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一週間後、やって来たフィルは、少し疲れているようだった。
紗良が心配して尋ねると、自分の頬を撫で、意外そうな顔をした。
「自分では気づきませんでしたが、確かに最近少し、忙しかったかもしれません」
「そんな時にわざわざ来てもらって」
「いえいえ、昨日あたりから、落ち着いてきてはいるのです。
ほら、年末ですから。色々とあるのですよ」
「ああ、なるほど。こちらでもニューイヤーのお祝いはあるんですね」
「はい。とはいえ、年送り一週間前くらいが行事のピークでして。今はその準備ですね」
いつもの御神木の下で、紗良とフィルは、お互いの荷物の中身を交換した。
「そうだ、良かったら、うちに来ませんか? 甘いものはお好きですか?」
「ええ、好きですよ。よろしいんですか?」
「はい。ちょっと前に作ったお菓子が、ヴィーのお気に入りになっちゃって。
それから結構な頻度で焼いてるんですよ」
二人は連れ立って、河原へと歩いた。
もうすっかり慣れた道だ。
そう、もう道と言えるだろう。
獣道ではあるが、草が踏み固められ、少し歩きやすくなっている。
ウッドデッキに到着すると、フィルは何も言わずとも靴を脱いで上がってくれた。
紗良が二人まとめて浄化をかける。
「紗良様は、清潔を重んじられるのですね」
「そうですねえ、病気が怖いですからね。あとはまあ、そういう教育を受けましたから。
外から帰ったら手を洗う、毎日お風呂に入る、毎日服を変える、部屋の中は清潔を保つ」
「立派なメイドがおられるのですね」
「えっ。いえいえ、全部自分でやるんですよ」
「そうなのですか。では、日々のそうした手順にずいぶん時間をお使いになる」
「はい、だからほら、魔法って、すごく便利で最高です」
紗良は言いながら、パウンドケーキを切り分けた。
分厚く切って、お気に入りのケーキ皿に乗せ、フォークを添える。
残念ながら、部屋には生クリームがない。
無念である。
飲み物はコーヒーにした。
「いただきます」
紗良が手を合わせる横で、フィルは手を組んで小さく祈りの言葉を呟いた。
それから、二人で同時にフォークを口に運ぶ。
いい出来だ。
「おや、紅茶の香りですか? 砂糖とバター……贅沢な菓子ですね!
とても美味しいです」
「葉っぱごと入れてるんです。コーヒーに砂糖とミルクは?」
「これは南方大陸の飲み物ですね。初めて口にします。
……ふむ、苦いけれど、不思議と菓子に合います。このままで結構でございます」
フィルによれば、こちらでは、砂糖は高価であるそうだ。
とはいえ、全く買えないほどではなく、庶民でもたまの贅沢で使えるくらい。
もちろん贅沢は贅沢なので、普段の間食は果物や芋類だそうだ。
「そうだ、私も作ってみたんです。干し柿」
「え? ああ、ペルシモンですね」
「一週間くらい経ったんですけど、まだ食べられなそうです」
ぶらぶらと紐に一個ずつくくられた柿は、色が変わり、少しだけ粉がふいている。
フィルは、靴を履いて近づくと、まじまじと観察した。
「ふむ。良い状態です。この位になったら、外側を少し手で揉むと良いでしょう」
「えっ。揉む? ぐにぐに?」
「はい、もちろん潰れぬ程度に。さらに一週間ほど経ったら、また中心部付近に向けて揉むのです。
そこから一週間後くらいが食べごろでしょう」
「年末かぁ。結構かかるんですね」
言われた通りに柿を揉み揉みする。
横に並んで、そうそういいですね、などと言っていたフィルは、ふと気づいたように、
「そういえば、紗良様というのは、お名前だったのですね」
「あ、はい。でもいいと思います。津和野はいっぱいいますからね。まあここにはいませんけど」
「では、私のこともぜひ、フィルとお呼びください。バイツェルは沢山いますからね。この世界に」
そう言われ、紗良はくすくすと笑った。
意外に面白い人だ。
「それで紗良様、年末はどうお過ごしの予定ですか?」
「んん、年末? いえ、何も考えていませんね。夜更かしくらいはしようかな?」
フィルはうんうんと肯くと、さらに言葉を継いだ。
「もしよろしければ、うちにいらっしゃいませんか?」
「と……いうと?」
「一週間ほど、実家へ戻るのです。我が家は大家族で、田舎なもので家も無駄に広い。親戚も沢山出入りするので、一人増えたところでいるもいないも同じです。
紗良様もそこに混じりませんか?
この世界について、少し覗き見ることもできましょう」
ふむ、と紗良は考えた。
田舎の大家族か。
ちょっと考えてみた。
ふむ。
日本では、大みそかはいつも家族と一緒だった。
もしかしたらそれを思い出して少しナーバスになってしまうかも。
だったら、人に囲まれていたほうが過ごしやすいかも?
いやでも人がたくさんいるのか。
どうしよう。
あ、と思いつく。
これが決断だ。
年末年始のことなんて、いつもなら絶対に両親に電話をしている。
どうしたらいい?と聞けば、帰省方法からなにからなにまで決めてくれる。
「行きます!」
気づけば、そう答えていた。
決断した、という感じがして、大変に良い気分だ。
「それは嬉しいことです。ではお迎えに参りますね」
にこにこしているフィルにはいと返事をしつつ、スマホのカレンダーを開いて見せる。
「暦は同じですか?」
「……ええ、不思議ですね、呼び名は違いますが、周期は同じです」
「じゃあここはやっぱり、地球なんだな……」
紗良は呟く。
気候や、昼と夜の時間、自然の有り様のほとんどが一致している。
紗良の乏しい知識でも、それは同じ環境下でなければありえないと分かる。
ここは、いつかどこかの地球なのだろう。
そしてまた、だからこそ、女神の力で人を呼ぶことも出来る。
フィルが指さしたのは、12月29日だった。
「分かりました、お泊りの準備しておきますね」
「はい。向こうには全て揃っておりますので、身ひとつでも構いませんけれど」
さすがにそうはいかないだろう。
司祭というくらいだから、女性との付き合いはないのかな?
女子が手ぶらで他人の家に泊まれる訳がないやろがい。
「この装置は、聖女様と同じものですか?」
「装置? ああ、スマホですか、機種は同じか分からないけど、機能としては同じものですね。
佐々木さんと会ったことあるんですか?」
「とんでもない、私風情が会えるお方ではありません。
ただ、不思議な、薄い小さな装置をお持ちとは聞きました」
「モノは私のですけど、女神様?が、これに地図とか色々入れてくれたみたいです。
これはね、私のステータス」
「紗良様!?」
ステータスアプリを開き、ほら、と見せると、フィルの両手がスマホごと紗良の手を包んだ。
ほんわかした姿に似合わず、ごつごつした手だ。
司祭ってホワイトカラーじゃないのかな。
「え?」
「ご、ごごごごご自分のステータスをそんなに簡単に人に見せてはいけません!」
「え」
「分かりましたか!?」
「えっ、は、はい!」
ぐいとスマホを胸元に押し付けられ、慌てて画面を消した。
「自分のステータスやスキルは、基本、家族などごく親しい者にしか知らせないのです。
心の内を覗かせる行為とでも申しましょうか、そういう習慣なのです」
「それは知りませんでした。今知っておいてよかったです。
教えてくれてありがとうございます!」
こういう、地方特有の慣習、みたいなやつがあなどれないよな、と紗良は思う。
年末年始に、フィルの実家とやらに行くのがちょっと不安になってきた。
「いえ、元はと言えば、私が紗良様の装置に興味をもったせいですから。
それに、その、乙女の手に、許可もとらずに触れてしまって。こちらこそ申し訳ありません」
「手くらい別にいいんですけど、私、ご実家で大丈夫ですかね?」
「え?」
「え?」
「……え?」
「いや、ご実家でね。なにかやらかさないかなって」
何に驚いているのか分からないが、心配事を相談すると、ああ、と納得された。
「家族には、界渡り様と言ってありますので」
「びっくりされませんでした?」
「家族の方から提案されたのです。ですから気楽においでください」
なら多少のことは、習慣の違いで許されるかもしれない。
紗良は安心した。
「あまり長居もいけませんね。そろそろ失礼いたします」
「お構いもしませんで。あら、ヴィーの気配がしますね、こちらへ向かっているようです。
会っていきますか?」
「残念ながら! あまり時間もなく! またの機会に!」
フィルは、あっという間に荷物をまとめて立ち去ってしまった。
まだ明るいので大丈夫だろうが、一応、スマホの警報には気を付けておこう。
紗良は手に持ったままだったスマホを、ポケットに入れた。
右手側のやぶががさがさと揺れて、予想通り、ヴィーが顔をのぞかせた。
そして、ウッドデッキに突入した。
空になったケーキ皿がふたつ、テーブルに並んでいるのを、ぐるぐる周りながら嗅ぎ出す。
しっぽは、びたんびたんと床を叩いていた。
「今日も元気いっぱいちゃんだね。ケーキの残り、全部食べる?」
そう尋ねると、魔物はようやく落ち着いたように、ぷすん、と鼻息をはいた。