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先日、王都の市場で買ってきたフォークを、じっくり眺めてみる。
見れば見るほど、よく出来ている。
分かれた先の細さはしっかりと食べ物に刺さり、しかもしっかりと強度がある。
ふーむ。
これは素材か?
素材の違いではないか?
紗良の傍らには、木製のフォークの残骸がちらばっている。
欠けたり太さがばらばらだったりと、とても実用に耐えない。
そうだ素材のせいに違いない。
紗良は手にした最後の木切れと散らばったフォークをファイヤーピットに放り入れ、彫刻刀を丁寧にケースにしまい込んだ。
ほどよい素材が見つかるまで、延期とする。
そして、心を慰めるために、植物コンテナの様子を確認した。
少しずつ芽が出始めている。
苗から育てられれば楽なのだろうが、家庭で楽しんで植物を育てるような習慣はこちらにはないようだ。
緑の青々とした小さな葉が、ちんまりと見えている様子は、大変に和む。
雨で水やりをした。
さて今日は、森の外に出る。
先日少しだけ歩いたが、この森に接しているナフィアの町を見るためだ。
フィルに「お供物に何をお持ちしましょうか」と聞かれたが、紗良は答えられなかった。
もちろん時期のもの、旬のものが欲しい。
でもそれが何か分からない。
この町で何を育て、どういう産業があるのか知らない。
だから、見せてもらうことにした。
森を抜けずに教会に転移するので、恰好は山装備ではなく、魔法使いスタイルだ。
一応人目もありそうだから、軽くメイクもしてみる。
「よし、時間」
紗良は、時計を見て、ウッドデッキに声をかけた。
「ヴィーちゃん、王都じゃなくてすぐそこの町だけど、行く?」
でっかい魔物はそれを聞き、勢いよく駆け寄ってくる。
途中でしゅるんと猫の姿になり、そのまま肩に駆け上がった。
「では行きます」
教会へ。
フィルが使うような数秒の無の時間があるわけではなく、ほとんど時間差なく目的地に到着する。
見覚えのある教会内に立って、なんとなく周囲を見回した。
「あれ」
人払いをし、フィルだけがいるはずなのだが、内部には四人の人間がいた。
ひとりはフィル、もう一人は先日案内をしてくれた修道女で、残りは知らない人だ。
そして、なぜか全員が跪いて頭を垂れている。
「どうしたんですか、フィルさん。よく分かりませんけど、立ってくださいね?」
言われてそっと頭を上げたフィルが、紗良と目を合わせる。
そして、にこりとあの優しい笑顔を見せると、すっと立った。
「申し訳ありません、紗良様。一人でお迎えする予定だったのですが」
「いえいえ、私が急に現れたらびっくりするかなと思っただけで。
転移してくること知ってたなら、別にいいんですけど」
「こちらは、ウォルハン地方領主と、ナフィアの町長です」
「ああ、なるほど」
フィルの顔が、笑顔ではあるものの、どこか作ったようにも見える。
ちょっと怒ってるな、これは。
きっと偉い人にねじ込まれたのだろう。
なにしろ紗良は、森の恵みを与える……なんだっけ、精霊様?だからね。
「お初にお目にかかります、領主のユルゲン・フックでございます」
「町長のオットー・レイマンでございます」
「はい、ご挨拶ありがとうございます、サラ・ツワノです。
お顔が見たいので立っていただけますか?
そちらの女性も」
いつまでも跪いている彼らに重ねて言うと、ようやく立ち上がる。
ふむふむ、これが、「もっと沢山恵みを持ってこい、ああっ、全部腐っちゃった!」をやった領主か。
意外にも、人の良さそうな顔をしている。
「先ぶれもなく御顔合わせになってしまい申し訳ありません。
何度かこの司祭に話はしていたのですが、いっこうに会わせて下さる気配がなく」
「本日町にお越しになると伺い、ご挨拶に参りました」
二人が口々に言う間、フィルは黙ったままだ。
「そうでしたか。私があまり顔合わせを望まなかったので、フィルさんが気を使ってくださったのでしょう。
こちらこそ、ご挨拶が遅れてすみません」
「あっ、いやっ、とんでもない、そういうことでは!」
あたふたしている二人は、やはり悪い人ではなさそうだ。
「本日は、町の様子を見せていただきに来ました。
せっかくお隣さんですから、仲良くしていきたいと思っています」
「おお」
領主さんは、きらりと目を光らせ、両手を広げた。
「うちはいいところです、民も人が良く、犯罪は少ない。
なにより、作物についてはちょっと自信がありますな!
5年ほど前に新しい肥料を開発しまして、野菜の水分と甘みがぐんと増したのです!
北の領地では果物も管理し育成していると聞いて、去年から試して居るところでしてな!
そちらはまあまあ数年以上かかるでしょうが、なに、精霊様にとってほんの一瞬でしょう、美味しい果物をお届けしますとも!」
領地大好き人間だった。
「そうなんですね」
「よければ私が!ご案内を!よければナフィアだけではなく領内をずずずいっと!」
ずい、と寄って来た領主と紗良の間に、さっとフィルが立った。
「領主様」
視界が背中で一杯になったので、顔だけひょいと横から出してみた。
背の高いフィルの、ちょうど肩の下あたりから覗くと、領主と町長は下唇を突き出して不満な顔をしている。
それでも、渋々ではあるが、口々に挨拶をしながら出て行った。
残ったのは修道女とフィルだけ。
ほほほほほと笑う彼女は、
「精霊様、この町では精霊様のことは周知でございます。
どうぞ、御髪はそのままで」
「そうなんですね、わかりました」
「ほほほほ、バイツェル殿の落ち込みようといったらそれは大変でしたからね、今後も断髪はおやめくださいね」
「はあ」
「おほほほほほ、それにしても本日は紅がよくお似合いで、いつにもまして可愛らしいですわね!
ねえ、バイツェル殿?」
フィルは何も聞こえていないような顔で、膝の汚れを払っている。
ふと見ると、女性の膝も汚れている。
精霊様でもないのに、精霊様みたいな扱いをされ、バツが悪い。
紗良はそっと、女性の服を魔法で綺麗にした。
「あら。あらあら」
「それでは参りましょうか、紗良様」
「はい、よろしくお願いします」
おほほほほほっ行ってらっしゃいませ、と笑う女性に手を振り、外に出た。
ちらちらと視線は飛んでくるが、ぶしつけなものではない。
声をかけてくるものもいない。
周知されている、というのは、むやみに構わない、という意味かもしれない。
てくてくと歩く。
町の様子は、やはり王都よりもずっと素朴である。
向こうは二階建ての家もあったが、こちらはほぼ平屋。
石積みに漆喰、という感じで、日本のように木造の家はない。
そう言われれば、湿度が低く乾燥している気がする。
冬だったからというわけではなく、そういう気候なのだろう。
リセットが働いていなければ、肌が大変なことになっていたかも。
店は露店が多く、食品が中心だ。
衣服を扱う店は、店舗を構えているようだったが、服飾店というよりはなんでも雑貨屋さんといった感じ。
領主が自慢した通り、野菜の種類は豊富だった。
他の町からの出入りも多いためか、季節に関わらず収入が得られるのだろう。
歩いて15分でメインストリートは終わり。
あとは農村地帯が広がっている。
紗良の家の前の川が、こちらに繋がっているはずだ。
フィルに言うと、少し見に行きましょうか、となった。
その途中。
「あっ……あれは」
かなり広い農家の敷地の一角に、レンガが積んであった。
ただのレンガではなく、中で薪が燃えている。
「ピザ窯では!?」
「気になりますか? 見せてもらいましょう」
フィルに連れられ、囲いの内側に足を踏み入れる。
大きな建物がふたつ、ひとつが母屋で、ひとつは農具入れの小屋らしい。
「失礼、誰ぞいるか」
「はぁい、はいはい、どなた? あら、司祭様」
「邪魔をする。こちらのお方が、表の窯を見たいとおっしゃる。構わないか?」
「ええ、ええ、あんなものどこにでもありますが、どうぞ?」
紗良はまた、フィルの肩越しに顔を出し、
「こんにちは、初めまして、突然すみません。
こちらのピザ窯はお手製ですか?」
「あら、魔法使いのお方、いいえこれは主人が作りましたの」
「そうですか。ご主人は今、どちらに?」
「小屋におりますよ、呼んできましょうねえ」
「すみません、ありがとうございます」
女性の夫はすぐにやって来た。
「やあどうも、司祭様。魔法使いのぼっちゃんも」
夫の挨拶に、女のほうがすぐにばしっと背中を叩く。
「馬鹿ねえ、お嬢ちゃんですよ、分かるでしょうに」
「え? ああ、顔が見えんかったもんで、すまんねお嬢さん」
なんで分かったの?
フードで顔を隠していたのに、すぐばれた。
紗良は、どうせばれたから、とフードを取る。
フィルが渋い顔をしたが、どうも窮屈だったからちょうどいい。
「このピザ窯の作り方を教えてください」
「ん? ああ、パン窯のことかい?」
言われてみれば、窯にはちゃんと扉がある。
なるほど、これならピザもパンも焼けるだろう。
「はい、あれです!」
「もっと上手い職人なら、上をまるうく作るんで、そっちで尋ねたほうがいいんでないかい?」
確かに、紗良の知るピザ窯はいずれもドーム型だが、この窯はといえば、屋根がまっすぐだ。
二段になっていて、下で薪を燃やし、扉のついた上でパンを焼くのだろう。
漢字の『日』の形と言えばいいだろうか。
「作るのは私なので、簡易であるほどありがたいです」
「はあ。お嬢ちゃんが?」
女がまた背中をばしばし叩く。
夫はびくともしないので、やはり農夫は強い。
「魔法でお作りになるんでしょうよ、ねえ?」
「はああ、そうかね、そりゃあいい」
何がいいのか分からないが、夫は肯くと、丁寧に窯の作り方を教えてくれた。
なんとか紗良にも作れそうだ。
教えてもらったお礼を述べて、紗良は忘れないうちに帰ることにした。
「フィルさん、すみません、続きはまた今度でいいですか?」
「もちろんです」
ところでヴィーがいない。
きょろきょろとあたりを見回すと、なぜか、農夫の飼い犬の背中に悠然と乗っている。
犬は何も分かっていないようで、機嫌良くにこにこしている。
「ヴィー、帰るよ!」
呼ぶと、すごい勢いで走ってきて、紗良のフードに飛び込んだ。
藁と日向の匂いがする。
さては転げまわって遊んだな?
「フィルさん、ピザ、食べに来てください! 連絡します!」
にっこりと笑うフィルに手を振って、紗良は河原へと転移した。