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<食用植物の栽培>
春蒔きの種をお届けします!
適した土を採取し、育ててみましょう。
手間のかからない種類を選びました。
適度なお世話で大きく実ります。
まずは、アプリに示した場所から土を採取してきましょう!
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紗良は、言われた通りにスマホを出して、アプリを開いた。
赤い透過した円で示された場所は、おおよそ2㎞圏内といったところだ。
「労働か……」
すっかりお気楽生活に慣れ切ってしまった紗良は、思わずそう呟いた。
しかし、ノートの続きにあった種の説明を見て、立ち上がる。
ホウレンソウのようなもの、水菜のようなもの、パプリカのようなもの、枝豆のようなものの絵が描いてあった。
それは、紗良の好きなものばかりだ。
マニュアルノートは、紗良の好みを完全に把握している。
他に、バジルやルッコラ、紫蘇などもあり、やはり葉物野菜中心になっている。
季節性が高く、紗良の冷蔵庫にないか、あっても新鮮ではないものが多い。
把握されている。
ずるいじゃないか。
「やる気しかない」
紗良は即座に部屋に戻り、山用装備に着替えた。
まだ残っていた丸パンを、ありったけ密閉ジッパーバッグに入れて、ペットボトルの水と一緒にザックに放り込んだ。
水筒を用意している場合ではない。
今日中に土は集めておきたい。
外に出て、ふと気づいた。
ペリカンがまだいる。
なにをしているのだろう。
ウッドデッキにぺったりと座り込んでいる。
「あったまってる……?」
こころなしか、平べったくなっている気がする。
溶けるのではと心配なくらいだ。
紗良は、ザックを背負いながらペリカンに近づいた。
「あのー、出かけてくるので。ごゆっくり?」
声をかけると、めんどくさそうな『グァ』という鳴き声が返って来た。
紗良は少し考えて、ザックの中の丸パンを二個出し、テーブルの上に置く。
「これ、手作りが嫌じゃなかったらどうぞ」
気の抜けたグァァ、の返事を聞いてから、紗良は山に足を踏み入れた。
家の背後に広がる聖なる森を、右手方向に進むと、ゆるやかな斜面になる。
最初の採取場所は、そこを少し登ったところだ。
やや藪になっているが、迂回すればさほど障害にはならない。
10分ほど、ゆっくり登ると、アプリ上で指定されたエリアと自分の点が重なった。
この辺だろう。
切断を地面にゆっくりめりこませ、土を柔らかく掘り起こす。
それを、抱えてきた45Lゴミ袋5つに詰め、運搬で浮かせた。
しかしビニール袋を従えたまま移動するのは、ちょっと難しい。
枝にひっかけたら終わりだし。
紗良は少し考え、一度転移して、河原に土を置いてくることにした。
周囲の様子をぐるりと見回し、位置を把握してから、転移で飛ぶ。
遠くでペリカンがまだ溶けているのをしり目に、もう一度、さっきの場所へ飛ぶ。
「あっ、こごみ!」
なんと、山菜を見つけた。
土を掘ることばかり考えていたので、さっきは見逃したらしい。
色味が鮮やかで、柔らかそうだ。
手を伸ばしかけてから、寸前で思いとどまり、マニュアルノートを先に開く。
紗良も成長している。
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<春の植物>
季節がうつろうことで、山の恵みも変化します。
これから夏にかけて、飛躍的に食べられる植物の種類が増えていきます。
同時に、危険な植物も活動を始めます。
しっかり確認してから収穫しましょう!
春の山菜はこれ!
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その下に、いくつかの絵が描いてある。
シダ類は新芽のうちは見た目が似ているので、判別が難しい。
紗良は、母方の祖父母について山に入ることがあったので、多少は見分けかたが分かる。
とはいえ、ここは異世界だ。
少しずつ形が異なるため、油断は禁物だろう。
さっき見つけたこごみは、食べられるものに含まれていた。
採り尽くさないようにしつつも、自分と、それからフィルに渡す分を摘んで、ビニール袋に入れる。
近くに、わらびとセリも見つけた。
こごみよりも丸くぽこぽこしたフォルムは、いかにも春めいて可愛らしい。
また後日来るかもしれないし、来年のこともある。
採り尽くさないように気をつけながら、ほくほくと収穫をした。
「……ちがうちがう、土をとりにきたんだった」
ある程度のところではっと気づき、仕方なく獲物をザックにしまい込み、立ち上がる。
しぶしぶスマホを出した。
指定されているのは、あと一か所。
ここからさらに少し上ったところだ。
やはり、緑がだいぶ増えた印象だ。
下草が生え、枝葉も新芽がついている。
もしかしてこれから山も少し歩きづらくなるかもしれない。
でも収穫は増えるだろう。
悩ましい。
そうこうしているうちに、二か所目の採取場所に着く。
さっきと同じ手順で土入りゴミ袋を作り、紗良はさっさと河原に戻った。
コンテナはすでに、古い土を撤去してある。
植え替えで使用していたハーブはとっくになくなっていたし、芋類を埋めていたほうも、ひとつふたつ掘り出せばお終い。
レンガ作りとはいえ、ちゃんとセメントで固めてあるので、土の圧力でひびが入るようなこともなかった。
春夏も十分使えるだろう。
紗良は、二か所から運んできた土を、それぞれ別のコンテナに入れた。
「ルッコラは1㎝深さの溝に種をまき……水菜も同じと……。
えっ、ほうれん草の種は一晩水に漬ける?」
マニュアルノートと首っ引きで、土と格闘する。
ほうれん草以外は、なんとか形にしてみた。
水をやれ、とあるので、紫蘇のあたりに流水で水を出してみた。
「あっ」
勢いが強すぎて、土がふっとんでしまった。
慌てて流れた土を寄せ集めてかぶせてみたが、はたして種ごと流れたのか、ちゃんと戻せたのか、さっぱり分からない。
前途多難すぎる。
もっと水流を弱くしないと。
水道というよりも、イメージは──。
「雨」
紗良の中から探し出した言葉をトリガーに、じょうろのように薄く万遍ない水が生まれ、コンテナに降り注いだ。
これは、マニュアルノートが用意した呪文ではなく、初めて自分のイメージと言葉を結び付けた詠唱だ。
すぐに、レベルアップの音がした。
スマホを確認すると、不思議なことに、【魔法使い】ではなく【賢者】のレベルが上がっている。
「そういうものなの?」
そういうものなんだろう。
なんとなく、【魔法使い】のレベルは、まさに習熟度だが、【賢者】のレベルは『紗良が世界に馴染んだしるし』のような気がする。
異世界に暮らし、異世界の人になっていく。
【賢者】のレベルがあがるにつれて、かつての世界と離れていく。
それでいい。
紗良の世界は、ここだから。
「えーと。なんか食べる?」
紗良が尋ねたのは、ペリカンだ。
なんとこの鳥は、紗良が土を取りに行き帰ってきて種を植えても、まだいた。
ウッドデッキに腹ばいになり、両足を長々と放り出して、ずっといる。
ちなみに、置いていったパンは綺麗に消えていた。
紗良の質問に、ちろりと目を開け、なぜか大きく息を吐き出す。
まるでため息みたいだ。
そして、その視線を空に向ける。
どうやら、太陽の位置を確認しているようだ。
大分傾き、ほとんど夕方と言って良い。
ぐぅ、とペリカンがうなる。
そして、いかにものろのろと立ち上がると、いかにも不満という顔で、大きく翼を広げた。
ばっさぁ、とひとつ羽ばたき。
それから、一気に飛び上がると、まっすぐに空へと消えていく。
「よっぽど床暖が気に入ったんだね」
またおいでー、と声をかけると、あほー、と返って来た。
なんでだよ。