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白、というのは、やはりどの世界でも清楚を表すものらしい。
何ものにも染まっていないからだろうか。
萌絵は、いつにもまして真っ白なローブをまとい、馬車に乗っている。
以前紗良には愚痴ったことがある、乗り心地の悪い馬車だ。
遠出用に使っている自分の馬車は、改造して少しはましになっているが、王家から差し向けられたこの馬車も悪くはなかった。
座面のクッションは、表面の布が明らかに高価だ。
柔らかさも大事だが、触り心地も大切なんだな、などと思う。
「今日、紗良嬢が見に来るようですぞ」
軽い話題のように、向かい側に座っていた教皇が告げる。
萌絵は、ぼんやり外を見ていた体を、がばっと起こした。
「えっ! なんで!」
「神官長が教えたようだの」
「あいつ! よけいなことを!」
こぶしを握り締めると、教皇がほっほっと漫画のように笑う。
「良いではないですか、晴れ姿を見てもらえば」
「いやーっ、恥ずかしい!」
「これはこれは、異なことを。聖女のお披露目ですぞ、誰もが憧れますぞ」
「ガチ聖女の恩恵がある世界と、私達が育った世界の感覚を一緒にしないで!」
「はぁ……分かりませんの」
首をひねる教皇を無視し、萌絵はスマホを取り出した。
『今日来るの!?』
『あ、おはよう。うん、もう王都にきてるよー、楽しみ』
『なんでよぉぉ! 津和野さんなら分かるでしょ! 恥ずかしいじゃん!』
『え? なんで? なにが?』
とぼけるタイプではないので、紗良はどうやら、本気で楽しみにしているらしい。
「お嬢様だからか……?」
萌絵は異世界の住人だけでなく、紗良とも感覚が違うらしい。
だって。
ひらひらの真っ白いローブを着て、杖を持ち、塔の上から魔法を披露する。
「学芸会じゃん! あああああ思春期の妄想みたいで恥ずかしいぃぃぃ!」
馬車の中で悶える姿を、教皇はため息とともに無視することにしたらしい。
萌絵が、この世界の人間には思いもよらない反応をすること、理解できない言動をすることは、とっくに承知だ。
まーた始まった、ってなものだ。
「ほれほれ、もう着きますぞ」
神殿の外では敬語になる教皇が、止まった馬車から先に降りていく。
萌絵もその後に続き、地面に置かれたステップに足を載せるため、差し出された手を取る。
手の先にいるのは、爽やかを絵にかいたような男だ。
「今日も美しいな、聖女よ!」
「声が大きゅうございますわ王子殿下!」
耳元で出された声に負けないよう、怒鳴り返す。
何回注意してもボリューム調整がぶっこわれている筋肉男が、この国の第一王子だなんて、世も末だ。
「うんうん、元気で良いな! 今日は期待しているぞ!」
パーツだけは、王子様だ。
輝く金髪、濁りのない青い目、マントにブーツに房飾り。
そして、王子にあるまじき、胸に並べてつけられた勲章の数々。
「前回の討伐は共に参加できず残念だった。次は同行するぞ」
明るい笑顔で言われ、萌絵はやれやれと笑った。
声も大きい、すらりとした絵になる姿でもない、鍛え上げられたこの王子の体は、見せかけでもなかった。
「聖守護行列です、討伐ではありません」
萌絵の、一応の訂正に、王子は快活に笑う。
「そうだったそうだった、魔物払いの行列だ」
当然、本来なら王子がついてくるようなものではない。
彼の言う通り、聖女様の祝福行列の実態は、魔獣の討伐隊だ。
魔力と力、かっこ物理、でその地を清めるという意味では、まさに聖守護だが。
萌絵は、今頃は塔に運ばれているだろう、神剣のことを考えた。
神殿の奥に造られた鍛冶場、そこで鍛えられた剣のことだ。
一週間、刃を打つ間、ほぼ寝ずの体制で祈り続けた甲斐があったのか、かなりいい出来だと思う。
あれは女神のものであり、女神に捧げられるものだ。
しかし、すぐに萌絵の手元に戻ってくる。
聖剣ともいえるそれは、萌絵の武器だった。
魔獣を斬り殺すための武器だ。
「要は、勇者と聖女の役を、私ひとりにやらせてるってことよね」
思わず漏らした独り言に、塔に向かってエスコートしている王子が反応する。
「ユーシャ? ユーシャとはなんだ。聖女は君のことだ」
「あー、勇者の概念すらないのか。
勇者というのはですね……パワーで敵をやっつける、人々の希望になる戦士のことです」
「ふむ、つまり君のことだ」
「いやー、だからね、普通は、勇者と聖女は別にいるんですよ」
「そういうものか」
「そういうものです」
萌絵はそこに、私の世界では、という言わない言葉を含ませ、王子もまた、君の世界では、という言葉を飲み込む。
認識のすれ違いはどうしようもない。
だから、この世界の人々は、聖女のそこに触れずに生きるのだ。
左右に神官たちが居並び、深く腰を折っている。
その間を抜け、塔に入ると、王家の面々が待っていた。
「聖女殿。本日はよろしく頼む」
「心得ております」
「……で、お前は少し聖女殿から離れなさい」
王に真顔で注意された王子は、またも快活に笑う。
「まあまあ」
「答えになっておらぬ」
「お、そろそろ時間では?」
多数の深々としたため息があちこちで漏れ、萌絵はそのまま、王子にエスコートされ上へと上る。
後ろを王と王妃、そしてにこにこしている小さな第一王女、第二王子がついてくる。
「萌絵様、どんな魔法をお披露目なさるの?」
王女が待ちきれないように聞く。
「そうですねぇ、花でも降らせようと思っていますが、殿下のご希望はありますか?」
「まあ! あたくしのすきなので良いの?!」
「えー、まあ、お父様がお許しになれば」
「ならば、ならばね、どうぶつが見たいわ!」
ちらりと王を見ると、少し考えて、小さく頷かれた。
動物ならば問題ない、ということだろう。
「かしこまりました、王女殿下。きっと楽しいお披露目になりますわ」
身に着けた貴族の振る舞いで、萌絵はにっこりと笑った。
塔の上は広くバルコニーになっていて、そこに、全員が出る。
広場に集まった国民達は歓声をあげていて、この国が上手くいっていること、王家の運営がうまいことなされていることが感じられた。
そう。
この国は、良い国だ。
魔物さえいなければ。
王の言葉があり、そしていよいよ、萌絵が前に進み出る。
ふと思い出し、紗良の魔力を探す。
いた。
ものすごい前列の、ものすごい真ん中にいる。
どうやってとったの、S席じゃん。
いつもの魔法使いスタイルなのに、フードをはねのけて盛大に拍手している。
歌でも歌ってやろうかしら。
両手を広げる。
国民達は、どんなお披露目の大魔法が見られるのかと、静まり返ってかたずをのんだ。
萌絵はにやりとする。
そして――空に巨大な魔物を出現させた。
棘のある真っ黒なトカゲで、のぞく牙はびっしりと並び、とがったその先から血が滴っている。
広場は阿鼻叫喚の騒ぎになりかけた。
しかし、悲鳴よりはやく、空をおおわんばかりの巨大な魔物に、これまた通常では考えられない大きさの騎士が斬りかかった。
「げ、幻影……?」
さすがに度肝を抜かれた様子の第一王子が、ようやく気づいたように呟く。
同時に、広場の人々も気づいたようだ。
一瞬で消えた悲鳴の代わりに、騎士が硬く鋭い魔物の棘に斬りつける金属音が鳴り響く。
「しかも音付きですよ」
萌絵の言葉に、王が答えた。
「動物ってそういうことではない」
空では、続々と騎士が現れ、魔物に挑みかかっている。
しかし、劣勢である。
その魔物は、いうなればボス級だ。
萌絵が、三度目の討伐で出逢った巨大な魔物で、泣きながら剣をふるったのはいい思い出だ。
しかしまあ、少しくらい美化してもいいだろう。
押され始めた騎士に、国民達が声援を送りだした。
激しい攻撃に弾き飛ばされ、地面に転がる騎士。
そこに颯爽と登場したのは、第一王子だ。
悲鳴のような歓声が上がる。
意外に人気なのだ、この王子は。
圧倒的なパワーで魔物を押し返し、相手を弱らせていく。
騎士達との再びの連携で、とうとう魔物は、初めて一歩後退した。
その瞬間、かがむ王子。
彼の肩を踏み台に、魔物に向かって跳躍するのは、萌絵だ。
さっきよりも大きな歓声があがる。
聖女もなかなか人気らしい。
巨大な萌絵の幻影は、魔物の背中に飛び乗り、空中から杖を取り出した。
聞こえない呪文を唱えるそばから、杖と萌絵が淡く美しく光りだす。
その光が魔物を包む。
徐々に消滅していく魔物の体から飛び降りた萌絵は、微笑んで祈りを捧げた。
「はい、おしまい」
現実のほうの萌絵が腕をおろすと、全ての幻影がかききえた。
広場からはさらに一段、音量をあげた歓声が、怒涛のようにあがった。
テレビも映画もない世界では、なかなか刺激的なお披露目だったのではないだろうか。
「きゃーっ、きゃーっ、兄さま、兄さまかっこいいいいい!」
「どーん! ばきっ! 魔物をやっつける兄さま! すごい!」
小さな王女と弟王子は、大興奮だ。
「えー? 私はー?」
にやにやして聞くと、慌てたように揃って拍手を始めた。
「萌絵様もかっこいい! 空をとんだ!」
「まほうかっこいい!」
その間、王と王妃は、ひそひそと話し合いをしていた。
結論が出たのか、頷きあう。
「許可していたことにする」
「えっ。結論によっては怒られる可能性があった!」
「あたりまえである」
「えっ。ごめんなさい……」
王は、民の様子を眺めつつ、萌絵をたたえるスピーチをし、場を閉めた。
「みなが興奮しておる。外には出せん。このまま、バルコニーから神殿にお帰りになられるがいい」
萌絵としてもそれは願ったりかなったりだ。
もう馬車は嫌だった。
自分でもいい笑顔だと分かる顔で国民に手を振ると、分かりやすいように光の軌跡を残しつつ、萌絵は神殿へと転移した。
「便利でいいな、魔法は!」
なぜか、王子もついてきた。




