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「フィルが素敵なゲストを連れてきてくれたわよ。

 界渡り様だから、皆さん、そこのところ、よく含みおいて下さるわね?」


快活ながら、支配者の威厳を滲ませて、夫人が全体に呼びかけた。

奥の長テーブルに、明らかにこの屋敷の主人らしき男性がいるけれど、彼はそれをにこにこ見ているだけだ。

この場を取り仕切っているのは夫人なのだ。

はあく。


「ご紹介に与りました、サラ・ツワノです。

 素敵な集まりに呼んでいただいてありがとうございます、よろしくお願いします」


ぺこりと頭を下げると、あちこちから、歓迎の声がかかる。

それぞれ持っていたグラスを軽く上げてみせてくれ、暖かい雰囲気を感じた。

おそらく、事前に根回しはしてあったのだろう。

過度に構われるでもなく、流れるように皿とフォークを渡され、気づけば山盛りの料理とともに窓際のソファに座っていた。

立食形式だからか、人々は流動的で、名前を覚えるのがちょっと難しい。

それでも、フィルが一人ひとり、丁寧に教えてくれている。


「こんばんは」


男性が一人、声をかけてくれた。

異世界だからなのか、紗良の貴族フィルターがかかっているのか、壮年ながらイケメンぶりがすごい。


「素敵なドレスだね。僕は服飾の仕事をしているんだ。

 良かったら、そのレースを少し近くで見てもいいかい?」


眩しいような笑顔と共に聞かれ、もちろんですよと即答しようとした。

しかし、その返答の前に、滑り込むような素早さでフィルが言った。


「駄目です」


紗良は答えを言おうとしたままぽかんと口を開け、そして、男性はと言えば、一瞬驚いた顔をした後、爆笑した。

その声に、みんなが怪訝そうに振り返る。

男性はもはや涙さえ滲んだまま、屈もうとしていた足をすっと後ろに引いて距離を取った。


「分かったよ、おさわりは禁止だ、そうだろう?」

「伯父上、その言動もいけません」

「分かった分かった、本当だ、今夜のことを僕はしっかり覚えておくとも」


伯父と呼ばれた男性は、にっこりと紗良に微笑み、


「うちには馬もいるし、他に動物もいる。良かったらフィルに案内してもらうといいよ」


そう言って、ひらりと手を振って離れて行った。

なぜ紗良が動物好きだと分かったのだろう。

ふと、手元を見る。

すると、袖口のレースに、ヴィーのものらしきグレーの毛が一本、ついていた。

外皮毛は真っ黒だけれど、下毛はこの色だ、間違いない。

きっと、この毛をさりげなく取ってくれようとしたのだろう。


「素敵な紳士ですね」


紗良はその毛をそっと取って、ポケットに入れた。

このワンピースを買ったのは、お呼ばれ用のドレススタイルなのにポケットがついていたからだ。

役に立った。


「そうですね、馬はお好きですか?」

「興味があります。乗ってみたいとも思っていました」

「では、カジュアルな服をお持ちいただいて良かったかもしれません。

 明日にでも厩舎に行ってみましょう」


それは楽しみだ。

同時に、やっぱり貴族って馬に乗るんだ、と、ちょっと面白くもなる。

紗良の機嫌が上向いたのを感じ取ったのか、フィルがようやく安心したような顔をした。







その後の紗良は、フィルと共に自由に過ごした。

貴族の家の仕様なのか、年末からひっきりなしに来客があり、主人夫婦はその対応に忙しい。

何十人もの人が出入りし、業者らしき荷馬車も何度もやって来ている。

そんな中、分籍し貴族としての対応を免除されているフィルと、来客である紗良は、好きな時に食べ、好きな時に出かけ、好きなように過ごした。


本当に乗馬に連れて行ってくれたのだが、まあ、とても乗れはしなかった。

ぽっくぽっくと歩く速度で、かつフィルが手綱を引いてくれて、ようやく厩舎前の草っ原を一周する程度だ。

森へのお出かけなど夢のまた夢だったが、それでも、実際の動物に乗れて紗良は満足だった。


「ヴィー様にも乗れると思いますよ?」

「えっ、ヴィーにですか?」


フィルに言われ、少し考える。

いやいや。

振り落とされてお終いだろう。




日本で言えば大みそかに当たる日は、みんなでひとつのパイを切り分けて食べ、その後、庭園にある女神像に祈りに行った。


元旦からは、主人夫妻はより忙しそうだったが、フィルと紗良はのんびりだ。

三日には、初市が立つというので、街へと降りてみた。


そこで、ひとつの商品が目に留まった。

真っ赤な革だ。

なめして艶加工はしてあるが、製品になる前の材料としての革で、いかにも、何らかの動物の形をしている。

切り取れば、80cm四方くらいになるだろう。


「フィルさん、あれはなんの革ですか?」

「あれですか? ポルクスですね。魔物ではなく、動物です」


紗良が考えていたのは、ヴィーのことだ。

首のリボンを失ってしょんぼりしていたのが、どうにも気にかかる。

そんなに巻きたいなら、首輪はどうだろうか。

けれど、首輪というアイテムには、所属というか従属というか、なんだかそういうイメージがつきまとう。

ヴィーは果たして喜ぶだろうか?


「購入しますか?」

「うーん、そうですね、欲しいです。でも私はお金を持っていないので、買ってもらっていいですか?

 代わりに、森に戻ったら別の対価をお支払いします」


フィルはすぐにその革を買い上げた。


「実は、教皇庁から、紗良様のお望みになるお供物があれば差し上げるようにと通達が来ているのです。

 こちらは、その予算から賄いますね」


いいのかな、と思ったが、残念ながら紗良には他に手がない。

申し訳ないと思いつつ、黙って受け入れることにした。


「ちなみに、おいくらですか?」

「一枚で、70万ギルですね」


思ったより大きな数字がきて、驚いて慌ててマニュアルノートを開いた。




**********************************


<異世界の通貨価値>


こちらでは、通貨の単位を『ギル』としています。

全て硬貨で、『100ギル硬貨(銅色)』『1000ギル硬貨(銀色)』『10000ギル硬貨(金色)』が存在します。


大きな単位の取り引きの場合、硬貨ではなく、鉱石や宝石、あるいは穀物や動物などの動産でやりとりすることが多く、硬貨は主に庶民の手段となっています。



一般的な物価


食パン一斤 1500ギル

卵一個   200ギル

石鹸一個  1000ギル

エール一杯 4000ギル



**********************************



おおよそ、日本円の10倍のレートと考えていいだろう。

すると、この革は、紗良の感覚で7万円の価値だ。


「……高くない?」

「そうですねえ、これは、いわゆる亜種なのです。

 動物としてはありふれていますが、色変わりした個体ですので、価値はあがります。

 領地の経済を教皇庁のお金で回すのは、気分がいいですね!

 さあ、どんどん買いましょう!」


フィルはご機嫌だ。

教皇庁に何か思うところがあるのか?

そもそも、こんな北の外れとはいえ、お城みたいな家の息子が、正反対の本当の田舎で平民の神官をやっているなんて、おかしくないか?


「紗良様、他に欲しいものは?」


聞かれて、我に返る。

事情は人それぞれ、紗良が尋ねるようなことではないだろう。


「可能ならなんですけど、この……耳飾りと同じ石を同じように金細工で包んだチャームが欲しいんです」

「なるほど。それでは、市ではなく、場所を変えましょう」


フィルに連れられて馬車に乗り、移動した先は、こぎれいな店舗が立ち並ぶ、石畳のストリートだった。

先ほどまでとは、歩いている人の服装も違う。

紗良は、街歩き用だというワンピースに、自前のコートを羽織っていたが、浮いている気がする。


日本で言えば銀座みたいな?

高級店らしき店構えに、大丈夫かな、と思うが、フィルは気にせず入って行く。


「いらっしゃいませ、お久しゅうございます、フィル様」

「やあ。少し頼みがあってね」

「なんなりと」

「こちらの方のつけている、この石と同じ色合いの石はあるかな?

 あるならば、同じように金細工で加工してほしいのだが」


紗良が見えやすいように耳を突き出すが、店員が近づこうとすると、フィルが阻止する。


「……あの、フィル様、もう少し近くで見たいのですが」

「そこから近づいてはならない」

「……いや、しかしですね?」


困惑している店員を気にする様子もなく、涼しい顔をしているフィルに、紗良は呆れた。

安全地帯(パルサス)も発動していないのに。

なんにせよ、フィルの名をあっさり呼んだということは、知り合いか行きつけなのだろう。


仕方なく、紗良は、イヤーカフを耳から外した。

瞬間、手の中に杖が現れる。


「すみません。これなら見えると思うので、どうぞ」


店員は固まり、フィルはといえば、


「やあ、いい考えですね」


とにこにこしている。

ぎこちないながらも、店員はすぐに、紗良が突き出した杖の頭を観察している。


「サイズは先ほどの状態と同じもので?」

「そうですね……いえ、私のこぶし大くらいのものはありますか?」

「少々確認致します。

 おい、お茶をお持ちして」


紗良たちはソファに案内され、美味しいお茶がふるまわれた。

しばらく待って、店員が数人、それぞれにケースを持って戻って来た。

テーブルに並べられたのは、確かに、紗良のこぶし大の赤い石だ。

しかし、と首を傾げる。


「同じような色だけど、同じ石じゃないですね。

 同じものはないのですか?」

「紗良様、それは女神様の祈りの結晶です。同じものは、ふたつとないのです」

「ああ、なるほど。じゃあ仕方ないですね」


紗良は納得し、じっくりと商品を見比べて、一番似ている色を指さした。


「加工までにどれほどかかる?」

「おおよそ……一週間ほど」

「分かった。バイツェルの屋敷に届けてくれ」

「承りました」


フィルに連れられ、店を出た。


「あの、お支払いは?」

「はい、屋敷の方で、商品と交換に致しますので!」

「お値段は聞かないの?」

「おおよそ、分かります。ご心配いりませんよ!」


出来上がったら、すぐに聖なる森へとお届けしますね、とフィルは笑った。

ご機嫌なようだ。

彼が楽しそうなので、紗良も、出来上がりがとても楽しみになった。


「フィルさん、おうちに誘ってくださってありがとうございました。

 おかげで、とてもいい年になりそうです」

「こちらこそ、楽しい日々をありがとうございました。

 予定では明日、聖なる森へお戻りとしておりましたが、よろしいですか?

 もっといてくださってもいいのですが」

「うーん、いえ、ヴィーがそろそろ、美味しいものを待ちきれなくなっているでしょうから」


フィルは、では母に捕まらぬうちに帰りましょうね、とまた笑った。





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― 新着の感想 ―
[良い点] 猫ちゃんのために、お揃いの飾りを作ってあげるのいいですね\(・o・)/ステキだ
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