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250万ギルを握りしめて、フィルのいる教会へと飛んだ。
お世話になっているマチューとマリアに、王都で何かいいものを買って来ようと決めたので、その報告だ。
別に言っておく必要はないのだけれど、フィルは言っておいてほしそうな気がした。
なぜなら、彼はきっと、教皇庁から紗良のお世話役を押し付けられていそうだからだ。
「こんにち……は?」
中には、いつも修道女のアニエスと、フィルしかいない。
たまにお客がいることもある。
今日はその、たまにだったようだ。
「おお……これは、半身様!」
客は二人。
いずれも神官服を着ている。
そして、紗良を『魔法使い』と呼ばず、『半身様』と呼ぶのは、聖女を崇拝している傾向が高い。
案の定、男たちは、紗良を囲むように左右に立ち、
「半身様、どうか我が領の森へ移住を考えてはいただけませんか!」
と言い出した。
神官というのは、こういうところがある。
彼らは本当に聖女が好きだ。
そして、聖女を傍に置きたがる。
紗良はたびたび、萌絵からそうした話を聞かされていた。
彼らは、聖女を自領にどうにかして呼び寄せたがるらしい。
あの手この手を使い、権力も金も惜しみなく利用するとか。
当然、聖女の半身である紗良のことも、同じように考えているのだろう。
『半身』なんて役割は、女神様が遣わしたものではなく、教皇庁が勝手に考えたものだ。
だから、紗良を傍に置いたところで、いいことなどひとつもない。
彼らはそれを知らないらしい。
ということは、あれだ。
下っ端だな。
「あ、結構です」
だったら断ってもいいよね。
紗良は、セールスを断る時の要領で短く答えた。
彼らは、なぜか驚いた顔をした。
それから、自領の森がどんなに美しいか、そしてそこを治める領主の家に滞在できるとか、お金がどうとかの話を口々にし始める。
紗良だって、日本での一人暮らし歴は二年だ。
実家からの引っ越し前に、両親と兄と姉に、色んな事を教わった。
特に、勧誘とセールスの断り方は、練習までした。
だから、こういう時は、理由を言ってはいけないと知っている。
理由を言えば、向こうはその理由をつぶしてこようとさらに話を続けてしまう。
「あ、結構です」
とにかく断る。
あとは、そう、ドアを閉めるか、立ち去る。
そこまで考えて、ちょっと困った。
フィルに用事があったので、今はそのどちらも出来ない。
これは手ごわい。
まるで、セールス役が姉の時くらい、難しい。
姉のトークスキルときたら際限がないし、強引さは尋常じゃない。
料理学校の校長より向いているものがありそうな気がする。
紗良は姉とのシミュレーションで、絵を三枚と壺を二個買い、死亡保険に三件加入した。
断れなかった。
保険の受取人は全部姉だった。
「そこまで。彼女が断った場合は諦める、という約束でしたでしょう」
思い出をたどって現実逃避している紗良を助けてくれたのは、フィルだった。
彼がにこりともせず、神官たちに言うと、二人は気色ばんだように拳を握った。
その拳を振り回しながら、
「しかしだな!」
と詰め寄ろうとする。
その間にさっと入り込んだのは、アニエスだった。
「お控えなさいませ。神官長様のお言葉に逆らうおつもりですの?」
妙な威厳を湛えて言われると、神官たちはたじたじとなる。
そして、非常に悔しそうな顔をしながらも、握った拳を降ろした。
「さ、お帰りはあちらでございますわ。紗良様への交渉を許したことだけでもありがたいと思うべきです。
そして、約束を守りましょうね。善き女神の僕たる我らの契約は、どんな小さな約束事にも等しくふりかかるのですもの」
彼らは、ぐいぐいと迫りくるアニエスから逃げるように、教会から出て行った。
「ありがとうございます、アニエスさん」
「あらあらまあまあ、ここは神官長様にお礼をお伝えすると喜びますわ」
「あ、はい、ありがとうございますフィルさん」
彼は、さっきまでの表情をすっかりゆるめて、いつもの笑顔を見せた。
「こちらこそありがとうございます。良いタイミングでいらしていただけて」
「そうですか?」
「ええ。そうでなければ、彼らを森に案内せねばならないところでした」
「あの二人を?」
ええ、とフィルはため息をつく。
「あれでも、それなりに上の地位をいただいている神官なので。よほど無理難題か、倫理に反することでなければ、言下に拒否はできません」
「へえ。でもなんだか、フィルさんの方が立場が上っぽい話をしていませんでしたか?」
彼は、軽く肯いた。
「ええ。おかげで追い出せて良かった。まさにこのような時のために、修練と試練を突破したと言っていいでしょう」
横から、アニエスがにこにこしながら言う。
「フィル様は、このたび、神官長の地位に就きましたの。簡単な道のりではないはずですが、短期間で成し遂げましたわね」
そういえば、アニエスは彼をフィル様と呼んでいたのに、今日は神官長様と呼んでいた。
「へえ! 神官長っていうと、どのくらい偉いんですか」
「そうですね……上から3番目くらいですかね」
え、かなりじゃない?
だって、あのひげの教皇様が一番上で、そこからたった2つしか位置が違わないってことだ。
「あ、だからここのところ、忙しそうだったんですね」
「ええ、面倒ですがいくつか手順がありますから。
しかしこれで晴れて、あのような無茶を言い出す輩を、正当に排除できるようになりました」
紗良は、首を傾げた。
「ということは、王都へ行かれるんですか?」
「なぜです?」
「いえ、それだけ偉いと、普通、そうなんじゃないですか?」
「そうですね、そうする者が多いのは確かですね。
しかし、私は元々この地の神官であり、聖なる森とそこに住む紗良様を女神様より授けられた身。
これを守り続けることこそ、私の使命です。
なので、ここを神殿に格上げしました」
「そうなんですね! じゃあ、引っ越しはしないんだ」
「はい、しません」
格上げしました、じゃないっつーの、と小さくアニエスさんが言った気がしたが、顔を見るとただにっこり微笑まれた。
「ところで紗良様、何か御用がございましたか?」
「あ、そうでした」
紗良は、ここに来た理由を説明した。
フィルは、あっさり肯く。
「承知致しました。まずは、銅貨に両替致しましょう」
「あ、忘れてた。ありがとうございます」
「お戻りの際には、また顔を出していただけますか?」
「もちろん。お二人にもお土産買ってきますね!」
「紗良様の無事が、なによりのお土産でございますよ」
それはそれは、では五体満足、無事で帰ってこなければ。
紗良は肯いた。
「じゃあ行ってきます。ほら、ヴィーも挨拶して!」
実はずっとフードの中で寝ていたヴィーをゆすり起こす。
黒猫になったヴィーは、ずぼっ、と顔だけ出して、フィルに向かってシャー!と言った。
王都でぶらぶらと歩き、以前木彫りのフォークを買った店に寄って、木べらを買った。
前回、マリアが、愛用の木べらが割れてしまったと言っていたからだ。
それから、いつもズボンがずりおちているマチューのために、サスペンダーを買う。
あとは、砂糖がたっぷりのドーナツと、菫の花の砂糖漬け。
ナフィアでは見たことのなかった、キャベツのようなものの酢漬け。
さらにきょろきょろしながら歩いていると、マニュアルノートが合図をしてきたので、物陰でちょっとのぞく。
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<王都の五層構造について>
王都は、実は明確に区画区分がなされています。
まず、王宮や教皇庁、高位貴族の住宅地、騎士学校などのある第一層。
次に、領地を持つ貴族のタウンハウスや、貴族向けの店舗がある第二層。
商人の住宅や、平民向けの店舗がある第三層。
平民の住宅や、職人の工房等がある第四層。
そして、それ以外の住み着く第五層です。
これらは法的に届を出してそれらのエリアに住んでいるのです。
各層を移動することは妨げられませんが、身分差のはっきりしたこの世界では、所属する層を大きく外れれば、なにごともうまくやれはしないでしょう。
もしもあなたが住むとすれば、第一層です。
今あなたがいるのは、第三層です。
目の前に見える青い旗が、第四層の入り口です。
自分のいる位置を、常に忘れずにいましょう!
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ぶらぶら歩いていただけだが、確かに目の前には、青い旗がある。
紗良だって人並みに好奇心はある。
けれど、マニュアルノートが言うことは、たいてい紗良の安全を優先していると知っていた。
先に進むのはやめておこう。
そう思った時、スマホが鳴った。
ちょうど物陰だったので、そのまま開く。
『もしかして王都にいる?
お出かけ用の服が、もう一着できたの。
よかったら取りにきて!』
萌絵からのメッセージに、OKのスタンプを返し、紗良は教皇庁へと転移した。
入り口に飛ぶと、見たことのある騎士がいたので、挨拶をして入れてもらう。
一歩、神殿に入った時だ。
ものすごく慌てた様子で、教皇が現れた。
「こんにちは」
「紗良嬢! さすがに神殿にそれはいかん!」
「え?」
必死の形相で彼が指さしているのは、紗良の頭の横だ。
つまり、フードから顔をだしているヴィーだ。
あれ。
もしかして魔物だからかな?
さすが教皇ともなると、猫の見た目でも中身を見抜くらしい。
いや、遠くで気づいたみたいだから、気配かな?
一応、抵抗してみる。
「黒猫です」
「嘘つきは女神さまに目をくりぬかれますぞ!?」
なにそれこわい。
「すごく大人しいんですけど!」
「それでも魔物はまも……」
頑なにとおせんぼをしていた教皇は、もぞもぞはい出て肩に乗ったヴィーを、まじまじと見た。
「む……そなた、その首の……」
「あ、そういえばこの首輪……じゃないチョーカーの革、ここの予算で買ってもらったんです、ありがとうございました」
「どういたしまして。……ではなく、その……」
じっと目を凝らして、ヴィーの首元を見ている。
穴が開くほど見つめ、それから、教皇は大きく息をついて、背筋を伸ばした。
「なるほど。
……異界の半身様は、いつも魔物を愛される。なぜじゃろうのぅ……」
そう呟くと、しばし、ヴィーと見つめ合う。
「仕方ない。よろしい、そのまま聖女に会いに行ってくだされ。
やれやれ、他の誰にも気づかれねば良いが……」
教皇は、ため息をつきながら立ち去ろうとしたが、またひょいと振り向く。
「ところで、フィルはお役に立っておりますかな?」
「いつも本当に助けてもらっています。神官長様になられたとか」
くくっ、と白いひげが面白そうに揺れた。
「神官長の地位を嫌って辺境に飛ばされ、結局その地位を自ら求めて来るとは。
これも全て、女神様の采配であろう。
この経緯全てが、誰にも、なんの文句も言わせぬ所以となっておる。
なんとも、あらゆることを見通す女神様の素晴らしきことよ」
ほっほっ、と楽しそうに笑って、去ってしまった。
何だか分からないが、とりあえず許可は出たようだ。
紗良は、萌絵の部屋へと向かった。
そして、おしゃべりしながら、ドーナツを全部食べてしまった。
お土産だったのだが、つい。
帰りにもう一度買って行こう。
フィルとアニエスの分もだ。
シナモンの香りの砂糖を味わいながら、彼らの喜ぶ顔が見えるような気がした。
はい首輪