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薪は沢山ある。
薪というか元テーブルというか、とにかく、森にはしばらく行かなくてもいいと思っていたが、最初の焚き付けがない。
紗良は新聞をとっていなかったので、古新聞もない。
はがれた木の皮に類するものなど、紗良の知識では分からないし、仕方なく、拾いに出ることにした。
ずっと生き物の気配などなかったのに、なぜ、あの日に限って現れたのか?
おそらく、レベルアップに関係がある、と紗良は思っている。
マニュアルノートの存在、部屋のリセット仕様、錬金釜が配達されてくること──色々考えあわせると、この世界には誰かの意思が働いている。
その、誰だか知らない意思が、頃合い、とみたのだろう。
今まで遠ざけられていた危険が、少しずつ身近に迫ってくる。
そんな予感がする。
そうなった時、マニュアルノートが導く通りに、魔法でそれを攻撃できるだろうか?
案の定だった。
はがれた木の皮を拾っていると、草むらに何か動くものがある。
小さい。
けれど、じっと目を凝らすと、それは蛇だった。
頭が幅広で、喉が赤黒い。
見たことはないし知識もないけれど、あからさまにヤバいやつだ。
紗良は足の震えを自覚しつつ、じっとしている。
動くより動かないほうがいい。
たぶん。
知らんけど。
睨み合いは長く続き、紗良は耐えられなくなった。
逃げたほうがいいのでは、いや、逃げたい。
その気持ちに逆らえず、そっと、後ろ向きに下がり始めた。
途端、その下げた足に、鋭い痛みが走り、思わず、
「うわぁ!」
と大声を上げる。
その声に驚いたのかなんなのか、草むらにいた方の蛇は逃げて行った。
痛みに耐えきれず転ぶ。
足元には、同じ種類の蛇がいた。
一匹ではなかったのだ。
ジーンズの上から噛みつかれた。
それなのに、血がにじんでいるのが分かる。
かみついたはずの蛇は、すぐさま逃げていく。
紗良は、その姿を見送ってから、震える手でジーンズをめくりあげてみた。
ヤバい。
二つの分かりやすい穴が開き、その周辺が早くも青黒く変色し始めていた。
「ヤバいヤバいヤバい……」
絶対に良くない。
意味もなく、ずずっ、尻もちのまま後ろに下がってしまうが、なんの意味もない。
自分の足からは逃げられないのだから。
「死ぬ」
紗良は、それでも、馬鹿じゃない。
何をすればいいか、分かっている。
今日も腹に挟んでいた、マニュアルノートを引きずり出したのだ。
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<【賢者】のレベルを上げよう>
【魔法使い】が攻撃特化なら、【賢者】は守護の最高峰です。
森とともに生きていく場合、自分を守る手段を得ておきましょう。
*初級魔法
解毒
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紗良はすぐさま呪文を唱えた。
効果はすぐには現れなかったが、徐々に傷口周辺の肌の色が元に戻っていく。
痛みはとれなかった。
解毒というからには、毒にしか効かないのだろう。
それ以上を教えてくれないのは、もちろん、レベルが足りないからに違いない。
紗良は、マニュアルに食い下がることなく、再びジーンズに挟み込むと、足をひきずりながら森を出た。
血が流れ続けている。
どうしていいか分からず、雛が親鳥の元に帰るように、部屋へと戻った。
その途端、安心したのかなんなのか、激痛で意識が遠くなった。
いてててて、と身体を起こす。
玄関先で倒れこんでいたせいで、体中が痛い。
ふらつきながら立ち上がり、時計を確認すると、どうやら朝だ。
丸一日、気を失っていたらしい。
血は止まっただろうか。
靴を脱いで、ジーンズをめくりあげた。
「あれ、右足だっけ……」
噛まれた左足は、なんの痕もない。
右足を見たが、やはり綺麗なままだ。
昨日、解毒しただけでは消えていなかった傷口が、きれいさっぱり消えている。
呆然としつつも、まさか夢ではあるまい、とぐるぐる考える。
行き当たったのは、たったひとつの可能性だ。
「リセット?」
この部屋にかかっているらしいリセット機能。
まさか、紗良自身にも働いている?
そうでなければ、説明がつかない。
「……こわ」
背筋がうっすら寒い。
いやそれとも、今更だろうか。
リセットで仕組みも分からず再生するパンや野菜を食べておいて、身体に起こるそれだけを忌避するのは、おかしいのだろうか。
分からない。
そして、それを話し合う相手もいない。
だから紗良は考えた。
「今日から日焼け止めもいらないな……」
だってリセットするんだから。
そうやって、日常に落とし込み、受け入れていく。
それ以外にないのだから、そうする。
口に出せば、それはきっと、本当になるのだから。
そしてやはり、当然というか、とてもあの状態で魔法で攻撃なんて出来やしなかったな、と思う。
三日後、紗良は再び森に入ることにした。
しばらく自宅ドア周辺で暮らしていたが、あることに限界を感じていた。
それはもちろん、食生活だ。
今のところ、食料は自宅の冷蔵庫にある分だけ。
リセットするから量は問題ないとして、重要なのは、種類だ。
真夏に連れてこられたせいで、あるのは夏野菜が中心、あとは基本の根菜類だった。
今のままでは、飽きるに決まっている。
実は、少しずつ朝の気温が肌寒くなってきていた。
どうやら、季節はある程度あるらしい。
どのくらい寒くなるのかは分からないが、備えておくのに越したことはない。
森へ入ろう。
今までより少し深い場所まで足を延ばす。
木の実なり果物なり、可能なら山菜なんかも採れたらいい。
高校生の時に使っていた馬鹿でかいリュックに、軍手と、非常持ち出し袋に入っていた水のペットボトルとアルミシートを入れる。
夕方までに帰ってくるつもりでいるが、何が起こるかわからないから、遭難の準備だけはしておこう。
自然を舐めてはいけない。
教訓ではなく、実体験から、そう思う。
非常食のチョコレートと、缶入りビスケットも入れた。
「いや……チョコ駄目か?」
登山ならいいかもしれないが、これから行くのは獣のいる森だ。
故郷で見ていたバラエティでは、熊の出る場所でテントに甘いものを持ち込むなとコーディネーターが熱弁していた気がする。
そう、リップクリームですら駄目だと。
「日焼け止め塗らなくて良くて結果オーライよ」
ポジティブになる呪文のように唱えてから、チョコレートは諦めた。
ジーンズと長袖シャツを身に着け、ブルゾンはリュックに入れて、外に出た。
今日はブーツだ。
この三日間で、一応、切断の練習はした。
レベルは上がったが、実際に生き物に使えるかどうかは分からない。
実はさらに、実験したことがある。
それは、外出中にドアを閉めても、部屋は消えないか?である。
すぐ外でドアを見張りつつ、少しずつ閉める時間を長くしていった結果、少なくとも丸一日は大丈夫らしいと分かった。
ずっと傘立てを挟んでおくわけにもいくまい。
隙間から、蛇なりなんなりが入り込んでも困る。
意を決して、久しぶりに自宅ドアに鍵をかけた。
「……行ってきます」
習慣のように告げ、紗良は、森へと足を踏み入れた。
ペリカンと恋愛は(多分)しません、ご期待に沿えずごめん