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室温に戻したバターを練り、そこに砂糖と卵黄を加える。
馴染んだら、ふるった薄力粉と、今日はそこにシナモンとカルダモン、それからジンジャーのパウダーを加えて混ぜた。
すでにいい香りがする。
まとまりが良くなるまで混ぜたら、ラップに包んでころころと円筒形にして、冷蔵庫へインだ。
いつもの二倍量で作ったのは、半分は自分用、残り半分はマチューへのお土産にするためだった。
三月に入り、暖かい日が続いている。
このまま春になるのではないかとさえ思うが、きっとそうはいかないだろう。
寒い朝がきたら、マチューのところへ行く。
そして、一緒にソーセージをつくるのだ。
「ソーセージってことは……燻製よね。チーズをもっていこうかしら。あとゆでたまごと……」
どうやって燻すのか分からないが、一緒に入れてもらえばスモークチーズとくんたまになる。
本当はいぶりがっこも作りたいが、詳しいレシピが分からない。
大根を干すのは分かる。
そこから漬けたものを燻製にするのか?
燻製にしてから漬けるのか?
「そもそも何で漬けるんだろ。塩? 糠? 分からなすぎる」
ちょっとハードルが高い。
残念だが、こちらで似たようなものを見つける方が安全だろう。
とりあえず、いずれも今日ではない。
朝から思い立ってスパイスクッキーを作ったので、時間はまだ午前中だ。
時計を見上げてから、外に出る。
実は朝一番にすでに気温は確かめているので、保温はかけない。
少しだけぬるい空気が、春の匂いを含んでいる。
ぐっと伸びると、爽やかな……ような埃っぽいような。
まだまだ湿度は低く、乾いているのだろう。
「花粉症じゃなくて良かったな」
森で暮らしているのだから、もしそうなら致命傷だった。
ただ、故郷は花粉の飛散が少なかったから、逆に言えば耐性がないともいえる。
「リセットがあるうちは大丈夫だよね」
異世界という場所で最も恐ろしいのは、未知の病原体だろう。
その点、リセットと、さらに治癒が使える紗良は心配がない。
でも、アレルギーについてはどうだろう。
感染症とは違う仕組みだし、そういうのって治癒でなんとかなるものだろうか。
一介の大学生には謎すぎる。
「あらヴィー、来たの」
ざざっと茂みから飛び出してきた黒い魔物から、ふぁさっと毛が舞って、太陽光にきらめいている。
それを見て、猫アレルギーじゃないのも良かった、と思った。
習慣になった浄化をかけると、ヴィーもまた慣れた足取りでウッドデッキに乗る。
まだキルトが敷いてあるので、クッションではなく床のど真ん中にどてんと横になっている。
こころなしかお腹がぽっこりしている気がしないでもない。
口元は何かを反芻するようにもごもごと動いている。
多分、おやつはもっと後でいいんだろうな。
さて今日は、棚を作りたい。
今、保存食や採取したものは、使っていないコンテナに並べて入れてある。
けれど、もうまもなく春だ。
できれば、今度こそ春蒔きの野菜をもりもりに育てたい。
つまり、コンテナには本来の使い道に戻ってもらうので、中身をどうにかしなければならないのだ。
「しっかりした棚をね。【木工】レベル48の私が作ってみせます」
まず、ウッドデッキを作った時の板材の残りを、複製する。
何段にしようか。
本当は、収納するものに合わせて棚板を移動できるものが良いけれど、ちょっと難しそうだ。
「カウンターの高さにして、天板の上で作業もできるようにしよう。
奥行きを広くして、背板はなし。
手前からも奥からもものがとれるようにしたら便利だよね」
なにしろ、家の中で壁際に置くのではない。
大自然の河原のど真ん中にどーんと置くのだから、それが正解だろう。
ふと、板材の表面を撫でてみる。
そういえば、これ、ささくれもなくすべすべだ。
ただ板の形にするだけではなく、ちゃんとやすりもかけてあるらしい。
錬金ってすごい。
「ふむ」
おもいついて、錬金窯をひっぱりだしてくる。
板を放り込んで蓋をした。
「70㎝にカットしてくれる?」
突起を掴むと、しばらく悩むような時間があって、ぼふんと完成の合図が鳴る。
板を引っ張り出してみると、さっきよりずいぶん短くなっていた。
自分の身長と比べ、正確かどうかは分からないにせよ、おおよそ70㎝だと思われた。
なに、どうせ複製するのだから問題ない。
できた板をまじまじと見てみる。
うーん。
作業台にするには、奥行きが狭すぎない?
もともと、この辺に生えていた木を切ってきたものだから、それほど大木というわけではなかった。
せいぜい20㎝といったところか。
狭い。
「ふたつ前後に置くか……」
そうすれば、奥行き40㎝が確保できる。
よしそれでいこう。
横幅は150㎝くらいにしよう。
紗良は、必要な長さと枚数を製材し、いよいよ、久しぶりに釘と金槌を取り出した。
一応、部屋の棚を観察してみたが、あれは無理だ。
留め付けているのは、釘ではなくねじのようなものだった。
ねじまだちょっと難しい。
ちょっとね。
結局、参考にしたのは、パントリーに置いてあったリンゴ箱だ。
北のリンゴ農家が、使用済みの古い収穫用木箱を、リサイクル品として売っていたもの。
本当にただの木箱だ。
シンプルだからこそ、釘を打ち付ける位置やなんかを真似できるというものだった。
ここまでですでに【木工】のレベルが50に達している。
期待感しかない。
紗良はそこからしばらく、棚づくりに没頭した。
二時間後。
「……がたがたしない」
感動の瞬間だった。
がたがたしないものを作ったのは初めてかもしれない。
感無量だ。
あとは、設置場所を平らにして、設置して、防水処理をする。
ピザ窯から少し離して、直角になるように置こう、と決めた。
河原の石をよけ、大事にとってあった石のテーブルで土を均す。
そこまでしてからふと思い出した。
ファイヤーピットの下に敷く耐火処理を施した布を買ったときのことだ。
あの時、防水仕様の布も一緒に買った。
布自体は、通りかかった店の女の子にあげてしまったが、つまり、防水は魔法で付与できるということだ。
待ってました、とでも言うように、お腹に仕舞っていたマニュアルノートがもぞもぞする。
開いてみると、新しい項目があった。
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〈付与魔法について〉
あなたはすでに付与魔法を習得しています。
魔物の首輪にかけた護符などが良い例です。
本来の機能以外の機能をつけるのが、付与魔法です。
これは【魔法使い】ではなく、【賢者】の領域です。
そのようにあれと願うのが基本です。
完全防水
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「完全防水。……よし……完成」
防水をほどこした棚は、三段で、がたがたしない。
高さも幅も使いやすそうだ。
にんまりした紗良は、ふと、視線を感じて振り返った。
ウッドデッキではらばいになり、こちらをじっと見ているヴィーがいた。
スマホを取り出すと、すでに午後三時を回っている。
昼も食べずに没頭してしまった。
満足感は満腹感にはならないので。
紗良は急いで部屋に戻り、オーブンを予熱すると、寝かせておいたクッキー生地を厚めにスライスした。
焼き上がりまで、シャワーを浴びる。
木が手の水分を吸い、荒れていたので、ちょっとしみた。
「やっぱり軍手したほうがいいよね、でも不器用増しちゃうんだよな」
これはちょっと、検討案件だ。
お風呂からあがると、クッキーももう焼けている。
粗熱を取る間に髪を乾かし、くたくたワンピースに着替えて、冷めかけのクッキーを手に外に出た。
「これ好きかな?」
一枚をヴィーに差し出すと、慎重に匂いを嗅いだ後、がぶりと手から奪って行った。
スパイスクッキーもいけるらしい。
5枚をフードボウルに並べ、どうぞ、と置く。
それから、かまどに火をおこし、お湯を沸かしてコーヒーを淹れた。
それを持って椅子に座ると、急に疲れがおそってきた。
もぞもぞと居心地のいい位置をさぐり、その場所から、完成したての棚を眺める。
「ねえ見てよヴィー、いい出来じゃない?」
呼ばれてちらりとこちらを見たのは、多分、名前に反応しただけだろう。
棚を一瞥もしない態度に、ちぇ、と言いながらも、口元がゆるむ。
紗良は、ご機嫌でクッキーを齧った。