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薪拾いをする範囲から、初めてさらに奥へ足を踏み入れる。

足元は、ブーツの丈くらいまでの草むらだが、歩きにくくはなかった。

濃い緑の匂いは、日本では嗅いだことがないほどだ。


スマホのマップが機能するエリア以上は行くつもりがないので、こまめにチェックしながら歩く。

鳥の声はするが、獣の気配はなく、ジャングルというよりは高原の森林といった雰囲気だ。



マップ上の、部屋の位置と自分の位置が少しずつ離れていくのが少し不安だが、20分ほど歩き続けた。

平地ではないし、2kmは来ていないだろう。


「あ、……クルミ?」


見つけたのは、地面に落ちている木の実だ。

クルミっぽい。

日本のそれよりも少し大きい気がする。


マニュアルノートを開いてみると、新たなページが出来ていた。



*******************************


<食べられる木の実や野草>


ここは、元の世界とは様々な点で似ていますが、異なる世界です。

新しい生態系を知り、新しい知識を増やして行きましょう。


*食べられる種類を覚えよう


*******************************






ノートには、いくつかの果物や木、草の種類が描かれている。

いつも思うが、やたらと絵が上手いな。



どうやら、手に取った木の実は食べられるらしい。

長ったらしい名前がついていたが、説明文のその特徴はどう見てもクルミなので、紗良は勝手にクルミと呼ぶことにした。

そもそも、呪文(スペル)を覚えるだけでも大変なのに、誰と共有するわけでもないものの名前など、覚える暇などない。

クルミを20個ばかり拾い、得意のビニール袋に入れて、ザックにしまう。



さらに足を進めると、柑橘系の見た目をした果物が群生している。

例によって、これはレモンと呼ぶことにした。

役に立ちそうなので沢山採りたかったが、結構重いので、5個で我慢しておく。



さらに進むと、リンゴのような実も発見した。

リンゴよりもいびつで、だいぶ小さいが、ノートによれば食べられるという。

これも5個で我慢だ。



そろそろ方向を変えよう。

ザックからミネラルウォーターのペットボトルを出し、水分補給してから、そう決めた。

河原から真っ直ぐ北に入って来たので、東に進路をとることにする。

しばらく行ったら今度は南に進むつもりだ。

そうすれば、部屋からあまり離れることなく、ある程度の範囲を捜索出来る。



「暑いな……」


長袖をめくりたいが、葛藤の末、我慢することにした。

さっきから見えないふりをしているが、そこそこ虫が目に付く。

世界で一番人を殺しているのは蚊だとも言うし、用心に越したことはない。



東側は、少しずつ低木が増えてきている。

そのせいか、陽が当たりやすいらしく、様々な野草が生えていた。

ノートと見比べながら、ハーブ類をいくつか採取した。


途中、少し考えて、根っこごと掘り出してみる。

もしかして、植えられないかな。


可能なら、家庭菜園程度の畑を作りたかった。

慣れなければいけないとはいえ、やはり山に入るのは怖いし、億劫だ。



ザックの8割がたが成果で埋まるあたりで、急に足元が悪くなった。

草というよりは藪といった様子で、背丈を越える雑草で視界も確保できないため、ここで引き返すことにした。

初めての探索だし、無理は禁物だろう。




南へ向けるつもりだった足を、まっすぐドアのある河原へ向ける。

四角形を描くつもりだったルートを、三角形に変えた形だ。



木の実のようなものはいくつかあったが、山菜は見当たらない。

やはり季節的なものかもしれない。

冬ごもりの準備が必要だと、身に迫って感じる。



マップを確認しながら河原近くまで戻って来たが、何気にステータスアプリを確認すると、【戦士】と【賢者】のレベルが上がっていた。

どういう仕組みだ。


【戦士】は体力だろうが、【賢者】は?


「あ、知識か?」


この世界の知識が増えたからだろうか。

今日の行動を思えば、その可能性が一番高い。

【魔法使い】のように、魔法を使えば使うほどレベルが上がる仕組みなら、毒にあたりまくって解毒しまくらないと【賢者】のレベルが上がらないことになってしまう。

自ら蛇に噛まれにいこうかどうしようか、いや絶対無理、などと葛藤していたので、これは都合がいい。





ドアは、あった。

良かった。


河原に帰り着き、戦利品をとりあえずドア近くの草地に出してみる。

下手に部屋に持ち込むと、虫が発生しそうだし、ビニール袋から出すだけでちょっと並べて置く。

リンゴとレモンだけは、後で冷蔵庫に入れておこう。




それから、ペットボトルの残りを飲み干しつつ、ノートを確認する。

使える呪文がいくつか増えていた。

【賢者】スキルらしいものもある。

紗良は、鍵を開けて部屋に戻って、脱いだものを洗濯機に入れ、シャワーを浴びた。


「ぎょえええええ」


自分でも気づかないような細かい切り傷が、いくつか出来ている。

シャンプーが沁みて、悲鳴が出た。

手足にもあるようで、身体を洗うのが一苦労だった。


本当はその場で新しい魔法を試してみたかったが、シャワー浴びたさが先に立ち、呪文(スペル)を覚えていなかった。

適当に体を拭き、裸のままでノートを手繰り寄せ、


「うう、これ、ええと……治癒(アウロラ)


そう言うと、今までとは違い、明らかに身体がほのかに光った。

ほんの弱い光だが、驚いて少し固まった。


生活感しかない自室で起こる不思議現象の、違和感たるや。


確認すると、手足の切り傷はすっかり癒えている。

リセット機能に頼れば、明日の朝まで残ったままだっただろう。

便利だ。


「しまった、外でやればよかった」


これではレベルに貢献しない。

まあ、真っ裸で悔やむようなことでもないか。







紗良は、パジャマ代わりの着古したワンピースに着替え、冷蔵庫を漁って外に出た。

材料を、自作の木のテーブルに載せて戻り、今日の戦利品の中からクルミを取ってくる。

ついでに、残った木材を放置してある横の、金槌も一緒に抱えて、石のテーブルに載せた。


金槌でクルミの固い殻を割ると、中はぎゅっと詰まっている。

ほじくりだした実はやはり少し油ッ気があり、クルミそのものだ。

三つ分くらい取り出しておく。


コンロを掃いて綺麗にし、新たにたき火をセットする。


「使ったらすぐ片付けるべきだよねほんとは」


分かっているけど、一人きりだとどうしても、後回しにしていいものはすぐ手を付ける気になれない。

火をつけ、部屋まで戻って、紙パックのハウスワインを北欧キャラのついたコップに注ぐ。

フライパンも忘れずに。

毎回取りに来るの、面倒だな。


クルミをフライパンで煎って、カリカリになったところで、包丁で刻む。

それを端によけ、そのまま、沢庵を同じくらいの大きさに刻む。


ボウルに入れて置いておいたのは、クリームチーズだ。

少し柔らかくなっているところに、クルミと沢庵を入れ、ゴムベラで混ぜた。

しっかり混ぜたら、ラップに落とし、円筒形に包んで形を整える。


本当はスライスするのかもしれないが、面倒なので、そのまま石のテーブルに運ぶと、スプーンですくって口に入れた。

チェアに座ってもぐもぐやりながら、コップワインを飲む。

沢庵もクルミもチーズも、全く別方向の味なのに、一緒に食べると絶妙に香りが立つ。

どの素材も混じる気配はなく、なのに反発もせず、心地よい歯ごたえを残した。


「パンにつけて食べたい……」


紗良はパンが好きだ。

ごはんも好きだが、パンはもっと好きだ。

特に、ハード系のものが好きで、甘いパンはあまり好みではない。

高級パンとかいう角食も、母親が送ってくるから食べていたが、甘くて驚いた。


いま部屋にあるのは、スーパーで買った148円也の6枚切り食パンだけだ。

美味しいけど。

深夜ドラマで主人公の男の人が言っていた、『パンだけは一度レベルを上げると戻れない』というセリフに、深く肯いたものだ。


強力粉はあるのだが、あいにくとドライイーストを切らしているので、作ることも出来ない。

やっぱり横着せずに買っておけば良かった。




最後の夜を思い出す。

日本での、最後の日のことだ。

その日の紗良は少し落ち込んでいて、それで、買い物をさぼった。

何もせずに家に帰って、寝てしまおうと思ったのだ。


あの日、ちゃんといつも通りにスーパーに寄っていたら、もっと冷蔵庫も充実していたかもしれないのに。




そこまで考えて、やめた。

日本のことを思い出すと、じんわりとした不安感に襲われる。

もう戻れないとノートは言うが、本当か?

今、家族はどうなっているの?

本当に、このまま一生ここで暮らすの?



ワインを飲んで、それら全ての疑問を胸に押し込む。



紗良は、部屋からカップラーメンを持ってきて、お湯を沸かし始めた。

外で食べるカップラーメン。

いいじゃん。


ジャンクな匂いと味を久しぶりに堪能し、満足して一日を終えた。







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