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コスプレ大会しない?
萌絵からメッセージが来たのは、初めて雪が降った朝だった。
雪自体はすでにやみ、しかし、夜の間にほんの1cmばかり積もっていたのだ。
積もっていたというか、うっすら覆っていたというか、案の定、昼前には溶けて跡形もなくなった。
なんにせよ、今が一番寒い時期なのかもしれない。
紗良は、薄く雪をかぶりながらも、平気で腹を丸出しにして寝ていたヴィーを心配した。
この子の野生はどこへ行ったのだろう。
だめだ、私が守らないと。
紗良の中で、ヴィーは徐々に、黒ヒョウから黒ネコ寄りになっていく。
寒いのが苦手そうだし、今日から、ウッドデッキのエアカーテンを常時発動させておこう。
床暖はずっとつけっぱなしだが、紗良の魔力に影響はないし、それくらいは朝飯前だ。
そういえば、萌絵が改造していったウッドデッキ周りの橙色の照明も、ずっと点きっぱなしだ。
紗良の経験上、近くより遠くのほうが魔力を消費するので、王都とかいう離れた場所から発動させるのはちょっと難しいはず。
一度聞いてみたが、ほとんど消費量がないと言っていたので、ありがたく使わせてもらっているところだ。
萌絵の魔力は、紗良よりずっと多いのだろう。
さすが聖女というところ。
そうそう。
その萌絵だ。
『コスプレ?』
『そう! 今度、お披露目のパーティーをするとかで、豪華なドレス作るんだよね。
オーダーなんだけどさ、まずは既成の色んなドレス着て、似合うかどうかみるらしくてさ』
『パーティードレスって、日本人が思ってるようなやつじゃないよね』
『うん、どっちかっていうと、ウエディングドレスとか、お色直しのカラードレスが近いかも』
ふんふん、と紗良は頷いた。
結婚式は、年上の従兄妹のものに一度参加したことがある。
『着てみたくない?』
ぴこん、と届いたそのメッセージについて、少し考えた。
そして、すぐさま返信する。
『着てみたーい!!』
だってドレスだ。
女子なら絶対憧れるやつだ。
こちらに来てしまった以上、いわゆる平民であるのだろう紗良は、一生着ることなどないだろう。
日本の女子として結婚式にほのかな憧れを持っていたこともあるし、そもそも、可愛い恰好も大好きだ。
それがましてや、中世っぽい豪華なドレスをとっかえひっかえなんて。
『だよねー! 明日なんだけど、大丈夫? 迎えに行くから!』
紗良は、OKのスタンプをこれでもかと返した。
そして今日、二人は、神殿にいた。
店を訪れるのだとばかり思っていたが、萌絵とともに転移した先は神殿の一室で、広いそこはすでにドレスの海だった。
「可愛い! みて、めっちゃレース!」
「ひええええ、もしかして手編み!?」
「やば!」
「やば!」
二人でとっかえひっかえ試着している周囲には、十人ばかりの人々がいた。
いずれも女性で、半数はシンプルな、それこそ最初に萌絵が着ていたような白いワンピースを着た修道女達だ。
残り半数は、服飾店のデザイナーとお針子たちで、こちらもかなりシンプルなドレスだった。
どこか呆れたような顔をしている気もするが、さすがプロ、こちらに向けるのは微笑まし気な表情だ。
「わあ佐々木さんそれにあーう!」
「津和野さんはこっちのほうがいい、絶対、こっち!」
「ムダ毛処理してきて良かったー」
「写真とろ! 津和野さんのスマホ、バージョンいくつ?」
「えーっと、最新のやつ」
「かーっ、さすがだね! そっちで撮ろう、後で送ってね」
お互いを撮ったり、二人でセルフィーを撮ったり、途中からは怪訝そうな顔のお針子に撮ってもらったりもした。
画面を食い入るように覗き込む彼女たちは、何度も何か話しかけてきたそうにしていたが、その都度言葉を呑み込んでいる。
写真、まだないのかな。
そうは思ったが、口出しする立場でもないので、紗良は黙っていることにした。
「うーん、やっぱりほら、聖女だからさ」
「そっかぁ、赤、似合うのにね」
「無難に青かなー」
撮った写真をスライドしながら吟味し、結局、淡い水色のエンパイアラインの一着に決めた。
「津和野さんも作る? 予算ついてるはずだし、なんなら多分私の追加分でもいけるよ」
「いやー、いらない」
「だよね」
着ていくところもないし、保管も大変そうだ。
終わりかな、と思ったが、次は、ドレスに合わせたアクセサリと靴と手袋だそうだ。
「可愛い!」
「可愛い!」
こちらの世界は、科学は発達していないかもしれないが、贅を凝らした手仕事という点では高い技術がある。
いずれも一点ものだ。
「あ、てか、この間、北のほうの土地でなんか買った?
津和野さんの予算がようやく使われた、って、教皇様がほっとしてたよ」
「そうなの? よく遊びに来る魔物の首につけようと思って、革と石を買ってもらったの。
あ、こんな感じの石」
「いやぁ、まさか。それ、2500万ギルだってよ。
そこまでの金額じゃなかったけどなあ」
「そうなんだ。じゃああの石、宝石じゃなかったのかなー」
紗良は首をひねる。
しかし、あのいかにも貴族専用の宝飾店で、ただの安い石など出すだろうか。
あんなにもうやうやしく運んできたのに?
何かあるな、とは思ったが、今は答えは出なそうだ。
「そういえばさ、王都の商店街、結構すごいよ。
貴族向けのより、庶民向けのマーケットが楽しいの。
パリの蚤の市とか、京都のがらくた市みたいな感じ。
津和野さん、好きじゃない?」
「なにそれすっごい好き」
「さすが中心地っていうか、各地方の雑多な文化が入ってくるのよね。
正直食べ物は、怪しからんところもあるし、あんまりおすすめしないけど。
なにか口に入れるなら、貴族向けの店一択だわ」
確かに、ワインの醸造レベルからすると、温度管理や安全性の遵守に関して、あまり期待はできなさそうだ。
そもそも、食品についての法はあるのだろうか。
向こうの世界でも、例えば牛乳の広まり始めは、品質管理も販売元の良心まかせでひどいものだったとか。
「身を守れるだけの魔力はあるみたいだし、遊んで行けば?
私は勝手に出かけられないから、一緒には行けないけど」
「心惹かれるけど、夏用ワンピじゃ駄目だよね?」
紗良が着てきたのは、脱ぎ着しやすいぺらんとしたワンピースだ。
たっぷりドレープはとってあるが、膝丈だし、白地にでっかいひまわりだし、とても冬の街に繰り出す服ではない。
「夏かどうかっていうより、そんな派手な柄で膝まるだしなんてありえないっぽいよ」
「えっ。そうなの」
「うん。私が最初に着てたミニワンピ、怒られて取り上げられた」
「えー、ひどいね。っていうか、気づいたけど、服以前に、お金ないわ」
色々と現実は厳しい。
「お金下さいって言えば多分くれるよ」
「うーん、そういう経費みたいなのって、買い物しにくい」
「分かるー、買った品目を記録されちゃうからさー、すごく嫌」
二人は目を合わせた。
「……お金を稼ぎたいですね」
どちらからともなく呟いた。
「聖女パワーストーンとか」
「聖女交通安全守りとか」
「聖女葛根湯とか」
「あ、私この間、良さそうな呪文覚えたよ。
護符っていうの、なんか神社のお守り的に売れないかな」
「あーだめだめ、そこまでのだと、教皇様がさらって持ってって拝んじゃうよ。
もっと弱いのがいい」
やべ、という顔をしたのを、萌絵は見逃さなかった。
「何に使ったの」
「さっき言ってた、魔物の首につけた石……」
「……」
「……」
「黙っとこ」
「うん。黙る」
やはりわざわざ異世界から呼び寄せるのだし、聖女のパワーというのは色々とすごいのだろう。
今まで自覚はなかったが、聖女である萌絵と似たような魔法を使っている紗良は、もしかしてすごいのかもしれない。
女神の加護がどうとか、フィルも言っていたし、と思い出す。
まともに会話するのはフィルと萌絵だけだ、紗良にはこの世界の常識がないのだから、自身が困ったことにならないよう、少し考える必要があるかもしれない。
「やっぱりお金稼いで、ちょっと街を見てみたいな」
森から出るつもりはないが、一生人と関わらずに生きることは難しい。
だとしたら、まだ異世界新人のうちに、少しずつこの世界を知る努力をすべきだろう。
そういう意味で、働いて経済活動をするというのは、いい案に思えた。
「日本みたいにはいかないけど、食べ歩きとか買い物とか、普通に楽しいよ。
ずっと思ってたけど、今までの人生と極端に違う生活を続けるのって難しいし、そのうち病むわよ。
いままでしてきたこと、普通だったこと、ちょっとは取り入れたほうがいいよ。
カラオケはないけどさ」
明後日の方向を向きながらぼそぼそと言う萌絵を、思わず凝視する。
分かりにくいけれど、これは、心配してくれたのか?
こちらに呼んだことを彼女が謝り、紗良が受け入れた。
それでもまだ、彼女の中にはどこか、責任感のようなものがあるのだろう。
「ありがとう、私、バイトしたことないけど、やってみるよ!」
「……くっ……私は聖女、私は聖女、私は聖女……」
さて、問題は、お金を稼ぐ手段だ。
「ちょっと持ち帰って検討だね」
「私はせい……あ、うん。私も考えてみる。津和野さん、転移って覚えた?」
「うん、一回行ったとこは行けるっていうやつ」
「ここに直接飛ぶといろいろマズいらしいから、神殿の入り口がいいかな。
一回行こ、そして次はそこに飛んで、私を呼んでね」
「不審者だと思われない?」
「杖見せたらいける」
了解、と紗良は答えた。
河原に帰ってみると、ヴィーが川岸に仁王立ちし、何かを見ていた。
「そうだ、魚!」
以前作った魚の捕獲網を、ダメもとで浅瀬に設置しておいたのだ。
テンションがあがった紗良は、ヴィーを押しのけて籠を引き揚げてみた。
「……なにこれ」
籠の中には、固そうなライチっぽい何かがごろごろと入っている。
マニュアルノートを開いてみた。
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それは食べちゃだめ
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お母さんみたいにシンプルに教えられた。
結局なんなのか分からない。
捕獲機のお尻側、巾着のように閉じている紐をほどいて、中身を河原に出してみると、ヴィーがぱくりとそれをくわえた。
「えっ、食べて大丈夫?」
ぱくりぱくりと、結局全部食べてしまった。
なんだったのか分からないが、ヴィーはご機嫌なので、大丈夫らしい。
一応、様子をみておこう。
紗良はもう一度、捕獲網を設置してから、チェアに身を沈めた。
保存しておいた干し柿の最後の二個を、ヴィーと分け合って食べながら、なんのバイトをしようかな、と考える。
でっかいし乗れそうだし、ヴィーでタクシーとかできないかな。
無理か。
じっとサイズを目測していると、不穏な空気を感じたのか、ヴィーは目をそらしてそっと後ずさった。