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アンナの街のワインと果物を持ち帰ってきたときから、考えていることがあった。
今日はそれを実行に移すのだ。
以前、山菜を塩漬けにするのに使った瓶は、すでに中身を使い切っている。
空いたそれを、丁寧に洗って、煮沸消毒する。
「魔法でもできるんだろうけど……」
なんとなく、煮沸に絶対の信頼を置いているので、多少手間だがそちらを選んでしまった。
冷めた瓶に、一口大にカットした果物数種類と、はちみつ、シナモンを入れ、そこに赤ワインをどぼどぼと注ぐ。
そのまま、冷蔵庫に入れ、あとは何日か漬け込んでおくのだ。
日本ではできない。
度数が20度以下のアルコールに、穀類や果実を漬け込むことは違法だった。
しかし紗良はいまや、異世界の住人である。
好き放題だ。
チーズと違い、果物は季節によって出回るものが違うだろう。
夏になったらまた訪ねてみたい。
きっと新しい種類に出会えるに違いなかった。
満足して外に出ると、今日は少し曇り空だった。
かまどに火をおこし、お湯を沸かしてコーヒーを落とす。
それを飲みながら、紗良はマニュアルノートを開いた。
そしてにんまりする。
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〈食べられる野草まとめ〉
あなたが会得した知識をまとめました。
ただし、中にはこの辺りでは入手できない野草、山菜もあります。
それについては別途、地域別にまとめてあります。
参考にしてください。
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紗良なりに、『食べられる野草展』の内容を頭にいれようとはした。
しかし、大体は緑だし、大体はなじみのない名前がついている。
全部覚えるのは難しかったので、マニュアルノートに期待はしていたのだ。
思惑通り、相変わらずやけに上手い絵でまとめてくれた。
大変に助かる。
教会の主催だけあって、栄養のあるものの他、薬効のあるものも展示されていた。
ノートによれば、この聖なる森でもそれなりの種類が採れるようだ。
とはいえ、森の恵みを下げ渡すやりとりは、今のところとりやめになっている。
役に立てるのはまだ先だろう。
ノートを眺めていると森に入りたくなってくるが、空模様がいまいちな今日は、やめておいたほうが無難だろう。
じゃあ何をしようかな。
「せっかく果物もらったんだから、食べたいよね」
紗良は、よしと立ち上がった。
部屋から材料を持ち出して、キッチンに立つ。
横にある、出来たばかりの手作りの棚はまだすかすかだが、鍋や保存瓶がいくつか置いてある。
そこから蒸し器を出し、水を入れてかまどにセットしておいた。
さらに、小鍋に砂糖と水を入れ、その横に置く。
混ぜながら色がつくまで火にかけ、ほどよいところで火からおろしておいた。
「あ、忘れてた」
部屋に戻り、ごそごそ探して出してきた小さな耐熱ガラス容器6個に、小鍋からカラメルを分けて注いだ。
今度は、蒸し器の様子を見つつ、手元では、ボウルに卵を割り入れ、ときほぐす。
そこに砂糖と牛乳、バニラエッセンスを入れながら混ぜ、こしておく。
できた液体を、ガラス容器に静かに注ぎ、湯気の立つ蒸し器にセットした。
蒸しプリンは時間がかかるのだが、口当たりが柔らかいので、紗良はこちらのほうが好きだ。
時間がいくらでもある今だから出来るんだけどね。
そのまま、火加減を調整しつつ、40分ほどで出来上がり。
粗熱を取る間に、生クリームを泡立てた。
ふと思いついて、萌絵にメッセージを送ってみる。
『プリン食べに来ない?』
『行く』
『いつにする?』
『今から行く』
すごい速さで返信が来て、数分後には河原に例の光るドアが現れた。
「いらっしゃい。ごめん、まだ冷やしてないんだ……」
あまりにも早い到着で、待ったをかける暇すらなかった。
プリンは蒸し上がったばかりだから、冷蔵庫で休ませなければならない。
萌絵は、鍋のふたを開け、湯気の中のプリンを確認すると、うひょう、と小さく言った。
うひょう……?
「大丈夫、私がやる!」
笑み崩れた顔でそう言うと、まだ熱いプリンたちを浮遊させて作業台に取り出し、真剣な顔で何かをぶつぶつ呟き始めた。
そして数分で、よし、と満面の笑みで振り向く。
「詠唱するなんて珍しいね」
「急に冷やしたら、耐熱っていってもガラスだしやばそうじゃん。ガラス守りつつ最速で冷やしつつだから、ちょっと気を使った」
何だか分からないが、すごそうだ。
「ありがとう。ちょっと待っててね。
コーヒーと紅茶、どっちがいい?」
「私が淹れるよ。私はコーヒー。津和野さんは?」
「私も」
萌絵がやかんをかまどにかけるのを見つつ、部屋からデザート用の皿を二枚、出してくる。
そこにプリンをかぽっと出し、周りにアンナからもらった果物を飾り、生クリームでデコレーションする。
コンテナ栽培の最後の残りのミントをちょんと載せ、出来上がり。
「あれ、それ、ミルティルマ?」
「どれか分かんないけど、この間遊びに行った街で貰ったの」
「ブルーベリーみたいなやつよ。エドワード領の特産でしょう?」
「あ、そうなんだ。美味しいよね」
二人で向かい合って座り、いただきます、と手を合わせる。
「ああああ、甘い、美味しいいいいい」
「砂糖に砂糖かけて砂糖入り生クリームだもん、やばいよね」
「いいのよ、私、今日めっちゃくちゃ働いたから、これくらい許されるの」
「え、忙しかったの?」
「まあね。もう終わったけど」
果物の酸味と、プリンの甘味、交互にしばらく無言で食べる。
「そうだ、それこそ私も今、王都じゃないところにいたのよ。
そこでいろいろ探したの。ほら」
そう言うと、萌絵はまた小さく何かを呟いた。
そのとたん、ウッドデッキにごろごろと何かが出現する。
野菜だ。
根菜類や葉物野菜、いろいろ種類があり、とても新鮮そうだ。
さらにもう一つ、籠に入った魚も出てきた。
「待って、情報量多すぎる」
「見たことある野菜に似てるから、使えそうでしょう?」
「うんまあそれはそう。それはいいとして、どっから出したの?」
萌絵は、ふふん、という顔をした。
「収納魔法、みたいなやつよ。すごいでしょ」
「みたいなってなに!」
「ほら、ファンタジーのイメージだと、空間を広げて収納する、みたいな感じじゃない?」
「ああ、うん、空間魔法、とか言うよね」
「そういうんじゃないみたい。
物や人を、明らかに消してるのよね。消してる間、どこか行ってるみたい」
「こわい」
「多分、クラウド保存みたいな感じで、いったん女神様のところみたいな別の世界に行ってると思う」
「こわいこわい」
「だからね、覚えてないと取り戻せない」
「こわすぎ!」
魔法のバッグに入れて、手を突っ込むと中身が思い浮かぶ、みたいな仕組みではないらしい。
ほんとのクラウド保存じゃん。
唖然とする紗良に、しかし萌絵はふふっと笑った。
「でもさ、ほんとに女神さまの世界に行ってたらさ。女神様の横に、野菜とか魚とか積みあがってんの、面白くない?」
女神様とやらに会ったことはないけれど、なんとなく、白い衣の綺麗なお姉さんが思い浮かぶ。
その横に、じゃがいも。
「ふ、ふ、不敬だよ?」
「笑ってるじゃん」
「やめてよ!」
日本人のサガで、自分が信仰していなくても、誰かの神様を笑うのは抵抗がある。
あるにはある。
でも、思い浮かべたビジュアルに抗うことも難しい。
二人でにやにやしてしまう。
「津和野さんもそのうち使えるようになると思うよ」
「そうなったら便利だなぁ」
「めっちゃ便利だよ」
満足そうにコーヒーを飲む萌絵だが、確かに少し、疲れているような顔だ。
「夜ごはん食べてく?」
「ごちそうさまです! 持ってきた新じゃがを揚げて食べたいです」
「いいねえ。あとは魚と野菜でホイル焼きにしようか」
「お味噌汁も食べたい」
食べたいものを並べていると、萌絵の顔も少しずつ元気になっていくようだ。
分かる分かる、と紗良は内心で思う。
食べることは楽しい。
誰かとならば、なおさら。