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たっぷりのオリーブオイルに、まるごとのニンニクを沈める。
鷹の爪と塩を少々、そこに、エビとキノコ類を入れ、火にかけた。
じゅわじゅわと沸いてくるオイルが、ニンニクに熱を入れ、香ばしい匂いを立ち上らせた。
鼻をうごめかせている紗良の後ろから、フィルが声をかけて来る。
「では、こちらの大きいほうのラグは、街のほうで製作致します」
「はい、お願いします」
ウッドデッキの上は、広げられた布で散らかっている。
色合わせをした四枚がより分けられ、フィルの荷物として脇に置かれた。
残りの布は再び、木箱の中に仕舞われる。
とはいえ、それほどの量ではない。
すでに、訪問用のドレスが、昼用と夜用で二着ずつ、王都の服飾店で作られ始めている。
そちらに多くの布を渡してあるので、残ったのは半分よりも少ない。
そして、ウッドデッキ用ラグの分が今、フィルに渡されたというわけだ。
紗良は木箱を覗き込む。
それでも、まだ十分な枚数があった。
使い道はまた考えよう。
ここへきて初めて、ネットがあればなあと思う。
テーブルは構造がシンプルで、部屋にあるものを参考にすればなんとかなった。
シンクはかなり試行錯誤したが、やはり部屋のものを観察すればよかった。
料理は食べたり作ったりした記憶があるし、なんとなくで再現できるくらいの経験はある。
しかし、裁縫はまったく未知の世界だ。
本当は、ヴィーが猫になった時に、あたたかいマントがあればいいと思ったが、絶対に作れる気がしない。
ネットがあれば。
色んなものを検索できれば。
「あとはアクセサリなどを作っても良いですね。
スカーフに良い布もありますし、コサージュやブローチ、髪飾りなども出来るでしょう」
一緒に箱を覗き込んで、フィルが言う。
紗良は感心した。
なるほど、それは考えもしない使い道だ。
「マリアさんに教えてもらおうかな?」
「それも良いでしょう。
日常で使うのならば大丈夫かと。
ただ、晴れの場につけるものであれば、やはり洗練されたデザインが必要になりますが」
「あー、やっぱりそういうものなんですね」
それはそうだ。
日本でだってそれは同じ事で、それが身分差を明確にしているこちらの世界のことならば、さらにデザインの意味は大きくなる。
「必要があれば、手ほどきできる者をご紹介できます。
その時はおっしゃってくださいね」
「はい、ありがとうございます」
なんにせよ、もっと腕を上げてからの話だ。
まずはマリアのところで、お世辞でも努力賞でもない誉め言葉を貰ってからにしよう。
「あ、忘れてた!」
ばたばたとかまどに駆け寄ると、幸い、アヒージョはまだ煮えすぎというほどでもなかった。
ミトンを手にはめて、鉄フライパンをおろし、あらかじめ用意してあった鍋敷きの上に置く。
「食欲をそそる匂いですね」
「ですよねー。あ、今日は飲めますか?」
「はい、仕事は終わっておりますので」
仕事でもないのに、布の使い道を一緒に考えてもらって悪かったなあと思う。
お詫びのつもりで、今日はちょっといいワインを開けた。
年中届けものがある実家だったから、おすそわけも勢い多くなる。
このワインは、そのうちの一本だった。
グラスは万能タイプの一種類しか持っていないので、迷うことはない。
二脚に注ぎ、手を合わせて、いただきますをする。
「これは美味しい。酸味以外の味がちゃんとしますね」
「こちらのワインは少し酸っぱいですよね。温度管理かな。なんだろう。
あんまり詳しくなくて」
「葡萄の種類でしょうか」
「ああ、それはありそうです」
紗良は、先に作っておいた揚げパンの保存を解いた。
これは、この間、ピザ窯で焼いて失敗したものだ。
さいの目に切って、カリッと揚げた。
それを、アヒージョのオイルにたっぷり浸して食べる。
「良かったー、焼くのに失敗したけど、これなら食べられるー」
水分の抜けたパンに、ニンニクの香りがついたオイルがしみこみ、大変に美味しい。
エビもキノコも、少し表面が固くなるくらいが紗良は好きだ。
「フライパンから直接食べるのは、色々合理的ですね」
「そうでしょう? 冷めないし」
フィルは、揚げニンニクを食べようかどうしようか少し迷っているそぶりだったが、結局、我慢できないように口に入れた。
いつもひょうひょうとしている彼にしては、珍しい。
少し笑ってしまった。
「美味しいですね」
「でしょう?」
「そういえば実家にご招待させていただいた件ですが」
「あ、はい」
まさか断られる?
フィルの母親からの打診を伝えたのは、先週のことだ。
その時は色よい返事だった気がするが、何か事情が変わったとか?
「昨年と同じ日にお迎えに来るという手はずで問題ありませんか?」
知らない間に肩に力が入っていたらしく、ほうっと体がゆるんだ。
断られたら、ちょっとショックだったかもしれない。
勝手に決めてしまったものだったし、フィルは神官長になり立場も去年とは違うし。
「……はい、大丈夫です」
変な間があったせいか、フィルが首を傾げる。
「どうなさいました?」
「いえ。もしかしてお仕事がお忙しいのかなって。年末は」
「ああ。いえいえ、なんの問題もありません。なにひとつ」
「そうですか? それなら良かったです」
憂いがなくなり、フィルに似た笑顔になってしまう。
ワインは美味しいし、失敗作のパンも美味しく食べられた。
今日は文句なしに良い日だ。
「今年はね、お屋敷に相応しい服を仕立ててますから」
「去年だって、大変に可愛らしく似合っておられましたよ」
前々から思っていたが、フィルというのは、大変に口の上手い人だ。
日本人にはあまりいないタイプではないか。
いたとしたら、それはおおむね、よろしくない手合いだろう。
ただ、国どころか世界が違うのだから、こういうのがこちらでは普通なのかもしれない。
なんと答えたらいいのか分からず、もごもごと、いや、とか、はい、とか言いながら、エビを食べる。
フィルの手は止まっていて、ワインばかりが進むようだ。
太陽が山裾にかかりはじめ、あたりはほの暗い。
萌絵が設置していった明かりがオレンジ色に灯る。
とても静かだ。
もうまもなく、ワインボトルは空になるだろう。
そして日が完全に落ちた。
「あ」
紗良は、ある気配を感じた。
それと同時に、茂みからずぼっとヴィーが現れ、そして口にくわえていた何かをウッドデッキの手前に落とした。
落としたというか、非常に重い音がしたので、放り出したというか。
「……牛」
それは見覚えのある動物だった。
牛だ。
いや牛ではない。
でも名前を忘れたので、牛でいい。
フィルはあんぐりと口を開けている。
さっきまでの静かな空気は跡形もなく霧散し、誇らしげなヴィーの鼻息が顔面にかかった。
「えらいねえヴィー、私が喜んだの覚えてたの?」
ひときわ強い鼻息の後、ヴィーはフィルの匂いを嗅ぎに行った。
さて。
錬金釜で解体したジッパーバッグ入りの牛、というのは、聖なる森の恵みとして領民に下げ渡してもいいものだろうか?
まあいけるだろう。
美味しいは正義だからね。