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紗良は、ウッドデッキの真ん中で正座をして悩んでいた。
腕組みをして、さっきから30分は考え込んでいる。
というのも、今日気づいたのだが、ファイヤーピットの周りの床板が点々と焦げているのだ。
おそらく、火の粉が散っているのだと思う。
これはまずいのではないかな。
ウッドデッキの床面は、防水加工はしているが、耐火加工はしていない。
周囲にはなにもないとしても、火事は何が起こるか分からない。
風で森に飛び火したら、聖なる森を焼いてしまうことになる。
それはもう、相当にまずいに違いない。
「なにしてるの?」
声をかけられて、ようやく、萌絵が来ていたことに気づいた。
「え、もう約束の時間だった?」
「うん。なあに、何か悩み?」
心なしか顔を輝かせて聞く萌絵に、火事の心配を話してみた。
彼女はなぜか、途端に興味をなくした顔をして、キャンプチェアにすとんと座ってしまう。
「日本じゃ直接のたき火はマナー違反らしいよ。ピットを使う場合も、下に防火の布を敷くみたい」
「そうなの?」
「地面とか芝を焦がさないためだって」
「よく知ってるね!」
「ゼミキャンプで先輩が得意げに話してた」
あーあ、と肯く。
紗良と萌絵はゼミが違うのに、なぜかおおよその活動は似たようなことをやっていた。
紗良も自分のゼミキャンプには参加していたが、だいたいずっと調理担当だったので、テントの設営もたき火を起こしたこともない。
「その布は何で出来ているの? 燃えないのよね?」
「さあ、ガラス繊維とかそういうやつじゃない?」
「そんな近代科学みたいなのは無理」
紗良はいったん、この問題を脇に置いておくことにして、テーブルに置いたノートを開いた。
「じゃ、第三回お金儲け会議を開催します」
保温ポットに入れておいた紅茶を、マグカップ二つにとぽとぽと注いで、向かい合う。
「はーい。
まず、開業にあたって、税金のこともあるので国に届けは出すみたい。
他に、職業ギルドがあるんだけど、こちらは特別、入会義務はないんだって。
だけど、受注の一部、または全部を任せることができるし、他の商会との仲介もやってくれるから、負担金を払って入ることがほとんどなんだそうよ」
紗良は、萌絵の報告をメモ程度にノートしながら、ふんふんと肯いた。
「必要な用具や器具を、直接卸に発注してコストを下げられるってことか。
受付事務を雇うこと考えたら、人件費も抑えられるもんね」
「そうそう。
あと、追加料金、つまりオプションで、税金の相談に乗ってくれたり、あとトラブルの仲裁もしてくれるんだって」
「なにそれすごいじゃん。思ったより組織だってるっていうか」
お茶請けのクッキーの横に、萌絵が懐から取り出した袋の中身を空ける。
ころころした一口ケーキのような、鈴カステラのようなお菓子だ。
こっちのおやつだよ、というのでひとつ貰うと、素朴なドーナツのような揚げ菓子だった。
もそもそしているが、甘くておいしい。
「仮にも国が成り立って、市街が区分されて、身分が管理されてるもんね。
ちゃんと制度もあるよねそりゃ」
ということで、萌絵が初期費用を出し、神殿の人の手を借りて届を出すことにした。
紗良は実働だ。
ギルドに登録し、そちらを通して仕事を請け負うことにする。
紗良の存在は、国や教会に関わる人間はみな知っているそうだ。
また、貴族も多くは耳にしているが、庶民は知る者もいれば興味がない者もいる、そんな感じだ。
だから、下手に隠すより、堂々と聖女のお友達として仕事をするほうが、安全だと言う。
紗良に手を出せば天罰が下る、という話は、もはや事実として流布している。
そもそも、【魔法使い】の称号を得た紗良に、あらゆる意味で勝てる人間はほぼいない。
小娘と思い変に手を出して返り討ちにあう被害者を増やすより、アンタッチャブルな存在であってくれたほうが安心よ、と萌絵は笑った。
とりあえずは申請をしてみることにする。
帰り際に、ふと思いついたように、萌絵は紗良の顔を覗き込む。
「えっと、今どんな気持ち? 楽しみ?」
改まった質問なのに、何気なく聞かれて、どういう意味かなと首を傾げる。
萌絵は、なんだかちょっと変わった。
前はもっと、内心が顔に出やすい人だったのに、今はそうでもない。
きっと、聖女として育てられているからだ。
感情を抑えたり隠したりする訓練をしているのだろう。
日本ならまだ大学生で、もうすぐ三年生になる時期。
教採を受けると言っていたから、就職活動はまだだけれど、もしかしたら公務員試験の予備校に通うかもしれないと聞いた覚えがある。
それでもまだ、のほほんと学生生活をしていたはず。
まるで無表情にも見える萌絵の顔に、やるせなさと、少しだけどこか羨ましさを感じる。
彼女には大きな使命があって、それは押し付けられたものだけれど、反発しつつ受け入れてもいる。
それは成長だ。
萌絵が少しずつ、変わっている。
自分がのんびり河原で肉を焼いて食べている間に。
「ありがとう。佐々木さんはずっと、私を気にかけてくれてるよね」
直接ではない答えを返すと、この時ばかりは素直に、バツの悪そうな顔をする。
「うざいかもしんないけど、これはもう、一生続くと思ってよね。
だって、津和野さんが幸せにならないと、私は困っちゃうじゃない。
私一人で幸せになりにくいっていうかぁ。
そういうことだから、これって!」
「わあ、お手本みたいなツンデレだね?」
「違うわよ、馬鹿じゃないの!」
ばたばたと帰り支度をする萌絵に、お土産のあんこの缶詰を渡し、ぺたんこの靴を履くのを見守る。
あれは室内履きでは……?
自室から飛んできたのか。
「じゃあなんかあったらメッセージちょうだい。
あと、果物が少し出回って来たから、食べたかったら言って」
「わあ、そうなの、もしかしてちょっと春?」
「もうすぐね」
ついでだから聞いてみよう、と思いつく。
「この辺でぜんぜん魚が獲れないんだけど、それって季節的なものかな?」
四角く光るドアを出しながら、萌絵は首を傾げ、それから、ついと振り向き指をさした。
紗良も振り返って、その示す先を見る。
そこには、河原で寝転がって『何か』をもぐもぐしているヴィーがいるだけだ。
「あれ、いつもこの辺にいるんでしょ?」
「うーん、そうだね、割と」
「じゃああれだよ。あれの気配がヤバすぎて、普通の生き物は近づかないよ。
あれがいる限り、津和野さんが手の届く範囲に魚なんか来ないと思う」
なんということだろう。
紗良がショックで呆然としている間に、萌絵は、じゃあねーと手を振って帰って行った。
そういえば、とういちろうさんと平原をお散歩した時も、いかにもな魔物が逃げて行ったのを見た。
明らかに、とういちろうさんをちらちら見て、慌てたように去って行ったのだ。
そうか。
ヴィーの気配か。
つまりこうだ。
魚か、ヴィーか。
「……」
当のヴィーは、『何か』を食べ終え、川で水をがぶがぶ飲み、満足そうに前脚で口の周りをこすっている。
それからふと、不穏な気配を感じたかのように、こちらを振り向いた。
と、みるみるうちに、しゅるんと小さくなり、黒猫の姿になると、すごい勢いですっ飛んでくる。
そのまま、紗良のお腹に突き刺さる。
「ごえっ」
驚いて尻もちをついた紗良の膝に乗ったまま、ヴィーは髭の手入れを始めた。
元の大きさだったら、今頃潰れているところだ。
そう考えると、変態能力を手に入れたことで、二人の距離は少し近づいたと言える。
ひとしきり手入れを終えたヴィーは、すっかり興味を失ったように、するんと膝から降りてしまった。
そして、魔物もダメにするクッションに乗ると、ぐねぐねと背中をこすりつけながら仰向けで寝てしまった。
温かい重みが失せた自分の太ももを、さて、と叩く。
コロッケでも作ろう。
ヴィーは炭水化物と肉が好きだから、きっと喜ぶに違いない。
魚か、ヴィーか。
思えば、紗良のホットサンドを盗み食いしにきて、泣くほど怯えさせたあの日には、こんなふうに寝ている姿を見ることになるとは考えもしなかった。
一冬が過ぎたんだなあ、と実感する。
萌絵の話では、もうすぐ春らしい。
聖なる森で冬眠していた紗良も、間もなく仕事をしに外に出ることになる。
楽しみかと聞かれ、結局答えはしなかったが、きっと伝わっているだろう。
楽しみだ。
そしてわくわくしている。
もちろん不安もあるが、それは、例えば入学式みたいなものだ。
新しいものへの期待と不安、ということ。
「いっぱい稼ぐからさ、美味しいもの食べようね、ヴィーちゃん」
魚は買えばいいよね。
紗良は後日、お供え物を持ってやって来たフィルに、魚の捕獲網を進呈した。
相変わらずにこにこと、とても喜んでくれたので、いいことをしたと思う。
並行して連載始めました。
「残酷姫は侍女の躾で破滅を回避する」
https://ncode.syosetu.com/n1889iq/
いよいよ恋愛カテゴリを諦めた、女王と侍女の友情物語。