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五日ほど前、届けも出して話も通して、運送業の形態が整ったと萌絵から連絡があった。
そして今日、最初の仕事が入ったらしい。
紗良は、随分早いなと驚いたが、聖女効果か何かかもしれないと素直に喜んだ。
翌日の指定があり、転移で神殿を訪ねると、コスプレ大会をした部屋に通された。
そこには、あの時と同じように、数人のお針子さんが待機している。
「こっちの服を用意したの」
トルソーに着せられている一式を指さし、萌絵が言う。
「それはとても助かるな。ありがとう。しかも可愛い」
お針子さんが、手早く着せ替えてくれる。
手際がすごい。
あっという間に、紗良は膝までのマントコートスタイルになっていた。
中は着心地の良いブラウスで、下半身は、ひざ下丈の裾を絞ったパンツに、編み上げブーツだ。
フードもついていて、
「魔法使いだね」
紗良が唯一得ている称号にちなんだのか、魔女ではなく、魔法使いの弟子といった風情だ。
シンプルだが、首元にはシルクのリボンが、そして裾には同色の糸で編まれた綺麗なレースが小さくついている。
パンツの裾を絞っているのは、花の彫刻が入ったボタンで、どこかで見た気がする模様だ。
「私の彫刻じゃないの、これ」
思わず笑いながら言う。
それは、紗良がすっかり得意になって、もう5本ほど彫っている木彫りのスプーンの模様だ。
5本もいらなすぎて、2本貰ってもらったから、萌絵も見たことがある。
「つまりこれ、佐々木さんのデザインなの?」
「大まかな形と、あとは色とかリボンとか刺繍とか、そういう意匠はね。
形にしてくれたのは、もちろんお店の職人さん達だけど」
「ありがとう、すごく素敵」
おそらく、意図的に、性別がはっきり分からないようにしている。
いや、見る限りこちらの女性がパンツスタイルでいるところは見たことがないから、むしろはっきりと少年に偽装しているのかもしれない。
我慢できなかった乙女心が、目立たないレースに現れている。
「ブーツはもしかしたら足に合わないかもしれないから、後で調子を教えてちょうだい。
それと、もう一つ聞きたいことがあってね」
彼女が指さした先には、布をかけられた、何か大きなものがあった。
萌絵が合図をすると、少し離れたところにいたお針子がやって来て、その布を取り去る。
中から現れたのは、白地にチュールがかぶせられた可愛らしいドレスだ。
ボディからスカート部分にかけて、半身に大きなひまわりが描かれている。
近づいてみると、どうやら刺繍らしい。
このサイズの刺繍に一体どれだけ時間と手間がかかるのか、紗良は感心した。
「それ、このデザイナーのお店で売り出したいんだって。構わない?」
着付けをしてくれたお針子さんの中から、少し年かさの女性が出てきて、深く頭を下げた。
紗良はそれを受けながら、目を白黒させるしかない。
「う、うん、とっても可愛いと思うよ?
おそろいはちょっと恥ずかしいから、色んなお花で作ったらいいんじゃないかな」
デザインも商売も流行りも分からないが、何かアドバイスを求められたのだろうかと、必死で考えて答えた。
萌絵はなにやら淑女のように微笑んでいる。
「それ、津和野さんのサマードレスを見て思いついたんですって。
こっちには、模様、っていうか、絵の入ったドレスはなかったの。色と形と布の種類でオリジナリティを出してたってわけ」
「ああ、この間のコスプレ大会の時の?」
「アイディア料、もらう?」
紗良は笑った。
「そんな馬鹿な。私あれ買ったんだよ、作ったんじゃないし」
萌絵が、ですって、とデザイナーに言うと、彼女は盛大に困ったような、不可思議なような顔をしていた。
「じゃ、これでこのお話は解決ね!
さあ、今度は私たちの仕事の話をしましょう!」
萌絵は爽やかにそう言うと、はりきって先導し、部屋を出た。
お針子さんたちが頭を下げて見送ってくれるのに、紗良は恐縮しながら小さく頭を下げ返す。
萌絵は堂々としたもので、すっかり聖女が板についているようで感心した。
外には、神官服を着た男性が数人立っていて、紗良と萌絵の前後を挟んで移動する。
いつもこうなのだろうか。
ちらりと見ると、萌絵はやはりなんでもない顔をしていて、これが日常なのだと分かる。
先頭の神官がノックをした扉が、内から開かれた。
萌絵に続いて紗良も入室したが、神官たちは廊下に残るようだ。
深々と頭を下げていた姿から、守るように扉の両側で仁王立ちに変わる。
つい癖で、入り口に立つ彼らにも小さく頭を下げる。
彼らは終始無言だった。
中は、小さな居間のような場所だった。
シンプルなテーブルと、ソファがある。
そこから立ち上がったのは、一人は髭のおじいさんで、もう一人は、紗良のよく知る人物だった。
「フィルさん! どうしてここに?」
にっこりと、見慣れた笑顔を返してくれたのは、聖なる森の近くにいるはずのフィル・バイツェルだった。
「こんにちは。神殿としてお手伝いさせていただくことになりまして」
「お手伝いって、運送業を?」
「はい」
屈託ない笑顔で言われ、思わずへらりと笑い返してしまうが、
「いやいや。ええと。どうして?」
「紗良様はまだ、この世界に慣れておられませんから。
様々なルールや慣習を知らぬまま、一人、民間人と接触させるには不安があります」
「すごい、はっきり言われた」
しかも反論できないやつだ。
思わず萌絵を見ると、勿論知っていたのだろう、当たり前のようにフィルの言葉に肯いている。
「えっ、なんで納得してるの」
彼女は美しい仕草でドレスの裾をさばきながら、上座にゆったりと座った。
その横ではおじいちゃんが頭を下げていて、さらに座ると同時に湯気の立つお茶がメイドさんによって素早く差し出される。
受け取ってすぐに口にしたところを見ると、飲み頃らしい。
「津和野さんのその服、私のデザインが入っているって言ったじゃない?」
「う、うん」
「っていうかほぼ私のデザインなんだけど」
紗良は、促されて萌絵の正面に座る。
しかし、お茶は出てこないらしい。
メイドさんは、つんとした顔で萌絵の背後に立っている。
「それ、追加料金だったわ」
「……ん?」
「どうせオーダーで、どうせ一点物なのに、こちらのアイディアを反映させるのに代金がかかるの」
「ふ、ふーん?」
「ここはね、お金はとにかく取れる場所から取れる時に取れるだけ取る、という場所よ。
あちらが一からデザインを考える必要がなくなったという点をもっても、現実に着られるパターンに起こす手間はあるにせよ、あちらが持ち込む値段の三倍を請求する。
津和野さんに、それができる?」
考える間もなく、三倍ってまじか、と口に出た。
それから、ようやく、先ほど試着室でデザイナーが困惑していた意味が理解できた。
「良くも悪くも、お嬢様だもの。お金に執着してない様子は、あの頃の私がイラっとするほどだったもんね」
「イラっとしてたとか言わないで?」
「そういう訳で、津和野さん一人を放り出すには不安しかないの。だって、売り上げは私とあなたで折半なのよ?
絶対にさ、値切られたり、追加の仕事を頼まれて気軽に請け負ったり、親切ごかしておやつを手渡されて即食べて代金請求されたりするよね?」
絶句した後、紗良は言った。
「……ここは日本じゃないんだもんね……」
「いや日本でだってそういう話はあるよ。気づいてなかっただけじゃないかな」
「そんなばかな」
「いや、うん……まあ、でも分かるよ、ざっくり表現するなら、日本じゃない、って感じだよ」
慰めるような調子の萌絵に、さすがにがっくりする。
「ま、そういう訳で、私も同意したうえで、神殿からお手伝いの人を貸してもらったの」
「私のせいで人件費が発生するとは……」
すると、フィルが控えめに口を挟んだ。
「それが私のことならば、お礼は戴かない約束です」
「え? いやそれは良くないのでは? 労働基準法違反です」
「津和野さんったら、そんな法律ないんだってば。
神殿としては、津和野さんも女神様から預かった大事な異界人、って認識なのよ。
だから、私に対してそうしたように、あなたがここに慣れるまで、義務として面倒をみるって話だから」
納得したようなしないような話に、曖昧に肯く。
萌絵は、肩をすくめて、
「そうだよね?」
と、なぜか隣に立っていたおじいちゃんに問いかけた。
そうだ、いたんだ、この人、だれだろう。
紗良の無言の疑問に答えるように、おじいちゃんは丁寧な礼をする。
「お初にお目にかかります、紗良殿。私はこちらの神殿を預かっておりまする、ジュネス・バルボアと申します」
「教皇様だよ」
自己紹介に補足するように、萌絵が言う。
組織図などは分からないが、絶対に偉い人だ、と思う。
慌てて立ち上がって、ぺこりと頭を下げた。
「ご丁寧に挨拶いただきましてありがとうございます。
佐々木さん……聖女様と一緒にこちらに参りました、サラ・ツワノです。
この度はお世話をかけます、気にかけていただいて感謝いたします」
おじいちゃん改め教皇は、漫画のようにほっほっほと笑った。
穏やかそうな人だ。
紗良はなんとなく、この人が好きになった。
「なになに、このフィル・バイツェルが片田舎で暇を持て余しておりましたからの、すべきことが出来て本人も本望でしょう」
「はい、私の希望が通って大変にありがたく思っておりますよ。
時に、君、紗良様のお茶はまだかな?」
メイドに向かってフィルが言うと、彼女はぱっと顔を赤くして、それから、ぎこちない手つきでお茶を淹れ始めた。
「あ、すみませんわざわざ」
「そうだ、津和野さん、スマホ出して。これから行く場所、送るね」
「ありがとう助かる」
萌絵に言われてスマホを出す。
メッセージを受信すると、リンク先が送られていた。
タップすると、ここ王都から南にある場所の地図が、その周辺だけ解放されていた。
「距離感が分かんない、どのくらい遠いの?」
「うーん、ここから300kmくらいかな」
「そんなに遠くないんだ」
「北の大地視点で換算しないでよ」
お茶が運ばれてきて、紗良は慌ててスマホを置くと、いただきますと口をつけた。
驚くほど熱く、そして驚くほど渋い。
こちらのお茶はこんな感じなのかな?
首を傾げている紗良の隣で、フィルが静かに言う。
「急がせてすみません、紗良様、暗くなる前に向こうへ跳びましょうか」
「あ、はい、そうですね」
お茶を大半残してしまって申し訳なかったが、フィルの雰囲気がなんだか少し固かったので、カップを置いて立ち上がる。
「お手を」
「あ、はい」
「では、皆さまがた、行ってまいります」
言うや否や、フィルの女神の飛翔の呪文とともに、紗良は泉のほとりに立っていた。