33
鹿と別れ、自宅に帰り着いたのは、15時を回ったころだった。
やはり山中は歩きにくく、しかも目に付く獲物をついつい収穫してしまう。
新しい種類のきのこと、こまごました香草が手に入った。
かなり汚れた気がして、先にシャワーを浴びることにする。
「……ぎょえ!」
細かい切り傷がついているようだ。
最近は、歩きやすい場所を選んで出かけていたから、癒しをかけるのを忘れていた。
慌てて傷を治し、ようやく落ちついて髪を洗うことが出来た。
セーターともこもこのロングスカートで外に出ると、湯上りということもあって少し寒い。
部屋に戻って、毛糸の帽子とこれももこもこのネックウォーマーをしてみる。
ちょうどいい。
さて、魚ときのこはいいとして、問題は柿だ。
残念ながら、寡聞にして渋柿の取り扱い方を知らないため、予想で動くしかなかった。
日本の冬の原風景というか、よく見る光景として、吊るし柿のイメージは持っている。
それに、干し柿は食べたことがある。
だからきっと、いける。
紗良はウッドデッキにあがり、柿を傍らにおいて、まずは皮をむくことにした。
「……皮、むくよね? ……え、むいていいのかな」
ちょっと不安にもなってみたりしながら、干し柿に皮はついていないという予感に従って手を進める。
次に、さつまいものつるを干して作った紐を、そのへたに結んでみようとした。
ちょっと難しい。
つるが太すぎるのだ。
一本の紐に5、6個ぶらさがっている光景が理想だったのに、結局、紐一本に柿一個ずつしか結べない。
それを、木材を簡単に組み合わせた物干しざおのような場所に吊るす。
「……」
長さの違うつるに、柿が一個ずつぶらぶら横並びに揺れている。
思ってたんと違う。
しかし、これ以上のことは出来そうもない。
紗良はそこから目をそらし、夕飯にとりかかることにした。
++
同じ頃。
青白い光をほのかに放つ転移陣に、フィル・バイツェルが姿を現した。
そして、足元の石を撫で、確認している。
その背中に声をかける者があった。
「おや、君は」
振り返ると、そこには、長い髪と長いひげを生やした老人がいた。
髪もひげも、着ているローブも、全て真っ白だ。
「これはジュネス様」
フィルは、驚きつつも、礼にのっとった姿勢であいさつをした。
「そうかそうか、司祭長の任を断って飛ばされたときいておったが、この近くであったか」
「ははは、ナフィアの司祭を任じられたのでございますよ、それだけです」
「もったいなきこと。お父上はさぞお怒りであったのでは?」
「まあ……いやしかし私は次男ですので。家督を継ぐわけでもなし、最後は好きにせよとお許しがでましたとも」
「許しであると思っているなら、なぜ身分を捨てたのだね」
「好きにしたのですよ。生きることは良きかな、気楽であればなお良し、というのが信条でして」
老人は大笑し、
「ふーむ、お前の近くに界渡り様が落ちてこられたのも、女神様の采配であろう。
信じるままに、信じる形でお仕えするといい」
そう言った。
フィルはその言葉で、そうそう、と思い出す。
「界渡り様といえば、この転移石ですが……」
「ふむ。この石を設置したのは、200年ばかり前の界渡り様であったと聞いておる。
魔力が切れ、継ぐ者も再起の仕方も分からぬまま100年以上は経つが」
「完全に機能が戻っておりますね。おそらく紗良様でしょう。波長が同じであったのでしょうか」
「紗良? ああ、界渡り様の御名か。親しくなったのだな」
フィルはそれを聞き、自らの失敗に気づく。
津和野様が正解だったか。
少し困ったけれど、今は少し置いておくことにする。
「今のところ、転移陣に許可を受けたのは紗良嬢だけのようだな。
とはいえ、再起に気づけば、転移魔法を使えるものはここを目印に飛来できてしまう」
「ええ。私自身は、光柱を目で見て参りましたが、遠方からでも魔力で感じる者もおりましょう」
心配げな老人に、フィルはにっこり笑う。
「ジュネス様は、王都からはるばる、紗良様を心配していらしたのですね」
「ふむ。不憫な来歴であるからなぁ。
それに、聖女様は紗良嬢との交流後、少しずつ前向きになっておられる。
どちらの乙女にも、心安くあって欲しいものだね」
二人はうんうんと肯き合う。
「紗良様に、悪意あるものは近づけぬようです。安全地帯を会得のご様子ですので」
「なんと! では聖女にも匹敵する力をお持ちなのか……。
ならばそう心配することもないだろうか。
聖域自体には女神様の結界があると聞いておるし」
「ええ。ご本人は大変に人が好い方で、森に馴染み、魔物とも心を通わせております。
今は聖域にとどまっておられますが、行動範囲も広がってきているようですし、やがて人との関りもお望みになるでしょう。
身を守る術もお持ちですし、アテルグランスを従えていらっしゃいますし」
「ほっほ、なんとなんと。頼もしいね」
老人は、聖域の方を眺めやり、微笑んだ。
そのローブの裾に、何かが触れる。
見れば、数頭のシェルヴスだ。
つぶらな瞳で、珍しそうに匂いをかいでいる。
どこからか突然現れたように見えた。
「おや、これは……紗良嬢の魔力かな?」
「そのようですね」
グランディフェライの実をぼりぼりと食べている彼らは、ほんのりだが魔力をまとっている。
「紗良嬢が魔法陣を起動した際、近くにおったのだな。
どこから来たのかと思ったが、この転移石を使えるようにしてもらったらしい」
「ふむ。どこからでも食料確保に来られるということですか。
おい、幸運だったな、お前たち」
シェルヴスは鼻をぶるんと鳴らす。
「ではフィルよ、紗良嬢によくお仕えしておくれ。
お供物でお望みのものがあれば、私に伝わるようにしておくからね、教皇庁へ報告をあげるといい」
「ええ、もしあれば」
「大きなものをお望みにはならぬか」
「はい。控えめというより、この世界のことをまだ何も知らない方です。
けれど、まあ、知ったとしても、きっと高価なものなどは欲しがらないでしょうが」
「聖女が共に呼んだだけはある、大人物のようだね」
「手放しで良い方と言えるでしょう。それに……とても美味しいものをお作りになられるのです!」
この世界に娯楽は少ない。
しかし、食べることに全力を傾けていた時代よりは、少し豊かになってきた。
食べることに喜びを見出す時代になりつつあるということだ。
老人は、きらりと目を光らせた。
「その話、もう少し詳しく聞かせるのだ、フィル・バイツェル」
二人は大木の下に向かい合って座り込み、長々と話し込んだのだった。
++
寒い夜にぴったりのあんかけ焼きそばを、それはそれは食べにくそうに、けれどしっかり平らげたヴィーに、声をかける。
「ねえヴィーちゃん。たまにお土産持ってきてくれるじゃない?」
紗良は、マニュアルノートを開いて、そのうちのある箇所を指さし、ヴィーに示した。
「この鹿、えー、シェル、ヴス?は持ってこなくていいから、ちょっと覚えておいて?
ヴィーは自由に食べたらいいけど、私にはいいから。ね?」
弱肉強食、豚も鶏も平気で食べるくせに、いやなんなら実家ではジビエもよく食べに行っていたくせに、顔見知りになると食べられないなんて、甘えではある。
けれどまあ、そんな自然界の掟を、厳しく自分に突き付けねばならないほど、ぎりぎりの食生活ではない。
ヴィーはちらりとノートを見て、鹿を指さしている紗良の指先をフンフンと嗅いでいる。
分かってくれたのかなあ。
いや、分かれというほうが無茶か。
とはいえ、
「一応ね、お願いね」
と言っておくだけ言っておく。
言われたほうは、相変わらず熱心に紗良の指を嗅いでいる。
「目ざといな。いや鼻ざとい……?」
嗅いでいる指は、ついさっき、パウンドケーキの焼き上がりを確認した指だ。
もうほぼ最後の栗を使って、夕方から焼いていたのだ。
「でも残念、食べるのは明日だよ」
ヴィーはシャー!と鳴いて歯をむき出した。