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これは罰なのだ、と、口からこぼれ出た。
聖守護行列と呼ばれる、魔獣払いの旅の途中のことだ。
それは、払う、という言葉の軽々しさとは相いれない行為だ。
聖女を中心として組まれた巡礼行列は、実際は討伐隊に近い。
いや、そのものだ。
なぜなら、聖女自ら、魔獣に対して剣をふるうのだから。
いつも耳についている石は、時に杖にもなり、時に剣にもなった。
その剣を、聖気に惹かれて集まってくる獣に向ける。
最初は足が震え、剣の重みに動けなかった。
聖騎士たちが必死に萌絵を守り、耐えていた。
騎士は獣を退けることはできても、とどめはさせない。
それは萌絵にしか出来ないことで、それこそが萌絵が呼ばれた理由だった。
聖気そのものとも言える剣は、簡単に魔獣を両断する。
力はほとんどいらない。
けれど、手ごたえは、残る。
ゲームのように死体が消えたりはしない。
後には、累々とした獣の肉片が積み上がり、圧倒的な血の匂いが辺りを満たす。
何度やっても慣れない。
そのたびに萌絵は地面にうずくまって吐いた。
これは罰だ。
津和野紗良という一人の少女を、自分のあさはかな嫉妬心から巻き込んでしまった。
人生を捻じ曲げてしまった。
「馬鹿なことを言うんじゃないよ。
じゃあなにかい。
あたしも、何か悪いことをした罰で聖女だったってことかい」
萌絵の言葉を、しかし、前聖女であるノエリアが叱った。
きっとそうなんでしょ、と言いたかったが、言えばどんな反論が来ることか。
聖女というには粗野で口の悪いノエリアには、触らぬ神に祟りなしだ。
「何か失礼なことを考えているね、あんた」
口元をぬぐうための布を差し出しながら、ノエリアが言う。
「失礼なことなんて考えてないわ。本当のことだけよ」
侍女の差し出す水で口をすすぎ、布で口をおさえる。
吐き気は収まったが、萌絵の魔力量をもってしても、討伐はその枯渇との戦いでもある。
ほとんどもっていかれてしまったせいで、ふらふらする。
ふうと息をつくと、ノエリアが心得たようにやって来て、萌絵の額に手を触れた。
そこから、彼女の魔力が流れ込んでくる。
もはや役目を終えたはずの前聖女がこうしてついてくるのは、このためだ。
ゲームでいうところの、MPタンクというわけ。
彼女はまだ多くの魔力をその身に湛えている。
ただ、戦うのに体力が追い付かなくなってしまっただけだ。
人の身は衰える。
剣をふるえなくなった聖女は、たとえ聖気を十分に持っていても、もう聖女ではない。
いつか萌絵もこうして、年を取れば、次代の聖女の補給をするのだろう。
「はぁー、生き返った。もういいわ。ありがと」
「半分持ってって何がもういいわだい、遠慮がない子だね!」
「先達を見習ってるの」
「なんだってぇ!?」
怒鳴るノエリアの背後では、騎士たちが魔獣の死骸を一か所に積み上げている。
今の状態で浄化し、無害な獣にしても構わないのだが、質量があればあるだけ時間と魔力が要る。
それがすでに判明しているため、騎士たちは油を撒いて火を放った。
髪の毛の焼けるような不快な匂いがする。
獣の被毛に火が付いたからだ。
萌絵は少し離れたところに誘導され、そこで専用の馬車に乗り込んだ。
お茶が出され、ノエリアとともに黙ってそれをすすった。
かすかにいぶされたような匂いがする。
こちらは風上なので、この程度なのだろう。
やがて、騎士が呼びに来た。
さっきの場所に戻ると、くすぶった煙の立つ黒い小山が見える。
油と火では、死体は燃え尽きない。
それでも、骨が浮き出るくらいには質量が減っている。
萌絵は、さっき剣となったイヤーカフを、今度は杖として手にした。
「浄化」
最上級の呪文を唱え、あたりを一気に浄化した。
これで、あとは燃え残りを埋めてしまえばいい。
こんなことを、こちらに来てから月に一度ほどのペースで続けている。
それでも慣れない。
日本人だった頃の感覚はそう簡単には消えないのだ。
消えるとすれば、あちらで過ごした20年と、同じだけの時間をこちらで暮らした頃だろうか。
いや。
幼い頃に培われたものに、長いだけの時間は勝てないかもしれない。
だとしたら、自分はきっと、死ぬまで慣れることはない。
「聖女様。近くの街に宿を用意してあります。今夜はそちらへ」
「分かったわ。……っと」
スマホが鳴った。
紗良からだ。
『今日、お好み焼きなんだけど、来ない?』
すぐさま返事をする。
『行く!』
『いつ来てもいいよ、準備もう出来てるんだ』
『じゃあ今すぐ行く!』
「ねえ、私ちょっと、出かけて来るから」
「どこに。いや、その板っ切れの相手は半身様だね」
「ごはん食べて来るから!」
「待ちな、せめて街に着いてからにしたらいいだろう!
まだ一回も行ったことがないんだ、帰りの転移はこの森に着いちまうじゃないか」
「大丈夫、ノエリア様がいれば」
「え……あんた、私を勝手に転移先に登録したね!?
そういうことは本人の同意を得ずにしちゃいけないってあれほど……こらー!」
うっかり口を滑らせた。
萌絵は慌てて、紗良のいる聖なる森へと転移んだ。
「あ、きたきた」
「やほ」
ウッドデッキでのんびりと寝転んでいた紗良が、萌絵を見て体を起こした。
平和そのものの光景に、なんだか気が緩む。
さっきまでいた森との落差がすごい。
「あら。転移石じゃない」
「うん、初めて作ってみた」
「へえ、その……個性的な文様ね」
「……やっぱりおかしいんだ、そういうイラストみたいなやつ……やっぱり……おかしいんだね……」
多くの街で色んな転移石を見たが、確かに、文様は基本的に幾何学的だ。
時々変わったものもあるが、陰陽太極図のような、やはり点対象である。
「ま、いいじゃん、使えるんだから」
「そうだね……。佐々木さんも登録する?」
「そうねえ」
目を細めて確認すると、石に登録されているのは、紗良の魔力の他は、あの神官のものだけだ。
いや、今はもう神官長か。
二人だけの転移石で、名前は『おうち』ときたもんだ。
「……いえ、いいわ。なくても来られるもの」
「そう?」
半分ほど減っていた魔力が、徐々に回復しているのが分かる。
この森の機能だろう。
紗良は、常にバッテリーを充電しながら生活しているようなものだ。
「じゃじゃーん、ホットプレートー」
ウッドデッキに上がり込んでごろごろしていると、代わりのように紗良が部屋に引っ込み、両手に大荷物を抱えて戻ってくる。
まだまだ、日常で魔術を使う習慣はないらしい。
浮かせて持ってくるくらい、できるだろうに。
すでに用意してあったらしいタネのボウルと、諸々の材料をテーブルに並べる。
渡されたビールをぷしっと開け、まずは喉を潤した。
魔獣討伐の後のビールは格別だな、などと思う。
「ちっちゃいので色んな味にしよう」
「いいね。キムチチーズある?」
「あるよ。こっちはもちと明太子」
小さなボウルにタネを分け、そこに刻んだキムチとチーズを混ぜて一枚、別のボウルに角切りのもちと皮を外した明太子を混ぜて一枚。
じゅう、とホットプレートが音を立てる。
すでに冬の気配がするが、床は温かいし、ウッドデッキは温かい空気の層でおおわれている。
ビールが美味い。
キムチの方にはエビ、もちの方には豚バラを載せてひっくり返す。
ひときわ大きな音が立ち、肉の焼ける匂いがした。
それは、魔獣を焼いた匂いに似ていて、けれど、不思議にその感覚はすぐ消えた。
いつも、討伐の夜はあまり食べられない。
ノエリアはそれを知っていて、ここにあっさり送り出したのだろう。
「はーい、半分ずつね」
皿に取り出されたお好み焼きは、ハーフ&ハーフの形でのっていて、そこにソースと鰹節をかける。
もちろん、マヨネーズもたっぷりだ。
「いただきます!」
「いただきます!」
熱々の一口目を、ほーほー言いながら食べる。
もちの甘い柔らかさに、ぴりっとした辛みが後から来る。
火を通した明太子は、本当に香ばしい。
それをビールで流し込み、あまりの美味しさに空をふりあおいだ。
星座の分からない夜空に、見知らぬ陰影の月が浮いている。
知らない世界で、舌に馴染んだお好み焼きを食べていることが、不思議で、そして嬉しい。
「私さ。本当に本当に、本当に津和野さんに申し訳ないと思ってるんだけど」
「え? うん」
「それでも、私は」
──あなたの存在に救われている。
萌絵が言うべき言葉ではない。
だから口にはしない。
けれど、紗良は全てが分かっているように微笑んでくれた。
「ビールもう一本だね! 分かるよ!」
全然分かっていなかった。
いそいそと二人分のビールを追加し、次は何を焼こう、と悩んでいる紗良を見ていると、まるで今日がいい日だったように思える。
そうだ。
今日はいい日だ。
「牛筋は?」
「えっ……お好み焼きに?」
「えっ」
「えっ」
西寄りの出身である萌絵は、紗良からコテを奪うと、猛然とお好み焼きを焼き始めた。
「ただいまー」
「急に現れるな! 淑女の部屋に!」
「大丈夫、私も淑女だから」
「人の部屋に勝手に転移してくるやつが淑女なわけなかろう!
そもそも、説教の途中だったのだ、勝手に私を目印にするな!
私が先に転移先にいることをあてにしおって!」
萌絵は、割り当てられた自分の部屋に移るため、ノエリアの部屋のドアを開けた。
「うーん、ごめんて。
でも、ほら、ノエリア様はいつでも私の先を行ってくれないと。
先生なんだし」
「都合の良い時ばかり先生か!」
「そんなことないよ。聖女なんてつまんないこと、一人じゃやってらんないけど、ノエリア様がいるからやれてるとこあるよ」
萌絵の言い分に、ノエリアは少しだけ言葉に詰まった。
つまんないなどと言うな、というお叱りの言葉は、少し小さい声だった。
平民の平凡な少女だったというノエリアは、ある日突然、両親から引き離されたという。
聖女であると判明したその日から、ずっと教会で暮らしているそうだ。
断るなど思いもよらなかっただろう。
意思など尋ねられもしなかっただろう。
それでも、嫌だ嫌だ帰りたいと泣く萌絵を、心から慰められたのはこの前聖女だけだ。
「ノエリアはいつだって、私の目印なんだから」
同情はたやすい。
けれど、共感できるのは、この世界にノエリアだけだ。
萌絵は、やれやれという顔をした彼女に、おやすみと言った。
お腹もふくれ、酔いも手伝って、今夜はよく眠れそうだ。
いつもよりも、ずっと。