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冷蔵庫を開けた紗良は、首を傾げた。
この間採って来たリンゴが、なんだかしなっとしている。
レモンともども一個も消費していなかったから気づかなかったが、もしかしてというか当然というか、この世界のものは部屋に持ち込んでもリセットされないようだ。
ハーブ類は冷凍してしまったが、正解だったということだろう。
となるとやはり、冬ごもり用には保存食を作らなければならない。
植えるつもりだったものも、めんどくさくなって摘んでしまったから、また採りに行かないと。
とはいえ、まだ秋が始まるかどうかといったところだ。
森を探索する範囲を広げながら考えよう。
「あ」
紗良は、手を打った。
急いで、シンク下を漁ってみる。
取り出したのは、保存瓶だ。
以前、ザワークラウトに馬鹿みたいにはまって買いまくっていた時のもので、そこそこ大きい青い蓋の瓶。
天然酵母を作ろう。
パンだ。
パンが作れるかも。
開けっ放しのシンク下から、鍋も取り出す。
その鍋に水を入れて瓶を沈め、そのまま火にかけた。
それとは別に、朝食も作ることにした。
まだ見ぬパン熱が冷めやらぬまま、小麦粉を取り出す。
ボウルに出して塩を混ぜ、水を入れてこねつつ、オリーブオイルを追加して、さらにこねる。
丁度良い配合が手に取るように分かるのは、【料理】スキルのおかげだろう。
しばらく沸騰させた鍋の火を止め、ボウルにはラップをかけて、シャワーを浴びに行くことにした。
リセットされているから別に一生入らなくても良さそうだけれど、日本人にとってお風呂ってそういうものじゃないから。
ちゃんとドライヤーをかけ、珍しく寝ぐせのない髪でキッチンに戻り、煮沸消毒した瓶をつついてみる。
触れるくらい冷めたようだ。
冷蔵庫からリンゴを取り出し、二つほど、四つ割りに切った。
種も皮も全部そのまま、瓶に入れ、水を一杯に注ぐ。
ふちぎりぎりまで注いでから蓋を閉め、冷蔵庫に仕舞った。
一週間もあれば出来るだろう。
続いて、休ませておいたタネをボウルから取り出し、まるめて、打ち粉を少しふったまな板で丸く伸ばす。
生地を火にかけたフライパンで焼くと、いい匂いがしてきた。
チャパティとナンの中間のようなそれに、同じフライパンで追加で焼いたソーセージを挟み、マヨネーズとカレー粉であえた千切りキャベツを挟む。
コーヒーと共に抱え、外に出た。
今日もいい天気だ。
チェアに座って、朝食にする。
川面がきらきら光り、暑くなりそうな日差しも今はまだ爽やかな匂いがする。
それをかき消す香ばしいカレー粉の匂い。
パリッとしたソーセージと、焼き立てのチャパティもどきは、キャベツをしんなりさせて一体化している。
よし、今日は家庭菜園計画に手を付けよう。
ドアとかまどの中間地点あたり、草地を掘り返して、畑にするのだ。
「なんでだ……」
【戦士】のレベルは11になっている。
何もしていないが、体力を使えば伸びるらしい。
それに、【園芸】のレベルも8だ。
これは、森で採取をしたからだろう。
これらを合わせれば、畑づくりなんて余裕のはずだった。
なのに、なんだかとてもつらい。
普通に生きているうえでは使わない筋肉が悲鳴を上げている。
せっかく錬金釜で作ったクワも、もはや地面から50㎝ばかりしか上がらないのだ。
よし、やめよう。
紗良は、腰にぶらさげたタオルで汗をぬぐい、クワを投げ捨てた。
自由に生きられるというのに、なぜ好き好んで労働をしているんだ。
こんなの間違っている。
とりあえずまんべんなくレベルを上げたいという、受験戦争を潜り抜けてきた日本人的発想は、捨てなければならない。
「複製」
残して積んでおいたレンガを、さらに増やす。
思いついてノートを覗いてみると、紗良の考えを読んだらしく、新しいページが出来ていた。
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<新しい資材>
資材と資材の隙間を埋めてみましょう。
サステントを作ります。
材料はこれ!
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知らない名前だが、要はモルタルだろう。
さすがに新しい素材を採って来なければならないようで、地図を見ると、以前の採石場よりもやや遠いが、森の浅い位置にある。
紗良はブーツに履き替えて、使い古した、でもまだまだ使えるビニール袋を持って、採取場所に向かう。
一つは粘土質の土、もう一つは白っぽい色をしているので石灰岩かもしれない。
さらに二つほど、鉱石を採ってくる。
最後の方はちょっとふらついたが、前回ほどへとへとにはならなかった。
やはり、【戦士】のレベルが上がったからだろう。
採って来たものを、水と一緒に錬金釜に入れて、呪文を唱えた。
ぼっふん、という音と共に、何かが出来上がった。
覗いてみると、どろっとしたものが見える。
さてどうしよう。
紗良は少し考え、さっきまで使っていたビニール袋に移すことにした。
なんにでも使えるという信頼がすごい。
世界はビニールの発明によってきっと変わったに違いない。
とにかく材料はそろった。
レンガを魔法で運び、隙間にモルタルを挟みながら一列に並べる。
その上に、さらにモルタルを塗り付けた。
いや何か違う名前だったけれど、覚えていない。
日本でならモルタルにあたるのだから、それでいい。
同じように、二段、三段とレンガを積んでいき、それをぐるりと四方に作る。
最終的に、ちょっと大きめの浴槽のようなものが出来上がった。
とても大きなプランターといえる。
同じものを、四つ、田の字に並べて製作すると、一般家庭の菜園くらいの規模にはなった。
土を掘り返すのではなく、プランターの形にしたのは、季節ごとに中の土をまるごと入れ替えるつもりだからだ。
そうすれば、連作障害も起こらないし、土づくりもしやすい。
魔法がなければとてもやれるものではないが、指先一つでそれを可能にする力を、紗良は持っている。
力こそパワー。
さて問題は、中に入れる土と、植えるものだ。
まずひとつは、ハーブ類にしようと考えている。
先日の森探索で発見した数種類だ。
あれを、土ごと持ってくる。
元々育っている場所の土なら、アルカリがどうたらを調整する必要もないだろう。
そもそも、何にどういう土とか、知らないので調整しようがない。
残りはまた考えよう。
ふと時計を見ると、午後の2時を回っている。
道理でお腹が空いているわけだ。
山に入るのは後回しにして、何か食べておくことにした。
何にしようか、と考え始めて、ひらめいた。
紗良は、吸い寄せられるように部屋に駆け戻り、食パンとその他もろもろを持ち出した。
かまどに火を入れておく。
『自身がリセットされているのではないか』となった時から、ずっと考えていた。
それを実行に移す時だ。
持って来た食パンを一枚、調理台に置く。
そこにこんもりのせたのは、缶詰のあんこ。
そして、5mm幅で切り出したバターを四枚を、さらにあんこでサンドする。
二枚目のパンとともに、ホットサンドメーカーにぎゅっと挟み、かまどの網にセットした。
パンの水分が少し抜けていき、表面がカリッとしていくのが、感覚で分かる。
ありがとうスキル。
ありがとうレベル。
絶対に焦がしたくない、でも焼き足りないこともない、絶妙のタイミングで引き上げることができた。
切ろうか切るまいか迷ったが、これでもかと具を詰めたので、端がきっちり閉まっている方が良いだろうと、そのままかぶりつくことにする。
空いたかまどにやかんをかけてから、チェアに座り、一口。
いい音がする。
香ばしく焼けた表面から、柔らかい断面に歯が入ると、中から一気にあんこが溢れてきた。
温かい甘い香りに、バターの濃厚で独特な香りが混じり、幸せの味がした。
わずかなしょっぱさが、次の甘さを引き立てる。
「カロリー万歳、リセット万歳!」
紗良は叫び、ぺろりとあんバターサンドを平らげた。