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「魔法使い様、ちょっといいかい?」
二か月ぶりに、最初に運送業を請け負った村を訪ねた。
目当ては生クリームだったが、新しい種類のチーズを作ったと聞いた。
ヴィーがフードの中で鼻息を荒くしていたので、多分、美味しそうな匂いがしたのだろう。
即座に生クリームと一緒に購入した時のことだ。
お会計をしている紗良の後ろから、村長さんが顔を出し、そう言った。
「はい、なにか?」
「お前さん、牧草と薬を運んできてくれたろう?」
「そうですよ」
「そしたらね、お前さんを雇うこともできるのかい?」
「お仕事ですね! もちろ……」
あ。
引き受けかけたが、一応、佐々木さんに確認しておこう。
『運送のお仕事って、私が直接受けてもいいのかなぁ?』
聖女のお仕事中なら、すぐに答えは返ってこないだろうと思ったが、たまたま空き時間だったのか、返信があった。
『お仕事ってかたちじゃなく、津和野さんが個人の好意で引き受けるならいいよ!
仕事にしちゃうと色々めんどくさいのよ』
『分かった!』
『報酬も津和野さんだけで受け取ってね』
『え、でも』
『色々めんどくさいのよ』
『そっか、分かったー』
やりとりがあったあと、ようやく、待ってもらっていた村長さんに承諾の返事をした。
「おお、ありがたい」
「あ、でも、行ったことのないところには難しいかも?」
「いや、王都なんだよ」
「それなら大丈夫」
村長さんの話は、こうだ。
今、村の鍛冶職人の一人が、王都に行っている。
もともと酪農と、村民が食べるだけの農業がこの村の産業だった。
木製の農耕具を使っていた時代は良かったが、鉄製の道具が出て来てから、近隣の村に鍛冶屋を頼って出向かなければならなくなった。
しかも、どんどん値を吊り上げられ、村人たちも不満が溜まっている。
ついては、村に鍛冶職人をおこう。
「というわけでな、希望者の一人を、修行に出したんだよ」
「ふんふん」
「弟子だから金を貰えるわけもないし、ひもじい思いをしているだろう」
「なるほど」
「それで、毛布や古着や食べ物を送ってやろうと思ってね」
事情は分かった。
ということは、荷物も少ないだろう。
今まで、トラックなら数台分運んでいた紗良にとって、仕送りの荷物など手ぶらみたいなものだ。
「相場が分からんのだが、いかほど支払えばいいかね?」
前世ならいくらくらいだろう。
日本国内として、大きめ段ボールひとつぱんぱんで1500円くらい?
「じゃ、1万5千ギルで」
「そんなものでいいのかい?」
村人たちが持ち寄った仕送りは、一抱えある麻の袋に二つ分だった。
たいした量ではないが、この荷物を持って王都をうろうろするのは、いかにも厳しい。
「あのですね、一回、そのお弟子さんのところに行ってきます。
直接飛べるようにしてから、もう一度荷物を持って行くことにしましょう」
「そんなことして、魔力は大丈夫なのかい?」
「問題ないですよ」
「そうかいそうかい」
転移魔法の魔力消費量をよく知らない村人たちは、あっさり納得してくれた。
「あ、お弟子さんの名前、なんていうんですか?」
「ダニーっていうんだ。年は十二さ。よろしくな」
そして紗良は、配送先の手書きの地図を貰って、王都へと飛んだ。
まずは、飛び慣れた神殿に到着する。
そこから、簡易ながら分かりやすい村長の地図を見て進む。
ヴィーは完全に寝ているようで、ぴくりともしない。
「ここかな」
地図通りの場所にあったのは、どうみても住居ではなく、工房のような建物だ。
きっと、こちらのほうが分かり良いと思ったのだろう。
『ブラウン鍛冶工房』と書かれた看板の下に、赤く塗られたドアがあった。
ノッカーを鳴らし、
「こんにちは」
と声をかける。
ドアが開いた。
出てきたのは、若い男性で、まだそばかすのある頬を真っ赤にしている。
むわっと熱気が漏れてきて、中は相当暑いのだろうと思わせた。
「どちらさん?」
「あの、こちらにダニーというお弟子さんはいらっしゃいますか?」
「あー、いるけど? あんただれ?」
「ダニーさんの村の方から、仕送りを預かっているんです。
あとでお届けしたいんですが、まずご本人に会いに来まして」
「荷物持たずに? え?
意味わかんねえけど、待ってな」
雑な言葉遣いだが、悪い人ではないようだ。
すぐに、入れ替わりで別の男性、というか子どもが出てくる。
十二といえば、日本なら小学生か。
「僕がダニーですけど」
「こんにちは。村長さんに頼まれて荷物を届けたいんですが。
お住まいはこちらですか?」
「あ、ええ……ここの裏手に、弟子が住み込みしてる小屋があるので」
「じゃ、そっちに届けますね。何時ごろがいいですか?」
「え、時間は……」
ふと、ダニーの恰好を見る。
腕時計などもちろんしていないし、もしかして、時間に合わせた労働というわけではないのかもしれない。
よく知らないが、弟子というのは朝から晩まで働き詰めのイメージだ。
その時、彼の後ろから、別の男性が顔を出す。
まだ若い弟子たちと違い、ごつくてひげ面の、壮年の男だ。
「いつまで何やってんだ、誰だ、さっさと用を済ませな!」
「あ、ブラウンさんですか? 私、ダニーさんに荷物をお届けしたくて。
何時ごろなら、仕事終わってます?」
態度から、彼が親方だろうと見当をつける。
彼は、上から下まで紗良を眺め、
「うちには時計なんて高尚なもんはねえ。
日が落ちたら終わりだ」
「分かりました、では日没後にお届けということでー」
「いや、その後はすぐ、うちで全員で飯だ。部屋にはいねえぞ」
住み込み賄い付きらしい。
いずれ独立して村に帰ると分かっている相手に、破格の待遇のように思える。
それとも、師弟制度というのはそういうものなのかな?
「あ、あの、ご飯はここの隣の、師匠の家で食べるんです。
良かったらそこに届けてもらえますか?」
目の前にいたダニーが、おずおずと言う。
お客様がそう言うなら、もちろんだ。
「分かりました! では日没後、お隣の家にお届けしますね」
その間、どうしようかな?
まだ昼過ぎだ。
とりあえず、仕事の邪魔をしないように、工房を離れる。
今日は、村で生クリームを買うだけの現金しか持っていないので、せっかくの王都だがショッピングというわけにはいかない。
一度村に戻ろう。
それが一番、面倒がなさそうだ。
村長の家は、すでにその日の仕事を始めている。
ここは、村長といえど、酪農家であることには変わりがない。
夕方に届けることになったと伝えると、ならばゆっくりしていないさいと言われ、牛を見学することにした。
「村長なのに、村の人と同じ仕事なんですね?」
「え? ああ、そうだねえ。
村長といっても、文字が読み書きできるだけで、別に家格が上なわけでもないんだよ」
そうか、識字率が低いのか。
あまり気にしたことはなかったが、そう考えると、牛の知識やチーズの作り方なんかは、先祖伝来、人の手から手に伝わってきたわけだ。
時代が変わり、制度が整うと、それこそ先日の牛の病気のことだって、手続きを経て王都に助けを求めなければならなかった。
たいしたことではないと言っているが、村長がいることで成り立っていることも多そうだと思う。
「ああっ、カトリーヌっ、今日も元気で可愛いなぁお前は!
マルグリット、なんという毛艶だ、健康そのものだ、素晴らしい!」
牛への愛も、だいぶ、ある。
いい村だよね。
「日も暮れましたね。じゃ、そろそろ行きますね」
「ああ、頼んだよ」
紗良は、今度は麻袋を運搬でもち上げながら、王都へ飛んだ。
訪ねた工房横の家は、賑やかだった。
食事は終わったらしく、開いたドアの向こうでは、みな揃って片づけをしていた。
「では、お届けのサインを」
紙とペンを渡したが、ダニーは戸惑った顔をして、受け取らなかった。
見かねた親方らしき男が、おいと声をかけてきそうになったが、紗良は、
「名前じゃなくても、ご家族が分かればいいですよ」
と、ペンを差し出した。
村長しか読み書きのできない村から、一人、王都へ来た少年は、しばし思案した。
そして、誰も知らない場所へ、一人、息子を送り出した家族へ宛てて、サインを書く。
それは大きなまるだった。
元気だよ。
頑張っているよ。
全てが伝わるそのまるは、力強い筆跡で、紗良はうんと肯いた。
ダニーは麻袋の中をのぞき込み、にこにこしている。
「服や毛布はありがたく使います。食べ物は、みんなで分けますね。
どうせ、俺は料理なんかしませんから」
「そう伝えるね。あなたがいいなら、それでいいはずだよ」
「うん。うちのチーズ、うめぇから」
背後では、わいわいとお茶の用意が始まっている。
食後はすぐに離れに帰るのではなく、みんなでおやつタイムらしい。
家族団らんから離れて暮らす少年たちにとって、それは、どんな意味があるだろう。
ここの夫婦は、それを分かっている。
「がんばって」
「おう」
村の未来を背負った子は、ニヤリと笑って、その輪の中に入って行った。
さて、紗良は村長のところに戻り、お届けの料金をもらわなければならない。
きっとその場には、ダニーの両親が来ているだろう。
紗良は、彼らに少年の様子を伝えるために、ようやく起きたらしいヴィーと共に転移した。