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アテルグランスは森の王である。
その強さは他の追随を許さず、その速さは千里を駆ける。
彼は、ある日、魔から生まれた。
魔物には母も父もなく、生まれるべき時に生まれるものであった。
だから彼は、本能で知っていた。
自らの強さと、魔物と女神との関係と、弱き者を食らうことの喜びを知っていた。
そうして、王として80年ばかり経った頃、突然、住処である森が変わった。
女神の気配が濃くなり、何かが起こると分かった。
それは他の魔物にも伝わった。
だから、外からたくさんの魔物たちが集まった。
魔物は、女神に惹かれる。
同時に、女神の聖心力を恐れる。
なぜかは分からない。
ただ分かるのは、この森は、あらゆる魔物を惹きつけてやまないということ。
アテルグランスは、縄張りを荒そうとした不届きもの達を粛正する。
そうするうちに、弱きものは次第に強きものの匂いを恐れ、近づかなくなった。
そして、反対に、強きものは我こそが王であるとでも言いたげに、どんどんと集まった。
ある日、女神の気配の理由が分かる。
オキニイリが湧いたのだ。
この世界の者ではない匂いをさせたそれは、ごくたまに現れるヒトで、女神の加護を沢山もっている。
女神のオキニイリなのだ。
このオキニイリは、最初とても弱い。
だからアテルグランスは、王として彼女を見ていた。
不思議な四角い空間を出入りし、泣いたり木を削ったり火を起こしたりしていた。
そして、その火を使って、美味しそうな匂いをふりまいている。
あまりに美味しそうだったので、一度つまみ食いをした。
オキニイリはひどく怯えた。
女神に怒られそうだったので、あまり近づかないことにした。
その内、オキニイリはまだ弱いのに、森に入り始めた。
ふらふらと森を歩き、カエドゥスに狙われた。
死なれては困る。
これがいれば、女神の匂いに満ちた森でいられる。
これがいれば、色んな魔物が集まり、それらを食うことができる。
そう考え、カエドゥスを粛正せんとしたが、オキニイリは大声で叫んでアテルグランスを驚かせてきた。
おかげで噛まれてしまった。
魔物同士の毒は、魔力を伴い、心臓に打ち込まれる。
アテルグランスは死にかけた。
カエドゥスは形は小さいが、上位の魔物なのだ。
さてはこのオキニイリ、敵だったか。
そう思ったが、どうやら違った。
なけなしの魔力を投じ、それはアテルグランスを救った。
それ──紗良は気づいていない。
その時、紗良とアテルグランスは命脈を共有した。
彼女が死ねば、アテルグランスも死ぬ。
アテルグランスが死ねば、彼女も死ぬ。
紗良はそれを知らない。
今、アテルグランス──ヴィヴィドの胸には、女神の加護を受けた石がぶら下がっている。
これ自体はヴィヴィドを守らない。
けれど、ヴィヴィドは紗良を守る。
この石は、一度女神の御許に上がり、そして戻されてきた。
言うなればこれは、守護者たれ、とでもいうべき使命の証なのだ。
ヴィヴィドはとても賢いので、気づいている。
紗良は歳を取らない。
だからヴィヴィドも歳を取らない。
いつまでも。
けれど、それは違うと教える者があった。
ほんの200歳ほど年上の魔物であった。
灰色の毛をしたその強きものは、前代のオキニイリの守護者である。
彼は言う。
今のオキニイリは混乱している。
そのため、森にとどまっている。
けれどいつか、彼女はここを出て行くだろう。
なぜ?
分からない。
魔物には多分、一生理解することのない、同族と混じって共に暮らす喜びというものがあるらしい。
ヒトはヒトと暮らす。
だから紗良も、今はお前の元にいても、いつか離れてゆくのだ。
その時、彼女の時は進み始める。
ヴィヴィドは最初信じなかった。
けれど、たまに来るヒトと紗良が楽しそうにしていたことも、忘れてはいなかった。
そしてまた、この灰色の魔物とともにあったオキニイリが、どうなったかも知っていた。
でも。
だからなんだというのだろう。
ヴィヴィドは使命を果たすのだ。
どちらかの命が尽きるまで、それは終わらない。
仮令森と人里に離れても、それは変わらない。
そうしていつか死んだならば、後には同じ赤い石だけが残る。
永遠を刻まれたこの石が、ただ、ふたつ。
仮令世界が終わっていても、それらは決して、朽ちることはなく。




