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今年の紗良は、完璧だ。
コートこそ去年と同じだが、中のワンピースは萌絵の見立てだった。
王都の流行をおさえ、質の高い布を使って仕立てた、上品な一着。
これが、トランクの中に残り日数分ある。
未婚の女性にふさわしい髪型と化粧を教えてもらい、アイラインを少し強調して仕上げた。
こちらも流行カラーを手に入れたほうがいいかと思ったが、萌絵は顔をしかめてそれを否定した。
たとえプチプラでも、日本の化粧品を使うべき、だそうだ。
その萌絵からは、靴と髪飾りをプレゼントされた。
こういうのは本来さあ……もごもご、と何かつぶやいていたが、聞き返してもごまかされた。
ともかく、そういった訳で、紗良の装いは完璧なのだ。
その完璧な、令嬢もかくやといういでたちの肩には――ヴィーが乗っている。
「ねえ、たまには歩いたら?
でっかい時は歩くじゃない。なのにどうして、猫になったらかたくなに私に乗るの?」
もちろんフードはないので、両肩に巻きつくように鎮座しているわけだ。
クロテンのえりまきだ、と言い張りたいところだが、立体感がありすぎる。
つやつや具合は、悪くないけれど。
「紗良様。お待たせいたしました」
去年と同じ、神官服でフィルがやってきた。
ただ、今年は転移石を使っているので、かなり楽だったろうと思う。
「こんばんは」
「お荷物をお持ちしましょう」
「ありがとうございます。あ、今年は私が飛びますね」
一度の転移で魔力の半分を使うのだと聞いていたので、紗良はそう申し出た。
領地で所有する転移石はあると聞いたが、屋敷からは遠いと言う。
ならば、紗良が飛んだほうが効率が良い。
「はい、ではお願いします」
変に遠慮しないところが、フィルのいいところだ。
それとも、一度は断る、というのが日本人的すぎるのだろうか。
紗良は、右手で杖を持つと、左手をフィルに差し出す。
エスコートと同じ形で下から支えられ、そのまま転移を唱えた。
「まあまあ、いらっしゃい、半身様」
「今年もお招きいただきありがとうございます。
私だけではなく、ヴィーの滞在も許可してくださって感謝いたします」
「その程度のことは当然です、大事なペットなのでしょう?」
魔獣だなどと本当のことは言えないので、ペットの黒猫だと言ってある。
嘘だ。
罪悪感で胸が痛むけれど、ヴィーとは、おでかけに置いて行かないと約束してしまったので、苦肉の策だ。
「ヴィヴィドといいます、お手を煩わせることはありませんので」
「ヴィヴィドちゃんなのね!
敷地は広いわ、いくらでも駆け回ってかまわなくってよ?」
去年と同じ執事が迎え入れてくれ、去年と同じ客室を与えられた。
ただ、室内は明らかに手が入れられていて、重厚だった雰囲気のファブリックが、全て明るい色調のものに変わっている。
気を使ってくれたようだ。
「ヴィー、絶対に汚しちゃダメよ? これなんかほら、すごい……すごい高そうだから……」
気軽に触れたベッドカバーが、全面細かな刺繍仕上げであることに気づいて、紗良は心からそう言い聞かせた。
その後も、紗良はおおむね去年と同様に過ごした。
ただ、フィルは少し違う。
神官長になると同時に、貴族籍も復籍したという。
萌絵が言っていた通り、神殿関係者は王家や政治と大いに関りがある。
ゆえにそもそも、平民は神官長などの役職にはなれないそうだ。
というわけで、バイツェル家の次男として、挨拶しなければいけない客というのが時々ある。
紗良はヴィーとその辺をうろうろし、それで十分楽しんだ。
食事は美味しいし、きっちり整備された庭園は入場料が取れる植物園みたいだし、裏の森は逆に自然がいっぱいだし。
ヴィーは、紗良の食事をこっそりもらったり、屋敷の人間たちがくれる肉や魚を食べたり、時には単独で森にでかけたりする。
明らかに魔獣に戻っている気配がするので、何をしに行っているのかは明白だ。
さて、年が明ける頃、これも去年と同じように、家族総出で庭園の女神像に祈りに行こうと誘われた。
初詣みたいなものかな?
「はい、行きます」
部屋にいた紗良は、廊下からフィルに声をかけられ、そう答えた。
「では、下でお待ちしております。ごゆっくりお仕度くださいね」
その時、マニュアルノートがぱらりと開く。
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〈祝福をする〉
あなたは、女神に祈りを届ける媒介装置の作成が可能です。
女神像、あるいはそれに類する像を祝福することにより、像は信仰を集約、蓄積、放出する装置となるのです。
これは、【魔法使い】でも【賢者】でもなく、女神が与えたあなたの固有の能力です。
ほかに、【聖女】や【教皇】にも与えられています。
作成は呪文ではなく、魔力そのものの分割、譲渡によって行われます。
像に向かって、魔力を分け与えてください。
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「……どうやるの、それ」
そういえば、以前、フィルに転移石の解放を促された時も同じように魔力を出せと言っていた気がする。
結局分からなくて、水流で作り出した水を泉に混ぜてごまかしたはずだ。
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〈魔力の放出〉
魔力は水の流れのように、常に流動的です。
感覚がつかみにくいうちは、杖を使用します。
杖を両手で握り、その先端を像に向けます。
自然と魔力が杖に吸われ、像へと放出されることでしょう。
その時の体感をよく覚えておいてください。
やがて、杖なしで行うことができるようになります。
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「うーん、全然具体的じゃない。レシピはないから舌で盗めみたいな効率の悪さを感じる!」
とはいえ、おそらくそれ以外の方法がないのだろう。
紗良は、フィルたちを待たせていることを思い出し、急いで階下に降りた。
フィルとフィルの両親、それから双方の親戚など、十五名ほどで庭へと向かう。
移動中、そっとフィルに話しかけた。
「フィルさん。余計なことじゃなければ、女神像の祝福をしたいのですが」
「なんと、良いのですか?」
「はい。大聖堂の祝福も、教皇様にお願いされましたし。
ちょっとやっておいてみたいというか」
「願ってもないことです。
一応、父に話を通しておきましょう」
フィルはそう言うと、足を速めて前方の父親の元へと向かっていった。
空いた隣に、すっと、フィルの叔父のアイザックが並んだ。
服飾関係の仕事をしているという彼は、今日も紗良が見てさえ分かる仕立ての良い服を着ている。
「紗良嬢、寒くはないかい?」
「いえ、全然。ヴィーもいますし」
相変わらず、肩にはヴィーが乗っている。
どっしり重いが、柔らかく暖かい体が、襟元からの隙間風を防いでくれていた。
「姉はね、あれで子ども達が大好きだから。
フィルが籍を抜いた時、結構落ち込んでいたんだ。
今回、本人の意思で戻ってきたことを、とても喜んでいる。
君のおかげだ、ありがとう、礼を言う」
「家族を好きなことは分かります。
でも、神官長になられたことは私が何かした訳じゃありませんよ、フィルさんの実力です」
「ああ、うん。そういう意味じゃないんだ。
口利きしてくれたとかね、そういうことではなく。
フィルが神官長になろうとしたことそのものが、君のためだろうから」
「私ですか? そういえば……」
他所からやってくる神官や領主達が、紗良の意思に反して各地に招待しようとするのを、きちんと断ってくれたことがあった。
地位があればこそ、と、フィル自身も言ってた。
「ということは……私のために、なりたくない役職についたんでしょうか」
「うーん。昔のフィルが、神官長になりたくなかったのは事実だよ。
そして、なったのが君のためなのも、そうだと思う。
だけど、なると決めたのはフィルだからね。正直とんでもなく大変だったと思うから、なりたくないのになれるような地位ではないんだ」
「えっと? つまり?」
難しい話ではないのに、なんだかややこしい。
わざとけむに巻くような話し方をしている気がする。
「つまった話を僕に聞かないで?
僕はフィルじゃないから、答えは持っていないよ。
知りたかったら、答え合わせのできる相手に聞いてごらん」
ちょうどその時、フィルが戻ってきた。
隣にいたアイザックは、いつの間にかふらりと後ろに下がっている。
「大変にありがたいことだと、ぜひにとのことです」
「え? ああ、祝福ですね、はい、もちろん、はい」
「どうしました?」
心配そうにのぞき込んでくる顔をじっと見る。
残念ながら、もうそろそろ女神像に到着してしまう。
先ほどの疑問は、後回しにすることにした。
祭壇に似た台座と、周囲を囲む花々の真ん中で、女神像は聖母のような表情で建っている。
「紗良様、祝福をしてくださるとのこと、めったにない栄誉にあずかれ光栄でございます。
お願いできますかな」
「言いづらいのですが、初めてなのでできるかどうか分かりません。
でもやらせていただきます、よろしくお願いします」
領主であり、フィルの父である当主は、奥様の陰に隠れて印象は薄いが、こうして見るとフィルによく似ている。
そんなことを思いながら、イヤーカフを外し、杖にした。
女神像の前に立ち、その杖を両手で握る。
「えっと、先端を像に向ける」
なんとなく、目を閉じた。
女神様というものが、紗良にはよく分からない。
信仰の対象なのだろうが、紗良は日本生まれの日本育ちなので、心から敬っているわけではない。
それにそもそも、この世界に紗良を引きずり込んだのは、女神らしいではないか。
ただ、同時に、最大限に庇護し、力を与え、守ってくれてもいる。
無理やり呼んだのだから当たり前だ、とは思わない。
理不尽はどこにでもあり、それが正されるばかりの世の中ではないからだ。
それぞれがそれぞれに事情を抱えている。
誰かの幸せは、誰かの不幸になりうる。
人はその中で、お互いに誰かの事情を汲んでは、自分も誰かに救われる。
そういうものだ。
だから。
「女神さまも、大変だねえ……」
そう呟くと、ゆっくりと体から魔力が杖に流れ出る感覚がした。
目を開くと、杖の先から細い光が像に向かって伸びている。
そして、女神像はほのかに光っていた。
どのくらい経ったのか、やがて、流れは自然に止まり、杖はイヤーカフに勝手に戻ってしまった。
終わりました、と振り向く。
家族に親戚、手の空いた使用人達、新年の祈りを捧げに来た人間たちがみな、地面に跪いて頭を垂れていた。
紗良は、脇によけて祈りが終わるのを待つ。
「ありがとうございました、紗良様。さあ、体が冷えてしまう前に戻りましょう」
ふと振り向く。
女神像は、自らの光を吸収するかのように、元の姿に戻っていった。
「明日はどうしますか?」
「ゆっくり過ごそうかな」
「明後日から、市がたちますよ」
「あ、それは見に行きたいです」
「お供しましょう」
フィルと並んで、ゆっくりと同じ場所へと戻る。
肩の上に乗りっぱなしのヴィーは、寝息を立てている。
素敵な夜だ。
そう思った。