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森で枝を打ち払っている途中、聞きなれたファンファーレがなんだかいつもと違った。
なんだろう。
軍手を脱いで、とりあえずマニュアルを開いてみる。
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<上位解放>
風魔法のレベルが解放されました!
切断を使ってみましょう
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分かる、段階ね、あるある。
紗良は予定を変更して、もっと直径のある木から板を製材することにした。
「切断」
木の根元を狙って呪文を唱えると、一瞬の後、どうと重い音と共に太い幹が倒れた。
想像より威力が強くて少し驚いた。
倒れた木を丸太状に切断し、河原に運ぶ。
錬金釜に放り込んで、板材を作った。
ちょっと家の中を探してみたが、やはり金槌などはないようだ。
記憶にもないし。
女子大生の家に、金槌は普通ない。
仕方ないので、鉄とステンレスのインゴット、それから木切れを釜に入れ、金槌と釘を生成した。
そして二時間後、紗良は、目を閉じ、気持ちを落ち着けていた。
出来上がったのは、がったがたのテーブルだった。
何か全体が歪み、何か足が安定せず、何かとにかくがたがたする。
目を開けてその現実を見る。
「想定内」
そう。
箸製作からいきなりのテーブルは無理があると思っていた。
だから、ちゃんと材料は複製で増やしてある。
「あっ」
躓いて、慌ててテーブルにつかまったが、頼みのその支えは盛大な音を立ててぺしゃんこになった。
おかげで結局転んだが、草地なので問題ない。
そう。
「想定……内……」
壊れたテーブルは薪用に切断し、新たにまた材料を運んでくる。
大丈夫、さっきから、ファンファーレが何度か鳴っている。
レベルは着々と上がっているはずだ。
それから、紗良は三つのテーブルを作り、二つのテーブルを薪にした。
通算四つ目の作品は、完全に直角な天板と脚、びくともしない接合部を持っている。
誇らしい気持ちだ。
日が沈みかけ、そろそろ嫌になってきたので、魔法で表面を滑らかにし、植物から生成したこげ茶の防水塗料を魔法で塗った。
もういい、これで。
かまどの横を平らに均し、テーブルを設置すると、とてつもない満足感があった。
魔法もいいが、手動もいいじゃないか。
レンガのかまどと、天然木のテーブルを並べると、オシャレ感さえある。
とはいえ、今日も疲れた。
紗良は部屋に戻り、シャワーを浴びると、ビールとパンとハムとその他もろもろを持って外に出た。
髪は濡れたままだが、すぐに乾くだろう。
こちらに来てから、ドライヤーは全く使っていない。
かまどではなく、片付けてあった石のテーブル近くにたき火を設置する。
火を燃やし、作ったばかりの木のテーブルで、パンにマヨネーズと粒マスタードを薄く塗る。
ハムを二枚、チーズも二枚、パンの間に挟んだそれを、ホットサンドメーカーでぎゅうぎゅうに挟んだ。
ブームに乗って買ったものの、すぐ飽きた姉がくれたものだ。
チェアに戻り、たき火にかざす。
「……」
重い。
失敗した。
フライパンの時と同じ過ちをまた、だ。
面倒がらずにかまどに火を起こせば良かった。
だがもう遅い。
これもレベル上げの一環だと我慢しながら、両面を焼いた。
隙間から漏れる匂いと音で、なんとなく焼き上がりが分かる。
これも、【調理】レベルが上がっているおかげだろう。
腕が痺れて震えてきたあたりで頃合いと見て、開いてみる。
良さそうなので、出来上がったばかりの調理台を使い、包丁で二つに切った。
チーズが落ちてしまわないうちに急いで切り口を上にし、皿に載せる。
チェアに戻って、熱いうちに一口ほおばる。
「……っち、あつ……」
溶けたチーズが凶悪なほどの温度で舌を焼くが、それも美味い。
マヨネーズの酸味が、ハムに良く合っている。
片方をあっという間に食べ終え、ビールを開けた。
その時。
背後に、大きな、生き物の気配がある。
なぜ分かったか、分からない。
今までなかった、何かの息遣いが、はっきりと聞こえてきたのだ。
紗良は固まった。
恐怖で、動けない。
その気配は、ゆっくりと近づいてきた。
とうとう紗良の真横に到達し、やがて、首筋のあたりに息がかかる。
獣の匂いがした。
目を閉じるのさえ恐ろしく、真横を通り過ぎて行くのを視界の端にとらえた。
何といえば良いだろう。
黒い、ヒョウに似た生き物だった。
ヒョウにしては少し毛足が長く、なにより、大きい。
四つ足で、頭の位置は座っている紗良より少し高いくらいまであった。
獣は、何度か紗良の匂いを嗅ぎ、その都度、鼻息が生臭い匂いと共にかかる。
体温を感じる。
それは、生きている。
目を合わせてはいけないと、本能で感じた。
やがて、獣が興味を示したのは、半分残ったホットサンドだった。
匂いを嗅ぎ、それから、前足でテーブルから叩き落とすと、一口で食ってしまう。
ぐう、と不機嫌な、低い唸り声がした。
体毛が逆立ち、それを見た紗良は震える体を縮めた。
熱かったのだろう。
それでも、最後まで食べ終えると、しばらくウロウロした後、また背後へと去って行った。
紗良は動けない。
どのくらい固まっていただろう。
涙で視界がにじんでいたが、必死で身体を動かし、背後をそっと確認する。
いない、と分かってから、立ち上がった。
ふらりとする。
膝が震えている。
腰が抜けそうな恐怖に追い立てられるように、必死で部屋のドアへと走り、鍵をかけた。
今までかけたことのなかったロックバーもかけた。
玄関の内側に座り込み、紗良はしばらく、泣いた。
それから二日間、紗良は部屋に閉じこもった。
怖くて外に出る気になれない。
夜には怯えて、何度も鍵を確認した。
三日目の朝、このまま一生、部屋の中で暮らすことはできないと思った。
それはもう、死んでいるのと同じだ。
狭い空間で、何もせず、ただ、寝て起きて。
自然しかないこの地で、自分は生きていかなければならない。
なんでこんな目に合っているんだろう。
一瞬そう思ったが、最初に決めた、考えても仕方のないことは考えない、に従って、それ以上を諦めた。
「獣除けの魔法とか、ないの」
問いかけながらマニュアルノートを開く。
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レベルが上がると、様々な魔法が使えるようになります!
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「レベル不足か……」
ならばやはり、外に出るしかない。
この部屋の中で、紗良のレベルが上がらないことは分かっているからだ。
ふと、さらに文字が浮かぶ。
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<豆知識コーナー>
【魔法使い】ってなあに?
魔法を使う職業のこと。
自然界に造詣が深く、属性エーテルを取り込み、力に変えて放出する。
物理とは根底を異なるものとするが、高位の【魔法使い】は両者を結びつけることも可能、すなわち、物理職と遜色ないかあるいはそれを超える力を秘めている。
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唐突になされたこの説明の意図は、明確だった。
紗良は今更ながらに気づくのだ。
自分が知っている魔法使いは、ゲームでも漫画でも、たき火に火をつけたり、薪拾いなんかしていなかった。
その炎は敵を焼き尽くし、その風は敵を切り裂く。
魔法使いは、まごうことなき、前衛職。
前線で、高い攻撃力を持って戦う、戦闘職なのだ。
女子大生には向かない職業では?