かせた。
「うむ、やはりそれは私の仕事のようだ! 案ずるな聖女殿。私が、君の勇者になろう!」
「あー、はいはい」
それぞれがカップを空にして、頃合とみて立ち上がる。
「じゃあまた来るねー」
「あ、むしろ私が行こうかな。ひっさしぶりにカレー食べたい」
「あーいいね。来られるときは連絡して」
「美味いものは献上してくれてかまわんからな!」
「戯言は気にしなくていいわ、じゃあね津和野さん」
「あ、はい」
紗良と神官長は正門へと向かい、萌絵と王子は神殿の長い廊下を歩く。
「分かったよ。君は、彼女に知られたくなかったんだな」
剣をふるい、血にまみれ、魔獣を殺しに殺していることを。
萌絵は、白いローブを再び撫でた。
そして、黒い魔法使いスタイルだった紗良も思い出す。
まるで逆だ。
本当の自分は、無垢の白をまとうのではなく、黒を着るのがふさわしい。
何にも染まっていない白よりも、何にも染まらない黒をまとうべきだ。
「いつかは知られちゃうかもしれないけどね。今はまだ」
「大切な友なのだな」
「そんなんじゃないわよ。ただ、私には責任があるもの。彼女を呼んだ」
「それだけではあるまい」
萌絵は、私室の前で、くるりと王子に向き合った。
「いつまで付いてくるんです? 部屋には入れませんから、はい、お帰りはあちら」
「うむ。魔力が尽きて、城へ転移できん。送ってくれ!」
快活に笑うニルスにひとつため息をついて見せてから、萌絵は、転移室へと足を向けた。
**********
「あのー」
森へと転移した紗良は、少々興奮気味にフィルに尋ねた。
「聖女って、結婚出来るんですか? 身分は高いんですよね? じゃあ、王族とも結婚できますか?」
面食らったようなフィルは、珍しく少しつっかえるように答えた。
「え、ええ。双方が望めば可能です。王子も聖女も身分は近しく、互いに強要はできませんが、それが共通の希望ならできますよ」
「ほう、なるほど」
とたんににやにやしてしまった紗良の気持ちが、フィルは分からないようだ。
不可解な顔をしている。
「なぜそう思われたのです? お二人の間に、恋愛のような空気は感じませんでしたが」
「ええー! 何言ってるんですか、駄々洩れじゃないですか!」
「えっ、そんなばかな」
「やだー、フィルさんって、鈍感ですか?」
途端に、フィルは絶望したような顔をした。
「紗良様には言われたくありませんでした」
「え? なんですか?」
「いえ、何でもありません」
不服そうな様子だが、紗良はそれどころではない。
萌絵に訪れた恋の予感に、心が浮き立っている。
「なぜ、どこで、そう思われたのです?」
「全部ですよ。あと、プロポーズもしてましたよ」
「それはありえませんね」
「まあはっきりしたものじゃないですけど、ほら、佐々木さんの勇者になるって」
「ああ……それは言っていましたが」
紗良の知らないところで、魔獣と向き合うような生活をしていた萌絵に、大切な人が出来たのならいい。
それも王子様だ。
身分も権力もお金もある。
そしてなにより、心がある。
彼は言った。
萌絵の勇者になると。
パワーで敵をたおし、君の、希望になる、と。
「佐々木さんがカレー食べに来るとき、フィルさんも来ます?」
「あ、ええ、ぜひ」
「でも、王子様とのことを聞くのは禁止ですよ!
こういうのは、周りがせっつくとよくないんです!」
「はあ……」
ピンときていないフィルをしり目に、紗良は、今度はビーフカレーにしよう、と決めた。




