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「すみませんフィルさん、完全に私用なのに」
「聖女様に伺っております。頼っていただけて光栄ですよ」
フィルは今日も、絶好調に紗良に甘い。
ダッチオーブンを見に行く日取りも、いつでも良い、という返答しか来なかった。
仕方がないから、アニエスにこっそりと、都合の良さそうな日を聞いたほどだ。
遠方からの客がなく、定例の説教のない日を教えてもらい、こうして同行してもらっている。
行き先は、モノリスという領地だ。
王都と聖なる森のちょうど中間ほどにあり、その面積は広大だ。
しかし、人口は少ない。
領地のほとんどは山である。
うち、半分ほどが鉱山で、主に山砂鉄がとれるそうだ。
「産業を探していると佐々木さんが言ってましたよ?
鉱山があるなんて、それだけで産業なのでは?」
紗良の素朴な疑問に、フィルは、良い質問ですね、というような顔をする。
「確かに、良質の砂鉄が産出されます。
しかし、モノリスはどこからも遠いのです。
険しい山と広大な自然、渓谷すらある厳しい土地柄で、重量のある砂鉄を運ぶのが非常に難しい。
また、我が国はどちらかといえば鉄鋼業が盛んで、他に多くの鉱山を抱えています。
運搬に多大な労力と費用のかかる山に手をかける必要がないのです」
なるほど。
確かに、見回せばどの方向にも高い山がそびえている。
さぞかし領民も閉鎖的なのだろう。
「やあ! やあやあ、これはこれは!」
二十ほどの家が寄り集まっている集落に近づくと、途端に快活な声に迎えられた。
快活というか、でかい。
耳がキーンとなるような大声だ。
「魔法使い殿! 神官長様も!」
声に似つかわしい大男が、がっしりとフィルの手を掴み、上下に振る。
多分、握手。
驚きに固まっている紗良達だったが、天の助けのように優しい声が割って入った。
「村長、声」
その一言で、村長と呼ばれた大男は、さっと姿勢を正した。
声の主は、彼よりも大分年上の、そして大分小さい女性だった。
「ほほっ、息子が失礼いたしました。ようこそお二人とも。
教皇庁よりお話は伺っておりますわ、来ていただけて光栄です」
村長のお母様か。
彼女もまた、声量は普通だけれど、明るく楽しげだ。
どうやら、閉鎖的という紗良の予想は外れたらしい。
それを証明するように、村長の声に気づいた領民たちがわらわらと家から出てきたが、みな満面の笑みだ。
紗良とフィルは、引きずられるように村長の家に招かれた。
お茶と果物が出され、ひととおり萌絵への感謝を述べられる。
どうやら、萌絵本人はここまで来ていないようだ。
彼らにとっては、一生、顔を見ることもない雲上人ということで、代わりに紗良に感謝が押し寄せている。
神官長という立場も、本来は聖女と同じくらい、遠いはずだ。
しかし、フィルの人当たりが良いせいか、彼らが恐縮する様子はない。
製鉄は、いくつかの集落で分業制なのだそうだ。
山砂鉄を掘り出す採掘村、それを川下に流して砂鉄を採取する村、それをたたら場で製鉄する村など。
そして小ぢんまりしたここの集落は、それらの作業場から少し外れている。
とはいえ、やはり川を利用して製鉄を運んでこられる場所であるため、原料に事欠くわけではない。
今までは、いわゆるインゴットにして運び出したり、一部で農耕用具を作っていたそうだ。
頻繁に買うものではないし、販売先は近隣に限られる。
先細りは目に見えていた、というわけだ。
ただの鉄なら運んでもらえないが、聖女肝いりの便利商品なら、運送費をかけてもらえる。
マチューが木製の用具を大事に使っていたというのに、ここでは鉄製のそれが余っているんだな。
つくづく、輸送の大切さが分かる。
そして、萌絵のご注文のダッチオーブンというわけだ。
蓋のない鉄鍋はあったそうだが、密封に近いほどずれのない蓋つき鍋は作ったことがなかった。
村長は、出来るまでの苦労を身振り手振りをつけて語ってくれた。
やんわりとフィルが止めなければ、朝まで続いたかも。
「さあさ、工房にご案内しましょうね」
お母様に促され、みんなで移動する。
炉のある作業場の傍に、いくつも小屋が立っていた。
そのうちのひとつが、出来上がった作品の置き場所になっている。
「わあ、よくできていますね」
紗良は、思ったよりも日本の商品に似た鍋の形に驚いた。
萌絵はずいぶんとこだわったらしい。
18cmから28㎝くらいまでの幅で、いくつかのサイズがあった。
底が平らなものの他、数センチの足が三本、ついているものもある。
あれは、焚火に直接かけるためのものだろう。
蓋には、なぜか小さな、デフォルメされた猫のマークがついてた。
「かわいい」
「これは、ここの村で作ったというしるしなんですわ!」
「ああ、つまり、聖女マークってことですね」
「お、なるほど、うまいこと言いますなお嬢さん!」
コピーライト表示みたいなものか。
紗良は、26㎝の足つきのものをひとつ、もらうことにした。
代金は萌絵が支払い済みだそうだ。
「使い方とかレシピをつけて売ったらいいかもしれませんね」
「そうですね……しかし、字の読めるものがどれだけいるか」
「あー、そういう。じゃあまずはそういう層から広げていくしかないですね」
もちろん、そういう話も、萌絵が考えているに違いない。
紗良に絵心があれば、イラストの提供の一つもするのだけれど、あいにくとその手の才能に縁はない。
マニュアルノートくらい、絵が上手ければ……。
「そういえば、すみません、さきほどお茶うけに出していただいた果物」
「はいはいはい! ラウルスですか?」
「すごく美味しかったんですけど、売ってますか?」
「あいやー、あんなもん、山にいくらでもなってますわ! たんと持っていきなさい!」
ヤマモモだったが、聖なる森でとれるものよりも甘かった。
山沿いで寒暖差も大きいだろうし、気候のおかげかもしれない。
「いえいえ、お手を煩わせるわけには」
「はっはっは、こっちこそ、その辺のもんを売りつけるわけにはいかんですわ!」
豪快でもさすが村長、何も言わずとも、村人が数人走って抜けていった。
きっと、ヤマモモを集めるのだろう。
申し訳ないことをしてしまった。
そう思った通り、帰り際の紗良の手には、数種類の果物が山積みになった。
見たことのないものもあるが、後でマニュアルノートに聞こう。
「あのー、ちなみに、商品の価格を教えてもらえますか?」
村長の隣にいた、若そうな女性が、大きさごとの値段を教えてくれた。
紗良にも買えそうだったが、以前ノートに聞いたこちらの庶民の給金では、ちょっと難しそうだ。
売り先は、貴族なのだろうか。
貴族が、料理用品に興味を持つかな?
「そのための聖女印なのでしょう」
「考えを読むの、やめてください」
フィルに答えを言われ、顔が赤くなった。
「ま、また来ます、今度は買いに来るので」
村長に言って、にっこり微笑まれてから、紗良とフィルは教会へと帰った。
「アニエスさん、果物、どうですか?」
「まぁぁぁ、嬉しい」
花束と一緒で、やはりこの辺に、遠くの農作物は入ってこない。
だからもちろん、売り物ではない珍しい果物だって、見かけることはない。
アニエスと二人でいただきものを分け合った。
「フィルさんは?」
「いえ、私は領内のものでかまわないので」
「神官長様は、口に入ればなんでもいいのですわぁ」
貴族育ちにしては、食にこだわりがないらしい。
いや、だからこそ、なのかな?
「ところでちょっと確認したいんですけど」
紗良がふとそう口にすると、フィルがすかさず返した。
「他領の山に入るのは、許可さえとれば違法ではありませんが、賛成しかねます」
「えー! だから考え読むのやめてください! あとなんでですか!」
爆笑するアニエスを横目でにらみながら聞く。
「聖なる山は女神様の力がいかようにも及ぶ場所ですが、一般の山はそうではありません。
もちろん、紗良様の魔力があれば、それほど危険ではないでしょう。
しかし、絶対ではありませんからね」
「ヴィーがいても?」
「生態系を変えてしまうおつもりですか?」
ヴィーがいるから魚の来ない川を思い浮かべる。
反論の余地なしだ。
色んな山の、色んな収穫物が得られると思ったのに。
「神官長様か、あるいは信頼できる人間が一緒ならば、あるいは?」
「それは、まあ」
しぶしぶのフィル。
紗良は、この神官服を着こなした男と山歩きをする場面を思い浮かべた。
出会った頃の彼は、ごわごわのローブを着ていて、帯剣もしていた。
そのフィルなら、違和感はなかったけれど、今のとても偉いという人との山歩きは、ちょっと想像できない。
「検討します……」
紗良はすごすごと撤退した。