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紗良は小学校の教員養成課程だが、中高の免許も取ろうと思っていた。
実際、単位も十分取れる予定でいたので、昔使っていた教科書や参考書、必要と思われる教具は根こそぎ実家から運んできていた。
リコーダーとか、そういうやつだ。
いらなかったけど。
その中に、彫刻刀もある。
これはいいやつだよ、と父が言っていた。
父は、紗良の教具を選ぶのがなぜか好きだった。
今でも龍の裁縫道具があるんだ、と大喜びしたりして、いつも一緒に選んだものだ。
そういう訳で、紗良は久しぶりにチェアに座っている。
エアカーテンで中を暖め、傍らには木材と彫刻刀、そして、錬金釜で作った防水塗料を置いていた。
【転移石・地蔵】を見つけた時には、うっかりそのまま帰ってきてしまったが、あの後もう一度、この葉っぱを探しに行ったのだ。
匂いや質感は、どうも漆に似ている気がする。
しかし、触ってもかぶれないようだ。
とりあえず、刷毛は料理用しかないので、古いタオルだけ準備してあった。
まず、ペンで木切れにスプーンの形を描く。
そしてその通りに、ざっくりと切断で切り落とし、そこから細部を彫刻刀で削っていく。
笑いが止まらない。
「いける。いけるぞぉ……」
【木工】のレベルは48だ。
なんと面白いように形になるではないか。
柄のところにお花の彫刻なんかつけちゃおうかな。
ものの30分ほどで、綺麗な形になる。
それから、彫刻刀セットについていた紙やすりで、滑らかにしていく。
荒めのものから、細かいものへと変えていくのは、爪やすりと同じだ。
そういえば、ずっとお手入れをしていない。
爪を見ると、リセットのおかげでそうひどくはないが、そもそもの手入れが足りていない気がする。
というか、フィルの実家に出かけるときは、さすがに化粧をしなければならないだろう。
もう半年ほどすっぴんで生きているのに、出来るだろうか……。
考えているうちに、スプーンは出来上がった。
後は、古タオルで塗料を塗りこんでいく。
乾かして、三回くらい塗ればいいだろう。
大量の木っ端を片付け、今日はここまでにする。
さて、今日は、紗良にはもうひとつやりたいことがあった。
魚用の仕掛けを作りたい。
紗良が作ったことがあるのは、ペットボトルの上三分の一を切って、注ぎ口を反対にしてかぽっとはめたものだ。
あれのでっかい版が作りたい。
網と金属フレームで出来る気がする。
問題は素材だ。
ナイロンとか、テグスのような素材が良い気がする。
家に入って、良さそうなものを探すが、やはり衣服が一番分かりやすい。
リセットで再生されることは実証済みなので、洗濯タグを見ながらナイロン素材を探した。
外に出て、錬金釜を出していると、軽快な足取りでヴィーがやって来た。
「今日のお昼はなしだよ、めんどくさいから」
そう言いつつ、キッチンの戸棚から、買い置きのクッキーを出してくる。
一枚食べながら、残りをヴィーの前に並べた。
ふと思い付き、引っ張り出してきた衣服のなかから、赤いリボンを手に取る。
そして、ヴィーの首にリボン結びしてみた。
「はははは、可愛いじゃん」
似合っていたので、鏡を出してきて見せてやった。
ヴィーはちらりとその光景を見たが、興味なさそうにクッキーに視線を戻す。
食に関してはOLみたいだけど、見た目に無頓着なのはおじさんみたいだ。
今日も頭に枯葉がついている。
いまだにこの魔物が女子か男子か分からないのだが、クッキーをぼりぼりやっている姿は子供のようでもある。
お菓子を食べ終えたヴィーはどこかへ行こうとしたので、慌てて止めた。
「枝にひっかかったらぐえってなるよ、ぐえって」
結んだリボンをほどき、せっかくだからと、柿を干してある竿にひっかけておく。
ヴィーはそのまま、森へと入って行った。
紗良は、目的だったナイロン糸を錬金釜で作り、さらに、ステンレスのインゴットでフレームを作る。
最後に、その二つを一緒に釜に入れ、仕掛けカゴを完成させた。
よしよし。
とはいえ、すでに陽が傾き始めているので、これを試してみるのは明日だ。
紗良は、部屋から、先日仕込んでおいた豚バラのかたまりを出してきた。
塩をたっぷり擦り込んでおいたあれだ。
この塩豚と、萌絵が持ってきてくれた白菜で、シンプルミルフィーユ鍋にしよう。
保存庫になっているコンテナに近寄り、そういえば、と思い出す。
土に埋めて置いたさつまいものことを、完全に忘れていた。
まずいかな、と思ったが、掘り起こしてみると、むしろ皮の色味が増している。
寝かせる系だったのかもしれない。
紗良は、それを三本ほど、他の材料と一緒にシンクに運んだ。
さつまいもの土を洗い落とし、アルミホイルで包む。
そして、ファイヤーピットではなく、焼き肉をする四角いステンレスの箱、の方に、炭に埋めるように入れた。
未だに正式名称が分からない。
火をつけると、明々と燃え出す。
さて鍋を仕込もう。
ウッドデッキを降り、靴を履いた時、軽快な足音を聞いた。
ヴィーかな、と思って顔をあげたが、森から顔を出したのは、なんとあの灰色の犬の魔物だった。
「どこから来たの? 遊びに来たの?」
驚いたが、この魔物もきっと、あの転移石を使えるのではないかと気づいた。
紗良が起動したことで、【どんぐり石】にも飛べるようになったのかもしれない。
犬は、いや違った、魔物は、漂ってくる食べ物の匂いに目を細めてから、紗良の部屋とウッドデッキの間らへんに座り込んだ。
お腹を地面につけて、長期戦のかまえだ。
「餌付けしてしまった……」
ヴィーの時に自分を戒めたはずなのに、まただ。
とはいえ、この犬の魔物については、仕方がないところもある。
同郷の女性が相棒にしていたらしいのだ、情もわくというもの。
仕方あるまい。
無水鍋に、切った白菜と、塩豚をスライスしたものを交互に詰め込んでいく。
ぎゅうぎゅうに詰めたところに、酒をたっぷり注ぎ、蓋をしてかまどにかけた。
そして、秋の間に塩漬けにしていたきのこを、軽く洗ってみじんにし、同じくみじん切りしたネギとおろしショウガと混ぜ、漬けダレ用に馴染ませておく。
先日フィルが梨のようなものを持ってきてくれたので、それでもう一品作ることにする。
果物だが、やはり甘さは物足りないので、サラダに使うのだ。
水菜をざくざく切って冷水に放ち、梨を同じくらいの細切りにする。
スピナーでぐるぐる回して水気をしっかり切り、オリーブオイルと塩と酢のあっさりドレッシングで和える。
「しまった、焼き芋どうなったかな」
慌ててウッドデッキに上がり、炭火からトングで掘り出してみる。
が、置く場所がない。
運搬でまな板を呼び寄せ、その上に三つとも載せた。
ホイルを開いてみると、途端に、芋の焼けるいい匂いがする。
調理台まで運び、竹串がなかったので、菜箸を突き刺してみた。
何の抵抗もなく突き抜けてしまったので、中まで焼けているらしい。
「あら……ヴィーが帰ってくる」
いつからか、近づくヴィーの気配が分かるようになった。
感覚の教えた通り、森からずぼっと黒い獣が飛び出してきた。
そして一目散にウッドデッキに向かってきたが、その途中でぴたりと足を止める。
そのまま動きを止めた様子は、まるで、呆然、といった風だ。
その視線の先にいるのが犬の魔物だと気づき、紗良は少し困った。
どうみても種族が違う。
喧嘩になったらどうしよう。
止められる気がしない。
一応様子をうかがっていると、ヴィーはやがてじりじりと歩き出し、犬の魔物から数m距離を保ってうろうろと左右に歩き出した。
「えーと、その灰色のでっかいのはね、私の、うーん、知り合い?の友達らしいのよ。
今日は一緒にごはん食べるからね、仲良くね」
何かが勃発する前にと声をかけると、ヴィーはぴょんと跳ねた後、さらにうろうろを早めた。
どうも友好的な雰囲気ではない。
やんのか?という空気を感じる。
しかし、ぴたりと動きを止めた。
諦めたか、と見えたが、ヴィーは一点をじっと見ているようだった。
どうも、犬の魔物の耳、そこにあるピアスに視線が注がれている。
さらに、ちらりと紗良を見た。
犬を見た。
唸った。
なにしてんのこの子。
紗良は、動物園は好きだが、動物と親しく接したことがない。
母の仕事の性質上、動物の毛はご法度だ。
ゆえに、檻の外から眺める生き物しか知らないし、その気持ちも全く分からない。
ヴィーはしばらく、ふーふーと唸っていたかと思うと、不意に動き出し、なぜか柿の横にかけてあった赤いリボンをくわえた。
そして、紗良の傍に来ると、それをぐいぐいと頬に押し付けてくる。
「え? え?」
でっかい魔物に押されてぐらぐらしながら、ほんとなにしてんのこの子、と思う。
「もしかしてつけて欲しいの?」
紗良は慌てて、赤いリボンを、ヴィーの首にリボン結びにしてつけた。
そうすることで、変な行動がやんだので、どうやら正解らしい。
魔物の気持ちは難しいな、と思いつつ、落ち着いたなら今がチャンス、とも思った。
無水鍋の蓋を開け、ヴィーのフードボウルに四割、シンクの引き出しにあった金属ボウルに四割よそう。
残りは鍋ごと、ウッドデッキのテーブルに運んだ。
刻んだきのこのたれをヴィーに嗅がせ、肯いたのでちょいとのせる。
犬の魔物に嗅がせ、首を振ったので、こちらにはのせない。
「こっちおいでよ」
浄化をかけると、犬の魔物は心得たように気軽にデッキに上がって来た。
少し考えて、離れた場所にふたつのボウルを置く。
さらにサラダも別の器に入れて出すと、二匹はそれぞれ、思い思いに食べ始めた。
紗良は、うんうん、と肯く。
やはり、鍋を囲むと、仲良くなるのだ。
囲んでいる、とは言い難い距離感であることには目をつぶったまま、豚肉の脂とうまみが限界まで染みこんだ白菜を、口に放り込んだ。
「食後のデザートはね、焼き芋だよ」
声をかけると、二匹は同時に、ニッと歯をむき出した。
ねこもいいが、いぬもいい。