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例によってマリアの手料理をご馳走になり、紗良はご機嫌で河原へと帰ってきた。
10本の苗と、大きなむしろに山盛りの、畑の土も一緒だ。
どちらもマチューの手によるもの。
どう見積もっても、絶対に失敗しない園芸でしかない。
そこはかとなくプライドが刺激される気もしたが、すぐに忘れた。
ひょろひょろの大葉しか育てられない人間に、プライドなど分不相応だ。
謙虚であれ。
植物とはいえ、生き物をもらってきたので、今日のうちに土に植えてしまいたい。
そんな心づもりでコンテナに近づく。
そして、はたと考え込んだ。
「どうやってこの中から土を出そう……」
入れる時はよかった。
だって、土を詰めたビニール袋を逆さにして振るだけだったから。
けれど今年は、まずその去年の土を外に出さなければならない。
どうやって?
手で掘る?
頭をかすめたその考えを、秒で捨てる。
畑を耕そうとして、30分で腕と腰が死にかけた自分に、それが出来るとは思えない。
紗良だって成長している。
出来ないことは魔法を使おう、と、思考がだんだんとそうなってきた。
どの魔法を使うかは、ちょっと分からないけど。
とりあえず、運搬をかけてみた。
しかし、多少は持ち上がるものの、すぐにぼろぼろ零れ落ちてしまう。
要は、『一つの荷物』ならば運べはするものの、コンテナの中身は土だ。
とても一塊とはとらえられない。
「あっ、コンテナごと持ち上げたら?!」
そして森の入り口でひっくり返せばいい。
名案すぎる、とテンションが上がる。
が、ふと、コンテナをどうやって作ったか、思い出してみた。
レンガを積んで、モルタルで隙間を埋めくっつけた。
それだけ。
つまり、壁しか作っていない。
底がない。
「持ち上げられない……」
結局、紗良は錬金窯でスコップをつくり、黙々と土を掘りだした。
休みながら泣きながら掘ること、30分。
コンテナは四つあるが、そのうち二つは倉庫代わりで土は入れていなかった。
なので実質、二つ分を掘り返したことになる。
それでも、大きな浴槽サイズだと考えると、30分は早い方だろう。
【戦士】のレベルは、50から57に上がっている。
「握力がゼロになって手が震えてるんだけど……」
さてどうしよう。
このままもらってきた土を入れれば、来年、同じように掘り返さなければならない。
何かいい案はないかと、何気なく周囲を見回す。
目についたのは、マチューが土を載せてもたせてくれた、むしろのような敷物だ。
これをすっぽりとコンテナに入れ、そこに土を盛ればいいのでは?
出すときは、むしろごと持ち上げれば良い。
「天才すぎる」
紗良はすぐさま、家からピクニックシートを持ち出し、むしろの上の土を移し替える。
そしてむしろを錬金窯で複製して、コンテナに敷いた。
その上に、どさどさと土を入れる。
「天才すぎる!」
もう一度自分をほめると、気力が切れる前に、もらってきた苗を植えこんだ。
マチューに教えられたとおりに掌でぎゅっとおさえ、言われたとおりの量の水をやる。
苗は、青々としている。
最初は葉っぱにもたっぷりかけろと言われていたので、瑞々しくさえある。
もうまもなくくるだろう夏を予感させる景色だった。
「あ、ヴィーおかえり」
ふと気づくと、ヴィーがコンテナの向こう側で何かしていた。
覗き込んでみると、小山になって点在している、土山だ。
ヴィーはそれを、熱心に蹴散らしているのだった。
「しまった……かきだした土も何かに載せるんだったー!」
またこの土を、どこかに運んで捨ててこなければならない。
ちょっと泣きそうだ。
腕はぱんぱんだし、なにより気持ちが切れている。
一分ほどたっぷり考えた結果、紗良は、見なかったことにした。
目をそらし、ヴィーに向かって微笑む。
「さ。何か美味しいもの、たべようか!」
栄養ドリンクは、明日の元気の前借りだと聞いたことがある。
だとすれば、逃避は明日の自由の前借りということでいいのではないか。
きっとそう。
頑張ってほしい、明日の私。
握力ゼロなので、包丁を使う気が起きない。
紗良は、部屋からツナ缶とトマト缶を持ち出し、それをフライパンに空けて火を入れた。
隣で大鍋に湯を沸かし、パスタを投入する。
クツクツいいだしたフライパンに、チューブのにんにくと塩コショウ、顆粒コンソメ、鷹の爪を適当に入れる。
水分がなくなってきたら、最後に醤油をちょっと入れておわり。
茹で上がったパスタと混ぜ、盛り付けて出来上がりだ。
と思ったが、栄養が足りないかな、とちょっと考え、チーズをちぎって皿の上で追加で混ぜた。
少々残念な見た目になったが、もうこれ以上の作業は無理。
「ごはーん」
くるりと振り向いて叫んだが、ヴィーはとっくに、定位置で優雅にお待ちだった。
いただきますと同時にヴィーは食べ始めたが、紗良はまずビールを開け、今日の労働に乾杯した。
コンテナの上で揺れる緑の苗たちを眺めながらの一杯は、格別だ。
ふと思いついて、マニュアルノートをのぞいてみる。
にんまりした。
期待通り、そこには、マチューのくれた苗について描いてある。
トマト、キュウリ、水菜、とうがらし、ショウガ、そしてバジル。
もちろん、それっぽい特徴をもつこちらの野菜、ということだ。
相変わらず正式名称を覚える気はないので、知っている名前で呼ぶことにする。
もうひとつ、なんだか分からない野菜があった。
茎の太いほうれん草のような、しかし粘りのある野菜らしい。
健康に良さそうだ。
一番特徴が近そうな、つるむらさきの名前で呼ぶことにする。
「助かるな、ほんと。いつもありがとう」
満足の息をつきながら思わずそう言うと、ふいに、ページの下にカーソルが点滅し始めた。
おや、と注視する。
しかし、しばらくすると、何かを打ち出しそうだったはずのカーソルは消えてしまった。
何か言いたかったのかな。
いろいろ考えてやめた、というふうだった。
ノートの正体がなんであれ、あまり関わってはいけないということだろうか。
いや、ノートの存在そのものが、かなり紗良に関わっている気もするが。
「オフィシャルとプライベート、みたいな?」
仕事上の付き合いですから、みたいな?
そういうことだろうか。
考え込んでいたが、突如、がこんがこんと大きな音が鳴りだし、驚く。
ヴィーがフードボウルを鳴らしているのだ。
「びっくりしたじゃん、なに、どうしたの。
足りないの?
もうキッチンに立つ元気ないよ?」
しかし、ヴィーがじっと見つめているのは、紗良だ。
え、食べられる?
そう思ったが、よくよくさらに観察すると、視線は手元に向いていた。
「え。ビール? 飲むの? さすがにどうなの」
困惑したが、魔物をもりもり食べている相手に、アルコールごとき大したことではない気もする。
一応、新しいフードボウルを持ってきて、そこにしゅわしゅわとビールを注ぐ。
いさんで顔をつっこみ、チャッチャッと舌を鳴らして飲みだした。
「ほんとに飲むんだ。どう?」
おおよそ缶半分くらいを注いだが、全て飲み干された。
そして、黒い巨体は、鼻息を吐き出したあと、ごろんと横になる。
伸びている。
長い。
そしてそのまま、腹を半分見せる体勢で寝てしまった。
ふと思い浮かぶ。
ペットは飼い主に似るらしい、と。
紗良は目をそらし、ヴィーに取られた分、もう一本開けようとしていた予定をとりやめた。
先送りにした仕事として、放置された土の山を必死で片づけるのが翌日。
そして、むしろが腐食し、それごと持ち上げる『楽々土入れ替え計画』がご破算になるのは、来年のことである。