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教会内の応接室で、フィルと修道女さん、くわえてフロー家の親子の総勢四名で、二枚のピザを囲んでいる。
一人ふた切れで、男性陣はとうていお腹いっぱいとはいかないが、おやつにはなっただろう。
紗良は河原で食べたので遠慮しておく。
代わりに、美味しい紅茶を淹れてもらった。
「服飾店に持ち込んで、お好きなものを仕立てるのが良いでしょう」
「そうですね、この街の店でも良いし、なんなら王都や我が故郷でもよろしいかと」
え、そんな店に持ち込むほど高級なの?
紗良は、手始めにハンカチでも縫おうと思っていたので、そのことを口に出さなくて良かったと思う。
「好きなものと言われても困っちゃいますね」
「基本的には森で暮らしておられる紗良様です、ドレスは不要、ファブリックも不要となると……」
「あ、でも、こうして街に出る用の普通の服は欲しいかもしれません。
この格好だとどうしても、目立ってしまうというか」
「なるほど……しかし紗良様、目立って良いのです、それこそが、あなた様の安全を守っているのです。
誰もがあなたを魔法使いと知っていて、手を出してはならないと認識する。
それが何より重要です」
フィルがわざわざ体の向きを変え、紗良と向き合ってまで真顔で言うので、無言で三回肯いた。
「それでは、別のローブを作るのはいかがですか?」
息子のジルが、父親のピザをかすめ取りながら言う。
父親の方も、そのピザを素早く取り返しながら、
「そうですね、例えばこの白い光沢のある布に、同じ白で細かく刺繍を入れ、長いローブにするなどいかがでしょう」
と、同意した。
紗良は首を傾げる。
「結婚式みたいですね」
「……というと?」
「私の故郷では、結婚する時には真っ白い花嫁衣裳を着るんですよ」
「ほう、それは興味深い。
しかし、だとすれば、そのように華やかな白は、いつかのためにとっておきましょう」
いつか、かあ。
紗良の両親が結婚したのは、27歳くらいだ。
あと7年か。
そう思ってから、ふと思い当たる。
こちらに来てから、あと数カ月で一年が経つ。
紗良の誕生日は8月なので、そうすると21歳になるわけだ。
けれど多分──紗良は年をとらない。
なぜなら、リセットされているからだ。
目の前のフィルを見ても、彼が出会った頃から年を取っているふうには見えないが、これが3年、5年となったらどうなるだろう。
彼はどんどん年を取り、紗良はいつまでも紗良のままだ。
「フィルさんって、いくつなんですか?」
思わずそう尋ねると、教会中の時が止まったように、全員が目をむいた。
驚いて、小さく跳ねてしまう。
「え、ごめんなさい、スキル見せちゃ駄目なみたいに、年齢って聞いちゃ駄目なんですか!?」
やってしまったか、と思ったが、真っ先に動き出したフロー子爵が、ごほんと咳払いをする。
「いえ、そんな慣習はありません。ただその、話題が話題でしたので」
「え? ごめんなさい考え事してしまってて、ええと、何の話してましたっけ」
「ああ……いえ、特に意味はなさそうですね。よろしい。
ええと、司祭、おいくつでいらっしゃるのかな」
フィルが答えようと口を開きかけたが、あら、と割って入ったのは、修道女さんだった。
「関係がないわけございませんわ。ええ。わたくしはね、関係があるとみておりますわ。
これは女の勘でございますけれど、そういう意味では男性の勘は鈍いものでしょうから、仕方ありませんけれど」
再び男性陣は固まり、修道女さんはピザを食べ終え静かに紅茶をすすった。
「ちなみにバイツェル司祭様は24歳でございますよ、紗良様。わたくしはね、いいと思いますよ、ええ、いいと思います」
「あ、はい。私は20歳です。たぶん」
「まあまあ、ちょうどいいではありませんか、ねえ、よろしゅうございます、女神様もお認めでいらっしゃるようですし、ねえ」
「はあ……何をですか?」
ほほほほ、と笑った修道女さんは、てきぱきと空いた皿を下げていった。
フロー子爵が再び咳払いをする。
「ちなみに、うちの息子は23歳です。うちのもいいと思いますよ、私は」
「父上……出会いであんな無作法をしておいて、それは図々しいというものです」
呆れたようなジルに促され、子爵が立ち上がる。
ちょうど、洗い終えたピザの皿を修道女さんが持ってきてくれた。
おいとまの時間だろう。
「お二人は、領地からここまでどうやって来たんですか?」
「荷馬車で参りました」
「なら、帰りも時間がかかるでしょう。お送りしますよ、街の転移石は使えるようにしてもらいましたし!」
「よろしいのですか?」
「お安い御用です」
紗良が立ち上がると、反射のようにフィルも立ち上がる。
そして何やら考え事をしていたような顔から一転して、いつもの穏やかな笑みを浮かべる。
「近いうちに、仕立ての件についてご希望をお伺いしに参ります。
どんなものがあるか、こちらで案をお持ちしましょう。
また、衣服だけではなく、リボンや装飾品という手もありますし、あるいは、ウッドデッキ用の敷布などでも構わないと思いますよ」
「えっ、なにそれ素敵」
パッチワークでちょっとふかふかにしたラグなんてどうだろう。
ごろごろに最適では?
「はい、素敵です。本日、布の箱は森へお持ちになりますか?」
「そうします、どんなのがあるか見たいので」
「承知いたしました」
フィルとジルが、荷物を全て荷馬車に運び、ついでに親子も乗り込む。
紗良は馬の横に立ち、手綱を握る。
「あ。そういえば、あの、お名前なんていうんですか?」
修道女さんに聞いた。
ずっと気になっていたが、どうやら自己紹介はしてくれないようだったから。
「恐れ多くも名乗らせていただきます、アニエスと申します。
本当の名ではございませんけれどね、そちらの名前は捨てましたので、ええ、司祭につけていただいたのです。
ちなみに32歳でございますよ」
「おうふ……お、教えてくれてありがとうございます。
あの、お裁縫はお得意だったりしませんか?」
「裁縫、でございますか? 刺繍ならばたしなんでおりますが、縫製のほうとなりますととんと」
「そうですかあ」
「手ほどきできる者をお探しですか?
かしこまりました、バイツェル司祭が手配するでしょう」
勝手に何か言い出したが、当のフィルは隣でにこにこ肯いている。
「今すぐではないんです、そのうち、気が向いたら? そのー、やる気になったら?」
「承知でございます、心に留めておきましょう」
フィルとアニエスに手を振って別れ、フロー親子を領地まで送り届ける。
そのまま、木箱とピザの皿を抱えて、森へ帰ろうとしたが、領民に見つかってしまった。
魔法使いスタイルだったので、一発でばれたのだ。
これって本当にいいことなのだろうか、と、フィルの言い分にそこはかとない疑問を感じつつ、彼らに誘われて川の様子を見に行ったりする。
丸太で組んだ大きな運搬装置などが出来ていて、工事は着々と進んでいるらしい。
その後、送っていただいた礼だ、と、領主の家に夕食に招かれた。
貴族の家だと思うと少々不安はあったけれど、食事のマナーなら両親に叩き込まれたので、思い切って受けてみた。
話題はずっと領地のことで、こんな領主一家ならば、住んでいる人たちも安心だろうと思う。
「このケーキ美味しいですね!」
紗良が言うと、夫人が嬉しそうに笑った。
「まあ嬉しい、この地方の伝統の菓子なのですわ。本来は家族で内々に食べる家庭料理で、とてもお客様に出すきちんとした料理ではないのですけれど」
「色んな食感がありますね」
「素朴なケーキに、カラムやポピンの種を混ぜて焼いたものです。
ひとつひとつに意味があるのです、例えばカラムは『再会』で、会いたい人にまた会えるというおまじないです。
どうぞ、魔法使い様も再びのお目見えをお待ちしておりますわ」
紗良はケーキの残りをお土産に持たされ、河原へと戻って来た。
もちろん木箱とピザの皿も忘れていない。
「あらヴィー、ピザ食べたの、美味しかった?」
ウッドデッキで腹を出して寝ていたヴィーは、くるりと反転して起き上がると、紗良の持っている紙袋に顔をぐいっと寄せてきた。
中身は、夫人が持たせてくれたシードケーキだ。
「はあ、食べたばっかりだけど本当はもうひと切れ食べたかったんだよね。
一緒に食べようか」
夜はまだ浅く、萌絵の灯した明かりが柔らかくウッドデッキを照らしている。
空気はぬるく、遠くかすかに水の匂いがする。
「暑くなってきたし、川に入れば気持ちいいかな」
ふと見ると、ウッドデッキの端が盛大に濡れていた。
どうやら、ヴィーが一足先に水遊びを楽しんだらしい。
羨ましい、と思いながら、紗良はその痕跡を魔法で綺麗に消し去った。