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翌日、マチューとマリアにお土産を持っていくと、二人はとても喜んでくれた。
改めて買ったドーナツを食べ、王都がどんなところか話すと、いつか行ってみたいねえと盛り上がった。
ドーナツでお腹がふくれても、サスペンダーのおかげでマチューのズボンはずり落ちない。
マリアは、昼食にと、新しい木べらで料理をしてくれた。
ソーセージとキャベツの酢漬けの煮込みだ。
さっぱりして美味しいこともあるが、ソーセージにはニンニクとチリ味があって、これがまた酸味と合っている。
「これ、どこで買ったんですか?」
「ん、腸詰めかい? そりゃ俺が作ったんだ」
「えー!」
本当に、えー!、だ。
マチューが見せてくれた腸詰め用の道具は、絞り袋に長い口がついている程度のもので、思ったより簡素だった。
これならいつか作れるかもしれない。
紗良は、いろんな角度から写真だけ撮らせてもらった。
ハーブを入れたり、ジビエを使ったり、色々出来そうだ。
それに、ソーセージというのは、とにかくビールに合う。
「さすが魔法使い様だねえ、色んな魔法があるねえ」
マリアがスマホに感心している。
これは紗良の魔法ではないが、説明するのも難しいので、だよねえ、と同意しておいた。
すると、マチューが、思いもかけないことを言い出した。
「空は飛べないのかい?」
そ ら を と ぶ ?
紗良は、今までそんな発想が自分になかったことに、逆に驚いた。
そうだ、魔法と言えば、ほうきで空を飛ぶ姿が有名じゃないか!
ただ、紗良にとって魔法は、ほとんどが身を護る方法として覚えたものだ。
だから、どちらかといえば、ゲームのジョブとして捉えていたのだろう。
そのせいで、童話的発想がなかった。
しかし──。
ほうきで空を飛ぶ、宅配業の魔法使いか。
そしてその時、肩には黒猫が乗っている。
「うん。アウト」
思わず言うと、マチューはちょっと残念そうな顔をした。
「そうかい、ないのかい」
「なんで、何か必要でした?」
「いいや? だが、空を飛ぶというのは、ロマンじゃないか」
マリアは呆れた顔をしたが、紗良は首がもげるほど同意した。
宅配業に使いさえしなければ、きっと空を飛ぶことは不可能ではないだろう。
森に帰った紗良は、早速、試してみることにする。
ほうきはないので、以前、ウッドデッキを作った時に複製用にストックしておいた木材を出してくる。
幅があるのは良いが、ちょっと長すぎるので、切断でほうきくらいに短くした。
まず、いつもはフードの中のヴィーにかけている浮遊を、木材にかける。
ベンチくらいの高さに浮かせたそれに腰かけて、上昇させた。
「お」
浮いた。
足が地面から離れた──と思った瞬間、
「あ、あああああー」
ぐらり、と揺れて、紗良は背中から落っこちた。
幸い草地だったので怪我はないが、したたかに体を打ち、息が止まりそうになる。
「ひい……うう……あうあう癒し」
すうっと痛みが引いていき、楽になった。
ちょっと泣くところだった。
これは、魔法がどうとかの話ではないな。
紗良のバランス感覚の問題だ。
【戦士】のレベルも少しずつ上がっているので、身体能力は上がっているはずだ。
だが、もしかしてそれは体力面だけの話かもしれない。
そもそも、リセットが働いているので、紗良の【戦士】スキルというのは、筋肉を効果的に使うとか、からだの動かし方とか、そういう方面だ。
これは、最強と思えるリセット機能の最大の弱点だろう。
まあ、バランス感覚だって、鍛えれば身につく。
何回か練習すれば、いける気がする。
「あ」
思いついて、木材の一部をちょっと細く削った。
真ん中あたりを、鉄棒の握りくらいの直径にしたのだ。
そしてそこを掴んだまま、木材を浮かせる。
どんどん浮いて、そして、ぶら下がった状態の紗良の足は、地面から無事に離れた。
「浮いてる浮いてるー」
ぶらぶらと揺れながら、ゆっくり上昇してみた。
森の木よりも少し高い位置まで目線があがると、近隣が一望できた。
広く深く、美しい森だ。
景色もいいし、ちゃんと浮いている。
紗良は満足して、またゆっくりと地上に降りた。
そして思った。
「飛んではいないな……」
棒にぶら下がって浮いているのは、なんかちょっと。
思ってたんと違ったな……。
ゆっくりと降下し、地面に降り立つ。
ちょっと恰好悪かったので、誰にも見られなくて良かったと思う。
が、そう思った途端に、視線を感じた。
いやな予感がして、空を見上げる。
悠々と旋回する、ペリカン。
ゆっくりと高度を下げながら、そいつは鳴いた。
「アホー」
よし今日は焼き鳥にしよう、と紗良は思った。
その気配を察知したのか、ペリカンは、少し離れたところに降り立った。
そして、口をぱかっと開けると、自ら中身をぺっと吐き出す。
ごろん、と転がったのは、かなり大きな石だ。
一抱えはあるだろう。
紗良は近寄って、よく見てみた。
ただの石ではなく、平べったくて、上部はさらに滑らかに平面の加工をされている。
見たことのある形だ。
どこだったか。
そう、海を探しに行った日に、セイウチのような奇妙な海獣がくれたもの。
あれに似ている。
あれは、地形の変化で川底に沈んだ、春子の転移石だった。
「これ……私の転移石?」
なんの文様もない、ただの平たい石だが、直感でそう思う。
ペリカンは何も答えない。
そして、温かくないウッドデッキには用がないのか、そのまま勢いよく飛び立っていった。
力強い羽音は、気持ちよさそうに空の彼方に消えていく。
まさに空を飛ぶ鳥は美しく、棒にぶら下がっていた紗良は笑われても仕方がない気がしてきた。
焼き鳥は勘弁してやろう。
マニュアルノートを開くと、新しいページが書かれていた。
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<転移石>
【賢者】のレベルが上がりました!
転移石創造が可能になります。
転移石は、配布制です。
必要な場合は、配送を希望してください。
配布された石には、杖を使って術を定着させます。
文様は術者によってさまざまですが、術者の固有でもあります。
同一の術者による転移石は、同一の文様になります。
どのような形になるかは、術者の力量によります。
任意の場所に転移石を設置し、呪文を唱え、目印となる名づけを行いましょう。
呪文 我が心の欠片をここに
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「ほう」
紗良は、最初の転移石をどこに置こうかと考えた。
正直、転移があれば、そんなには必要なものではない。
魔力を節約できるとしても、そもそもが連続での使用に耐えうる魔力量なのだから、さほどメリットでもない。
なぜ今、わざわざ転移石なのだろう。
つるつるの表面を撫でてみる。
なぜか、石は少し、温かい。
「あ、そうか」
紗良は、その使い道を決めた。
耳からイヤーカフを外し、杖に戻すと、それを両手で握る。
石を浮かせて、我が家のドアの5mほど横に穴を掘って設置した。
息を吸って、さすがにいつもより集中する。
「我が心の欠片をここに、礎の名は──私のおうち」
そのとたん、赤い光が天を貫いた。
立ち上がった光で、辺りが染まるほどだ。
「お、おおっ……」
さすがに、魔力が減った感覚がする。
体感では、3割くらい持っていかれたかもしれない。
そして光が収まると、そこには、文様の刻まれた転移石があった。
「……なんか……前衛的?」
春子の文様は、はっきりと対称性のある直線のパターン文様だったのに、紗良のそれは曲線が多い。
花や動物が適当に配置されているようにも見えるが、なんだかごちゃごちゃしている。
「まあ……いいか、私っぽくて」
目を凝らすと、『おうち』というひらがなも見えた。
春子のはかっこよく英語だったのにだ!
色々と思う所はあるが、初めての転移石を成功させたのだと思えば、全てどうでもよくなる。
紗良は立ち上がり、そのまま、転移を唱えた。
飛んだ先は、教会だ。
外に足場が組まれ、どうやら建て直しが始まったらしい。
神殿に格上げしたと言っていたから、その関係だろう。
「こんにちは」
「これは紗良様。いらっしゃいませ」
「フィルさん、今ちょっと時間ありますか?」
「ありますよ」
即答だったし、隣にいたアニエスが目をむいていたが、フィルはさっさと一緒に外に出てきた。
「あの、すぐ済みますので!」
アニエスにそう伝え、紗良はフィルとともに再び河原へと転移した。
「フィルさん、ええと」
あれ、そういえば、転移石の許可ってどうやって出すんだっけ。
紗良は慌てて、マニュアルノートを開く。
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<転移石の使用許可>
転移石は、術者の許可した人間のみ、飛来での使用が可能です。
まずは、解放の条件を石に触れながら決め、最後に約諾を唱えます。
その後の許可を出す手順は、術者が決めることが出来ます。
例1)『鹿と一緒にどんぐりを食べる』などの条件を石に仕込み、クリアした者が自由に解放できる
例2)特定の生物と共に転移石に触れるなどの条件を石に仕込み、クリアした者が自由に解放できる
例3)術者と共に石に触れ、特定の合言葉を唱和する、などの条件を石に仕込み、術者自身が許可を出す
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「ふむふむ」
紗良は少し考えて条件を決めると、石に触れてそれを伝え、最後に約諾を唱えた。
そして、フィルを振り向き、言った。
「この転移石、初めて作ったんです!
フィルさん、ここまで来られるのはフィルさんだけだし、いつも歩くの大変そうだから!」
「もうそんなところに到達されたのですか、素晴らしいですね!」
「うん、結構魔力持っていかれましたけど、まだ大丈夫です。
それで、ほら、手を出して、石に触れてください。
使えるようにしちゃいましょう」
フィルはゆっくりと手を伸ばし、石に触れる。
「一緒にこう言ってください。『神官長昇進記念』って」
彼は、小さく、くくっ、と笑った。
いつもよりずっと、自然な笑い方だ。
「かしこまりました」
せーの、で二人が同じ言葉を唱えると、さっきほどではないが、やはり赤い光が立ち上った。
「これで、来るの楽になりますね」
「はい」
フィルは優しい顔で笑った。
いつもと同じようで少し違う感じがして、ちょっとどきりとする。
「あ、大変、早く戻らなくちゃ。
暇って言ってたけど、ぜったいお仕事の途中でしたよね?」
「私にとって、紗良様よりも優先されることなどありませんよ」
「あ、えへ、はい」
だって紗良は、森の恵みを外にもたらす存在で、聖女の半身で、特別な人間だからだ。
うん。
どぎまぎしながら、紗良はフィルと共に教会あらため神殿へ飛んだ。
じゃあまた、と手を振る。
「紗良様」
「あ、はい?」
「転移石の名を聞き忘れました」
「そうでした? 名前は──」
私のおうち、と早口で伝えた紗良は、すぐさま河原に転移した。
逃げたわけではないけれど、心当たりのない気恥ずかしさを覚えたから。