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聖なる森に接しているナフィアの街は、中規模の地方都市、という様子だった。
周辺の村から商品が集まり、大きな市も立っている。
南の端の森の手前という、お世辞にも恵まれた土地ではないが、それでも中核都市を担っているのは、地形のおかげだ。
険しい山や、起伏の激しい周辺の土地に比べ、ここは盆地だった。
山間を抜けてくる川が中心部を走り、人が住みやすい条件が他よりも良いため、人口が増え、結果、取り引きのために訪れる者も多くなる。
とはいえ、都会と呼ぶには程遠い、大陸の外れの街には違いない。
だから紗良は、割と気軽に森から街へと足を踏み出した。
スマホを確認すると、アップデートがかかり、街の詳細地図が現れた。
フィルを表す点は、どうやら教会らしい場所で点滅している。
ヴィーは少し小さくなった鼻息を、それでもあちこちに向けている。
とにかくでっかい魔物だから、街に出たりしたら大騒ぎになっていただろう。
だからきっと、人間のテリトリーに来たのは初めてなのだ。
「お忙しいところ申し訳ありません、こちらに、フィル・バイツェルという神官様はいらっしゃいますか?」
教会の入り口には、萌絵の居る神殿のような騎士は立っておらず、それどころか扉は全開だった。
中にいた女性に声をかけると、彼女はちょっと驚いたように紗良を眺めまわす。
その視線の動かし方に、一瞬、王都の神殿の騎士たちの態度を思い出した。
軽く身構えてしまったが、彼女はすぐに柔らかく微笑み、
「こちらでお待ちください」
と、奥へと入って行った。
そして、椅子に座る間もなく、あっという間にフィルを連れてくる。
というよりも、駆け付けたフィルを追いかける形ではあったが。
「紗良様」
「こんにちは、フィルさん。
……お手数おかけしました、ありがとうございます」
前半はフィルに、後半は女性に言いながら、お辞儀をする。
まあまあほほほ、という穏やかな声からすると、思っていたよりも随分と年上のようだ。
「どうなさったのですか、何か問題が起こりましたか?」
「いえいえ、違うんです、お金のことで相談がありまして」
「なんなりと。必要なだけおっしゃってください」
フィルの返答の意味がすぐに入って来なくて、少し経って、
「違います! 欲しいんじゃありません!
私、金貨しか持ってなくて、でも市場では金貨は使えないって聞いて!」
「ああ……すみません、早とちり致しました」
「そんなにすぐに使い切っちゃうように見えました?」
「いいえ、本当に申し訳ありません。自分の感覚で考えてしました」
まあまあほほほ、これだから元貴族はねえ、と、傍らで聞いてた女性が口にすると、フィルは、全くですね、と真顔で答えた。
皮肉にも聞こえた言葉に、あっさり答えたことに、なんとなく吃驚する。
元貴族なことも、貴族育ちの金銭感覚なことも、事実だから、という割きりのようなものを感じた。
潔いというよりも、皮肉の内容があまりに些末すぎて、気にならない、といった様子だ。
前から思っていたけれど、この人はとても強いな。
周囲の言葉や噂や価値観に振り回されない、芯の強さがある。
「すぐに両替いたしましょう。
街の人々の寄進は銅貨か銀貨ですからね、こちらもむしろ助かります」
「なら良かったです。とりあえず金貨十枚分を」
「はい、銅と銀、半々でお持ちしましょう」
紗良が手渡した革袋を手にしたフィルは、一度引っ込んで、すぐに戻って来た。
ほほほほはりきってますねえ、と女性がまた笑う。
「どちらでお買い物のご予定でしょうか」
「あ、王都です。なんだか、東の国から商隊が入ってきて、市が立ってるって教えてもらったんです」
萌絵の情報だった。
なんでも、隣国とは人や物のやりとりはそれほどないけれど、全くないわけでもないそうだ。
今回は、その隣国の商人たちがまとまって商売をしに来たらしい。
どうやら、王家同士の外交の結果だとかで、お互いに特産品を売り込むのだそうだ。
販路を拡大する狙いらしい。
背後には、国同士の同盟が控えているという噂もある。
紗良にとっては、この国の特産も知らないのだから、外国産よと言われてもピンとこない。
それでも、この国のものには、この先いくらでも触れることができる。
輸入物は今がチャンス、ということだ。
「ではきちんとフードを……」
そう言いながら、この前のようにマントのフードをかぶせてくれようとしたのか、フィルが手を伸ばす。
しかし、その手は、さっと引っ込められた。
そして、ついさっきまでその手があった空間を、ヴィーの爪が切り裂いていった。
「やあ、危なかった」
「ヴィーちゃん! 駄目よ!?」
「いえいえ、このくらいでよろしいでしょう。
立派な騎士がついていて、少し安心しました」
肩の上で、ヴィーがシャー!と威嚇する。
フィルは、うんうんと肯いている。
ほほほほほほほほほほほと女性が笑う。
「しかし……お顔が見えてしまっていては、とても少年には見えませんね」
「そうですか?」
「ええ、お可愛らしさが隠せませんので」
笑う所かなと思ったが、フィルは真顔だった。
「御髪の長さは女性にはありえないでしょう、大丈夫ですよ」
横から女性が言ってくれたが、フィルの顔は晴れない。
お出かけを止められたらどうしよう、と思ってしまう。
ヴィーが暴れるかもしれない。
「あ、じゃあもっと切りましょう」
紗良は名案を思い付いた。
そして、切断で一気に髪を削ぐように切り落とした。
肩よりちょっと下くらいだったのを、耳が出るくらいのショートカットにする。
「な……なにをなさるのです!」
フィルが大声をあげた。
そして、まるで落ちていく髪をとどめるかのように紗良の肩を掴む。
ヴィーがひっかいたらどうしよう、と思ったが、横を見ると、騎士と言われた魔物はただただ落ちていく髪にじゃれついていた。
「女性が髪を切るなんていけません!」
何を見てもほほほと笑っていた女性さえ、口を押えて驚いている。
目が真ん丸だ。
「あ、はい。あ、いいえ、大丈夫です、あのー、明日の朝にはちゃんと元に戻っているので」
リセットされるんです、ということを、言ってもいいのかどうか。
会ったばかりの女性もいるし、もごもごと濁す紗良に、数秒をおいてから、ようやくフィルも手の力を抜く。
「……魔法でしたか」
「そう……いう感じですね、はい」
フィルは、思いのほか強く掴んでいたことを自覚したのか、それを詫びるように、紗良の肩を軽く叩いてから手を離した。
そして、地面に散った髪を、魔法で風を起こして集めてくれた。
紗良がそれを着火で燃やすと、一瞬だけ不快な匂いが鼻をかすめる。
フィルにも届いただろう。
しかし彼はそれをおくびにも出さない顔で、
「では、お戻りをお待ちしております」
と、言った。
紗良は頷き、それから、王都へ向けて飛来を唱えた。
到着したのは、いつもの神殿前の転移石だ。
一応スマホを確認したが、やはりメッセージは未読のまま。
なので、持って来たロールケーキは入り口の兵士に預けることにした。
お互い顔を認識している相手ではあったが、髪を短くした紗良をまんまるの目で見つめてしばらく黙り込まれた。
こちらではよほど、髪の長さは重要らしい。
文化の一端だろう。
またもや、慣習を無視した行動をしてしまったのだと、反省する。
密閉容器を無理矢理兵士に握らせ、その旨を萌絵にメッセージしてから、神殿を立ち去った。
向かう先は、例の期間限定の市場だ。
場所は萌絵に聞いてあるし、地図も確認した。
人目のあるところでスマホを出すのはさすがに少し躊躇して、なんとかかんとか記憶を辿って歩く。
耳元のヴィーの鼻息は、一段と荒い。
けれど、紗良も同じくらい興奮している。
何かいいものが見つかればいいな。
期待感を持って歩き続けると、記憶の通りの場所に、賑やかな市場が現れた。
「わあ……」
通りの両側に、露店がみっしりと軒を連ねている。
ずっと先で二股に分かれた道の、その両方にもまだ店が並んでいるようだ。
活気はある。
異様なほどある。
それはおそらく、道行く買い物客たちの服装と、店に立つ商人たちの装いにあきらかな違いがあるせいだろう。
いかにも普段着の客に比べ、前合わせの上衣に腰ひもを縛る、どこか和服を思わせるスタイルの商人たちは、圧倒的に異国感を醸し出している。
布こそ単色だが、襟元と腰ひもには、華やかな刺繍がびっしりほどこされている。
曼荼羅のような繰り返しの模様で、やはりオリエンタルな雰囲気だ。
店先に並ぶのは、宝飾品や雑貨などだ。
あとは、製品に仕立てる前の素材。
布や糸が多い。
険しい山の多いこの国とは違い、隣国は平地が多いのかもしれない。
手広く栽培されることで得られる商品が目に付く。
残念だが紗良には裁縫の才能がない。
しかしそういえば、スキルの欄には【裁縫】もあったと思う。
気にしたことはなかったが、磨けば伸びるのだろう。
服飾品の売られた露店をちらりと横目で見て、その隣に移る。
布を扱った店だ。
気が向いたらやろう、という程度の気持ちで、その、一段と商品の山がうず高い店をのぞいてみた。
「お目が高いね兄さん、そいつは防火加工済みの布だよ!」
ボーカカコー?
防火加工!
「まあ魔法使いさんのように見えるんで、解説は不要でしょうが、防火魔法を施してあるって意味でさぁ!」
めちゃくちゃ元気がいい、そして恰幅もいいおじさん店主が、いくつかの布を広げてくれた。
色は非常に地味だ。
灰色とか薄い茶色とか、そういう。
「これは?」
一枚だけ、綺麗な青がある。
目を引かれて尋ねると、商人は、あきらかに愛想笑いと分かる顔になった。
「そちらは、加工自体はそれほどでもありませんがね、布自体が魔物の糸で織られていまして。
より燃えにくい布ということです。
60万ギルをつけさせていただいておりますよ」
「金貨、使えますか?」
紗良は聞いた。
商人は、少し黙ったが、
「もちろんでございます」
と答えた。
「いいものが買えたねえ、ヴィー?」
紗良は、紙袋を抱えて、ご機嫌だった。
あれから、転移で家に戻り、お金を持ってもう一度王都に戻り、布を買ったのだ。
さらに、防水加工済みの布で作られたケープを抱き合わせで買った。
お隣の服飾露店が、奥様のものだったらしい。
合わせて80万ギルのところ、71万にしてくれるというので。
やったね。
使い道は決まっている。
前々から心配があった、ファイヤーピット周りへの火の飛び散り対策に、この防火の布を敷くのだ。
これで、起こるかもしれない火事を気にしなくていい。
最近はそのせいで、あまりたき火を活用していなかった。
紗良は、ウエストポーチを確認した。
両替済みの銅貨と銀貨が10万ギル分。
あとは金貨が一枚。
「82万ギル稼いで、翌日に71万使ってしまった」
でもほら、市で買い物するための資金を稼ぐのが目的だったし。
「ん、ヴィー、お腹空いた?」
ぼんやりと伝わってくるヴィーの気持ちを感じ、紗良は屋台に足を向けた。
色々と買ったり食べたりして、結局、手元には金貨一枚しか残らなかった。
フィルには黙っておこう、と思った。
自宅に戻り、ヴィーをフードから出す。
いつもの魔物もダメにするクッションにすたすたと歩いていくが、やはり黒猫のままだ。
どのくらい魔力を消費するのか分からないが、もうずっとあの姿で、負担は少なくないだろう。
紗良は、靴を脱いで、ヴィーの隣に座った。
そして、小さな黒猫の姿を抱き上げ、
「本当にごめんなさい。もう約束破りません」
目を見てそう言った。
ヴィーは90度首を傾げた。
それから、身をくねらせて紗良の手から降りると、あっという間に元の魔物の姿に戻った。
圧倒的な大きさの身体を、クッションの上に小さくまるくして、ちらりと紗良を見てから、すやすやと寝始めた。
なんだか少し暖かな夜だ。
けれど、真夜中には少し気温が下がるかもしれない。
紗良は、床暖がついていることを確認する。
約束を大切にする魔物が、朝まで暖かく眠れるように。