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マチューからお誘いがあったのは、二月の末だった。
といっても、あの夫婦から直接紗良に連絡を取る手段はない。
だからどうやら、教会あらため聖堂を訪ねて、フィルに伝言を頼んだらしい。
ということで、メッセンジャーよろしく、彼が我が家にやって来た。
「腸詰めを一緒に作ろう、とのことでしたよ」
お隣の友達の息子に頼むレベルの伝言だ。
仮にも神官長に頼む内容ではない。
「すみません……」
「何を謝っておられるのです?」
「いえ、偉い人に頼む内容じゃないなって」
「構いません。私の立場が高位であることは否定しませんが、紗良様にお会いできる特権だとも言えますからね。
ああそれと、三月の寒い日に訪ねて来てくれとのことでしたよ」
紗良は首をひねる。
「なんですかそれは。難しいですね?」
「大丈夫、朝起きて寒いと思ったら訪ねれば良いのです。向こうがその訪問に合わせて予定を変えるでしょう」
「ええー、それってちょっと、心苦しいですね? 立場を振りかざすようで」
フィルは少し驚いたように目を見開いた。
が、すぐに、会得したように頷く。
「なるほど、紗良様は聖女様とお気軽に連絡をおとりですからね、そう思うのも無理はありません。
面会の約束を取り付けるのも、日時の変更も、思い立ったらすぐに伝え合える。そうですね?」
「言われればそうですね、スマホがあるせいで、向こうでもこちらでもタイムレスな調整は当たり前です」
「しかしこちらでは、魔法を使えるごく少数の人間以外、連絡は口伝えかあるいは手紙しかありません。
ですから、突然の訪問も、予定外の訪問も、珍しいことではない。そしてそれに合わせて、迎える者の予定が変わることも」
なるほど、と少し罪悪感が薄れると同時に、気になるところもあった。
「魔法使いは、手紙以外で連絡がとれるんですか?」
「ええ、形は様々ですが、自らの魔力を飛ばし声を届けることができます。ただし、お互いに目印をつけ合う必要はありますが」
「目印?」
「ええ。いうなれば……魔力交換のようなものです。特定の場所、あるいは相手の身に、ほんの少しですが魔力を刻む。その己の魔力を目印に、好きな形の魔力を飛ばすのです」
あ、と思い出した。
「いつだったかすごく前、伝言として鳥を飛ばした、って言ってましたね」
「そんなこともありましたか。あれは教会の執務室の机に目印をつけてあるのです。形はなんでも良いのですが、私は分かりやすく鳥にしているのですよ」
紗良はぽんと手を打つ。
「じゃあ、私ともそれで連絡し合えるってことですか?」
「え、ええ、紗良様が私の魔力を刻んでも良いとおっしゃるのであれば」
「場所じゃなく私にそれをつけるとして、それって、痛いですか……?」
刻むという表現に、ちょっと腰が引けてそう尋ねる。
フィルは、微笑して首を振った。
「いえ、そういったことはありません。
ですが、伝言を飛ばせるということは、微小な反応ではありますがお互いの位置をなんとなく把握できるということ。場所ではなく自身に刻むのは、信頼が必要です」
「なるほどー。私はいいけど、フィルさんは困りますね?」
「それは、私と紗良様の間に、信頼はないということですか?」
表情は柔らかながら、真剣な声で訊かれ、両手を振って否定した。
「違いますよ! なんなら、佐々木さんの次に信頼してます! 私は!
ほら、いつもこの場所に転移してくるけど、きっと私がいない時に来ちゃったこともありますよね?
私いつもここにいるわけじゃないし。
二度手間三度手間だったこともあるでしょ?
でもほら、フィルさんはそんなこと、絶対私には言わないと思って!」
早口で言い募ると、フィルは優しい顔をした。
「私にとってそれは手間ではありませんが、紗良様がそのように憂うのであれば、伝言をもってして予定をお知らせいただくのが良いでしょう。
では、互いに目印を刻みましょう。
紗良様の気が変わらぬうちに」
「え?」
「さあ、お手をどうぞ」
「あ、はい」
反射的に両手を差し出す。
フィルは、その紗良の手を、右の掌を上に、左の掌を下に向けた。
そして、その紗良の手と互い違いにフィルの掌が触れる。
「私の言葉を繰り返してください。そして最後に、契約の呪を」
「はい」
「互いの了解のもとここに魔力を記す」
「互いの了解のもとここに魔力を記す」
「「約諾」」
その途端、二人の掌の間から、光が漏れ出た。
驚いて離しそうになった手を、フィルが握った。
熱くも痛くもないが、ちょっとドキドキした。
考えてみたら、身内以外の男性とこうやって手をつなぐなんて、日本ではなかったことだ。
20歳にもなって。
そういえば、佐々木さんは付き合っている人とかいなかったのかな?
「終わりましたよ」
「は、はいっ」
離された掌を見てみたが、何もない。
首を傾げている紗良に、フィルは自分の手首の内側を示して見せた。
「ここに触れてみてください」
「え、こう?」
言われたとおりにすると、そこが小さく丸く光った。
おお、と驚く。
すると、フィルもまた、紗良の手を取り、手首に軽く触れた。
同じように光る。
「SNSのID登録みたいなものかな」
「納得していただけたのなら幸い。では、実際に伝言を飛ばしてみましょう」
フィルの魔力講座が始まった。
まず、顕現の呪文で、魔力を好きな形に練り上げる。
それに、刻印で伝言を焼き付け、息を吹きかける。
定着したそれを、目指せで、感じる目印に向かって飛ばす。
「えー、意外に複雑ぅ」
聞きながら思ったのは、自分はどうも視覚情報の方が得意そうだ、ということだ。
マニュアルノートが教えてくれるときはいつも、文字情報で、その場合わりとすぐに覚えられる。
覚える気のない、動物や植物のこちらの名前は別として、呪文のような覚える必要があるものはだいたい忘れない。
しかし、フィルが口頭で伝えてくれる言葉は、難しそうに思えてしまう。
思わず、マニュアルノートを取り出して開く。
*******************************
〈メモ〉
顕現
刻印
目指せ
*******************************
「優しい……」
メモしてくれた。
さて、なんの形にしようかな?
真っ先に思い浮かんだのはレッサーパンダだったが、あののそのそした動きでメッセンジャーが務まるとは思えない。
まあ別に、イメージの形で速度は影響されないようだけれど。
「やっぱり鳥よね。ファンタジーじゃ、たいてい鳥が伝言係なのよ。伝書バトの影響よね、きっと」
なんにせよ、イメージが大切な魔法において、形は重要だろう。
オカメインコ?
文鳥?
コザクラインコ?
スズメ……ルリビタキ……ヨウム……最後のはなんか違う……。
「シマエナガにしよう」
故郷の象徴は長らくシマフクロウだったが、最近はみるみるうちにシマエナガにとってかわられた。
だって可愛いから。
小さく白く愛らしい姿を顕現させ、伝言をして飛ばす。
ノートのメモのおかげか、問題なくこなせたと思う。
シマエナガは、少し離れた場所に移動していたフィルの元へ届き、その肩にすんなりととまった。
声は聞こえないが、「腸詰めのおすそ分けをお楽しみに」という伝言がちゃんと届いたらしく、彼はくすくすと笑っている。
「これで問題なくつながりました」
「いいですね」
「それでは……次回は鳥を飛ばしたのち、こちらに参りましょう。本日はこれで」
「はい、ありがとうございました」
フィルが帰ってから、紗良はちょっと疑問に思った。
鳥を飛ばして予定をすりあわせるのではなく、鳥そのものに用件を伝言すればいいのでは?
「????」
うーんと考えてから、紗良はそのことを指摘するのをやめた。
この森に足を踏み入れられるのは、萌絵とフィルだけだ。
せっかくの来客を断ることもないだろう。
鳥だけが来るより、フィルが来てくれた方が断然嬉しい。
「そうそう、マチューのお誘いがあったんだった」
肝心の伝言をようやく思い出す。
みるみるうちに、頭の中はソーセージでいっぱいになる。
少しずつ春を感じ始めたこの季節だが、寒の戻りは当然あるだろう。
暖かさの後の寒さは堪えるものだが、今はその日が楽しみになった。
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