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不味いパンを食べている。
自業自得とはいえ、ひと口、ふた口食べて、それ以上食べられない。
「馬鹿だった……」
失敗の原因は明白だ。
ピザ以外に使い道のないピザ窯がもったいなくて、パンを焼いてみた。
お試しとはいえ、やはり温度調整が難しく、かなり高温になってしまったのだ。
おおよそ、パンの適正温度の二倍ほどになった。
そのせいで、外側が焼けても、中が生焼けになってしまった。
生焼けの小麦粉は、大変に危険だ。
絶対に食べてはいけない。
とはいえ、捨てるのも躊躇してしまう。
結局、トースターで焼いてはみたものの、外はガリガリで中も口触りが悪い。
「次は行けそうな気がするんだよね」
魔術のおかげで、薪の火をある程度コントロールできている。
今回は温度が高すぎたけれど、次はそれをふまえて低く抑えられそうな気がする。
紗良は、とりあえず失敗パンをどうしようかと考える。
思いつくまでちょっとおいておこう。
目をそらし、保存をかけた。
スマホが鳴ったので確認すると、萌絵からだ。
『宅配のお仕事がきたよ!
今日、暇なら神殿に来てー』
『おっけー、すぐ行くよ』
紗良は、ちょうど気分を切り替えるのにいいと思い、立ち上がる。
先日、王都を訪れた時に萌絵がくれた、新しいほうの魔法使いスタイルになった。
これはたぶん、秋冬用。
夏用よりも生地が厚く、裾に赤い糸でさりげなく刺繍が入っている。
マントが長く、触れると少し暖かい。
きっと、萌絵の保温の魔法がかかっているに違いない。
「ヴィー! 出かけるけど行く?」
川に手を突っ込んで遊んでいたヴィーは、紗良が呼ぶと、すぐ振り向いて飛んできた。
走りながら変態し、紗良の元に着いた時には黒猫になっている。
手慣れた様子で大きくジャンプすると、肩に飛び乗り、そこからするんとフードにもぐった。
紗良は杖を握る。
「じゃ、いきまーす。転移」
神殿の前にいたのは、知らない騎士だったが、紗良の来訪は話が通っていたらしい。
すぐに、萌絵の部屋に案内される。
「いらっしゃーい」
「おじゃまします。今日は、応接室じゃないの?」
「うん、あれは国の事業だったから、教皇様が立ち会ったんだよね。
今日のは、なんと、初めての民間依頼でーす」
「おおー」
向かい合って拍手をする。
「アルセン・バイツェル侯爵から、宝剣の運搬をお願いしたいって」
「バイツェル?」
「あ、やっぱり気づいちゃった?」
それはそうだろう。
こちらの世界で名前を知っている相手など、本当の意味で数えるほどしかいない。
そのうちの一人と同じ姓だ。
「フィル・バイツェルの父親だよ」
「道理で、今日はフィルさんいないんだ」
「ん?」
「フィルさんのご実家なら、一回行ったことあるから。
そしたら、転移も出来るし、迷子にならないし、騙す人もいないよね?」
「まあそうね。本人は来るってうるさかったけど、神官長になっちゃったもんだから色々忙しいらしくて、諦めたみたい。
お目付け役はその黒いのでいいしね」
ヴィーは、紗良が分けてあげたお菓子をもりもり食べている。
ちらりと萌絵を見て、むふん、と鼻息を吐いた。
「で、宝剣ってなに?」
「うん、なんでも、王家が儀式の時に使う剣らしいんだけど、それのメンテをバイツェル領に頼んでたんだって」
「へえ」
「宝飾品の加工とか、すごいらしいよ」
「そうなんだ、そういえば、ヴィーの首のこれも、そこで作ってもらったんだよね。
私の耳飾りとそっくりにしてください、って言ったら、ほんとにそうなったの」
チョーカーの飾りをちょいと揺らす。
そしてふと、このチョーカー自体が、ヴィーの体の大きさに合わせてサイズを変化させていることに今更気づいた。
すごい技術すぎない?
「あー、それね。うん。それくらい出来そうなんだよね、あそこはさ」
「宝剣を向こうに運ぶんじゃなくて、こっちに持ってくるのね」
「そうそう、もうメンテは終わってるんだって。
あっちに持っていくときは、王宮騎士をつけて持ってったから問題なかったのよね」
「わあ、白い鎧着てそう」
「着てるよ」
「わあ」
話がそれた。
「ところがね、このタイミングでお隣の王子がね、来るんだって」
「へー、なにしに?」
「新しい聖女に会いにくる」
渋い顔をしている。
新しい聖女ということは、つまり、萌絵だ。
「まあとにかくそれで、王宮騎士をそちらにさけなくなったの。
宝剣が国宝なだけに、傭兵どころか一般騎士にも任せられないし、じゃあ王子が帰るまでバイツェル領で預かってくれって話になったんだけど」
「あー、分かって来た。預かるの嫌だから、私に運んで欲しいんだ。
そりゃ嫌だよね、長期間預かって、何かあったら責任問題だもん」
「そう。王子が来て、帰って、そこから出発して、ってなると、大分かかるじゃん」
「遠いもんねー」
「ねー」
萌絵は、契約書らしき用紙を二枚取り出した。
それを、こちらに向けてテーブルに並べる。
「こっちは、神殿内で転移できる許可証ね。
運ぶものが運ぶものなだけに、直接ここに持ってきてほしいの」
「ここって、ここ?」
「あ、ううん、あとで案内するけど、転移用の部屋があるの」
「そこで引き渡し?」
「そう。
で、こっちは、この人に宝剣渡していいよ、っていう証明書。
津和野さんは、許可証の方にだけ名前書いてくれる?」
分かった、と、バッグからペンを取り出し、署名をする。
案外、契約社会だよな、と思う。
この間も大量にサインをした。
あれを処理するのも大変だよなあ。
「おっけー、ありがと。じゃ、行こうか」
萌絵の部屋を出て、今日も神殿騎士たちに囲まれながら移動し、奥まった場所に入って行く。
案内された部屋は、ほんのり萌絵の魔力を感じた。
紗良にも感じ取れるくらいだから、きっとすごい保護がかかっていそうだ。
「話は通ってるから。すぐ帰ってくる?」
「うん」
「じゃあここで待ってるね」
「おっけー、行ってきまーす」
耳から取り外した杖を握り、転移した。
「おまちしておりました、津和野様」
「こんにちは、執事さん」
出迎えてくれたのは、バイツェル家の執事だった。
彼に案内されて、以前は立ち入らなかった三階へと案内される。
待っていたのは、フィルの両親だった。
「まあ半身様、ごめんなさいね、こんなことをお願いしてしまって」
「いえいえ、すぐなので」
「ふふ、そうでしたね」
にこにこしている当主に代わり、夫人がてきぱきと段取りを進めてくれる。
「このケースに入っておりますの。開けますね」
覗き込むと、宝剣というにはなんだか地味な剣が収まっていた。
しかしよく見れば、柄に埋め込まれた何色かの石のうち、ひとつが紗良の杖の飾りと全く同じ色だ。
萌絵が、女神様がくれたと言っていたけれど、これも同じだろうか。
「あ、これ、証明書です」
萌絵から預かった文書を、夫人に手渡す。
夫人はそれをそのまま夫に渡し、彼が中身を確認した。
受取証みたいなものなのか、文書はさらに執事に手渡され、運び出されていった。
「じゃあ、持って戻りますね」
「ええ、お願いいたします。あ、紗良様?」
「はい?」
「今年の年送りはどうなさるご予定ですの?」
「ああ、いえ、何も決まっていません」
「では、またうちへいらっしゃるのはいかが?」
思いがけないお誘いに、少し驚いたが、少し嬉しくもあった。
また、馬に乗れるだろうか。
「えっと、はい、嬉しいです。でもフィルさんに聞いてみますね」
「まあまあ、あの子はもろ手を挙げて歓迎でしょうけれど、一応ね、そうしましょうね」
夫人が頷く。
と、フードがもぞもぞ動いて、ひょいとヴィーが顔をだした。
フィル相手と違って、威嚇はしないようだ。
「あら、お友達? おうちに残すのが心配なら、一緒にいらしてくださいな」
「いいんですか?」
「もちろん」
では、と微笑み合って、紗良は左手に宝剣のケースをなんとかかんとか抱え、右手に杖を持って、よたよたと転移した。
神殿では、萌絵と、さっきまでいなかった白い鎧の騎士たちが待っていた。
ほんとに白い、と思いながら、片膝をついて頭を垂れる彼らにケースを渡す。
萌絵が蓋をあけ、
「うん、本物」
と言うと、彼らは立ち上がって、もう一度礼をすると、部屋を出て行った。
本物かどうか、萌絵には分かるらしい。
さすが聖女だ。
「佐々木さん」
「なあに?」
「ちょっといい服を仕立てるお店を紹介してほしいの」
せっかくもらった大量の良い布の使い道を、紗良はようやく見つけた。
去年は借り物で過ごしたが、今年はちゃんと、自前のお呼ばれ服で年末を過ごすのだ。
萌絵は、急なお願いに首を傾げつつも、もちろん、と少し嬉しそうに言った。