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「それなら、苗をあげよう」
燻製が終わるまで、農場をぶらぶらと見せてもらっていた時のことだ。
去年、コンテナで色々育てたが、ひょろひょろだったことを相談した。
どうやって育てたのかを聞かれたので、土を掘ってきて種を植えたと答えると、そりゃあ難しいな、とのことだ。
どうやら、素人は種から育てるのは難度が高いらしい。
「苗からなら、初心者でもそれなりになるだろうさ。
わしが育てた苗だからな、丈夫だぞ?」
「いいの?」
「いいとも。
とはいえ、今から夏に向けてとなるとな、まだ種を植え付けたばっかりなのさ。
いい頃合いになったら取りに来るといい」
そう言いながら、納屋に戻る。
入口のすぐ外に燻製の木箱が置いてあるのだが、奥には育苗ポットが並べてあった。
「これはペリッラ、こっちがペトロゼリウム、フェルメンタル」
ひとつも分からない。
あとでマニュアルノートに聞いてみたいけど、それまで覚えていられる自信すらない。
まあ、何が育つか分からないのもおつなものだろう、ということにする。
「あっ、ねえ、燻製ってあと30分くらい?」
「ああ、そうだな」
「チーズ入れてもいい?」
「おういいぞ」
木箱を開けると、むわっと煙があがる。
これ、開けて良かったのかな。
思わずマチューの顔を見たが、にこにこしているばかりだ。
工房に頼んで、二口大くらいに切り分けてもらっていたチーズを、網の上に並べて置き、急いで扉を閉めた。
「それで何が出来るんだい?」
「知らないで、いいよって言ったのー?!」
「はっは、紗良はいつも面白いことを思いつくからねえ」
こだわりがないわけではなさそうだが、おおらかが過ぎる。
フィルも大概だが、マチューは輪をかけてお人好しのようだ。
「スモークチーズだよ。美味しいよ」
「そうかそうか、そりゃあいいな」
絶対分かってない!
そう思ったが、まあね、と言っておく。
あと30分は、マリアを手伝おうと、家の中に入ることにした。
マリアはいつもの通り、キッチンにいた。
何かを手に持っている。
「ああ紗良ちゃん、これほら、手紙だよ」
「え? えーと?」
「アンナよ」
「あー」
マチューの妹の子だという、あの元気一杯の女の子だ。
「まあわたしらは読めないんだけどね、配達の人がいい人でねえ、いつも読んで聞かせてくれるのよ」
「ああ、それはいいですね。
アンナさん、なんですって?」
「まずは元気だってことね。それは分かってるからいいんだけど」
思わず吹き出しそうになる。
確かに、自分もついさっき、彼女を元気な子として思い出していた。
「以前、紗良ちゃんをあの子の街にお誘いしたんですって?」
「そういえばそうですね、遊びに来てって」
「これね、アンナの住所。
来週から二週間、試験休みなんですって。
それで、良かったら紗良ちゃん、泊まりに来ませんかってことなのよ」
お泊りのお誘いだ。
それも、知らない街で。
「それは心惹かれますね」
「そう? 紗良ちゃんがいいなら、遊びに行ってやってくれない?
あの子、平民で学校に行ってるもんだから、あちこち軋轢があって微妙な立場なのよ。
ま、本人は気にしちゃいないみたいだけどね」
確かに、学校では平民扱いをされ、平民の友達からは距離を置かれている、と本人も言っていた。
「お邪魔でなければぜひ」
「そうかい、行ってくれるかい。
義妹のとこはそこそこ大きい商家みたいだからね、居心地は悪くないと思うよ」
その言い方がふと気になった。
「マリアは行ったことがないの?」
「あるわけないさ。遠いし、家も農場も牛も、放っておけないからね」
「そっか」
「だから、どんなだったか、話に来ておくれよ。マチューも妹の様子が気になるだろうし」
なるほど、この世界で、旅行は一般的ではないようだ。
それこそ、貴族の遊び、なのだろう。
移動は徒歩か馬車だし、体力も必要だ。
学生で、かつ商家の娘だというアンナだからこそ、ごくたまにここまで来てくれるということか。
「うん、じゃあちょっとお邪魔しようかな」
「そりゃあ良かった。
それじゃ、これ、アンナの住所の紙、渡しておくわね」
受け取ってみると、来週からの日付が書いてあり、その期間ならいつ来てもらっても構わないとのことだ。
具体的な場所や、移動方法は、領主様にでも聞いてくれ、と追記してある。
気軽に言ってくれるが、あの領主に借りは作りたくない。
良い長だとは思うが、『聖女の半身様』である紗良への期待値が高すぎる。
「よろしくお願いね」
そう言いながら、メモ用紙をマニュアルノートに挟み込んでおく。
答えがあるといいけれど。
「おーい、出来たぞー」
ちょうど、燻製も頃合いのようだ。
ほら、と、籠に山盛りのソーセージと、網のまま運ばれてきたチーズには、暴力的にいい匂いがする。
「食べよう」
「食べよう!」
三人は、飲み物とフォークをばたばたと準備し、テーブルに着くと、それぞれの神に祈りを捧げた。
河原に転移すると、夕日で真っ赤になった景色の中、ウッドデッキには二つのシルエットがあった。
逆光で黒く、けれど、その大きさと形ですぐに分かる。
「ただいまヴィー、いらっしゃいとういちろうさん」
二匹は、少し離れた位置で、それぞれ腹ばいになって紗良を待っていた。
すでに両方とも、鼻がすぴすぴと動いている。
スモークの香りは、紙袋を通しても届くらしい。
「私が作ったんだよ。半分くらい」
肉や調味料の配合はマチューなので、正確には半分ですらないが、とりあえず自慢げに言ってみる。
二匹は分かっているのかいないのか、立ち上がって紗良を出迎えてくれた。
「沢山もらってきたから、今日はそのままお食べ。
半分は、今度何か作ろう」
ピザもいいし、ナポリタンもいい。
煮込みとか、パイとか、ポトフとか。
さすがに全部作るほどはないか。
なくなったら、今度は自分でいちから作ってみるのもいい。
手を洗い、フードボウルを取り出す。
ソーセージとスモークチーズを盛り付け、どうぞと差し出すと、仲良く食べ始めた。
いや、仲が良いというのは、紗良の希望だけれど。
紗良も、ビールを取ってきて、こちらはちびちびとチーズを齧りながら飲んだ。
夕日は徐々に沈み、太陽は姿を消したが、まだぼんやりと明るい。
陽が長くなった。
紗良が迎える、二度目の春だ。
向こうでは、春は挑戦の季節だった。
新しいことを始めよう、という気持ちにさせた。
なにせ、新生活の季節でもあったから。
「新しくはないけど、【裁縫】スキルを上げたいよね。
あとは、配送業で民間のお仕事が増えるといいんだけど」
今はほぼ、国のお仕事ばかりで、経営しているとはとても言い切れない。
とはいえ、その辺は萌絵が考えているのだろう。
それこそ、今はまだ国を通した仕事の方が安全だ、という判断に違いない。
「あとは、散策の範囲を広げて、食べ物の種類を増やしたいし。
寒さがゆるんだから、海も見に行ければいいよね」
どれも現実味があると思う。
紗良は出来ない目標を掲げるタイプではないので、順当なところだろう。
ヴィーもとういちろうさんも、揃って寝ころび、グルーミングに余念がない。
どちらも泊っていくつもりのようだ。
少し気温が下がってきたので、床暖を入れる。
エアカーテンも張って、風が吹き付けないようにしておいた。
これで、風邪もひかないだろう。
「……魔物って風邪ひくのかな」
明日の朝、ヴィーが鼻水を垂らしていたら、癒してあげることにしよう。