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じゅっ、と肉の脂が炭に落ち、音と煙が立つ。
紗良はごくりと唾を飲み込み、両手を握りしめる。
たき火がぱちぱちと弾け、炭がかんかんに焼けて、ウッドデッキはぽかぽかと暖かい。
今、紗良は、暑かった。
自らにかけた保温を解いてなお、汗が出てくる。
それでも、じっと動かず見ているのは、肉だった。
分厚い肉だ。
脂と赤身が絶妙のバランスで配置された、それはそれは美味しそうな肉を、炭火で焼く。
手には、ビールを持っている。
焼き上がりを、今か今かと待っている。
ヴィーすら、若干ひいているようにも見えるが、全く気にならない。
だって、それは、絶対に美味しいだろうと思われる、牛肉なのだから。
「あのね、これは、えー、チョーカーです!」
あの日、紗良は、森から現れたヴィーを座らせ、例の首輪を見せながらそう言った。
欺瞞である。
だが、こういうのは、気持ちの問題だから。
どうせ、これが本来なんであるかを気にするべきは、紗良とヴィーしかいない。
誰かがジャッジすることでもないし、そもそも目にすることすらないだろう。
だから、これは、紗良にとって首輪ではなく、贈り物である。
何か首に巻いておきたいらしいヴィーのために、フィルの協力を得て作った、アクセサリーだ。
それをヴィーに伝えることで、お互いがそう認識する。
それでいいじゃないか。
どうやら、首輪、もといチョーカーを見たことのなかったヴィーは、首を90度ひねっている。
何をするものか分からないのだろう。
それで、紗良は、そのチョーカーを自分の首に当てて見せた。
それから、ヴィーの首元を指さす。
魔物の首が、反対側に90度傾いた。
よし、伝わらない。
仕方なく、紗良は、実力行使に出た。
ヴィーの首にチョーカーを巻き、カチッと留め具をはめたのだ。
それから、鏡を見せてあげた。
ヴィーはその間、ぴくりとも動かず待っていたが、差し出した鏡を覗き込むと、お座りしていた尻をあげた。
そして、あらゆる角度から、自分の姿を鏡に映し始める。
喉のあたりで、真っ赤なチャームが揺れている。
黒くて艶やかな毛によく映えていた。
「見てほら、おそろい」
紗良が自分のイヤーカフをはじいて揺らして見せると、ヴィーは鏡からようやく目を離し、耳元に鼻を寄せてきた。
鼻息がすごい。
フンフンと匂いをかぎ、そして、ガフッと鳴いた。
風で紗良の髪がなびく。
それから、その場で二、三回、小さく跳ねると、すごい勢いで森の奥へと走り去っていったのだ。
残された紗良は呆然としたが、あれは多分喜んでいたんじゃないか、とは思った。
良かった良かった。
チョーカーの材料を調達に行った年末年始だったが、甲斐はあっただろう。
いい気分で寝て、起きて、そして、朝。
玄関先に、牛を見つけた。
分厚いステーキをひっくり返すと、たっぷりの脂がしたたり落ちた。
玄関先で発見した牛を食べられるまでに、三日を要したのだから、期待も高まる。
なぜ三日も置いたのか?
マニュアルノートがそう言ったからだ。
すぐさま錬金釜に放り込もうとした紗良に、待ったをかけやがったのだ。
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<魔物を食べるということ>
いくつかのレベルが、魔物食に耐えられると判断しました!
ただし、注意点があります。
まず、魔物は人間の身体に害を与える物質を含んでいることが多いのです。
ですから、食べる前に必ず毒素を抜く処置をしましょう。
また、動物の肉は、錬金釜内で熟成期間を経ていますが、魔物の肉は、その処置が出来ません。
よって、現実時間で熟成する必要があります。
魔物は知性がある者の割合が動物より高く、自ら食のために狩りに行くことは推奨しません。
しかし、得られたものを森の恵みとして食すことは、喜ばしいことでもあります。
ルールを守って、美味しい森生活を!
浄化
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どうやら、浄化の上位魔法を教えてくれたらしい。
それからその下に、美味しい魔物の種類と、その処理方法が書いてある。
「どれどれ」
ヴィーのお土産は、トニトリーボスという魔物である。
雷雨、という意味を持つらしい。
雷属性の攻撃を得意とし、守りは非常に堅い。
しかし、その肉質は柔らかく、脂をしっかり蓄えている。
大きな傷口のある首元から肉の様子を見れば、どうやらそれは牛に近いと見える。
トニトリーボスと書いて、牛と読む。
「これ、しっかり放血されてる」
首の頸動脈をすっぱりいかれているせいか、血抜きされているようだ。
生々しいけれど、動物とは違い、見たことのない姿かたちがどこか非現実的でもある。
気を失わずにすんでいるのは、そのおかげだろう。
紗良は、マニュアルに従って、その牛を運搬した。
ちょうどいいことに、今、コンテナのひとつが空いている。
ハーブ類を植えていた場所が、ほぼ用をなさなくなったため、土ごと片付けて置いたものだ。
そこにすぽっと入れて、浄化をかけ、三日間放置した。
そしてようやく、今日だ。
錬金釜にジッパーバッグと共に放り込み、ブロック肉と各内臓を山ほど取り出した。
獲物が大きい分、食材としても食べるところが沢山あったらしい。
保存の魔法を覚えておいて、本当に良かった。
これはさすがに、冷凍庫には入り切れないだろう。
火を熾し、炭火を焚いて、そうなるともう、直に焼いて食べる以外に選択肢はなかった。
分厚く切った肉を、二枚。
自分の分と、ヴィーの分だ。
塩コショウして、炭火でじっくりじっくり焼いて、それだけでいい。
「いただきます!」
一枚をヴィーに、そして残りの一枚を、豪快にそのまま噛みちぎって食べた。
口の中に広がる、ほんのりミルクくさい匂いと、甘い脂の、なんと美味しいことだろう。
歯ごたえはあるが、噛みしめるたびに繊維がほろりと解ける。
じっくり味わってから、すかさず冷えたビールで流し込む。
「うまーい! ヴィー! すごい、えらい、好き!」
言葉の意味は分からねど、紗良のテンションは伝わるらしく、ヴィーは肉をほおばりながらなにやらうにゃうにゃ言っている。
網の上では、次の肉が出番を待っている。
ついでに、ホルモンも少しのせておく。
ジュッ!と音が立ち、網についた部分がたちまち縮む。
塩コショウをたっぷり振っておく。
ステーキを一枚食べ終わった紗良は、今度は少し赤身の多い部分を丁寧に焼き、わさび醤油をつけて食べた。
単純に肉を味わうだけではなく、薬味と醤油の複雑な味が加わると、なんだか余計に滋味を感じた。
ヴィーはあまりわさびは好きではなさそうだったので、すりおろしニンニクだ。
ホルモンは、レモン汁にちょんとつけて食べる。
肉よりも脂っぽいが、ぷるっとした食感がまたたまらない。
ビールがはかどってしまう。
その時、ぴくりとヴィーが顔を上げた。
そして、河原の方を見やる。
しばらくすると、紗良の耳にも足音が聞こえてきた。
予測はできる。
案の定、灰色の犬が姿を現した。
転移石から、障害物のない河原を走って来たのだろう。
口から白い息をはいていて、寒そうだ。
「おいでおいで」
浄化をかけながら、ウッドデッキに招き入れる。
ヴィーがまた反応するかな?と思ったが、なぜか今日は、びくともしない風情だ。
それどころか、犬に向かって、フンと胸をはっている。
慣れたのかな。
犬の方は、そんなヴィーよりももっとどっしり構え、前回と同じであまり構うふうではない。
それでも、まるで挨拶するように、わふ、と小さく鳴いた。
大人である。
「あら、そういえばそのイヤーカフ、何かついてるね?」
近寄って見てみると、紗良のものにはチャームと杖の飾りしかないのに対し、犬のそれは銀色のプレートがついている。
ドッグタグだ。
その表面に、何かが彫ってある。
「ひらがなだね。えーっと……『とういちろうさん』」
さんづけ?
さんまでが名前?
疑問符がいくつも浮かぶが、当の犬は、その名を紗良が口にしたとたん、ワン!と大きく返事をした。
しっぽが揺れ、控えめながら喜んでいるようだ。
「さん、までが正式名なのね? よろしくね、とういちろうさん」
春子はいくつだったのだろう。
もし紗良と同じくらいなら、明治という時代背景を鑑みるに、おそらくと思うことがある。
結婚していたのだろう。
もしかしたら子どももいたのかもしれない。
この相棒は、春子の夫の名をもらったのに違いなかった。
「今日はお肉だよ。これはね、ヴィーが獲ってきてくれたんだよ」
網の上に、紗良は次々に肉を乗せた。
心なしか、二匹の距離は、前回よりも近い。
やはり、ひとつの網を囲むと仲良くなるものなのだ。
その後、食べ終わったヴィーが、執拗にとういちろうさんのドッグタグにいたずらしようとするので、どうやら同じものが欲しいようだった。
しかし、紗良は悩んだ。
タグまでつけてしまっては、チョーカーという態をなさなくなってしまうじゃないか。
「そうだ!」
紗良は、ヴィーのチョーカーを一度外し、裏に油性マジックででっかく名前と電話番号を書いたのだ。
「ほらみて、これ、ヴィーの名前。
あと、私の電話番号ね。迷子になったら、ここに電話してもらってね」
そう言うと、ヴィーはもうドッグタグに興味を失ったようだった。
とても満足そうに、とういちろうさんに向かって何かをうにゃうにゃ話しかけている。
良かった良かった、めでたしめでたし。
はい首輪