81
「え、ほんとにここ?」
紗良は、送ってくれた兵士と、目の前の建物を見比べつつ、目を丸くした。
立派な門扉の向こうには、帯剣した護衛が立っていて、こちらを値踏みするように見ている。
今日の紗良は、フードマントにブーツの魔法使いスタイルだ。
見慣れない恰好だから、警戒されているのだろうか。
その彼らの後ろにあるのは、城とはいわずとも、ずいぶん大きな家だった。
ちょっとした旅館くらいはありそうで、敷地はさらに広い。
「はい、確かに。スーシェル商会会頭、ウォルト・スーシェル様のご自宅です」
「あ、そうなんですね……」
呆然としていると、兵士の後ろに立っていた人物が、声をかけてきた。
「知らなかったのかい、大きな商会をしているって」
フロー子爵の息子、ジルだ。
紗良の転移は使い勝手の良いものだが、行ったことのないところに行けないというのは、下位転移と同じ制限だ。
アンナの家は紗良の訪れたことのない場所だったため、フィルに相談したところ、フロー子爵を頼りましょうと提案されたのだ。
この場所は、子爵の領地に近く、馬車でも移動可能だと知っていたためだ。
子爵は二つ返事で、馬車を貸してくれた。
しかも、道案内に息子のジルをつけてくれまでした。
「え、息子さんも忙しいですよね?」
「魔法使い殿の案内が出来ないほどではありませんよ。
それに、私はまだ、諦めておりませんからね」
「何をですか……?」
などという会話の後、紗良の質問にいい笑顔を返し、ジルを呼びつけ、そして紗良は今ここにいるというわけだ。
街に入ってからは、ジルが近隣領地の領主の息子という立場を大いに使い、兵士の一人に道案内を頼むことができた。
「もし、門番殿。こちらの家人に取次ぎを頼みたい。
こちらは、サラ・ツワノ嬢だ」
気の良い兵士が、門扉の向こうにそう伝えると、護衛らしき二人は、ああと会得したような顔をする。
「伺っております。ようこそ、ツワノ様」
ガチャリと門が開き、笑顔で迎え入れられた。
では私はここで、と言う兵士に礼を言って別れ、ジルと共に敷地に馬車を乗り入れた。
正面玄関の前で降り、ノッカーを鳴らす前に、中からドアが開く。
「いらっしゃい紗良さん! 待ちかねていたわ、どうぞ入って!
あら、こちらは?
素敵な方ね、婚約者とか?」
「ううん、こちらはフロー子爵の息子さんだよ。ジルさん。
ここまで送ってくれたの」
「そうなのね!
どうやって来るのか、私はちっとも考えていなくて、お手紙を送った後にどうしようかって父と母に相談したのよ。
そしたら、魔法使い様なんだから、私たちが考えるよりずっといい方法でいらっしゃるよ、って。
本当にその通りだったわね!
ジル様もどうぞお入りになってくださいな!」
のんびりした人たちが多いこの世界で、アンナのおしゃべりは春の風のようだ。
正面から吹き付け、ネガティブな何もかもをさらっていく。
後に残るのは、心からこみ上げる笑顔だけ。
「あ、ああ、お誘いありがとう。嬉しいよ。
ただ、私はこちらの宿に泊まり、自由にこの街を見て歩きたいのだ。
紗良嬢、そなたを送り届ける任務もここまでとしよう。
私は私で、明日には領地に帰るつもりだ」
「あら、敵情視察、というわけね!」
いたずらっぽいアンナの声に、ジルは苦笑する。
「まあそうだな、いろいろと見たいものはある。
わが領地とは敵ではないが、今のところ、交易はないからな」
「わざわざ送ってもらってありがとうございました、ジルさん。
子爵にもお礼をお伝えください。
帰りにはまた寄りますね」
「それは両親も喜びます。ではまた」
そのまま、ジルは再び馬車に乗ってきた道を引き返していった。
さて、と改めて周囲を見回す。
玄関回りだけで、どこぞのホテルのようだ。
「すごいおうちね」
「そうね、とっても無駄の多い家だけれど、使用人を雇って綺麗な家に住むことが大事なのですって。
それが信用というものらしいわ」
「へええ」
手を引かれ、中に入る。
フィルの家もかなり大きかったが、ここはそれより小規模なものの、玄関ホールだけで紗良の部屋くらいある。
そして、フィルの家よりもかなり明るく、使われている家具も可愛らしいものが多い。
ホールには、執事らしき男性と、メイドが数人いた。
「遠いところをようこそいらっしゃいました。
お荷物を客室にお運びしておきます。
よろしければ、サンルームで奥方様とお茶などいかがでしょうか」
「ありがとうございます、お願いします。
ご当主夫人にも、ご挨拶させていただきます」
荷物の一部だけ手渡し、そのままアンナとともに奥へと案内される。
廊下も採光が考えられ、とても明るい。
「まあまあ、いらっしゃい、魔法使い様」
「初めまして、サラ・ツワノです。お招きいただきましてありがとうございます」
「ふふ、アンナのお友達は久しぶりだわ、どうぞ座って!
どんなお茶が好きかしら?
ミルクティーにする?
それとも、オランジェの香りがついたもの?」
うん、アンナのお母さんだ。
にこにこしていて、話しやすい空気をまとっている。
紗良が答える前に、アンナも話しかけてきた。
「ねえもしかして、その鞄の中は、マチューおじさんのソーセージじゃない?」
「あ、ごめん、匂いする?」
「するする! 持ってきてくれたのだったりするかしら!」
「うん、お土産だよ」
紗良は、メイドの女性にミルクティーを頼むと、足元のバッグを膝に乗せた。
「これはマチューお手製のソーセージ。
こっちは、マリアの縫ったリボンと、農場でとれた……名前は忘れた、野菜だよ。
あと、私が焼いたマフィン。プレーンと、こっちがアーモンド」
「うわぁ、すごい、全部素敵だわ!
ちょうどお茶の時間だもの、紗良さんのマフィン、食べてもいいかしら!」
「もちろん」
テーブルに並べた品は、メイドさんが丁寧に引き上げていき、リボンとマフィンだけ残された。
なんだか高そうな皿に取り分けられ、三人でおしゃべりしながら食べる。
といっても、9割は母娘で、紗良は相槌程度だけれど。
それでも、陽の差し込むサンルームで、お茶と甘いもので過ごす時間は楽しかった。
二時間ほどで執事がさり気なく割って入り、紗良は客室で休むことになった。
といっても、転移でフロー子爵家へ移動し、そこから馬車で一日半の移動だったから、特に疲れてはいない。
一応、フードだけ脱いで、軽くお湯で手足を洗わせてもらい、ベッドにごろりと横になる。
少しうとうとしたかなというところで、ドアがノックされた。
「はい」
「お疲れはいかがでしょう、当主が戻りまして、よろしければご夕食を一緒にと」
「もちろんです」
そういえば、と紗良は立ち止まった。
「あの、一応、晩餐用のドレスもあります。着替えたほうがいいですか?」
執事はにっこりと笑った。
「当家の主人一家は、気さくで気取らぬ身分でございます。どんなお召し物でも結構でございますよ」
平民、ということを、婉曲な表現で伝えてくれた。
ならば、と紗良は、脱ぎ捨ててあったマントをかぶり、執事の後について行く。
案内された食堂はやはり広かったが、テーブルは思ったより小さい。
家族が顔を突き合わせて食事ができるサイズだ。
そこに、紗良も混ぜてもらう。
「ようこそ紗良嬢」
アンナの父は、穏やかな顔つきの人だった。
フィルの父親もそうだったが、夫婦というのはバランスがとれるように出来ているものなのだろうか?
「マチュー義兄さんは元気かい?」
「はい、マリアと二人、元気ですよ。今は夏野菜用の畑をおこしています。
新しい牛を飼うかどうか、検討中ですね」
「三頭じゃ足りないのかい?」
「えっと、今いるのは二頭ですよ」
「そうか……私が訪問したのは、もう5年も前だ。いろいろと変わることもあるだろうな」
当主は首を振る。
「そうねえ、私も兄さんとお義姉さんには長いこと会っていないわ」
「なにしろ遠いからな。私もお前も、店を長くは離れられん。
アンナが聞かせてくれる近況でしばらくは我慢だな」
「そうよねえ。仕方ないわよねえ」
頬を押さえて首をかしげる夫人を尻目に、さっきから何か考え込んでいたアンナが、よしと頷いている。
「やっぱり、明日はカフェに行きましょう! ねえ、すっごく大きなトライフルを出すお店があるのよ!
二人か三人でようやく食べるそうよ。
でもほら、私ったら可哀そうなひとりぼっちの女の子じゃない?
だから絶対、紗良さんと行こうと思っていたの!」
「じゃあ、朝ご飯は抜いたほうが良さそうだね」
「まあ、いいアイディアだわ!
ねえロジャー、そういうことだから、私と紗良さんは朝はいらないから」
うきうきと執事に言いつけ、アンナはうっとりと両手を合わせた。
「すごく美味しいらしいの、楽しみだわ。
あとはね、行きたいところがあるの!
教会で『食べられる野草展』っていうのをやっているのよ、紗良さんどう、興味はあるかしら。
学校のお友達は、音楽会には行くけれど、教会の催し物には行かないのよね!」
なんですって?
食べられる野草展?
「そんなの」
「だめかしら……」
「行きたいに決まってる!」
この春は、食卓が豊かになる予感がする。
紗良は心からアンナに感謝をした。