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王都に戻り、行政管理部の敷地内にある馬場へ向かう。
今回の緊急事態に合わせて、国内からかき集めた、消化の良い種類の牧草と牛の鼓脹症に効く薬を仮置きしているそうだ。
対応した係官は、怪訝そうな表情を隠しもしなかった。
フィルが渡した書類を何度も何度も確認し、二人を上から下まで眺めまわす。
「村長がしびれを切らすぞ、不備があるならさっさと言うがいい」
冷静な様子のフィルに対し、いえ、とかなんとかもごもご言っている。
紗良については胡散臭いが、フィルが正式な祭服を身につけているからか、不承不承ではあるが案内をしてくれた。
牧草地の端に、山になった牧草ロールと、木箱が積んである。
「こちらでございます。本当に……これをいっぺんに運ぶのですか?」
「ええ。問題ありません。ですよね?」
フィルに尋ねられ、紗良は首を傾げる。
「逆に何が問題なのでしょう。
人も荷物も一緒に転移できることは知っています。フィルさんがやってみせてくれたでしょう?」
係官の目が驚いたようにフィルに釘付けになる。
それに気づいているのかどうか、彼は紗良に小さく肯いて見せた。
「運べる量は魔力量に匹敵するのです。
あの時の私は、飛来で転移石から補助を受けていたので、あなた様とお荷物を運べたのです。
女神の飛翔でも不可能ではありませんが、ぎりぎりといったところですね」
「なるほど。とすると」
紗良の言葉を待つ彼らに、抑えきれない笑みを向けてしまう。
「運送業、思った以上に私の適職でしたね!
我ながら運がいいというか、先見の明があるというか!」
「はい、まったくその通りですね! さすがですよ!」
二人でにこにこ顔を見合わせる。
係官はあんぐりと口を開けていたが、ついと目をそらしてから、咳ばらいをした。
「あの、それではここに、サインを」
どちらへということもなく、中間あたりに差し出してきた書類を、紗良が受け取る。
自分の仕事だから、と意気込む鼻息の荒さにひいたのか、フィルも静観してた。
少し考えて、アルファベットで自分の名前を綴る。
もちろんこちらの文字は、日本語でもアルファベットでもない。
読めるが書けないので、仕方がない。
「これでいいですか?」
「……あの、一応、神官殿のサインも併記してもらえますか」
まあそれはそうか。
読めない文字に文句をつけることなく、補足で済ませてくれるだけいいとしよう。
ただ、少なくとも、自分の名前をこちらの文字で書けるようにしようと決心だけはしておく。
「では参りましょう。
大変に恐れ多いことではございますが、私もまとめて運んでいただけると助かります」
「勿論ですよ、フィルさん一人増えてもたいして変わらないので」
紗良は、自分の身長と同じくらいの高さのある牧草ロールを数える。
20ロールほどあった。
一抱えほどの木箱は、5箱だ。
それをまとめて、運搬で浮かせる。
それから、思いついて、フィルを振り返った。
「お手をどうぞ!」
はりきってそう言うと、彼は少し目を見開いてから、くすりと笑った。
それが、初めて素の笑顔に見えて、嬉しくなる。
「この身、お預けいたします」
「任せてくださいよ」
紗良は伸ばされたフィルの手をとり、係官にぺこりと頭をさげてから、杖を出す。
転移を唱えると、次の瞬間にはもう、村長が目の前にいた。
荷車を引いた村人がわらわらと荷物を運んで去っていく。
村長の奥さんが薬を配分し、子どもたちはただその辺を走り回って忙しそうなふりをしていた。
「神官様、そして、ええと、魔法使い様」
呼び名にたいそう迷ったらしいが、村長は結局、そんなふうに呼びかけてきた。
「本当にありがとうございます。早速、ご指示の通りに服薬指導をいたします。
牧草は春にもう一度届けていただけると」
「どのような輸送方法になるかはまだ決まっていないが、現在の分がなくなるころにもう一度届くだろう。
その頃には、牛の症状も改善し、こちらの牧草を与えて良いと専門家たちは考えている。
一応、春の引き渡しの際に、もう一度様子などを聞き取りする。状態をよく記録しておくように」
「かしこまりましてございます」
話が終わったとみて、紗良は、さきほどフィルから手渡された用紙を村長に差し出した。
「受け取りのサインおねがいしまーす」
「は、はい」
村長は紗良のペンを受け取ると、それを不思議そうに眺めつつ、自分の名前を記した。
「魔法使い様、これ、木箱に入ってましたよ!」
陽気な村長の妻が、ずっしりした革袋と、小さなメモを渡してきた。
『牧草ロール20、薬が35袋、揃っていることを確認したら、この革袋をフードの人物に手渡されたし』と書かれている。
配送料だろう。
「ありがとうございます」
「本当に助かりましたよ! 良かったら、村の加工所に寄って、チーズを好きなだけお持ちくださいな!」
チーズ!
そういうことか!
道理で、牛小屋しかなかったわけだ。
殺菌する場所も、その様子もなかったが、おそらく牛乳の形では販売していないのだ。
牧場の規模としては大きいため、外に販路があるのだろうが、それは加工品として運ばれていく。
その主だったものが、チーズなのだろう。
「いいんですか! ありがとうございます!」
「どうぞどうぞ、責任者のマーサには言っておきますから。
エディア、ちょいとお前、加工場に走って行ってね、おばちゃんに……」
妻が歩き去りながら、子どもに言いつけると、その子はぱあっとすごい速さで駆け出していった。
「加工所は、この道をまっすぐ行きまして、そうしたら、赤い煙突の建物が見えてきます。
この辺は見通しが良く、民家以外はその大きな建物しかありませんのでな、すぐに分かるでしょう」
「ありがとうございます!」
紗良は村長と挨拶を交わし、フィルと共に指さされた道を歩き出した。
教えられた通り、すぐに加工所らしき建物が見つかった。
ぼちぼち歩いて、10分といったところ。
牧草はちょろちょろとだが生えている。
冬でも積雪のない地域なのかもしれない。
加工所の扉は開いていて、中が見える。
そこにいた女性に挨拶をすると、ああ、と破顔した。
「聞いてますよぉ! どうぞどうぞ、お入りくださいな!」
おそるおそる足を踏み入れる。
とても清潔な、木造りの建物だ。
「牛の病気のせいでねえ、作業はお休みなんですよぉ!
発酵室に入ってもらうことはできませんけどね、言ってくれたら、持ってきますから!」
この村の女性たちは皆、明るく元気だ。
経営が上手くいっているのだろう。
ふと、彼女の手元に目が行く。
重そうな、一抱えもあるミルク壺があり、どうやら保管室から出してきたらしい。
「ああ、これですか? 昨日絞ったもんですけどね、作業がないもんで、飲んでしまおうと思ってね」
なるほど、と、何の気なしにのぞき込む。
「あっ!」
「な、なななななんです、そんな大声出して!」
「ああああご、ごごご、ご婦人!」
紗良が興奮しながら叫ぶと、彼女はなぜか少し顔を赤くした。
「あら嫌だ、ご婦人だなんて、綺麗な坊ちゃんに言われると照れちまうわぁ」
「ご婦人、その……その上澄みの部分」
指さしたのは、壺の表面にもったりとたまっている脂肪分だ。
「それ、譲ってもらうことはできますか! お金はお支払いします!」
「え? ああ、これですか。飲むには重いんで、料理に使ったりするもんですよ、スープとか。欲しいならどうぞ」
あれは、生クリームだ。
紗良の冷蔵庫に、生クリームのストックはない。
ないならないでなんとかなっていたが、あると分かれば、急にたっぷりのホイップクリームが食べたくて仕方がなくなる。
「ありがとうございます!」
思わず、女性の手を取ってぶんぶん振ってしまう。
なんということだろう。
仕事をしにきて、欲しい食材にぶち当たるとは。
「こんな幸運、ないかも!」
「何だか知らないが、喜んでもらえてよかったよぉ!」
紗良は、固辞する女性に、私が稼いだので大丈夫です、と意気揚々と代金を渡した。
木の椀一杯に入れてもらった生クリームを左腕に抱え、持たされたハード系のチーズをフィルに持ってもらい、紗良は転移で村を離れた。
もちろん、また来てもいいか、女性に尋ねたのは言うまでもない。
「佐々木さん、見て!」
戻った神殿で、真っ先に椀の中身を萌絵に見せる。
「何これ? あっ、もしかして!」
「生クリームだよ! ねえ! ケーキとかさ、食べられるよ!」
「ベーキングパウダーは?」
「ストックある」
萌絵が悲鳴のような歓声を上げる。
紗良も、その手を取って跳ねる。
「なんでちゃんと生クリームあるのに、出まわってないの?」
「それこそ運送技術じゃないかな、牛乳も牧場でしか飲んでないみたいだった」
「神殿にはたまに回って来るよ」
それはですな、と、教皇が口を出す。
まだいたらしい。
「高位の家には、転移魔法を用いて運び込むのですな。
もちろん、頻繁には難しいし、転移石が必要で、かつ人が限られる。量も多くは無理、といった具合で」
へー、と二人で納得する。
「ホイップして使うこともないみたい」
「これはさあ……一石二鳥じゃない?」
「え? ホイップクリーム?」
「違う! 運送業と、食材の新規開拓!」
「あーはーん?」
新しい美味しいものが食べられる。
その期待感に、紗良と萌絵は手を取り合ったまま、くるくると回り続けた。
ご機嫌のまま河原に帰って来た紗良は、小さな黒い塊が、不機嫌全開でウッドデッキに座っていることに気づく。
そしてようやく、牧場での、何か忘れているという感覚の答えに行き当たった。
ヴィーちゃん、連れて行く予定だったね?